【10.8】1994年のプロ野球を語ろう【イチロー】
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グラッデンと中西の大乱闘事件
これが危険球制度の始まりに… >>507
コロンビアは日本を前回同様虐殺できなければポーランド、セネガルのどちらかにでも最低勝たないとね >>511
パは9月初頭までだったね。その後はお決まりのパターン。
逆にセは9月20日前後はGとCが、最後はCに代わってDがGと競り合う展開。 この年の阪神は順位の不思議ってのを感じた
普通に戦っていたら優勝の可能性が出てくる
↓
気がついたら自力は消滅していたがAは濃厚
↓
さらに気がついたらやっぱり定位置最下位か?になる
↓
さらに気がついたらまた3位争いになる
↓
さらに気がついたら4位
↓
最後の試合でヤクルトが勝つか負けるかで4位か最下位かになる 5位じゃなくて4位ね
一方パではオリックスと近鉄が2位で並んだが
翌年はそれぞれ優勝と最下位というあまりにも対照的な結果に ヤクルトが前年優勝していたから、扱いは5位になるんじゃ ノーヒットノーランは出るが
完全試合はなかなか出ないなぁ 10.8から24年も経つのか。
あの試合に出場した選手は全員引退してるね。
時が経つのは早すぎる。 大島康徳 現役最後の年だが5月4日の西武戦で新谷から最高年齢記録となる
満塁打、現役最後の試合では伊良部から4打数2安打だった >>518
いい阪神て92、93、94の3つしかないから詰まらないな
年間成績表も見て楽しめるのはこの3つだけだし
当時の事も思い出す
03年なんて見ても詰まらないしな
後年の阪神はやらせ臭い補強の03しか優勝できなかった
7-8月は亀山もよく出ていてチームも好調だった
テレビではLINDBIRGやラスタとんねるず、ナイターの後の生ダラを思い出す
とんねるずが好調な時期と言うのは景気もいい時期と思う(逆がダウンタウン)
ウンナンが流行る時期も文化が元気だと思う >>527
この3シーズンを見るとAクラスも入れそうで
Bクラスでも普通の感じで大低迷モードからは抜け出せた感があったのに
翌シーズンから阪神がまた大きく低迷するとは ・島野コーチとオマリーの解雇
・和田の骨折が翌年まで治りきらなかった(本人の著書より)
・古溝を筆頭にしたリリーフ陣の劣化
辺りか 島野コーチは解雇じゃなくて星野の方に行こうとして自分から辞めたんだろ
結局高木が一年だけ続投になったけどな >>530
もっと高木は夏場に成績不振で今季限りという
噂が絶えなかったしかし星野が復帰する報道を
した途端なぜか馬鹿勝ちしまくって一時は
巨人をVやねんさせる寸前まで追い込んだ…
しかし結局巨人をV許してしまい翌年5位で
退任においこまれていったがその6年後も
今度は星野が… 開幕戦で松井落合がホームラン打ったのは
いまだに印象に残ってるな >>533
巨人はオープン戦でダイエー相手に25失点したりしてグダグダだったけど
あの開幕戦の大勝で勢いがついたな。
主砲揃い踏みでエースが完封と最高のスタート。 長嶋時代を動かしていく若手と藤田時代を動かしてきた古参がともに頑張った年 >>503
あのころからオリックスが人員を大きく変えようと急いで
若手をかなり起用したけどその割には伸びきれなくて
それが暗黒時代に入る原因にもなったからな イチローがピンクロッテから200安打
イチローマニアの林家ペーもピンク 3年優勝から遠ざかっていてクロマティは体験したことが無かった 槙原の完全試合だけどさ
最後三振かなにかでガッツポーズしてた記憶あるんだよリアルじゃなくてVTRだけど
でもさっき動画を見たらやってないのよ、一塁ファールフライだし
アングルの問題じゃないと思うんだよな
マンデラ効果てやつなの? 間違いなくガッツポーズしてたんだよ俺が見たVは
それかあれは完全試合が決まった時の映像じゃなかったのだろうか? この年日本一になったシーンは
垣内が三振して投げてた槙原がガッツポーズ
それと勘違いしてたとか >>540
日本シリーズかもね
槙原のガッツポーズはとにかく絵にならなかった印象w
ことガッツポーズに関しては桑田を見習った方が良いw 槙原映していたカメラのバックにセンターの屋鋪も映り込んでいて
槙原と同じタイミングで同じガッツポーズしていたって当時の珍プレーで見た気がする 桑田の場合は、パフォーマンスには長けていたからねw FAや大型トレードで大物選手の移籍が多くて見てて新鮮な一年だった >544
帽子を被って守備をしている時はかっこいい
三浦知良みたい 個人的には純粋な気持ちでプロ野球を見れた最後の年だった。
良くも悪くもこの年までは「井の中の蛙」でいられた。
翌年に野茂がメジャーに行ってトルネード旋風を起こしてからは、
メジャーという「大海」を知ってしまったので、急速にプロ野球から興味を失っていった・・・ この年の日本シリーズで、過激な巨人ファンが西武球団事務所に
嫌がらせの電話を入れてたと当時のスポーツニュースで報じてたな
今はこんな熱いファンはなかなかいない >>484
グラッデンのアッパーはすげー印象に残ってるな >>549
これ、西武球団の営業妨害で讀賣ヲタが訴えられても仕方ないレベルだよなw >>549
「熱いファン」だなんて言ってるけど、そいつがやったことは
れっきとした業務妨害だろw 大した成績じゃないんだけど
この年の岸川は何か印象深い >>555
シーズン途中に吉田修司との交換だったね。 この時点では20ホーマーの実績もある岸川取った巨人の方が得かと思った。
同じことは大豊⇔矢野絡みのトレードにも言えた。年度は違うが。 本日、東海テレビで10.8決戦をふりかえる特番やるぞ!
どこかで実況上げてくれないかな? >>559
見た見た。
原監督が、「負けたけど中日ファンが紳士的に見守ってた」とか言ってたけで、レフトスタンド下の出口に、道路塞ぐほどの多数中日ファンが待ち伏せしていてしばらく帰れなかったぞw 地元チームの優勝シーンが見られると思って球場へ来たら、讀賣の胴上げシーンを見せ付けられたもんだから
中日ファンは怒り心頭だったろうな 中日は優勝決まると観客がグラウンドに乱入して監督・コーチの帽子奪ったりと
騒ぐファン気質だから(´・ω・`)
3度目(近藤監督)で監督の帽子がファンに奪われたり、4度目(星野監督)もグラウンド
に観客乱入で胴上げが途中で中止になり星野や落合が激怒したのを記憶している
けど、2度目の優勝の時も与那嶺監督だったが、初優勝を経験したコーチから「帽子に
は気を付けて下さいよ。ファンに奪われちゃうから。」と忠告されたらしい。
優勝逃してグラウンド乱入して王選手を下駄で殴った(1973年)り、「帰れ!」コールの
大合唱(1992年)という阪神とは良くも悪くも真逆の気質という。
ナゴヤドーム移転後はフェンスの高さもあってか、すっかり消滅したけど。 あれは試合終了と同時に警備員だか機動隊だかがすぐグラウンドに出て囲ってたから。
>>558
エラーはグラッデン、落合、とあと1つは誰?
中日は何より今中のバント失敗と、中村の走塁死が痛恨だった。中村タイムリーをグラッデンの後逸で2者生還
して同点になったが、斎藤がリリーフして最初のプレーが今中のバントをフィールディングの上手さで三封。あれ
で乗った。もし2−1リードしながら無死満塁だったらどうだったのだろう。
で、清水三振の時二走中村が飛び出して二塁憤死。
鈍足中村にフルカウントでスタートのサインは出ていたのか?明暗を分けたとも言えるプレーなのに、先日の特番
でも真相が明らかにされなかったのは残念。 10.8の試合に限ってのMVPなら
斎藤という気もするね
重圧の中で先制弾打った落合も流石だったな この年の今日、槙原が完全試合を達成
あれから25年、結局は平成の内に第二の完全試合達成者は現れず、
年号も平成から令和へ 巨人ファンの俺にとってこの年は
最高のシーズン。なんと言っても
西武を倒して日本一になったのだから。
それにしてもこの年の巨人だけだろう。
リーグ最下位チーム(横浜)に負け越した
日本一チームはw 元木が評価され出した年
このシーズンだけでもサヨナラ打を何度か打ってたし… 俺が東京ドームに見に行った試合でも
元木がサヨナラ打を打ってたなw >>567
サヨナラ打の元木に松井があの騒動をする
騒動に対して
松井は元木がやった
元木は松井がやった
と語ってた >>57
そして今日のエブリーでのDENA綾部も…
巨人も綾部もここぞの節操のなさは
五十歩百歩だが… >>571
讀賣のクズぶりは、今に始まったことじゃないしねw 何となく風格の感じられない名前だったし、
力感のないスイングで、全然期待してなかったけど、
思い返すと、そこそこの当たり外人だった グラッデンもコトーも巨人らしくない外国人選手だったな 当時ドラゴンズ贔屓の自分としては
オールスター後の巨人の失速がなければ今中投手の選手寿命が伸びていたのでは?
