田淵ダイエーを語ろう
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
両リーグの首位打者打率に勝率が負けた1990年から3年間 >>14
しかもダイエー監督解任後もやっていた
北京五輪、楽天コーチの時も ___
/ \
/ FDH |
| ===========‐
| | \ / |
|◯ | ・ ・ |
ヽ ノ ⌒ |
/  ̄ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/| )_____ |\< アクションベースボールで優勝だ!
/ λ ノ \\_______________ >>10
杉本はその頃まだ現役投手だけど、中日からダイエーに移っていたな。 >>18
田淵の西武時代同僚だったからダイエーに移籍したけど
田淵がダイエーの監督になってなかったらダイエーに来ていないだろう 夕方のニュース番組の六時半位にやるスポーツコーナーで伝えるナイターの途中経過で
すでに3点5点取られてるのは当たり前だったよなぁ http://2689.web.fc2.com/1990/BH/BH17.html
ちょうどこの日がフジの27時間テレビ中で、
特別版プロ野球ニュースのアナと解説者が「もう何もいうことはありません・・・」
みたいな感じで伝えてた。
十数年後立場が変わって、こんなスコアがかわいく思えるほどの試合が 広島で活躍した前田智徳も、もし希望通りのダイエー入団だったら
田淵監督のもとでやっていたわけだよなぁ
彼のことだから、とことん馬鹿にしたであろうw >>16
期待されているキャラを裏切らないって周りの人には悲劇 ドラフトで元木を指名した時、中日監督の星野と広島監督の山本が「ワシらも一緒にあいさつに行く!」とか言っていたらしい。
結局行かなかったけど。 90年甲子園で阪神−ヤクルト戦見に行ったら、途中経過で
ダイエ−−西武 ダイエ−の勝利ってアナンスがあったら
阪神応援団から拍手がわきあがってた。OBでもあったんだろうけど
同じ最下位の阪神ファンに同情されるような声援 されるって・・。 91年は選手だけでなくコーチも大量にきたな。
覚えているだけで
権藤(前近鉄)、柴田(オリックス)、広瀬(元監督)、小林正(大洋)
やくみつるの4コマ漫画のネタにもされてた。 >>27
はあ?登録名はゴセージ、原音に近いのはゴッスィッジだが、ゴッセージはふぉこからでてきたの? >>29
27ではないが、MLB絡みの書籍や雑誌でそう書いているのを見た事があるな。
ゴッセイジと書いているのもあったと記憶。 >>29
獲得時の新聞記事はゴッセージ表記だった
有名選手なので当時の大リーグ関係の記事でも容易に確認できる
だからといって日本での登録名表記を完全否定する>>27はどうかと思うが ペタジーニはペタージン、ホージーはホッシー。来日前の大リーグ名鑑に書いてある。 外人2人とも活躍したのって92年ぐらいか。
タネルとブーマーで。
あとは両方ともダメか片方だけ。
アップショーがダメになるとは思わなかった。
田淵と合わなかったんだろうな。
高畠コーチが1年目からいたら少しは代わったかもしれないけど。 タネルのどこが活躍したのかと。
アップショーは年齢的に限界 >>35タネルは92年あまり活躍してなかったか。
外国人にも運が無かったな。田淵ダイエーは。 超軟投派のくせに、ど真ん中への失投が異常に多い山内孝徳を抑えにするという 岸川で思い出すのが、田淵ダイエーの時に近鉄故鈴木のレフトライナーを
はじいてスタンドインして本塁打になったシーンを思い出す。
北九州球場での出来事だったと思う。 鹿児島鴨池だったか。
うろ覚えだったので失礼しました。 ライディ、パークル、トンプソン、アダム、ブキャナン
ホークスは外国人を取るのが上手いよな。 >>43
ドームになったら福岡県内以外では一切やらなくなったけど
この時代は北九州以外での九州の地方球場でも割と主催試合やってたよね なんかゴールデンウィークに永易が満塁ホームラン打たれて負けた試合があって激怒してたな 永易だと西鉄で永久追放食らった選手になってしまう
永射は開幕戦でもブライアントに一発打たれて往年の左殺しではなくなっており、この年で引退した たしかこの試合開始前に600試合登板の表彰があって、
晴れがましい日になるはずだったのが暗転。即刻二軍落ちでそのまま引退。
シーズン最終戦に記念登板はあったものの事実上選手生活に終止符がうたれた日
だったような気がするが、さすがに記憶違い? 正解
>>47が605試合目でこれが606試合目・最終登板試合
球場は北九州、最後の打者は5番藤王
http://2689.web.fc2.com/1990/FH/FH26.html 就任にあたって黒田を引き抜いてくるのは1学年下の法政の後輩だし、
西武頭脳()の移植ってことでわからなくもないのだが、
大田まで打撃コーチに呼んじゃうのがいかにも田淵らしく甘いんだよなあ。 杉本、広橋も獲得してたな田淵
竹之内も一軍打撃コーチだったが揉めて辞任 >>52確か西武のスコアラー(打撃投手)の豊倉も引き抜いてたな。
田淵が西武時代の打撃投手だったか何かの縁で。
田淵が監督辞めた後もしばらくダイエーでスコアラーやってた。 大田とか田淵以上の天才肌の打者だったから田淵と二人して何を教えてたんだろうか。
壊されたというか見切りをつけられた畠山
高畠さんがもう一年早く来てたら何とかなったかな、とか勝手に都合よく妄想してみる。 91年〜94年まで一軍の打撃コーチは高畠・大田だった
大田は田淵解任に伴い辞任しようしたが根本に要請され留任し
王1年目の95年まで一軍打撃コーチを務めた 武田のカーブに木村恵二のカーブを思い出したよ。
平和台のデビュー戦国営全国放送で清原から4連続三振(先発は加藤伸一)
結局延長で秋山に3ランやったかなで力尽きたが。。。
その後清原にカモにされたのは内緒やで! マウンドから見ると鷹の目が睨んでるように三宅一生?がデザインしたヘルメット >>50
この試合見ていました
途中代打で山之内が出てきて3回スイングして全部空振りだった
ライトスタンドでさえガラガラで応援団の人が先制したとき
「一列ウェーブしませんか?」と提案してきたのでやりました。
ポール際からセンターまで一列に並んで何度も何度もやけくそウェーブ
途中センタースコアボードのうどん屋でうどん食べている間に逆転されていた。 91年の首脳陣の広瀬、高畠、柴田、小林正之って
穴吹、杉浦らのフロント主導の人事なの?
権藤は89年オフに候補に挙がったいたが近鉄との契約で
90年は他球団のコーチなれず >>62小林以外は南海OBでもあるからわかるけど、
小林正之はなんでダイエーに?って思った。
のちのち古葉を招請するためかな?って気もした。 柴田と小林は広島コーチ時代の同僚だったな
96年の藤田阪神でもコーチで同僚 黒田ヘッドと権藤投手コーチの対立は相当だったみたいだな。
田淵の腹心の黒田が退団って・・。相当何かがあったんだな。
って新聞を見てそう思った記憶がある。 一年目途中、トレードで巨人から来たばっかの有田修三をいきなり
4番で起用した時はさすがに田淵アカンと思ったわ。 >>68有田って、田淵1年目中西投手コーチをシーズン途中に解任した時に
コーチ補佐になってなかったっけ?(記憶違いだったらすみません) 移籍してきた時点でバッテリーコーチ補佐兼任だったような。
ともかくコーチ兼任の肩書きではあった。 91年に黒田、有田が退団して和田徹が2軍から昇格した スポニチだったか、根本が辞めた後に 「ダイエーの次期監督は古葉で決定的」
なんて記事をトップにしてたっけなあ 上田利治も監督候補だったのか
同時期に大沢啓二の推薦で日本ハムの候補に挙がっていたが
他のフロント連中の意向で要請に至らず
当時打撃コーチだった大田卓司は田淵解任後も留任したが
これは次期監督の根本陸夫の要請で留任したと言っていた
上田が監督だったら住友平がヘッドコーチだろうな
根本が連れてきたのはコーチはヘッドコーチに小山正明だけ
権藤、高畠、大田、和田徹、桜井は留任 王監督就任時の最初のコーチングスタッフは
寺岡ヘッドや達川など、広島人脈が中心だった。 ★おさらい ★
セディナ設立時の会員数約2,600万人 → 今の会員数約1,690万人
セディナ
http://web.archive.org/web/20120201000000*/http://www.cedyna.co.jp/company/aboutus/highlight.html
2010年度 2,251万人
2011年度 2,109万人 前年比-142万人
2012年度 1,948万人 前年比-161万人
2013年度 1,841万人 前年比-107万人 2010年比-410万人/-18.2%
セディナは過去に何度も赤字を出しし月平均10万人以上のペースで会員が減ってる!
900万人以上がダイエー系のOMC会員だからダイエーの店舗が消えイオンに移るか退会し
年会費だけで90億円が消える、今時流通系で年会費1000円も取るクレカって需要が無い。
※セディナの会員のおよそ半数がOMC
参考:
三井住友会員数推移
2010年度 2,077万人
2011年度 2,165万人
2012年度 2,240万人
2013年度 2,299万人
三井住友のデータを見れば判ると思うけど10万人の会員を集めるのは至難の業
※三井住友は会員獲得の為に入会基準を楽天並みに下げている 北海道のどこかで8-2のリードから投壊してひっくり返された試合を
RKB毎日のテレビ中継で見た記憶がある。 90年のシーズン序盤辺りに
西武が30勝9敗ぐらいだった時に
ダイエーが西武の勝ち負けを逆にた勝敗で
互いの勝率を足したら10割ピッタリって時期がしばらくあった記憶がある 5月が終わった時点で
ダイエー10勝
巨人の斎藤8勝
すげえ!巨人の斎藤より勝ち星多いじゃん!などとバカにされてた
ような田淵1年目かな >>84は>>2も見れないのか。しかも間違ってるし 竹之内はあの号泣トレード時の交換相手だったからな…
田淵と合わなかったのは仕方ないか。
1992年オフのファン感は早速根本監督と新ユニだった。 たしか、つぶれたフクニチスポーツ最終号の一面は
杉本が投げていた試合だったような記憶が・・・ ラガは低打率三振ばかりたまに本塁打のランスを一回り小さくした感じで
一年間安定してたような
2年目は単純に外国人枠の問題
実績のあるブーマーと投手不足の中先発として期待されるタネル
この二人にはじき出された
ダメになったといえば本原だなあ
オールスターまで8勝2敗→オールスター後7連敗
翌年まで連敗が続いたんじゃなかったっけ >>94
本原は、故障で辞退した近鉄の小野の代役としてオールスター戦に出た。まさか、そこから連敗街道に入るとは‥‥ 当時西武から結構勝ってたが、
「西武キラーとか言われてるけど、いつも結構点取られてるし…」とか本人言ってた 当時の西武は黄金時代真っ只中
西武キラーとか言われる投手はなかなかいなかった 本原に限らず、プチブレイクしてオールスター出てそこから転落した選手っているよね。
楽天の有銘なんかオールスターでボコボコにされてそこから復活すら出来なかったし、
横浜の田中健あたりもオールスターの時には既に出来落ちになってたがそこまでの成績で推薦で選ばれるも後半戦はからきしだった。 しかし、よく3年も任せたよな。南海からダイエーになり待遇は良くなるも、戦力は向上するどころか、悪くなったからな。 南海晩年から杉浦が立て直したのを田淵がぶっ壊したからね
外国人にも恵まれなかったかな。 緻密や野球っぽい雰囲気の杉浦がお祭り野球で
大ざっぱなお祭り野球っぽい田淵が緻密野球を目指した滑稽さ >>99
有銘はそれまでも地味に活躍し続けてたからプチブレイクってのとは
ちょっと違う気がする >>100
南海最末期とダイエー1年目が期待もたせたから余計にね・・・
特に「閉店間際野球」は結構全国的にも知名度高かったし。 >>101
外国人に恵まれなかったか?
当時は2人制で、田淵時代に2人ともショボかった年はなかっただろ
むしろ3人目で投手を取ってくれたりしたし トニーと揉めて帰国でしょ。ウィリーも大不振で同じく
タネルも2年目大いに期待されたが...
ブーマーも開幕から凄かったが夏に近づくにつれ大失速
ロケットアームのウイリアムズもさっぱり
ラガは扇風機のポコポコヘッドで有名に
ゴセージ笑 タネル途中から来た1年目は良かったんだよな
それで期待した2年目はボロボロ
ストレートがチェンジアップにしか見えなかった ゴセージって当時のセーブメジャー記録持ってたんだよな
一度不合格にしたのを契約したんだっけ
よほど衰えてたんだろうな
出てきたら打たれてたイメージしかない そう田淵が呼び寄せた。大阪球場でトレーバーにいきなりカーン!
でも意外とメージャーに戻って多少活躍してた
スピードは148キロくらいは出てた ダイエーの外国人ストッパーなら、シグペンが良かった印象
田淵時代じゃないけど 開幕前近鉄にも売り込みに来ていたが、この年入団したトレーバーのビデオにゴセージから打ったホームランが写っていたため話は流れた
そのトレーバーに日本でもいきなり一発打たれたw シグペン、木村、下柳とようやく中継ぎ抑えが良くなったね 西武に入団テストを受けて薬物関係で獲らなかった
ハウを獲得する噂があったね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています