田淵ダイエーを語ろう
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両リーグの首位打者打率に勝率が負けた1990年から3年間 :::::::::::::::::::::: ____,;' ,;- i
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::::::: i;" ___,,,,,,, `i" |┌─────┐ J |||
::::::: i; ,,;'""" `';,,, "`i | |. ダイエー 9勝 | ◎ |||
::::::: | ''''''i ,,,,,,,,,, `'--''''" .| |. .| ..|||
::::::: |. i'" ";| .| |. 斎藤雅樹 8勝 | ||||||| |||
::::::: |; `-、.,;''" | |└─────┘||||||| ||
:::::::: i; `'-----j | | ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄|| 田淵監督 「目標は背番号と同じ81勝です。それぐらい勝てれば優勝も見えてくる」
結果 41勝85敗4分 勝率.325 首位西武と40ゲーム差の6位 日本テレビの今年の珍プレー特番
珍プレー1位 打率に負けた勝率
西村徳文 .338
J..パチョレック .326
ダイエー .325 田淵ダイエー
大矢二期横浜
石毛オリックス
田尾楽天
土橋ヤクルト
有藤ロッテ
これでリーグ戦やったらどこが優勝するかね? ロッテ
横浜
楽天
ヤクルト
ダイエー
オリックス
と予想 新浦有田今井ブーマー門田、超ベテランが移籍してきた ドラフトのクジで若田部を引き当てたのが唯一の大仕事
もし田淵がクジ外してたら、HKT48の若田部遥ちゃんは存在しなかった 中西投手コーチ4月で解任
田淵とアップショー、バナザードと対立で解雇
田淵と黒田、田淵と権藤、田淵と竹之内、権藤と黒田、権藤と藤田学の対立
フロントに穴吹、杉浦、コーチに広瀬、高畠、2軍監督に柴田猛の南海勢
>>9
あとデス杉本がホークスの投手コーチになってなくて投手陣壊されずに済んだな 巨人の二軍からやってきて途中入団ながら5勝。
翌年も前半戦だけで8勝を稼ぎオールスター出場を果たすも、
そこから全く勝てなくなった謎の名投手本原正治。 4月終了時
斎藤 3勝
ダイエー3勝
5月終了時
斎藤 8勝
ダイエー9勝
6月終了時
斎藤 11勝
ダイエー15勝
7月終了時
斎藤 14勝
ダイエー21勝
8月以後は差がつき最終的に
斎藤 20勝
ダイエー41勝 >>14
しかもダイエー監督解任後もやっていた
北京五輪、楽天コーチの時も ___
/ \
/ FDH |
| ===========‐
| | \ / |
|◯ | ・ ・ |
ヽ ノ ⌒ |
/  ̄ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/| )_____ |\< アクションベースボールで優勝だ!
/ λ ノ \\_______________ >>10
杉本はその頃まだ現役投手だけど、中日からダイエーに移っていたな。 >>18
田淵の西武時代同僚だったからダイエーに移籍したけど
田淵がダイエーの監督になってなかったらダイエーに来ていないだろう 夕方のニュース番組の六時半位にやるスポーツコーナーで伝えるナイターの途中経過で
すでに3点5点取られてるのは当たり前だったよなぁ http://2689.web.fc2.com/1990/BH/BH17.html
ちょうどこの日がフジの27時間テレビ中で、
特別版プロ野球ニュースのアナと解説者が「もう何もいうことはありません・・・」
みたいな感じで伝えてた。
十数年後立場が変わって、こんなスコアがかわいく思えるほどの試合が 広島で活躍した前田智徳も、もし希望通りのダイエー入団だったら
田淵監督のもとでやっていたわけだよなぁ
彼のことだから、とことん馬鹿にしたであろうw >>16
期待されているキャラを裏切らないって周りの人には悲劇 ドラフトで元木を指名した時、中日監督の星野と広島監督の山本が「ワシらも一緒にあいさつに行く!」とか言っていたらしい。
結局行かなかったけど。 90年甲子園で阪神−ヤクルト戦見に行ったら、途中経過で
ダイエ−−西武 ダイエ−の勝利ってアナンスがあったら
阪神応援団から拍手がわきあがってた。OBでもあったんだろうけど
同じ最下位の阪神ファンに同情されるような声援 されるって・・。 91年は選手だけでなくコーチも大量にきたな。
覚えているだけで
権藤(前近鉄)、柴田(オリックス)、広瀬(元監督)、小林正(大洋)
やくみつるの4コマ漫画のネタにもされてた。 >>27
はあ?登録名はゴセージ、原音に近いのはゴッスィッジだが、ゴッセージはふぉこからでてきたの? >>29
27ではないが、MLB絡みの書籍や雑誌でそう書いているのを見た事があるな。
ゴッセイジと書いているのもあったと記憶。 >>29
獲得時の新聞記事はゴッセージ表記だった
有名選手なので当時の大リーグ関係の記事でも容易に確認できる
だからといって日本での登録名表記を完全否定する>>27はどうかと思うが ペタジーニはペタージン、ホージーはホッシー。来日前の大リーグ名鑑に書いてある。 外人2人とも活躍したのって92年ぐらいか。
タネルとブーマーで。
あとは両方ともダメか片方だけ。
アップショーがダメになるとは思わなかった。
田淵と合わなかったんだろうな。
高畠コーチが1年目からいたら少しは代わったかもしれないけど。 タネルのどこが活躍したのかと。
アップショーは年齢的に限界 >>35タネルは92年あまり活躍してなかったか。
外国人にも運が無かったな。田淵ダイエーは。 超軟投派のくせに、ど真ん中への失投が異常に多い山内孝徳を抑えにするという 岸川で思い出すのが、田淵ダイエーの時に近鉄故鈴木のレフトライナーを
はじいてスタンドインして本塁打になったシーンを思い出す。
北九州球場での出来事だったと思う。 鹿児島鴨池だったか。
うろ覚えだったので失礼しました。 ライディ、パークル、トンプソン、アダム、ブキャナン
ホークスは外国人を取るのが上手いよな。 >>43
ドームになったら福岡県内以外では一切やらなくなったけど
この時代は北九州以外での九州の地方球場でも割と主催試合やってたよね なんかゴールデンウィークに永易が満塁ホームラン打たれて負けた試合があって激怒してたな 永易だと西鉄で永久追放食らった選手になってしまう
永射は開幕戦でもブライアントに一発打たれて往年の左殺しではなくなっており、この年で引退した たしかこの試合開始前に600試合登板の表彰があって、
晴れがましい日になるはずだったのが暗転。即刻二軍落ちでそのまま引退。
シーズン最終戦に記念登板はあったものの事実上選手生活に終止符がうたれた日
だったような気がするが、さすがに記憶違い? 正解
>>47が605試合目でこれが606試合目・最終登板試合
球場は北九州、最後の打者は5番藤王
http://2689.web.fc2.com/1990/FH/FH26.html 就任にあたって黒田を引き抜いてくるのは1学年下の法政の後輩だし、
西武頭脳()の移植ってことでわからなくもないのだが、
大田まで打撃コーチに呼んじゃうのがいかにも田淵らしく甘いんだよなあ。 杉本、広橋も獲得してたな田淵
竹之内も一軍打撃コーチだったが揉めて辞任 >>52確か西武のスコアラー(打撃投手)の豊倉も引き抜いてたな。
田淵が西武時代の打撃投手だったか何かの縁で。
田淵が監督辞めた後もしばらくダイエーでスコアラーやってた。 大田とか田淵以上の天才肌の打者だったから田淵と二人して何を教えてたんだろうか。
壊されたというか見切りをつけられた畠山
高畠さんがもう一年早く来てたら何とかなったかな、とか勝手に都合よく妄想してみる。 91年〜94年まで一軍の打撃コーチは高畠・大田だった
大田は田淵解任に伴い辞任しようしたが根本に要請され留任し
王1年目の95年まで一軍打撃コーチを務めた 武田のカーブに木村恵二のカーブを思い出したよ。
平和台のデビュー戦国営全国放送で清原から4連続三振(先発は加藤伸一)
結局延長で秋山に3ランやったかなで力尽きたが。。。
その後清原にカモにされたのは内緒やで! マウンドから見ると鷹の目が睨んでるように三宅一生?がデザインしたヘルメット >>50
この試合見ていました
途中代打で山之内が出てきて3回スイングして全部空振りだった
ライトスタンドでさえガラガラで応援団の人が先制したとき
「一列ウェーブしませんか?」と提案してきたのでやりました。
ポール際からセンターまで一列に並んで何度も何度もやけくそウェーブ
途中センタースコアボードのうどん屋でうどん食べている間に逆転されていた。 91年の首脳陣の広瀬、高畠、柴田、小林正之って
穴吹、杉浦らのフロント主導の人事なの?
権藤は89年オフに候補に挙がったいたが近鉄との契約で
90年は他球団のコーチなれず >>62小林以外は南海OBでもあるからわかるけど、
小林正之はなんでダイエーに?って思った。
のちのち古葉を招請するためかな?って気もした。 柴田と小林は広島コーチ時代の同僚だったな
96年の藤田阪神でもコーチで同僚 黒田ヘッドと権藤投手コーチの対立は相当だったみたいだな。
田淵の腹心の黒田が退団って・・。相当何かがあったんだな。
って新聞を見てそう思った記憶がある。 一年目途中、トレードで巨人から来たばっかの有田修三をいきなり
4番で起用した時はさすがに田淵アカンと思ったわ。 >>68有田って、田淵1年目中西投手コーチをシーズン途中に解任した時に
コーチ補佐になってなかったっけ?(記憶違いだったらすみません) 移籍してきた時点でバッテリーコーチ補佐兼任だったような。
ともかくコーチ兼任の肩書きではあった。 91年に黒田、有田が退団して和田徹が2軍から昇格した スポニチだったか、根本が辞めた後に 「ダイエーの次期監督は古葉で決定的」
なんて記事をトップにしてたっけなあ 上田利治も監督候補だったのか
同時期に大沢啓二の推薦で日本ハムの候補に挙がっていたが
他のフロント連中の意向で要請に至らず
当時打撃コーチだった大田卓司は田淵解任後も留任したが
これは次期監督の根本陸夫の要請で留任したと言っていた
上田が監督だったら住友平がヘッドコーチだろうな
根本が連れてきたのはコーチはヘッドコーチに小山正明だけ
権藤、高畠、大田、和田徹、桜井は留任 王監督就任時の最初のコーチングスタッフは
寺岡ヘッドや達川など、広島人脈が中心だった。 ★おさらい ★
セディナ設立時の会員数約2,600万人 → 今の会員数約1,690万人
セディナ
http://web.archive.org/web/20120201000000*/http://www.cedyna.co.jp/company/aboutus/highlight.html
2010年度 2,251万人
2011年度 2,109万人 前年比-142万人
2012年度 1,948万人 前年比-161万人
2013年度 1,841万人 前年比-107万人 2010年比-410万人/-18.2%
セディナは過去に何度も赤字を出しし月平均10万人以上のペースで会員が減ってる!
900万人以上がダイエー系のOMC会員だからダイエーの店舗が消えイオンに移るか退会し
年会費だけで90億円が消える、今時流通系で年会費1000円も取るクレカって需要が無い。
※セディナの会員のおよそ半数がOMC
参考:
三井住友会員数推移
2010年度 2,077万人
2011年度 2,165万人
2012年度 2,240万人
2013年度 2,299万人
三井住友のデータを見れば判ると思うけど10万人の会員を集めるのは至難の業
※三井住友は会員獲得の為に入会基準を楽天並みに下げている 北海道のどこかで8-2のリードから投壊してひっくり返された試合を
RKB毎日のテレビ中継で見た記憶がある。 90年のシーズン序盤辺りに
西武が30勝9敗ぐらいだった時に
ダイエーが西武の勝ち負けを逆にた勝敗で
互いの勝率を足したら10割ピッタリって時期がしばらくあった記憶がある 5月が終わった時点で
ダイエー10勝
巨人の斎藤8勝
すげえ!巨人の斎藤より勝ち星多いじゃん!などとバカにされてた
ような田淵1年目かな >>84は>>2も見れないのか。しかも間違ってるし 竹之内はあの号泣トレード時の交換相手だったからな…
田淵と合わなかったのは仕方ないか。
1992年オフのファン感は早速根本監督と新ユニだった。 たしか、つぶれたフクニチスポーツ最終号の一面は
杉本が投げていた試合だったような記憶が・・・ ラガは低打率三振ばかりたまに本塁打のランスを一回り小さくした感じで
一年間安定してたような
2年目は単純に外国人枠の問題
実績のあるブーマーと投手不足の中先発として期待されるタネル
この二人にはじき出された
ダメになったといえば本原だなあ
オールスターまで8勝2敗→オールスター後7連敗
翌年まで連敗が続いたんじゃなかったっけ >>94
本原は、故障で辞退した近鉄の小野の代役としてオールスター戦に出た。まさか、そこから連敗街道に入るとは‥‥ 当時西武から結構勝ってたが、
「西武キラーとか言われてるけど、いつも結構点取られてるし…」とか本人言ってた 当時の西武は黄金時代真っ只中
西武キラーとか言われる投手はなかなかいなかった 本原に限らず、プチブレイクしてオールスター出てそこから転落した選手っているよね。
楽天の有銘なんかオールスターでボコボコにされてそこから復活すら出来なかったし、
横浜の田中健あたりもオールスターの時には既に出来落ちになってたがそこまでの成績で推薦で選ばれるも後半戦はからきしだった。 しかし、よく3年も任せたよな。南海からダイエーになり待遇は良くなるも、戦力は向上するどころか、悪くなったからな。 南海晩年から杉浦が立て直したのを田淵がぶっ壊したからね
外国人にも恵まれなかったかな。 緻密や野球っぽい雰囲気の杉浦がお祭り野球で
大ざっぱなお祭り野球っぽい田淵が緻密野球を目指した滑稽さ >>99
有銘はそれまでも地味に活躍し続けてたからプチブレイクってのとは
ちょっと違う気がする >>100
南海最末期とダイエー1年目が期待もたせたから余計にね・・・
特に「閉店間際野球」は結構全国的にも知名度高かったし。 >>101
外国人に恵まれなかったか?
当時は2人制で、田淵時代に2人ともショボかった年はなかっただろ
むしろ3人目で投手を取ってくれたりしたし トニーと揉めて帰国でしょ。ウィリーも大不振で同じく
タネルも2年目大いに期待されたが...
ブーマーも開幕から凄かったが夏に近づくにつれ大失速
ロケットアームのウイリアムズもさっぱり
ラガは扇風機のポコポコヘッドで有名に
ゴセージ笑 タネル途中から来た1年目は良かったんだよな
それで期待した2年目はボロボロ
ストレートがチェンジアップにしか見えなかった ゴセージって当時のセーブメジャー記録持ってたんだよな
一度不合格にしたのを契約したんだっけ
よほど衰えてたんだろうな
出てきたら打たれてたイメージしかない そう田淵が呼び寄せた。大阪球場でトレーバーにいきなりカーン!
でも意外とメージャーに戻って多少活躍してた
スピードは148キロくらいは出てた ダイエーの外国人ストッパーなら、シグペンが良かった印象
田淵時代じゃないけど 開幕前近鉄にも売り込みに来ていたが、この年入団したトレーバーのビデオにゴセージから打ったホームランが写っていたため話は流れた
そのトレーバーに日本でもいきなり一発打たれたw シグペン、木村、下柳とようやく中継ぎ抑えが良くなったね 西武に入団テストを受けて薬物関係で獲らなかった
ハウを獲得する噂があったね >トレーバーのビデオにゴセージから打ったホームランが写っていたため話は流れた
クッソワロタw 昔はそんな良い場面ばかり集めたPVみたいなもん観て獲得を決めるのも珍しくなかったんだよな
ネットも無い時代だし https://goo.gl/YWFb2E
この記事本当?
普通にショックだんだけど。。 その復帰できたってニュースで驚いたわ。
顔もあったからだろうけど。 >>77
うっかり達川と一緒に高橋慶彦を連れてきちゃったんだよな 選手たちの前で一度本当に殴り合いしたらしいなw
仲悪い仲悪いと言わないでくれと言って、「実際どうだったの」と問われ
「一度だけやりました」と言った達川 後には若菜と尾花ってのもあった
バッテリーコーチだった若菜が投壊を投手のせいばかりにしたのを尾花がキレて
「じゃあお前がやってみろ」と掴みあい コーチがコロコロ変わったイメージがある。
1年目開幕直後 投壊の責任を取らされ中西を解任
有田を引退扱いにしてコーチ補佐にしたり
2年目は大幅にコーチを連れてきた。
小林正之、権藤、柴田、広瀬
とか しかしまあネタの宝庫だな
確かに吉永抜擢しか褒めどころないか 二年目は謎に老人集めてたイメージ
島田誠、今井、新浦、広橋など 田淵と一番犬猿の仲だったのは黒田だったな
後年星野阪神で田淵がコーチ復帰しようとした際、
編成にいた黒田と一緒に戦うことを渋ったほど
星野が一喝して収めたが 1990年7月8日
右 佐々木
二 湯上谷
左 広永
指 有田
一 榊原
三 藤本
中 右田
捕 内田
遊 小川
衝撃のクリーンアップだな。しかも、このメンバーでゲームセットまで一人も代えなかったし。 田淵ダイエー監督時代のサインボールが中野まんだらけで5K
しかし田淵時代6→5→4と上がってきて
敢えて自分で監督して6位最下位に落とし
改めて王監督で優勝させる根本専務の手腕がすごい >>121-122
慶彦は達川の他に大下や北別府とも不仲だったからな。
テレ朝やホームテレビは全国中継や広島戦中継で、当時系列局のKBC解説者だった慶彦を使うのを躊躇した。
2014年に達川が中日コーチになって解説者が不在になった際、
慶彦が解説に出る予定があったのが、直前になって金石に変わったりしたのも、何か事情がありそうな…
満点ママには普通に出ていたが。
>>127
新浦は獲得したかと思ったら、開幕後すぐにヤクルトに移っていたな。
ただこのダイエー在籍経験が、FBSでの解説者活動につながった。
最初数年は日テレにも出ていたが。 >>130
同じ年スタメン3番が本村ってことがあって
それまでどんなクソ負けしても思ったことがなかった
「カネ返せ」
が初めて口をついて出た記憶がある >>130
オリックス相手に3勝22敗が頷ける。しかし、3勝22敗って、平幕と横綱の対戦成績だよな。 >>130そのメンバーだったらまだ3番広永はうなずける。
4番有田は・・。 あと藤本博史も…
つーか、この面子なら藤本4番だろ。
あとは将来への期待込みで右田1番にして佐々木3番とか。 http://sta-men.jp/1990hawks.html
http://2689web.com/1990/FH/FH11.html
http://2689web.com/1990/FH/FH12.html
田淵なりに前日珍しく爆発した打線をそのままにって考えなんだろう
で、バナザードが前日か当日に出れないといい出して急遽4番だけ有田に
山本も肘?やっちゃったし岸川も抹消中
弱り目に祟り目とはまさにこのことだな
ちなみにこの試合前の成績は16勝42敗3分 .276 ゴセージが入団したためアップショーが二軍落ち
これにバナザードが不満を持った
ほどなくして二人とも退団 アップショーが日本で打てなくてバカにされてるのがバナザードは我慢できなかったらしいね
メジャー時代からの憧れの選手だったとかで メジャーは実績主義だから
メジャーで残した数字こそ最強の指標で、日本でどんなに上の数字残してもメジャーの実績が上なら格上になる
憧れの選手がバカにされてるのを見て、「お前ら日本人はこの人がどんなに凄い選手なのか分かってんのか?」という感情だったらしい だから実績のある元メジャーを連れてきても、年俸とプライドだけ高くて扱いに困ることもある
世界最高のリーグで実績を残してきたプライドがあるから、日本の野球に適応しようとしない
3Aでハングリー精神ある選手のほうがプライド無くて適応しようと努力するから成功しやすい側面もある 90年は、シーズン後に日米野球があった。平和台の試合で、村田が先発した。7勝15敗の投手が日米野球に先発するなんて、前代未聞の出来事だった。 >>126
あと若田部引き当てたことぐらいか
大田卓司は田淵に呼ばれてコーチになったが田淵解任時一緒に辞めようしたが
根本の引き止められて残留した ホークスファンの友人は阪神との大トレードが成功したのに
右田を失った事を悔しがっており、
阪神で1安打しか打てなかった右田がホークスに残っていれば
活躍できたと今でもボヤいてる。 >>144
まともなチームで投げてたらそんな数字にはならんからな。 サファテでもいればAクラス一回くらい入ってたな
健闘した初年度も井上矢野実が活躍した。
池田や斉藤学はきつかった あの当時の抑えは回跨ぎはもちろん、同点でも僅差で負けてる場面でも登板してたからな
それも7回くらいから投げることもザラ
1回限定で勝ってる状況限定でのみ安定感のあるサファテじゃ、あの時代なら分からん 村田は開幕から完投しまくって必ず夏場に調子落としてたね だいたい井上ですら他球団と比べたら抑えとしてどうなのってレベルなのに、それを池田とかにするとか狂気以外の何者でもなかった。 でもあのトレードは成功だったよな
池田と大野が大活躍した
出ていったのは誰も戦力にならなかった 大野は別に驚かなかったが、ややオワコン化していた池田が働いたのにはヒビった。
引退後の人生もあれで変わったし。 >>128何がきっかけで仲が悪くなったんだっけ?
確か、黒田は西武の作戦・バッテリーコーチだったのを
田淵が引き抜いたんだよな。法政大の後輩の関係でもあったし。 >>151
中日辞めた後の日刊の連載で田淵に下柳起用するように言ったら
受け入れらず田淵解任後根本が就任してからは受け入れてくれて起用された
根本は下柳を打撃投手させたりした >>156
田淵の迷采配ぶりに愛想つかして、田淵解任への弓を引いた
河村によると、田淵はニャンコ藤本に無茶な要求して
精神的に追い詰めたりもしてたそうだからなぁ >>142
そこらへんが実力ではなく実績第1と言われる所以なんだろなぁ。
メジャーは必ずしもその時代に最も働いてる選手が年俸トップにはならないし。 >>156
>>158
奇しくも黒田は古巣への復帰だったな。
片平晋作と一緒に西武に移籍した時の交換相手が、山村義則と山下律夫。
その山村もちょうど引退してコーチになったばかりだった。 村田って何かのブローカーになってるって本当?
wikiに書かれてるNPOは現在はやってない様子 黒田って森、田淵、野村って捕手出身監督の下でコーチを務めることが多かったな
13年、14年の阪神では内野手の和田だったが >>153
5対4だっけそのトレード
池田大野渡真利岩切⇔藤本西川吉田博之右田近田、でいいのかな? 黒田は91年オフクビになったんだっけ。
当時の新聞に権藤コーチとの軋轢とか書かれて田淵と新幹線車内
で並んで新聞読んでいるシーンが載ってたけど。
田淵とも確執があったんだ。 この年のダイエーって負け数もそうだけど
負け方がひどかったよな。
4回くらいで既に6−0みたいなことが多かった
試合にならない、話にならないって感じだった 権藤さん出てくるとあの頃思い出すよね
横のサブグラウンドで投手陣が練習していて、気軽にサイン貰えたりしたな。 25年野球見てるが一年目の田淵と達川が史上最低監督のトップツーだと思う 優勝しそうになったけど鈴木、権藤に殴られた
一年目の金田正泰が史上最低監督だろ スレチだけど有名なあの話は江夏ソースだからどこまで信用していいんだかわからんよ、とだけ書いておく >>165
そうそれ。
言葉は悪いが負ける分には構わないが、ハナから反撃する意欲がしぼむような展開が目立った。
チームが崩壊してる時に起きる典型。 田淵が就任してどう化学変化が起こるか期待したが、今思うと杉浦さん続投の方が・・・とも思わなくもない
しかし何より根本さんが来てくれたことが一つの分岐点
また根本さんを招聘した中内オーナーもナイス 田淵ホークスを強くするのは西武を強くするより過酷なミッションだったのだろうな。
文字通り命を削ってしまった。 >>172
「福岡で(よりによって南海のエースだった)杉浦さんじゃちょっと」という声が
経済界を中心に大きかった。
ほんの数年前に稲尾さんが福岡にロッテが移転してきたら
いくら年間席を買ってくれる、広告を出してくれる、といった生々しい現実的な
交渉までやってたのにぽしゃった失望の裏返しで その杉浦が裏方に回って地元財界人に挨拶回りを続け
酒の席を重ねた結果、信頼を得て福岡がまた野球を愛する街に
戻ったんだから分からんもんだ
太平洋クラウン時代のライオンズを追い出そうと躍起になってた時期もあるだけに よそもんがチームをめちゃくちゃにしやがって
さては西武の「草」かこのブタ野郎
と本気で憎んだもんだ当時はな
このところは仕事の合間にサンケイの「田一幸淵物語」
チェックするのがささやかな楽しみ >>171
それでもロッテみたいに最初から優勝する可能性を放棄し一年間のスケジュールを淡々と消化するだけのチームよりもまだマシだった。 田淵監督が今もずっと指揮を執っていたら強くなっていただろうな >>47
小川ヒロシ対決があったんだね。
高橋ヨシヒコがいる なつい!! >>47
小川ヒロシ対決があったんだね。
高橋ヨシヒコがいる なつい!! 岸川が地方球場で鈴木貴久の飛球をアシスト本塁打していた 今季のロッテ、ハムも酷いが、90年の田淵ダイエーに比べたらマシ。 山内孝徳を抑えにした時には、田淵は気が狂ったのかと思った
あんな球威のない、牽制がウマいだけの奪三振率が異常に低い奴を >>190
それ以上に、井上先発が愚作。短距離選手に、長距離走らすくらいの違和感があった。 牛ファンだったがバナザードとかアップショーが好きだった。西武戦でも打ってたしなw
しかし田淵は2人を首にした。こいつほんまモンのバカだと思ってた。 球威のある投手?そんなものが田淵ダイエーにいたとでも? 山内孝が抑えに回った時に解説者の誰かが
意気に感じるタイプの山内孝だからリリーフに適任だとかいう社交辞令を言っていた 20年ぶりに福岡を訪ねたが
若い頃ひとりケッと見上げていたシーホークに息子と宿泊することになろうとわ
まあドームと田淵は接点ないが それはさておき
スギがつき 根本がこねし天下餅 すわりしままに食うはボクチャン
だったら八方丸く収まっていたというのにね
と28年前に初めて迷い込んだ長浜屋で やはり息子とすすりつつ思った次第 ベンチで自ら配球指示をする権藤
他所のファンだが当時は衝撃なシーンとして見てたw >>202
死球のブーマーが、ダイエーベンチの権藤に詰め寄って行ったことが有った。 ブーマー「パスタイム、クダサイ
権藤「(無言で差し出す) 田淵時代の山本和範は干されていたのかな
打撃は例年同様良かったのに、出場機会が激減した記憶がある
しかし、この頃は色々酷かったね
阪神の暗黒時代なんかかわいいもんだろと当時は思ったよ >>206
1年目 左ひじ故障で後半戦離脱
2年目 レギュラーが左から岸川、大野、佐々木 指名打者も復帰した門田
岸川故障離脱で終盤はレギュラー
3年目 岸川故障からいまいち復活できず、大野も不調
門田も衰え目立つで守ったりDHだったりで3年ぶりに規定打席到達 田淵が円形脱毛症に悩んでた頃、
まっぴら君で「大栄製作所」が「エンケイ」と社名変更するというネタにされる 福岡クラシックのトークショーで田淵がユニフォーム作ったの
山本寛斎とか言ってたのみてダメだこりゃと思ったw 田淵ホークスの楽しみ方は酷い負け試合を肴に酒を呑む事だったからな そうおっしゃるが自分はあの時はハタチそこそこで酒の味もロクにわからず
選手に失礼と試合中は一切飲食せず
試合の前か後に缶ビール一本飲む程度だったからつらかった 練習嫌いの村田がエース扱い。そのせいか、投手陣の練習量の少なさは、球界屈指だったと言われている。
後年、移籍して来た工藤、武田一浩が呆れていた。 地元テレビ、ラジオ局も中継に熱が入ってない気がした。 近鉄ファンだけど本原という投手に痛い目にあった記憶ある
田淵時代限定の投手だったよね >>215
91年前半戦は、村田とローテの軸になった。故障辞退した近鉄の小野に代わり球宴に出場したが、後半戦は全く勝て無くなった。 >>217
その話聞く度に、なんか時空がねじれてるんじゃないかと思うわ。 >>214
福岡の地元球団復活に燃えて実況放送していたのは
RKBの隈部アナくらいだったかな 古い世代の地元アナはかつてはライオンズべったりの放送をしてたんだよなあ >>219
息子さんが早稲田でラグビーやってたね
バリバリのレギュラーで >>223
地元局より神戸のサンテレビのほうが多かった。
89年開幕前に発売された「プロ野球の悩み」というムック誌によると、
この年のKBCテレビは「ウチはオープン戦も含めて15試合中継します」と、
スポーツ部長のコメントも載っていた。 KBCラジオは全試合中継しだしたでしょ田淵になってから >>224
サンテレビ倒産危機をダイエーに救ってもらった恩があるからな >>224
そのサンテレビの中継の中にはKBCのメンバーでやっていたのがあったな。
河村英文と月俣幸三とか。 何か西武と言うか西武以前(クラウン、太平洋クラブ、西鉄末期)のライオンズ出身のコーチ
が多かったような。 初年度は弱いながらも後半はアップショー・バナザード両外国人がホームラン量産してチームも連勝して楽しめた
翌年の田淵就任からが暗黒だったわ 成績調べたけど、3番手位の成績だけどエースとは
この時代は弱かったの?
>>82
> 村田勝喜 初年度は華があったな。佐々木不振湯上谷不在でも打線は凄かった
投手では加藤伸一が故障なく頑張ったね このころは球団経営にも慣れてないのか
保留名簿に名前乗っけてるのに
その後に解雇とか信じられんことやって選手から訴えられてたな 南海ラストイヤーは門田さん無双と身売りの愁嘆場
翌年は幼少時憧れたブルトレで九州初上陸&岸川のサヨナラ弾含む平和台三連勝
そして後半ペナント争いが混沌とする中でのドサクサ怒濤の快進撃
本当に最高に面白い身震いするような2シーズンだった
その次の年からはよく覚えていない ムーンライト九州で行った
杉本先発で柴田保光に軽くひねられたw 「ニュースステーション」のスポーツコーナーで
佐藤誠一からラガが決勝ホームラン打った試合を見た。
物凄い盛り上がりなのが画面でも見てとれた。
ラガは活躍した1年目は珍好プレーのスタジオにも呼ばれて楽しそうにしてた。
が、翌年は泣かず飛ばすで消えた。 ブーマー移籍で干されたラガ
91年ラガも微妙だがブーマーも
後半バテてたし 後半バテてたのに打点王ってやっぱただものじゃないなと思った。
ただ、お腹がもうあんこ型力士レベルになってて
(最終年のトニ・ブランコより酷かった)
いくら福岡の飯がおいしいのかもしれんが・・・と思ったら契約延長は無かった。
メジャー復帰とかじゃなくてタイトル獲得したのに引退ってそうそういないよな。 >>238
凡打した腹立ちまぎれにヘルメット叩きつける様がとりあげられた
さんまの「ヘルメット脱ぎやすそうな頭やしね〜」なんてイジリを通訳されて
「What!?」と気色ばんでみせたりするシーンがあった
当時関東のネット裏に出没していたユーモアのかけらもない汚らしいヤジ野郎に
「Shut up!!」と怒鳴ったり
オーバーオール姿で干し草いじってんのが似合いそうな見事なメリケンオヤジだったな 10代、20代に平和台時代のホークスは西武戦だと西武ファンの方が多かった
と言ったら驚くやろなwww ブチ、去年大動脈瘤の手術したみたいだね。
長生きして欲しいな... 当時は小学生だったのでほとんど印象なかったけど
後にやくみつるのマンガ読んだりネットの記事とか読んで
リアルタイムでこの弱さを体感したかったなぁ〜、と思ったw
星野さんも亡くなったし田淵にも長生きしてほしいねぇ。
田淵ってダイエーの監督になる直前の89年に、関根さんの後のヤクルトの監督にって噂もあったみたいだね。
もしヤクルトの監督やってたらどうなったんだろう? >>244
3年連続Bクラスで解任
西武OBのコーチを呼んでトレードで西武OBの選手を取る
ヘッド黒田、打撃大田、スコアラー豊倉、トレードで杉本・広橋取る >>240
自由契約後、日本ハムがブーマー獲得を目指して調査した結果
「西武相手が1割(この1992年ピークだった石井丈裕には20打数0安打)、
近鉄相手に2割そこそこ、下位3球団で荒稼ぎ。これじゃ使えねえよ。」
と大沢が新聞の取材で語っていたな。
年齢的にも仮に取ってたとしても、.250 15本程度だろ ブーマーが来た年の平和台開幕戦の西武戦は面白かった。
広永のサヨナラに門田飛行機ポーズ、ブーマー2戦連発
山本レフトフライが強風でホームラン、佐々木の打球がフェンスに挟まる。
この連勝でチームも乗っていった。 >>154
しかも、いまやホークスのご意見版になってるなあ。池田。最近野球を知った世代だと、阪神にいた事なんて知らないだろうなあ。 >>221
その師岡アナ、田淵→根本ダイエーになってLFに移籍して、今年からフリーに。
>>250
でも池田に関していえば、阪神日本一のエースで知っている人もいるかも。 >>252
「2シーズン18勝でエースとはカタハライタイ」
とまだちゃんと漫画描いてた頃のやくに作中で言われてたな 同意 >>221
サンテレビと親密なABCの植草御大や亡きアベロク安部憲幸、和沙哲郎、武周雄等の実況中継に於けるKBCの社外門下生が
後庵継丸、月俣幸三、和田安生、西川恵三、そしてこの師岡だから熱さはABC譲りだな。
勿論虎中心なサンテレビの奥田博之、松島武雄、谷口英明からも影響を受けてるし。 岸川がセンター守ってた時。
一死二塁で、岸川のところに大飛球。
アウトカウントを間違えて、二塁走者にタッチアップからホームインされた。
そんなだらけ切ったプレイが起きたこともさることながら、誰も岸川を叱るでもなく、岸川もボサーッとしたまま、だらけたプレイを続けていた。 トレードで獲得した無名投手を即先発で使って炎上敗戦ばかりしてた印象
本原だけは少し頑張ったが >>257
元阪神エース池田を抑えにしたのは珍しく成功した それより
広島払い下げの野手を手当たり次第獲ってどいつも玉砕のイメージがつよい
本村 榊原 松林 小川達
ダイエー元年なら 伊藤 山中
南海晩年の 森脇 永田もそのイメージがあるな
まあ一軍監督までになったのはおそれいったが 大野の活躍は計算できた。
使い続ければ結果を出すタイプ。 >>250
Numberビデオの85年日本シリーズデストラーデのスリムな体型は衝撃だった >>261
予測変換でおかしな事言ったスマン
若い池田の今と似ても似つかぬ体型にびっくりって話ね どうやったら池田と入れようとしてデストラーデになるのかちょっと興味がある 池田は85年オフの選手のカラオケ大会で激ウマかったな 井上陽水うたった >>263
あるお笑いライブにゲストで大野さんこの時のトレードの裏話をしてておもしろかった。 田淵ダイエーの初勝利を平和台でたまたま観戦したのも、今となっては
良き思い出だwww 空耳アワーで「がんばれ田淵」ってネタがあって
ダイエー時代のお粗末な試合が映像に使われてたな
動画探したんだけど見つからんかった すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
DQAGV http://rkb.jp/zokkon-kyushu/
RKB 5月2日19時〜
ぞっこん九州 平成の30年福岡が一番熱かった日 ホークス初優勝の軌跡 99年9月25日 佐々木を「西武の辻と平野を合わせた選手に育てる」と言って、1番センターから9番ライトにしようとした
さすがに人材がいないので9番は未遂に終ったが・・・ イチローの記念すべきプロ初安打は平和台球場でのダイエー戦
打たれたダイエーの投手は懐かしい木村恵二
田淵監督のときかな 木村恵二の平和台デビュー戦は鮮烈でしたね
nnk全国放送で西武打線から奪三振ショー >>255
テレ朝系の場合、ABCやKBCと比べると、HOMEは「熱さ」がやや足りない気がするな。
KHBやHTBはよくわからんが。 木村恵二懐かしいな。久しぶり名前を聞いた。
功労者の一人だと思うが現在あまり野球には携わってないよね?社会人野球経験者だし性格からしてもコーチ向きだと思うが、どこからも声かからないのかな…。 後から見れば木村でなく新谷とったほうがよかったなw 佐々木誠の妹の息子・佐野恵太 (DeNA) が
福岡でのソフバン戦でプロ初本塁打 >>268
確か、川崎球場でパスボールだかワイルドピッチだかが絡むプレイで、田淵が審判に抗議してるシーンじゃなかったかな。 >>281
木村のプロ入りが決定していたから、新谷は日生に残留になったんだよね。
若田部の外れ1位で新谷の名前は挙がっていたけど、クジを引き当てたため同じタイプの新谷の指名はなくなった。
新谷本人はドラフト前の新聞記事で選り好みできる立場じゃないが、
できれば地元九州のダイエーに入団したいと話していた。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
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