と恨めしく思ったシーズンでした。
恨めしく思ったのは、この年の夏に肩を痛めた事を知った数年後の事ですが。 そして2年後にも肩の痛みを抱えたまま
優勝を争っていたチームのために無理矢理復帰したんだったな 抑えのソンドンヨルがもっと安定してたら今中の負担も軽くなっただろうに>96年 今中はあれだけの名投手なのについに優勝経験なしなのが可哀想、しかも何度もすぐそこまでに迫っていたのに(99は実質経験無しでいい) 個人的には伊藤智よりよっぽど悲劇のエースだと思う
伊藤は期待値込みで語られるけど今中は数字をしっかり残してたし 10.8の視聴率が高いって言われても、48%だとそんなもん?って感じだな >>200
ヤクザっぽくてデブな選手でしょ
江夏、落合、中畑とか
原もなんか古くさいイメージあった 日ハム白井康勝が崩壊したのがこの年 結局輝きは戻らず
この年から先発転向したのが悪かったかな 「10.8」決戦での中日の指揮官・高木守道氏が死去
合掌… この年の日本シリーズの第3戦と第4戦のテレビ中継のゲストに板東英二が出ていたけど
中日が出る可能性があったのも関係しているのだろうか >>592
当時放送していた「フロンティア」というニュース番組のMCを板東氏が担当していたからでしょう 報道のくせにOPは濡れ場ありのトレンディドラマみたいな番組
でもあれ?古舘が司会だったはずでは この年のセリーグ監督6名中、5人が鬼籍に入った(残るは長嶋ただ一人) この年のダイエーは今までの金持ち草野球チームから脱却するワクワク感があった
バブル弾けたとはいえダイエー本体も企業としてキャリアハイだったし 秋山渡辺内山を獲得した大トレード
FA松永を獲得
新外国人のトラックスラーとライマー
後の看板選手となる小久保
大きな転換期だったね 「監督人事」
10月9日、オリックスが初回の集中打と野田浩司の好投などで近鉄に勝ち、両チームは2位タイで94年シーズンを終えた。これでオリックスは6年
ぶりのBクラスを免れ、近鉄は単独2位を逃した。そして同時に決まったのが、福岡ダイエーの17年連続Bクラスだった。その3日後だった。
ダイエーの新監督に王貞治の就任が発表されたのだ。
王は2年前の92年オフにも、日本ハムから監督のオファーを受けていた。球団常務の大沢啓二が目黒区にある王の自宅に出向いての猛烈アタック
だったが、世界少年野球の仕事を理由に「あと一年は手が離せない」と断りを入れていた。しかし、その時と2年後では事情が大きく変わった。
88年の退任時「いつの日か・・・」と心に復帰を期していた巨人監督の座に長嶋茂雄が93年復帰、しかも94年には悲願の日本一とあって王の戻る
場所は無くなった。一方のダイエーも、90年に田淵幸一を据えるなどビッグネームを欲していたフシはあったが、今回は西武に次ぐ69勝を挙げて
勝つ喜びを少し覚えた選手たちを含め、戦力も十分に整えた。
王の前には、阪急でリーグ優勝5度に日本一3回の上田利治、広島でリーグ優勝4度に日本一3回の古葉竹識、阪神日本一監督の吉田義男らも
候補に挙がったが、広島黄金期のコーチおよび選手だった寺岡孝、達川光男、高橋慶彦に広島県出身の村田兆治といった王内閣の顔ぶれから
元々は古葉で話が進んでいたのではないかとの憶測も飛んだ。根本はプロ野球の現場での「王の働き場所」の必要性を説き、当の王は就任会見で
九州の熱っぽさを口にして「本当になんとかしなきゃいかん」と意気込んだ。
11月28日には王の野球殿堂入り祝賀パーティーが行われ、12月には福岡銀行が優勝祈願定期預金を開設、4万7千件で310億円を集めた。
さらには後援会「王友会」の発足に加え、年間予約席の売れ行きも好調といったように人気は益々先行していった。
94年最下位により日本ハム監督を辞した大沢の後に就いたのが、皮肉にも2年前に王に断られた後に大沢が推していた上田だった。王が言った
“一年は手が・・・”との言葉を受ければ、もし93年に大沢が旋風を起こし優勝争いをしていなかったら94年に「王・日本ハム」は実現していたのか。
根本が自身の後任候補に挙げた二人であり、大沢が2年前に候補に挙げた二人でもある上田と王は、翌95年から敵味方に分かれて戦う事に
なった。 (了) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています