1990年のプロ野球を語ろう Part.2
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>>592
’84はまだ谷沢、大島、モッカが元気だったし、
宇野自身も4番タイプじゃないだろ。
打率も低いしチャンスに滅法強いってわけでもなかったし。
しかしさっきwikiみてきて驚いた。
本塁打王の翌年の41発もだし、3割なんて打ったことないと思ってたわ。 宇野は89年は3割で、この年も打率はよかった
シーズン終盤に一枝コーチとよく打撃談義をしていたとの話もあった どうしても、あのおでこヘディングで珍プレーイメージを作ってしまったから評価は低かった
でも、野球に対する情熱や探究心はかなりあった
あの落合が宇野を打撃コーチにしたのは宇野の野球に対する真摯さや探究心を買っていたから
この人が監督でも面白かったと思う
落合辞めて高木でなく
やっぱり、おでこヘディングで監督にもなれなかった >>598
宇野が監督ならヘディングのイメージもあるから仮に高木のように失敗してもあそこまで叩かれることはなかったのかな、と
実際落合監督の頃立浪までの繋ぎで宇野監督の可能性あるんじゃ?と考えていた時期あったんだけどな 89年にGL決戦になって、もし巨人が勝ってたら、
球界の歴史も多少変わっていたんだろうか...。
@藤田巨人長期政権(恐らく
A落合はヤクルトにFA?
B松井秀喜を巨人はドラフト指名したのか?
C原辰徳の引退は2000年前後?
D槇原FA移籍?
とか勝手に思い付いたので書いておく 89は相手が近鉄であろうと西武であろうと8年ぶりの日本一奪還ということで
最大限の評価を得たわけだから、結局90年のシリーズと91年の戦いぶりが
藤田監督が長期政権なりえたかのポイントになるかと思うよ。
で、原篠塚らの衰えによる打力低下は藤田監督云々に関わらず
必然的に起きていたと思う。 藤田監督は健康問題で第二期の監督就任を渋ったくらいなのに
長期政権なんて無理
だいたい西武に勝つ負けるなんてごく些細な問題であって
務台の死亡、巨人戦視聴率の低下、Jリーグ発足がそのままなら歴史は何も変わらない。
IFがあるとしたら長嶋嫌いの務台がもう少し長生きして
その間に藤田があと1回くらい日本一になって発言力を確保、王に禅譲というシナリオだろう。 櫻井よし子が巨人ファンでこのシリーズの敗けをニュースで嘆いていたような
昔はやさしい感じだったが今じゃいい話聞かないただの老害ばばあだな 宮田を「8時半の男」って名付けたのもウグイス嬢の務台さん。
あとグランドキーパーにも務台さんがいたと読んだが、ドンの務台の親類縁者? 読売のスポーツ欄のコラムの著名にも務台と書かれていたので共同使用ネームでもあるのかな >>605
ナベシネ台頭以前の讀賣のラスボス
といったところかなw この年の中日の外国人選手のディスティファーノはベンチでもよくキレて
最後は物を壊しても本人は修繕費すら払わず結局うやむやにしたまま帰国したとか
大外れもいいとこだった
>>565
バンスローの退団の理由は家族の病気の治療のためとか当時の週べに書いてあった記憶があるが全然違ったのか
星野監督が「病気ならかわいそうで仕方がない でも、痛いよ!」とコメントしてたのに 当初、病気と言われていたのは記憶にあるが、
後になって星野暴力説はよく聞くようになったね。
当の星野本人の耳に届いていたのかは分からんがw 痛いなんてもんじゃない、あったねー
週ベでちっちゃく記事になってたの思い出した
翌年ライアルがドラゴンズ助っ人史上最高の打点(当時)あげたのが救いか >>559
高木豊の著書によるとマイヤーはフライもロクに捕れないとかボロクソで、
「あんなにいい奴なのにクビなんて…」と評されたポンセと比較して
チームメイトに良く思われてなかったのかも 最終的にチーム内ホームラン王が同じ28本で八木とパリッシュだったのが面白かった >>609
>>613
母校ブリガムヤング大の監督してる。
NCAAの試合で乱闘になった動画が合ってバンスロー必死に止めていた。
一方のディステファーノはマイナーのコーチやってたけど
これもつべにあったけどコーチになっても相変わらず暴れていた。 たかが暴力ごときで帰る選手なんているのかね
スポーツにはつきもので、たんなる星野嫌いの後付けじゃないか?
デュミロの時も誤診が酷いのに星野だけが一方的に叩かれていたがマスコミは星野がみんな嫌いなのか?
なんかやらかすと寄ってたかってくさして叩くイメージなんだが
長嶋とか野村にはほとんどそれがない
あとは落合や森もよくボコられるな >>509
外国人は基本的に星野仙一とそりは合わない
アリアスぐらいか
合ったのは 八木のホームランと和田の打率しか楽しみがなかったこの頃 ディステファーノには「エキサイティングな外国人がやってきたと」
大絶賛してたけどな >>622
あれで打てたらお気に入りだっただろうがな。
オープン戦で乱闘する奴初めて見たわw 阪神優勝させた時にくどいくらい称賛されてたじゃん >星野
逆に野村は叩かれまくってた
被害妄想が強いんじゃないの >>623
そら、生まれ育った環境が劣悪(NYブルックリンのリトルイタリー)なうえに
ハイスクールまでアイスホッケーやってた。
更に3Aの退場記録持ってたという噂・・・ ベニーエキサイティングはオープン戦じゃライナー性のヒットを結構打ってて期待したんだけど
開幕後は開幕戦初打席でポール直撃のHR打ったきりさっぱり
一方バンスロはオープン戦さっぱりだったけど開幕後は攻守に渡って頑張ってた ただオープン戦で乱闘したインパクトはそれなりにあって
今でも日本でディステファーノといえばサッカーより野球の方が有名だったりするな >>627
今はレアルマドリードのレジェンドの方が知ってる人いるんじゃないの バナザードもマイナーのGM補佐かなんかやってて
試合に負けた選手に「覇気がない!かかってこい!」って言って自分の服をビリビリに破いて威嚇したとして問題になって辞任してたな >>630
暴れてるというよりは率先して助けにいったところを横から吹っ飛ばされてるように思える
可哀相 >>632
ていうか、オープン戦だけでなく
開幕戦でクロスプレーで初登板の与田と清水がもみ合いになって小競り合いになったときも
ライトの守備位置からマイヤーめがけて飛び蹴り未遂とか、
広島戦でヤングが暴れた時もヤングに向かってタックルかましてたな・・・
たまたま回りが壁になってたけど散らばってたら明らかにヤングとディステファーノ
マウントの攻防状態になっていて両者退場になってたかもね。
ただ、巨人戦で暴れて退場になったときも星野が
「何で当事者じゃないディステファーノが退場なんだ!!」と激高して擁護してたくらいw この年で一番印象に残っている乱闘は、
ナゴヤ球場での巨人戦だな。
確か、ウッチャんナンチャンの番組で試合を放送して
出演者と会場の人も一緒にみてた覚えがある。
(生放送だって初めて知った) >>634違う試合だったらすみません。
中日−巨人戦だったのは間違いないはず。 >>634
打者バンスローが当たらなかったけど近めの球に激怒して、
(中略)
巨人ベンチから何か言われた星野監督が激怒し
「なんやあ!こっち来いよ!」みたいなこと言って、
水野が殴られたやつだよね。
結局ディステファーノも退場だっけ。 >>636
松原コーチに『早く引っ込め』と言われたはず。大乱闘でディスティファーノが退場、警告試合になる。鹿島がクロウの尻にぶつけて退場。そして木田勇がマウンドへ‥‥ 大宮っていつも血気系外人にぶん殴られてるイメージなんだが 大宮ってこの年(だったと思う)西武に移籍したんだよな。
西武も前年の開幕直前伊東怪我による離脱によって
中盤まで低迷してたのが響いたのを糧にして。
森が本で、大宮は移籍してきてレギュラーを取ろうってでは
なく伊東のサポートをやってた。ので助かった。って感じの
内容で載ってた。 大石、大宮、中尾
この頃やけに「中日西武系捕手」多かった印象、何かパイプでもあったのかな 斎藤雅樹は優勝決定後、9月15日時点で18勝4敗防御率1.67。
それが残り3試合で、一気に2点を超えてしまった。
9月22日 広島(東京D)5回自責5● 18勝5敗 1.84
9月29日 中日(ナゴヤ)6回自責6○ 19勝5敗 2.04
10月7日 中日(東京D)8回自責5○ 20勝5敗 2.17 星野仙一と西武の森がNHKの関連で師弟関係だったとか
星野仙一の中日時代の背番号77は、森の師匠だった川上哲治の監督時代の背番号
でNHK解説者だった縁で、監督業の心得を自宅に招いて教えたらしい
そのルートが平野と小野であり大石や大宮もだった >>638
スティーブとディステファーノ以外にもいたっけ? >>644
ワンツーパンチの見本のように殴られてたな。 1990年の中日はバンスローでなく近鉄からリベラ獲得だったらどうなってた?
リベラ&ディステファーノのコンビ見てみたかったけど・・・ 大石はデス杉本と共に84年オフ田尾とのトレードで中日に来たが
当時の監督は山内と広岡 森がNHKの解説になったのは西武の監督を辞任してから
どんだけ盛ってるんだよこいつ 引退後の森の経歴。
日本テレビ→ヤクルトコーチ→TBS→西武コーチ→文化放送
→西武監督→NHK→横浜監督→隠居生活 >>640
直接には西武で根本氏の腹心と言われた岡田英津也氏が、同郷&明大後輩の星野監督に馳せ参じたのに伴うものかと。
後に星野監督の招きで阪神でも編成を担当する。
「人脈で言えば彼奴が上。俺の人脈が100人だとすると、彼奴の人脈は200人は居る」by根本陸夫 >>646
リベラのパンチでディステファーノがシーズン絶望 この頃は後に格ゲー御用達メーカーとなるSNKが色々なジャンルを試行錯誤で世に送り出していたある意味のピーク期
ベースボールスターズはソフトボールっぽかったわ
麻雀狂列伝では平和台があった大濠公園で幼馴染の婦警を野外レイプするのがあった
他にもライディングヒーロー、スーパースパイ、サイバーリップというのもあった Jack has a bat and two balls. >>652
リベラとディステファーノのコンビだったら、
槇原は再起不能に落ちいてたと思うけど・・・ その前に、その二人によるノーガードの殴り合いになって、
どちらかが再起不能になる可能性だってあるw リベラとディステファーノってどちらもイタリア系じゃないかwww >>641
20勝到達も、印象を悪くして沢村賞を逃してしまった。今思うと、20勝投手が絶滅危惧種になってしまうのだから、斎藤に沢村賞をあげるべきだった。 それでも、”新人でタイトル総ナメ”というインパクトはデカ過ぎる。 最後に失速した斎藤と、ブーストかけて最多勝と防御率のタイトルに手が届いた野茂。
最多勝と防御率は渡辺久が失速してくれたのも大きいが運も実力のうちということか。 ナベQの場合シーズンの失速っていうより選手としての失速のターニングポイントだったんだよな >>664
両リーグとも、優勝チームの大独走。9月以降、イメージダウンした斎藤に対し、野茂は三振記録で話題を独占。消化試合の出来が、沢村賞を決めた稀有なシーズンだった。 >>665
>>667
当時25歳にして、毛髪と選手と両方のターニングポイントに
見舞われるなんてw >>668
25歳までに最多勝3回、おまけにイケメンでモテまくりと
勝ち組すぎる人生だったからなあ まぁ何だかんだで監督としても日本一を達成しているし編成入りも果たしたので十分勝ち組なんだよな。例のヤク中を見ているとつくづくそう思う。 >>658
チャンスに打てなかったディステファーノをリベラが責め立てて
チームメイト同士でドつき合いかよw
リベラはプエルトリコのアマチュアボクサーだし、
ディステファーノは当時治安が劣悪だったNYブルックリンのイタリア人街育ち且つ
ハイスクールまでアイスホッケーやってたみたいだし・・・ 桑田が開幕から1ヶ月謹慎で、藤田監督は4月の間21歳の木田優夫と23歳の吉田修司を「使い倒していた」。
先発もリリーフもやらせてた。木田は開幕2戦目でサヨナラホームランまで打ち、月間MVP獲得。 >>675
この年は、幻のノーヒットノーランがある。96年に達成した時は、復活を期待したが、西武時代最後の白星となった。 >>676
柴田と投げ合ったやつかな?
あれで「延長戦でノーヒットノーランやったのは江夏だけ」って事実を知った 西崎じゃなかった?
柴田ならこの年、東京ドームの近鉄戦でノーノー達成。
その模様はテレビ埼玉で中継された。 >>678
柴田は92年に、10回1安打無失点も、勝ち負け付かずがある。 http://atoz.exblog.jp/1880384/
ちなみに、柴田のノーヒットノーランがあった日(=近鉄・野茂がリリーフ登板)って、
27年前の今日のことだったのね。 野茂はデビュー後になかなか勝てなくてまだ先発では荷が重いから
しばらくリリーフで調整するんだなと思ったものだ ナゴヤ球場ってよく火災が発生する
今まで3回ぐらいはある ソフトバンクがボコボコにされて4タテ→翌年Bクラスなら
言うこと無しw >>690
いやソフトバンクが4タテしそうな予感…
2年ぶり日本一(しかも4タテ)を2度もやってのけた奴がいるし… しかし、彼は昨年指揮官として「Vやねん」も経験したw 27年前の今頃は巨人も西武も独走していてシラケムードだった。
ラジオから流れていた「夏祭り」を聴いて虚しさを感じたほど。
まさに空に消えてった打ち上げ花火そのもの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています