これも今からしたらの話なんだけど、90年シーズン終了後の日本シリーズ前、
野村克也のコメントに「戦い様によっては巨人を崩すメドは十分に立った」というのがあった。

今から思えば90年の野村は、勝敗に拘らず中長期的な展望を見据える為の捨て年というか
91年以降の躍進の為の準備の年と位置付けていたのかもしれないと思わせるものがあった。

当時の野村は今ほど喋らないどころか、「全く話さない人」みたいな感じだったが、
成績は振るわなかった90年のシーズン中も巨人に関する事は頻繁に口を開いていた。
巨人キラーである川崎を三連戦初戦に使わず、二戦目以降に廻した理由を聞かれた時も、
「斎藤から点を取れる確率は低いから、川崎は翌日に廻すんだ」と嬉しそうに長々と確率論や数字の話をしてた。