【10.8】1994年のプロ野球を語ろう【イチロー】
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グラッデンと中西の大乱闘事件
これが危険球制度の始まりに… 大した成績じゃないんだけど
この年の岸川は何か印象深い >>555
シーズン途中に吉田修司との交換だったね。 この時点では20ホーマーの実績もある岸川取った巨人の方が得かと思った。
同じことは大豊⇔矢野絡みのトレードにも言えた。年度は違うが。 本日、東海テレビで10.8決戦をふりかえる特番やるぞ!
どこかで実況上げてくれないかな? >>559
見た見た。
原監督が、「負けたけど中日ファンが紳士的に見守ってた」とか言ってたけで、レフトスタンド下の出口に、道路塞ぐほどの多数中日ファンが待ち伏せしていてしばらく帰れなかったぞw 地元チームの優勝シーンが見られると思って球場へ来たら、讀賣の胴上げシーンを見せ付けられたもんだから
中日ファンは怒り心頭だったろうな 中日は優勝決まると観客がグラウンドに乱入して監督・コーチの帽子奪ったりと
騒ぐファン気質だから(´・ω・`)
3度目(近藤監督)で監督の帽子がファンに奪われたり、4度目(星野監督)もグラウンド
に観客乱入で胴上げが途中で中止になり星野や落合が激怒したのを記憶している
けど、2度目の優勝の時も与那嶺監督だったが、初優勝を経験したコーチから「帽子に
は気を付けて下さいよ。ファンに奪われちゃうから。」と忠告されたらしい。
優勝逃してグラウンド乱入して王選手を下駄で殴った(1973年)り、「帰れ!」コールの
大合唱(1992年)という阪神とは良くも悪くも真逆の気質という。
ナゴヤドーム移転後はフェンスの高さもあってか、すっかり消滅したけど。 あれは試合終了と同時に警備員だか機動隊だかがすぐグラウンドに出て囲ってたから。
>>558
エラーはグラッデン、落合、とあと1つは誰?
中日は何より今中のバント失敗と、中村の走塁死が痛恨だった。中村タイムリーをグラッデンの後逸で2者生還
して同点になったが、斎藤がリリーフして最初のプレーが今中のバントをフィールディングの上手さで三封。あれ
で乗った。もし2−1リードしながら無死満塁だったらどうだったのだろう。
で、清水三振の時二走中村が飛び出して二塁憤死。
鈍足中村にフルカウントでスタートのサインは出ていたのか?明暗を分けたとも言えるプレーなのに、先日の特番
でも真相が明らかにされなかったのは残念。 10.8の試合に限ってのMVPなら
斎藤という気もするね
重圧の中で先制弾打った落合も流石だったな この年の今日、槙原が完全試合を達成
あれから25年、結局は平成の内に第二の完全試合達成者は現れず、
年号も平成から令和へ 巨人ファンの俺にとってこの年は
最高のシーズン。なんと言っても
西武を倒して日本一になったのだから。
それにしてもこの年の巨人だけだろう。
リーグ最下位チーム(横浜)に負け越した
日本一チームはw 元木が評価され出した年
このシーズンだけでもサヨナラ打を何度か打ってたし… 俺が東京ドームに見に行った試合でも
元木がサヨナラ打を打ってたなw >>567
サヨナラ打の元木に松井があの騒動をする
騒動に対して
松井は元木がやった
元木は松井がやった
と語ってた >>57
そして今日のエブリーでのDENA綾部も…
巨人も綾部もここぞの節操のなさは
五十歩百歩だが… >>571
讀賣のクズぶりは、今に始まったことじゃないしねw 何となく風格の感じられない名前だったし、
力感のないスイングで、全然期待してなかったけど、
思い返すと、そこそこの当たり外人だった グラッデンもコトーも巨人らしくない外国人選手だったな 当時ドラゴンズ贔屓の自分としては
オールスター後の巨人の失速がなければ今中投手の選手寿命が伸びていたのでは?
と恨めしく思ったシーズンでした。
恨めしく思ったのは、この年の夏に肩を痛めた事を知った数年後の事ですが。 そして2年後にも肩の痛みを抱えたまま
優勝を争っていたチームのために無理矢理復帰したんだったな 抑えのソンドンヨルがもっと安定してたら今中の負担も軽くなっただろうに>96年 今中はあれだけの名投手なのについに優勝経験なしなのが可哀想、しかも何度もすぐそこまでに迫っていたのに(99は実質経験無しでいい) 個人的には伊藤智よりよっぽど悲劇のエースだと思う
伊藤は期待値込みで語られるけど今中は数字をしっかり残してたし 10.8の視聴率が高いって言われても、48%だとそんなもん?って感じだな >>200
ヤクザっぽくてデブな選手でしょ
江夏、落合、中畑とか
原もなんか古くさいイメージあった 日ハム白井康勝が崩壊したのがこの年 結局輝きは戻らず
この年から先発転向したのが悪かったかな 「10.8」決戦での中日の指揮官・高木守道氏が死去
合掌… この年の日本シリーズの第3戦と第4戦のテレビ中継のゲストに板東英二が出ていたけど
中日が出る可能性があったのも関係しているのだろうか >>592
当時放送していた「フロンティア」というニュース番組のMCを板東氏が担当していたからでしょう 報道のくせにOPは濡れ場ありのトレンディドラマみたいな番組
でもあれ?古舘が司会だったはずでは この年のセリーグ監督6名中、5人が鬼籍に入った(残るは長嶋ただ一人) この年のダイエーは今までの金持ち草野球チームから脱却するワクワク感があった
バブル弾けたとはいえダイエー本体も企業としてキャリアハイだったし 秋山渡辺内山を獲得した大トレード
FA松永を獲得
新外国人のトラックスラーとライマー
後の看板選手となる小久保
大きな転換期だったね 「監督人事」
10月9日、オリックスが初回の集中打と野田浩司の好投などで近鉄に勝ち、両チームは2位タイで94年シーズンを終えた。これでオリックスは6年
ぶりのBクラスを免れ、近鉄は単独2位を逃した。そして同時に決まったのが、福岡ダイエーの17年連続Bクラスだった。その3日後だった。
ダイエーの新監督に王貞治の就任が発表されたのだ。
王は2年前の92年オフにも、日本ハムから監督のオファーを受けていた。球団常務の大沢啓二が目黒区にある王の自宅に出向いての猛烈アタック
だったが、世界少年野球の仕事を理由に「あと一年は手が離せない」と断りを入れていた。しかし、その時と2年後では事情が大きく変わった。
88年の退任時「いつの日か・・・」と心に復帰を期していた巨人監督の座に長嶋茂雄が93年復帰、しかも94年には悲願の日本一とあって王の戻る
場所は無くなった。一方のダイエーも、90年に田淵幸一を据えるなどビッグネームを欲していたフシはあったが、今回は西武に次ぐ69勝を挙げて
勝つ喜びを少し覚えた選手たちを含め、戦力も十分に整えた。
王の前には、阪急でリーグ優勝5度に日本一3回の上田利治、広島でリーグ優勝4度に日本一3回の古葉竹識、阪神日本一監督の吉田義男らも
候補に挙がったが、広島黄金期のコーチおよび選手だった寺岡孝、達川光男、高橋慶彦に広島県出身の村田兆治といった王内閣の顔ぶれから
元々は古葉で話が進んでいたのではないかとの憶測も飛んだ。根本はプロ野球の現場での「王の働き場所」の必要性を説き、当の王は就任会見で
九州の熱っぽさを口にして「本当になんとかしなきゃいかん」と意気込んだ。
11月28日には王の野球殿堂入り祝賀パーティーが行われ、12月には福岡銀行が優勝祈願定期預金を開設、4万7千件で310億円を集めた。
さらには後援会「王友会」の発足に加え、年間予約席の売れ行きも好調といったように人気は益々先行していった。
94年最下位により日本ハム監督を辞した大沢の後に就いたのが、皮肉にも2年前に王に断られた後に大沢が推していた上田だった。王が言った
“一年は手が・・・”との言葉を受ければ、もし93年に大沢が旋風を起こし優勝争いをしていなかったら94年に「王・日本ハム」は実現していたのか。
根本が自身の後任候補に挙げた二人であり、大沢が2年前に候補に挙げた二人でもある上田と王は、翌95年から敵味方に分かれて戦う事に
なった。 (了) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています