1979年のプロ野球
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名前だけは知名度あってもどんな選手だったのか知られていない代表例として
この年南海に加入した王天上(本名はオーテンジオ)がいた。
成績だけ見ると.248 23HR(113試合出場、前期はDH・後期はライト)と
及第点と言える成績だけど、この年は門田がアキレス腱を断裂し終盤まで休んでたから
穴埋めとしてはかろうじて合格点かな? >>537
長打力のある右打者がいないチーム事情を考えればまずまずの成績だったんだけど
前期で16本塁だったのが後期は7本に落ちていて、どうも研究されてしまった感
が拭えなかった。翌年シーズン途中で解雇になる予兆はあったのかも。 日本では「王天上」だったがアメリカでのニックネームは
皮肉にも前監督の野村克也と同じ「ムース」だった この年公開された「太陽を盗んだ男」の中でジュリーが3つ要求したうちの一つが
プロ野球中継を最後までやれだったのは有名だが、そのカードは巨人-大洋だった。 そう言えばこの年から始まった西部警察の第1話で犯人の要求のひとつが
「近鉄-日本ハムで近鉄に勝たせろ」だった。
劇中では結局近鉄の鈴木啓が日ハムの高代にサヨナラホームラン打たれて負けるんだが
実際にそういう試合あったのかしら? >>541
79年5月26日の日ハムー近鉄で
鈴木啓示が高代に2発浴びて8-11で負けた試合があったが
サヨナラ負けではない 太陽を盗んだ男の劇中、ジュリーが第一の要求としてナイターを最後まで中継しろと言ったのは
自室で原爆を製作中にたまたま後楽園での巨人vs広島戦がテレビで中継されてて
当時の広島の抑えだった江夏が左キラーとして売り出す前の平田薫と対戦する終盤に
ナイター中継が21時になったため打ち切りになったのシーンが要求の原因に。
ただ、この当時は東京でも巨人戦しかナイター中継はしてなかったと思う。 >>543
テレビ東京(当時は東京12ch)が時折自社でヤクルト、大洋、西武戦を。
阪神、稀に阪急、近鉄戦をサンテレビ、KBS京都から同時ネットしていた。 >>543
じゃたぶんその試合の映像だ
ドラマはサヨナラホームランって設定になってるんだが
映像は何故かサヨナラっぽくなくて、まだ試合が継続している感じだったから 開幕12連敗の西武だが年間トータルでは5位南海と一敗分0.5ゲーム差しかなかった
両チームがライバルだったのは翌年の前期までだった 片や上がり目、片や暗黒時代への片道切符状態だからねw >>309
> 「弱体化投手陣」
先発と救援の両刀使いだった新浦寿夫を先発に専任したとしても
> 79年に入団したリック・クルーガーはライトと同じ左腕ではあったが、アメリカではメジャー通算17登板の2勝とマイナー暮らしが主で、直近
> 3年間の3A生活では殆どが救援登板だった。変幻自在のフォームに決め球のシンカーという典型的な救援タイプ、長島は早々と先発起用を
> 諦めた。4月は3登板のみ、5月は1日に幸運な来日初勝利以降、初先発を含む7試合に投げた。しかし防御率4.42ともう一つ、6月頭に
> 江川と入れ替わって二軍に降格した。
> チームは前半戦、中日との首位争いでトップに立っている事が多かったが、7月に中日に奪首されると再びクルーガーが一軍に呼ばれた。
> 再昇格後はワンポイントなどショートリリーフでの出番が多くなった。だが結果は上がらず、7月以降の防御率は5.19。チームが8月に入り
> Bクラスに転落すると、まだ来期を見据えるような時期とゲーム差ではなかったが、7日のヤクルト戦を最後にクルーガーは一軍のマウンド
> から姿を消した。
>
> 79年の巨人投手陣において、先発左腕の勝利数は新浦一人の誤り14勝だけに終わった。
新浦寿夫は正しい15勝11敗15セーブ >>119
新浦さん〜村田さん〜鈴木孝政さん
ボクですら後楽園で79年に150q/h越えたこと有りません…
1981年度に日米野球で救援で最高148q/hです 甘くなってからです 終速なら納得します
1985年度最盛期過ぎてから北陸の地方球場デーゲームで152q/h出しました
20代後半でも速くなってます
79年に名古屋神宮では150出るのに 江川から逆転3ランのラインバック、引退後信じられないくらいの不運が続き挙句は事故死
あれほどのナイスガイがどうしてこんな仕打ちを受けなきゃならんかったのか! https://www.nikkansports.com/baseball/news/202001140000120.html
寺尾 2作目が「江夏の21球」ですね。
山田(雅人) 西本幸雄さん(元阪急、近鉄監督)とは関西テレビ情報番組「なにぬねノムさん」でご一緒していた時に話を聞いていたし、
江夏さんは大院大高の先輩なんです。
寺尾 79年広島と近鉄の日本一決戦。広島江夏が9回無死満塁の大ピンチを抑えて優勝します。
山田 江夏さんの外角低めへの制球力は高校時代に砲丸投げをやってたから身についた。
寺尾 1死満塁から近鉄石渡がスクイズ失敗で代走藤瀬が三本間で挟殺にあった。2死から石渡三振で広島が日本一になった。
山田 西本さんは江夏は一生待っても押し出しがないからスクイズしたくなかったらしい。その前の佐々木が三振したから石渡も打てな
いだろうと、つい手が動いてスクイズのサインを出してしまった。 この年の今日、江川が阪神へ入団し、小林繁と即日トレードで讀賣へ移籍 >>553
そして小林はこの年、讀賣相手に8勝を挙げた 上田は、前年のシリーズの混乱の責任を取って辞任したけど、それがなければこの年も上田が阪急の監督をやっていたのだろうか。 1978年オフは田淵の世紀のトレードもあったから凄いよねw >>560
ちゃうで
田宮はん自殺は1978年の師走や >>395
この当時のライオンズは、田淵獲得のために真弓と若菜のレギュラー2人を放出したけど
その穴埋めをせずにシーズン入って守備ボロボロだったみたいだね。
野村を入れたけど、野村はもう守備で計算できる年時じゃないはずだし。
根本は補強しなくてもどうにかなると甘く見ていたのか? 西武が野村と田淵の獲得にゴーサインを出したのは堤の意向
球団持った直後の堤は選手に対してあまり詳しくなかったが
そんな自分でも知ってる選手なんだから一流選手に違いない
例え衰えていても何かしら役に立つ部分があるって公算だった >>564
ただドラフトで石毛、ロッテから山崎、南海から片平とその後は上手く補強した
田淵については明らかに出血覚悟のトレードだった
当時の田淵はすでに「打つだけで守れない走れない選手」という評価だった >>564,565
堤傘下のプリンスホテル野球部で中尾や石毛等と確保していたので、ゆくゆく彼らを入団・起用する腹積もりだったかもと。
只、プリンスホテル並びにライオンズの有望選手掻っ攫い振りに非難が集中したのと、中尾よりも更に若い伊東の確保の目処が立ったので、
中尾とかは他球団に行った(行かせた?)けど。 プリンスホテルは支度金を最高2500万出してたって言うんだから
貧乏なプロ球団より待遇が良かった 記憶があいまいなんだが、この年
後楽園球場の大洋戦で江川が救援登板して
最後に新浦が抑えた試合観戦した。 当時「江川投手 王選手を見習って」という横断幕が掲げられてたな >>572
王の人間性を知らんヤツが掲げていたんだな >>3
R.クルーガー(読売ジャイアンツ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構https://npb.jp/bis/players/41343848.html
子供時代なので記憶にないよ
左投手だったかな?
29イニングスじゃ見れない確率高い ジャイアンツヴィンテージ江川特集パート1 江川初勝利で新浦寿夫 4点差で救援した
最速終速143キロq/h近代の初速ガンなら新浦も江川も150連発だな
>>571
> 記憶があいまいなんだが、この年
> 後楽園球場の大洋戦で江川が救援登板して
> 最後に新浦が抑えた試合観戦した。 日本シリーズ第七戦。9回裏、佐々木三振の後に近鉄に代打は残っていなかったのかな。 まずスタメンで
石渡 小川 マニエル 栗橋 有田 羽田 アーノルド 平野
途中出場で
梨田 池辺 藤瀬 吹石 阿部 永尾 佐々木恭
あと残ってるのは第三捕手の石山とあと一人誰か入れてるか入れてないか
くらいじゃないの
http://2689web.com/1979/buffaloes.html
あと石渡はなんだかんだ言って.280打ってキャリアハイのシーズン この年の今日、広島カープが球団創設後初の日本一を決める >>558
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1423307804/481-482
ちょっと前に「1978年のプロ野球」(↑参照)スレでも話題になったけど、
シーズン途中でも休養していたようだから、勇退していたと思う 広島ファンが江夏を見る目は今のソフバンファンが森を見る目と似た感じかな? あのヒョロ体型の小林繁、
あの太鼓腹の江夏、
今見るとどっちも異常 タブチのトレードをバカにするやついるけど
阪神とすれば
真弓、若菜、竹の内と3人レギュラー貰えたんだから
大成功だろ
小林の加入もあって前年歴史的最下位から5割復帰と大躍進だしなw 田淵のトレードで阪神が責められるのは
深夜1時過ぎのド深夜に呼び出した非常識さの部分も大きい >>585
あれ何をそんなに急いでたのかね。
マスコミ漏れを恐れたとか? スポーツ新聞の締め切りは過ぎたであろう時間帯だけどね 当時は掛布がかなり伸びてきて、人気もトップクラスになっていた
だから、田淵を放出するにはよいタイミングだった
獲得した真弓が人気選手になったから大成功だった >>575
> ジャイアンツヴィンテージ江川特集パート1 江川初勝利で新浦寿夫 4点差で救援した
> 最速終速143キロ?/h近代の初速ガンなら新浦も江川も150連発だな
→これは広島戦だよ >>309
45試合 15勝11敗
5セーブ 234回奪三振率8・49
79年の巨人投手陣において、先発左腕の勝利数は新浦一人の14勝だけに終わった。
ちゃんと調べたまえ!!15勝利しとる失礼だ! だから先発左腕の勝利数なんじゃない?
15のうち1勝はリリーフだからだなきっと。 後に日本シリーズ未勝利の200勝投手になる北別府は
この年にシーズン17勝、日本シリーズ初戦を任されてるが、
この年には既にエースという感覚だったでしょうか? 不動のエースって程では無かったよ。
初優勝時までのエース外木場は衰えがハッキリし、次を担うべき池谷、高橋里志も一発病に悩まされたりと不安定で、
先発の駒を揃えるべく、北別府と山根を抜擢せざるを得なかったって状況なんよね。
シーズン通してローテを守ったと言う点では確かに北別府なんだけど、夏場辺りから台頭して、カープの首位浮上並びに
9月以降の首位独走に大きく貢献し、防御率も最も良かった山根和夫が(シリーズでの好投も相まって)次期エースという
感じになっていた様に記憶している。 >>590
結果そうなったけど、もしこれで真弓が鳴かず飛ばずで終わったら
阪神としては大損だっただろうね 田淵で商売するとなった時、他球団からトレード打診が殺到したが
交換要員に真弓がいることが決め手になってライオンズとのトレードとなった 当時の阪神は若いスター選手の掛布が育ってきたため、田淵を出すことができた。
ストイックで練習熱心な掛布のほうが、練習嫌いで肥満体の田淵よりイメージもよかった。
阪神時代晩年の田淵はあまり評判はよくなかった。 >>597
意味は感じるだろ
そう解釈する理由が分からん 小林の対巨人8勝ってたぶん手を抜いていた部分はあったろうね巨人は 漫画江川と西本ではあのトレードはオーナーの強いお願いされる以前から
阪神側も小林をトレードで譲って貰えることを期待して江川を指名したなんて描かれてたが
本当にそんなことあるのかね 西武ライオンズの最下位なんてことになったら、この年以来のことだよね >>601
違うわ。
打たなければ自分の成績が下がるのにそんなことやるわけない。
小林は長年ベンチで主力打者の打撃見ていたから各打者の特徴弱点をしっかり把握していたからだ。
柴田高田王などV9戦士はこの年も主力だったが、
翌年から新旧交代が始まり、主力が中畑篠塚原など若手と入れ替わるようになとなって抑えられなくなった、
と生前の小林がインタビューで語ってるんだよ。 西武は真弓に加えて基も放出したので内野が酷いことになった
ロッテから来た山崎が5月から出場するようになったので、ようやくまともになった
もし山崎を取れていなかったら、恐ろしい状態になっていた >>605
ただ守りだけならセカンドに吉岡、ショートに広瀬とベテランを使えば
あそこまで酷い事にはならなかったと思う。根本監督は実績の無い
大原や金城になぜあの時期だけこだわったのやら。 日本シリーズに弱い北別府は、この年が始まりだったか 衣笠は地元の日本シリーズ第3〜4戦に一度も打席に立てず守備固めのみ
第5戦に至っては出場すらなし
で、第6戦まで10打数ノーヒット
この干されっぷりだったから
「お前が辞めるなら俺も辞める」は
江夏の気を鎮めるだけじゃなく本心だったのかも >>603
結局、この年以来の最下位が確定してしまいました 巨人のダウンスイングが小林の落ちる球に合わないと川上を批判したい
青田昇を筆頭に長嶋派のOBが言ってたな。 >>604
小林にとっては勝手知ったる連中がいなくなって、
なかなか結果に結びつかなくなったということか ❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔ >>614
全て文字化けなので、何を書いているか全く分からん この年の今日、江川が阪神に入団
そして、小林繁との即日トレードで讀賣へ移籍 >>572
正確には「江川君 王さんをお手本に!」 >>572
正確には「江川君 王さんをお手本に!」 79年
堀内=菅野 衰えたエース
江川=堀田・山崎 リハビリ
鹿取=赤星 新人でまとまってる
角=高橋優 前年勝って今年ダメ
クルーガー=両外人 使えない
加藤初=山口 移籍時は良かったが干されそう
西本=戸郷 戸郷くらいは躍進してほしい
新浦がいない分79年よりひどいかも >>606
折角西武球場こけら落としで先発出場したのに、エラーを連発して、結局その試合がキャリア最終出場になった益川満育もひどかった。
山崎が骨折から復帰し、行沢が入ってきて、多少格好はついてきたが… >>606
当時のライオンズにとって、その2人は多少のエラーを我慢してでも
一人前にしたいと思えるような、身体能力抜群などの特徴があった選手なの? >>625
とてもそうは思えなかった。
プロ入りも、大原はドラフト外、金城も下位で、無理して使わなきゃいけない上位選手でもなかった。
他には、ドラ2で二年目で、新人年に先発経験のある山本隆造がいたけど、伸び悩んでたのか故障してたのか 巨人は当時のチーム構成と似てる。 若手野手に逸材がいない 開幕ダッシュするも7月から失速し、
結果はBクラスの5位
今年はこの年のリメイクになりそう。
それも開幕相手が奇しくも同じ中日 >>628
ヤクルトのスタートダッシュ失敗による最下位と広島の優勝はなさそう この年は、開幕8連敗以上したチームが両リーグで出た(西武とヤクルト)
このうち、ヤクルトは引き分けを挟んでいるので、今年の阪神が喫した
「開幕8戦8敗」はセリーグ初の屈辱 この頃の西武球場の映像って鮮やかでやたら綺麗に見える 「そして伊東」
9月6日、阪神に13失点の大敗を喫して首位広島とは8ゲーム差の5位に転落、この負けで勝ち無しの8連敗を許した小林繁に「戦いぶりを見てると
複雑な心境、巨人の船は沈んじゃったね」と言われた長島巨人の5年目は苦しかった。事あるごとに「江川問題」で電撃移籍の小林に牛耳られる
皮肉がクローズアップされた79年、しかしスタートは良かった。
4月は首位、5月も貯金を増やしてV2した77年のような独走の気配さえあった。張本勲とジョン・シピンが、平均5得点弱の打線を引っ張った。
投手陣は前年まで2年連続最優秀防御率の左腕エース新浦寿夫が6月に早くも4年連続となる2ケタ勝利に到達する活躍、チームが2位に3差を
つけていた時もあった。6月は頭から6連敗して中日に首位の座を譲るも、17日にプロ初勝利の江川卓が先発ローテーションに加わり、阪神とヤクルトを
除く4球団の混戦状態ながら7月頭には首位に再浮上していた。
チームの息切れは球宴明け、新浦の息切れからだった。というのも後半戦が始まって2週間、新浦は救援に回った事で調子を崩してしまい、先発に
戻っても勝てず冒頭の阪神戦での大敗まで4連敗、9月16日に後半戦初勝利を挙げた頃には既に首位と9ゲームの差がついていた。以後も3連勝
以上が無く閉幕まで7勝11敗、大洋と中日に抜かれて5位で終戦した。
主砲・王貞治が8月下旬から背筋痛で2週間近く先発を外れる事もあって33本塁打81打点、打率も4年ぶりに2割台で18年ぶりの打撃タイトル無冠
だった。張本も目の疾患で77試合の出場に留まり、プロ入り以来初めて規定打席に届かなかった。残るV9戦士の柴田勲、高田繁の衰えも目立って
きていた時でもあった。得点力低下が主力投手にも影響して加藤初と堀内恒夫は後半戦で1勝ずつしか出来なかった。
打者で中畑清、投手で江川と西本聖の頑張りぐらいが明るい話題だった79年は、優勝広島と2位大洋に勝ち越しながらBクラスの阪神とヤクルトに
負け越して借金4のいびつなシーズンだった。中でも阪神には小林に対する8連敗がそのまま対戦成績に表れ8つの負け越し、2022年の現時点でも
ワーストタイの対阪神戦17敗を喫した。この年に限っていえば「空白の一日」の代償が大きかったが、オフに長島は球団としては43年ぶりとなる
秋季練習を伊東市で17人の若手と行った。長島は勿論、日米野球やオープン戦にイベントを取り止めてでもキャンプを実施した球団の本気度も
かなり高かった。 (了) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています