日米野球の思い出 4
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>>425
分かってないのはお前
比較対象にどれほど優ってたところで、比較対象の絶対能力がわからない限り無意味だろ
何かね?ベーブ・ルースのWARでも検討するかね? >>395
確かジャッキー・ロビンソンはそうだよ
日米野球が現役最後のプレーとなった WARは確かに創世期の方が傑出しやすいわな
投手はサイヤングが1位で野手はルースか
ステロイドだが、ボンズとクレメンスがそれぞれ3位だかに入っていたのには驚いたが 1(遊)松井稼
2(二)石井琢
3(左)イチロー
4(一)清原
5(中)松井秀
6(三)中村紀
7(DH)鈴木尚
8(捕)古田
9(右)高橋由
98年全日本メンバー
これ、歴代最強だろ
凄すぎる >>429
ベーブ・ルースとか名選手が上にくるように検証した数式だからな >>431
たしかこの年だったと思うけどイチローがライト→三塁にもの凄い送球して東京ドームがどよめいてた 日本に来てもヤディア・モリーナはすごかった
一塁へのけん制(ロケット・ランチャー)で上林を刺したのを生で観れたのは一生の記念 日米野球は84年の巨人対オリオールズ戦を観に行ったな
阪神応援団が日本式でオリオールズ応援しているというシュールな光景が見られた カールトンが成田のスライダーを参考にしたって話は本当なんだろうか >>368
80年代カーディナルスは白髪のホワイティ・ハーゾッグ監督
赤毛のレッド・ショーエンディーストコーチだったな
ともに姓がゲルマン系の綴りだ
12年間も指揮を取り、世界一経験もある名将が
一度他球団に行ったあとコーチで復帰というのも珍しいな
80年はボイヤー監督(大洋に居たボイヤーの兄)が不振で途中退任
前ロイヤルズ監督ハーゾッグが就任して2ヵ月半指揮したところでGMへ
シーズン残りをショーエンディーストが指揮し
翌81年はまたハーゾッグがGM兼任で監督再就任
結局この赤白コンビは90年途中まで続くことに
(90年途中でハーゾッグ退任、ショーエンディーストが1月ほどつないで
ジョー・トーリに交代) 1996年日米野球来日メンバーのシーズン成績
捕手
マイク・ピアッツァ 148試合 打率.336 36HR 105打点 出塁率.422 OPS.982 (SS、オールスターMVP)
イバン・ロドリゲス 146試合 打率.300 19HR 86打点 出塁率.342 OPS.816 (SS、GG、AS出場)
トム・パグノッツィ 119試合 打率.270 13HR 55打点 出塁率.311 OPS.734 ←追加メンバー
内野手
アンドレス・ガララーガ 159試合 打率.304 47HR 150打点 18盗塁 出塁率.357 OPS.958 (HR王&打点王、SS)
チャック・ノブロック 153試合 打率.341 13HR 72打点 45盗塁 出塁率.448 OPS.965 (AS出場)
カル・リプケン 163試合 打率.278 26HR 105打点 出塁率.341 OPS.807 (AS出場)
アレックス・ロドリゲス 146試合 打率.358 36HR 123打点 15盗塁 出塁率.414 OPS1.045 (首位打者、SS、AS出場)
ロビン・ベンチュラ 158試合 打率.287 34HR 105打点 出塁率.368 OPS.888 (GG)
エリック・ヤング 141試合 打率.324 8HR 74打点 53盗塁 出塁率.393 OPS.814 (盗塁王、SS、AS出場)
ジェフ・シリーロ 158試合 打率.325 15HR 83打点 出塁率.391 OPS.895 ←追加メンバー
フリオ・フランコ 112試合 打率.322 14HR 76打点 出塁率.407 OPS.877 ←追加メンバー
外野手
ブレイディ・アンダーソン 149試合 打率.297 50HR 110打点 21盗 出塁率.396 OPS1.034 (AS出場)
バリー・ボンズ 158試合 打率.308 42HR 129打点 40盗塁 出塁率.461 OPS1.076 (SS、GG、AS出場)
フアン・ゴンザレス 134試合 打率.314 47HR 144打点 出塁率.368 OPS1.011 (シーズンMVP、SS)
ゲイリー・シェフィールド 161試合 打率.314 42HR 120打点 16盗塁 出塁率.469 OPS1.089 (SS、AS出場)
スティーブ・フィンリー 161試合 打率.298 30HR 95打点 22盗塁 出塁率.354 OPS.885 (GG) ←追加メンバー
マーキス・グリッソム 158試合 打率.308 23HR 74打点 28盗塁 出塁率.349 OPS.838 (GG) ←追加メンバー
出場キャンセルメンバー
捕手
トッド・ハンドリー 153試合 打率.259 41HR 112打点 出塁率.356 OPS.906 (当時捕手シーズン最高HR記録、SS、AS出場)
内野手
フランク・トーマス 141試合 打率.349 40HR 134打点 出塁率.459 OPS1.085 (AS出場)
ウェイド・ボッグス 132試合 打率.311 2HR 41打点 出塁率.389 OPS.778 (AS出場)
外野手
ケン・グリフィー・Jr 140試合 打率.303 49HR 140打点 16盗塁 出塁率. 392 OPS1.020 (SS、GG、AS出場)
アルバート・ベル 158試合 打率.311 48HR 148打点 出塁率.410 OPS1.033 (打点王、SS、AS出場)
バーニー・ウィリアムス 143試合 打率.305 29HR 102打点 出塁率.391 OPS.926 (GG)
個人的には来日メンバー最強打線はこの年かなと。豪華さもかなりあるメンバーだしね。
さらに当初発表されたメンバーがそのまま来てたら、よりえげつないメンバーだった。
96年は野茂ブームと94年に日米野球がなかったから4年振りの日米野球という事でこういう豪華メンバーになったみたいだね。 当初に発表されたメンバー通りだとこんなラインナップすら組めてしまう恐怖
1.チャック・ノブロック(二塁) 153試合 打率.341 13HR 72打点 45盗塁 出塁率.448 OPS.965
2.アレックス・ロドリゲス(遊撃) 146試合 打率.358 36HR 123打点 15盗塁 出塁率.414 OPS1.045
3.バリー・ボンズ(左翼) 158試合 打率.308 42HR 129打点 40盗塁 出塁率.461 OPS1.076
4.ケン・グリフィー・Jr(中堅) 140試合 打率.303 49HR 140打点 16盗塁 出塁率. 392 OPS1.020
5.アルバート・ベル(DH) 158試合 打率.311 48HR 148打点 出塁率.410 OPS1.033
6.フアン・ゴンザレス(右翼) 134試合 打率.314 47HR 144打点 出塁率.368 OPS1.011
7.アンドレス・ガララーガ(一塁) 159試合 打率.304 47HR 150打点 18盗塁 出塁率.357 OPS.958
8.マイク・ピアッツァ(捕手) 148試合 打率.336 36HR 105打点 出塁率.422 OPS.982
9.ロビン・ベンチュラ(三塁) 158試合 打率.287 34HR 105打点 出塁率.368 OPS.888 日米野球で来日しなかった選手、レジージャクソンには1979年に断られて
ノーランライアンもそうなのかな
テッド・ウィリアムズも古い雑誌読むと断られたっぽいね ベーブ・ルース、タイ・カッブ、ルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントル、ジャッキー・ロビンソン、ウィリー・メイズ、ピート・ローズ、カル・リプケン、バリー・ボンズ、アレックス・ロドリゲスは日米野球に来てるってのは逆に凄いよね 93年11月にドジャースが来日して2試合行ったのを
覚えているのは少ないのでは
ストロベリーが来日するということでワクワクしたものだが、
その年は大不振で主砲は新人のピアザだった 日本プロ野球記録ってサイト見ていたら
昭和30年日米野球で来たヤンキース戦に黒田博樹の父親が出ていたことを
知った。 ノーランライアンは来日したこと有るのですか?
直球は最速何キロ、平均何キロでしたか♪ >>447
来日したことはないよ(日米野球では)
最速は162.4kmと言われてるが、もっと速い球あったと思う それと、1979年のオールスター戦で日刊スポーツが独自でライアンらの球速を計測した結果158kmだった。
ロイヤルズのクローザー、ジム・カーンが161km
スティーヴ・カールトンが145kmだったと記憶している。 それは27歳1974年度の外国のノーランライアンの特番番組で記録した
ホームベース上速度だから終速度の可能性が高い
から初速度は170越えてる
更にもっと若いのは
22歳の1969年度ワールドシリーズ第3戦 2・2/3 2四球3奪三振0失点の映像しか知らない
が、これのが速いだろ
終速161以上かも
初速171の左腕チャップマンとライアンどちらが速いかだな
>>450
> >>447
> 来日したことはないよ(日米野球では)
> 最速は162.4kmと言われてるが、もっと速い球あったと思う 1974年の日米野球と言えば、トムシーバーだな
後に来日したロジャークレメンスぐらい速かったよ >>454
質問に答えろ。何歳だお前は?
事項を調べて知ったかぶって書くなら誰でもできる。
お前ははっきりと「1971年当時テレビで見た」と書き込んだろ。
何歳か答えろ!!!!!!!!! 1971年の日米野球と言えば、オリオールズどったな
むちゃくちゃ強くて全日本でも勝てなかったw
巨人中日連合軍の試合はたまたまテレビで見てたけど、勝ったのはあれぐらいだったかな?
確か稲葉が力投してた >オリオールズどったな
どったなw
誰も見てないからいいのかw >>458
そんなもん誰も見てないしどうでもいんだよw
それより1971年何歳だったか答えましょうね 「もしかしたら、この人ホントに見てるかもしれない・・・」って思い始めてるでしょ?w >>460
思える分けねえわお目出度い低脳だなw
テメエの金田スレの大嘘見たら誰が思うんだよwww
さっき書き込んだから見て来いよ
バックネットカメラで墓穴掘ってんぞwww いや、ビビってるだろ
だってwの数が多いもん
劣勢になると必死になるから、wが増えるんだよな >>462
は?
金田スレで論破しただろ。
お前バックネットアングル自体理解してないじゃん。
苦し紛れの嘘で自爆してるから陀羅でも大笑いするわボケ!!!
てめえが当時を見たと言い張っても信憑性はゼロ!!!!! 日曜なのにお前、家族とかいないのかよw
年がら年中ここに張り付いて、一人でエキサイトしてるみたいだけどw >>464
それはお前の自己紹介だろw
書き混みの内容には全く反論できすに寒い煽りしかできんのか トム・シーバーは1978年に来日したときは142キロくらいだった
ホップする球質だが、球速はさほど速くない
1974年のワールドシリーズをYouTubeで観たが、やはりそんな速くなかったな
とにかく若い時のライアンはダントツで速い
現代でもトップクラスだよ >>467
調べれば誰でもわかるし誰も感心しないと思うよ。
特にお前みたいな最低人間の書き込みにはね。
で、1971年何歳?
そっちの方をみんな興味津々かと
どんな嘘でまた自爆するのかと >>453
https://youtu.be/AkLZYitlkfY
この1969年の映像はとんでもないね
パウエルに投げたインハイのストレートは現代でもめったに見られない代物だな
ライアンの100.9マイル(162km)はホームプレート3メートル手前の数字らしい
70年前後のライアンはどれだけ出てたか興味深いな >>467
確かに2回目の日米野球と時は球速は落ちてたな
でもメッツの時は速かったよ
印象に残ってるのは、田淵かシーバーの速球に思いっ切り詰まらされて
ショート後方にポテンヒット打ったシーン
本人苦笑いしてたわ >>471
??
申し訳ないが喧嘩なら他所でやってくれ
自演とか訳分からない >>472
確かにこのフィルム映像を見る限り、そんなに速くないな
けど日米野球では速く感じたよ
シーバーの球威に押されてほとんど前に飛ばなかったな
日本の投手と比べて間違いなく速かった 俺は40代で70年代の日米野球は観てない
1978年のシーバーの球速については某サイトからの引用ね
誤解されてるようだから言っておく >>477
記憶なんてあてにならない証拠でしょ
日米野球で投げる球なんて、明らかにシーズンより遅いしな
オリオールズのドブソンとかも映像で観ると大して速くなかったが、日米野球でノーヒットノーランやってたから過大評価されてるが 40年前と比べると今は全体的に投手の球速が上がってるからな
当時は速く感じても映像見たらイマイチってことは確かに多い NPBではセンターカメラからの映像は1978年からで、それ以前にも実験的に数試合あったらしいが、基本的にはバックネット裏からの映像のみ
しかも白黒の映像はあまり残ってないと来てる
アメリカは60年代からセンターカメラの映像が残っているのが良いよな
球筋がよく分かるし、球速もだいたい推測がつく >>486
皮肉とわからんのか?
救いようのない馬鹿 >>489
生きてて恥ずかしいレベルの逆ギレ 馬鹿w いい年して逆切れw
コロナで仕事無くなったんか?
寒波が強いらしいから、気ぃ付けぇよ >>487
日曜日にこのスレで9回も書き込んでた野球音痴の馬鹿ID:zIQ9tP/aが真逆のこと言ってるのが笑える
211神様仏様名無し様2020/12/27(日) 15:29:14.28ID:zIQ9tP/a>>212>>213
当時はネット裏からの中継だったから球の浮かび上がり具合やホップ具合はテレビでもよくわかったよ >>456
見てませんか
462: 日米1971年度第11戦新浦寿夫先発 [age] 2020/12/31(木) 16:10:15 ID:Ij5iALjb
1971年度昭和46年度日米野球 ボルチモア・オリオールズ(12勝2敗4引き分け)
第11戦で巨人軍新浦寿夫 先発して敗戦投手
5回降雨コールドゲーム7対0
勝ち投手は富山での第7戦で、日米野球史上初のノーヒットノーランをしたドブソンの
シーズン中成績は20勝8敗だった
この試合覚えてる人、テレビや見た人居ますか♪
ブレイクする前の若い22歳の新浦だから滅茶苦茶速い筈と思って聞きました >>469
> >>453
60年代はチャップマン(左腕なのに最速171キロ)とどっちが速いかいい勝負だ
しかしライアンは先発投手でこの速い
1回限定救援ならチャップマンと良い勝負だ 1969年のWSのライアンの動画全球みるとキャッチャーはコースに構えないで
真ん中にアバウトに構えていてパウエルを三振にとった球は良い球だが
棒玉のような伸びのない悪い球もあって、まだまだ荒削りで未完成やね
打者は全員素手で打ってるのも時代を感じるわ >>495
ノーノーしたことは覚えてるけど試合は見てない
あの試合はテレビ中継無かったと思うよ 1979メンバーだったマドロックとバニスター
後に二人とも日本球界でプレーしたけど、せめてそれがこの3〜4年後だったら・・・ 日米決戦と謳いながらBALがWSで敗退したことと試合が始まると
あまりの力の差に(序盤からワンサイド)スポンサーがつかなかった 日本プロ野球機構は、メジャーリーグベースボールを見習って欲しい。 1986年のデーブ・ジョンソン全米監督が西武球場を見て
「日本にもこんなに素晴らしい球場が出来たのか」と感心したという話を
当時耳にした記憶があります。 和歌山出身の下村拓郎様(35歳、元自衛官)は世界一の天才だと思います、彼を馬鹿にするやつは俺が許さん! >>469
>>453
体感速度
威圧感が凄い
空気がシュッシュッうねってる
ライアンの終速162キロ》》》》大谷の初速165らキロ 日米野球なんて所詮お遊び。
ストーレートをど真ん中に投げ続けたら打たれるのは当たり前
実際に日米野球が侍強化試合に代わってから様相が一変した。
目玉選手数人とマイナー選手の布陣では日本に勝てなくなった。 1986年とか、小松がストレート一本勝負でデカい一発打たれて頭かかえてたけど、
普通にフォーク組み合わせてれば、そうそう打たれてなかったと思う。 >>261
超亀だけど競技人口が多少減るくらいで、プロの競技レベルが下がるわけがない >>262,264とかもう懐古厨の自演
レベルが下がったり停滞した時期なんてあるのかよ オールスターチームの来日以降、一番印象に残ってるのは1986年のチームだね
圧倒的な強さだったからな
初めてメジャーの存在を知った時なので、本当に記憶に残っている
翌年のホーナー旋風もあって、とてもアメリカには勝てない、と当時は思ったもんだ >>723
同意
メンバーの豪華さで言えば一番
何年ぶりかの選抜チームで気合が入ってた
これもデーブ・ジョンソン監督の肝いりだろう
巨人時代は変に叩かれてたし でも、86年のメンバーって、投手は殿堂クラスの大エースは来てないんだよな
モリスを大エースと呼べるかも知れないが・・
ウィットとかは印象に残ってるが
88年にマダックス、90年にランディジョンソンが来てるが、駆け出しだったからか、結構打たれてるね
(ランディは背の高さしか記憶に残ってないw)
92年のクレメンスはさすがのピッチングだったけど グッデンを招聘したかったが、
実現しなかったとか聞いた気がする グッデン、ヴァレンズエラ、クレメンス
の内、誰か一人を呼ぶ予定だったが、全員来日しなかった 96年 ペドロマルティネス
98年 シリング
00年 ランディジョンソン(2度目)
なんだかんだで、昔は凄い投手が来てくれてたよね
近年、復活した日米野球では、野手はともかく投手の大物は全く来なくなった
まあ、年俸の高騰もあって、若手以外には旨味がないんだろうけど 昔はボンズがギャラが安くても来てた
ソープに行きたいかららしいが
今の日本にわざわざ来たいベテランなんておらんだろ ボンズは三度も来日するくらい日本の接待がお気に入りだったようだ クレメンスが圧倒的だったな
日本選手打てる気がしなかった
上原がボンズから三連続三振取ったのは凄かったな >>734
クレメンスはとてもよい投手だった。
スピードガンの表示は140km/h台だけど実際より10km/h程度低い数字だろう。 >>738
150km/hの表示は1球くらいあったかな。
140km/hから145km/hくらいの表示だったと思う。
実際の球速はもっと出ている。かなり本気で投げてた。
なんでまた本気出すんだと思った。 クレメンスは150km/h近く出てて日本の打者は皆振り遅れてたな
MLBのスピードガンだと+5kmぐらいはあっただろうな >>741
メジャーのスピードガンだと時期にもよるし球場にもよる。
一律に+5kmとはならないけど、やたらと気合いが入っていた。
今の表示だと10km/hくらい上の数字になるのもあったと思う。
ステロイド投手ではあるけれど真剣に投げるのは好感が持てる。
クレメンスは凄い投手だ。 92年来日組だと、クレメンスよりデュアン・ウォードが凄く印象に残ってる
「158kmの速球が武器のア・リーグのロブ・ディブル(当時の速球王)」
と紹介されていて、解説の堀内が、
「日本人で158kmなんて信じられないスピード。簡単に152kmが出せるから凄い。」
と驚いてたな
けど、俺はストレートより縦のスライダーに圧倒されたね
秋山が面喰らってたもんな
「見たこともない球」といった感じで >>743
そんな凄かったっけ、まったく記憶に無い。
日米野球での152km/h表示は球場はクレメンスと同じなのか。
威力が140km/h台のクレメンスより凄かったとは思えないが。
当時のメジャーでの158km/hの表示は実際の球速はわからない。 >>745
バカボンは日米野球なんて観てないだろw
あの時代はNPBがフルボッコにされるのがデフォだったからな
1988年に来たグビザーも当時としては速かった
デヴィッドコーンも来日してたが、観てなかったわ >>748
コーンも150kmくらい出てたぞ
ちなみに、youtubeにあがってるがマダックスも140後半出てる
でも結構打たれたんだよねw
割りと、88年も大物が来てた
そういえば、レッズの100マイル投手ディブルが来た時は話題になったな
153kmくらいは出してた 近年の日本選手の健闘ぶりを見ると隔世の感があるな
昔は調整不足のメジャーリーガーにコテンパンにされたのに まあスピードガンの表示はさっぱり使えないけどね。
実際の初速はどうだったのか。
クレメンスだと少なくとも155km/h以上は出ているだろう。
もっとかもしれない。
シーズンオフだというのに何をしているのか。 >>749
だって接待野球だよ。
どれだけメジャー選手をもてはやすかで興行成績が違ってくる。
当時は勝つ気なんてかけらもない。金田なんて日米野球で打たれた記憶が無いとまで言ってる。
金田にとっては草野球程度の価値しかない。
野茂以降じゃないか、メジャー行きの品評会みたいになったのは。
それと日本代表がオリンピックや世界大会で意味を持つようになったのが大きい。 >>752
当時の日本のレベルでは接待抜きでも勝ち越せるところまでいってない >>750
来日する投手が酷くなったからな
NPBに来てる外国人のが良いんじゃないの?というレベルだし
マジでスアレスやジョンソン、サファテ、ビエイラあたりが投げた方がビビるw
野手も小粒になってるし >>754
ちゃう
ちゃんと調整してないから
いい選手が来てないのはあるが、彼らがシーズン中と同様に万全ならなかなか攻略できんよ >>752
バカボン君、金田は二日酔いで一睡もしていないミッキーマントルから3三振奪ったことははっきり覚えてたよw ワールドシリーズを開催してもいいと思うけどね。
アメリカンリーグ、ナショナルリーグ、日本リーグでいいんじゃないか。 >>755
直近2回の日米で凄い選手来てたっけ?
少なくとも投手で殿堂入りするようなのは全く来なくなったけど
前々回来日したシューメーカーが、読売と今年契約したらしいが >>758
おらん
でも本調子の彼らにはNPBの選手では太刀打ちできないよ
MLBの並の選手のほうが強いの
シーズンオフだから弱いの 10年代なら、バーランダー、カーショー、シャーザーの御三家は呼んで欲しかったな
クローザーならキンブレル、日本ではお馴染みチャップマンとか
野手もプホルスは来てないんだよな
若き日のミゲルカブレラは来てるけど >>759
そうであって欲しいという願望がどこからきているのか。
メジャーでまとまった普通の投手は日本でも普通の投手だよ。 >>760
来てたら楽しかっただろうけど、どうせならワールドシリーズ開催のほうがもっと楽しい。
野球はピッチャーしだいだから、いいピッチャーがたまたま1チームに集まったら勝てるかもしれない。
よい時期のホークスだったらワールドシリーズに出られるチーム相手でもいい勝負ができただろう。 >>761
お前の言う通りなら日本人の並の選手がメジャーで通用しないとおかしいわな
マイナーリーガーから日本人選手を保護する外国人枠も >>762
バカボンよ〜
アジアシリーズさえ頓挫してるのにワールドシリーズ参加なんて無理に決まってんだろ
だいたい、最後のアジアシリーズのチャンピオンはオージーのチームなんだぜ
どれだけやる気ないか分かるわな 1980年代までは本当にNPBは弱かったからな
1990年に勝ち越したのはエポックメイキングだった
90年入団の選手が野茂筆頭に多士済々だったからね 90年に初めて負け越した時も、最後の3試合は凄さの片鱗は見せてくれたよ
最終戦はフィンリーとランディジョンソンの継投でノーヒットノーラン達成してるしね >>749
88年ならレッズのジャクソンのピッチングが光ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています