「そして伊東」

9月6日、阪神に13失点の大敗を喫して首位広島とは8ゲーム差の5位に転落、この負けで勝ち無しの8連敗を許した小林繁に「戦いぶりを見てると
複雑な心境、巨人の船は沈んじゃったね」と言われた長島巨人の5年目は苦しかった。事あるごとに「江川問題」で電撃移籍の小林に牛耳られる
皮肉がクローズアップされた79年、しかしスタートは良かった。

4月は首位、5月も貯金を増やしてV2した77年のような独走の気配さえあった。張本勲とジョン・シピンが、平均5得点弱の打線を引っ張った。
投手陣は前年まで2年連続最優秀防御率の左腕エース新浦寿夫が6月に早くも4年連続となる2ケタ勝利に到達する活躍、チームが2位に3差を
つけていた時もあった。6月は頭から6連敗して中日に首位の座を譲るも、17日にプロ初勝利の江川卓が先発ローテーションに加わり、阪神とヤクルトを
除く4球団の混戦状態ながら7月頭には首位に再浮上していた。
チームの息切れは球宴明け、新浦の息切れからだった。というのも後半戦が始まって2週間、新浦は救援に回った事で調子を崩してしまい、先発に
戻っても勝てず冒頭の阪神戦での大敗まで4連敗、9月16日に後半戦初勝利を挙げた頃には既に首位と9ゲームの差がついていた。以後も3連勝
以上が無く閉幕まで7勝11敗、大洋と中日に抜かれて5位で終戦した。
主砲・王貞治が8月下旬から背筋痛で2週間近く先発を外れる事もあって33本塁打81打点、打率も4年ぶりに2割台で18年ぶりの打撃タイトル無冠
だった。張本も目の疾患で77試合の出場に留まり、プロ入り以来初めて規定打席に届かなかった。残るV9戦士の柴田勲、高田繁の衰えも目立って
きていた時でもあった。得点力低下が主力投手にも影響して加藤初と堀内恒夫は後半戦で1勝ずつしか出来なかった。

打者で中畑清、投手で江川と西本聖の頑張りぐらいが明るい話題だった79年は、優勝広島と2位大洋に勝ち越しながらBクラスの阪神とヤクルトに
負け越して借金4のいびつなシーズンだった。中でも阪神には小林に対する8連敗がそのまま対戦成績に表れ8つの負け越し、2022年の現時点でも
ワーストタイの対阪神戦17敗を喫した。この年に限っていえば「空白の一日」の代償が大きかったが、オフに長島は球団としては43年ぶりとなる
秋季練習を伊東市で17人の若手と行った。長島は勿論、日米野球やオープン戦にイベントを取り止めてでもキャンプを実施した球団の本気度も
かなり高かった。 (了)