【92〜95】高木中日を語る2【12〜13】
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最下位ながら借金わずか10と健闘した1992年
ヤクルトとの優勝争いに最後まで燃えた1993年
なんといっても10・8に尽きる1994年
高木監督退場→そのまま休養で終わった1995年
2位ながら落合時代の強さを失った2012年
もう何をしたいのかわからない2013年
世間一般には2度の星野政権に挟まれ、落合政権のあとの地味な印象のある高木時代。
しかし中日の悪いとこが大いに詰まった6年間だった。
そんな高木時代を語るスレッド。 結局Aクラスで終わった93年、94年、12年はどれもほぼ他力で棚ぼたなんだよ。
去年は統一球に全くフィットできなかった阪神がいて、
93年は横浜がブラッグスが後半戦使えずで阪神は野田が去りパチョレックも序盤で退団。
94年は古田故障でヤクルトにアクシデント。
評価できる材料があまりない。
世代交代は進んでないし仰木が去ったあとのオリックスみたいになりつつある。 高木ってあれだけの名選手で引退後はずっとコーチをしてたのに、監督になったのは外様の山内や年下の星野より後なんだな。
やっぱりコイツに監督をさせちゃマズいと思わせる何かがあったのかね。 近藤の後にやってもいいぐらいなのに翌年から2軍監督に やっぱり、93年と94年の優勝争いした実績に惑わされたんだろうな。実力で勝ってたわけじゃないのに。 >>2
借金10で健闘した92年(笑)
前年2位だったチームなのにそれはない。
故障者は多かったけど、それでもせめて勝率5割程度まで持っていかいとそんな言葉は吐き出せないよ。
93年も結局最終的には7差つけられてるし最後まで燃えたと言えるのかw 地元出身清水、前原起用した
星野時代投手コーチだった佐藤道郎と対立し佐藤辞任
ヘッドコーチ徳武 まさかこのスレの2本目ができるとは。
しかもご丁寧に12〜13なんて入ってる。
ていうかなんだかんだ言ってみんな高木中日好き過ぎw >>7
91年は終盤故障者続出で記録的な急降下で優勝を逃がす。
91年は2位で終わったのが異常なくらいチームは焼け野原の状態だった。
せめて勝率5割程度までとあるけれど、60勝も65勝もたいして変わらんよ。
星野が続投していたら92年は60勝できなかったぞ(笑)。 佐藤道郎は精神論を持ち出してうまくいかなかった。
なんか権藤博と似た部分がある。
高木自身はピッチャーに精神論は要らないと考えている。 >>7
今中の怪我が92年は痛かった
今中がいなかった6月以外は、ほとんど善戦してる
あとは与田と森田劣化で、抑えがいなくなったこと
戦力があれば、高木でも勝てるは去年証明した
与田と森田劣化と岩瀬の今年が実に似てる >>4
86年の監督代行でそこから浮上出来ればヤクルトの小川みたいに翌年から正式に監督に昇格、という目もあったんだろうけどね
ただ当時はこのままだとチームが暗黒時代突入する可能性が大だっただけに
そういう意味でも切り札として星野しかいない、ということで仕方なかったような気がする
おそらく高木続投なら落合も来なかっただろうし下手すればそれこそ阪神並みの暗黒になっていたかも知れないし 佐藤の後任の高橋三千丈は近藤真市同様にイエスマンだったな
>>4
星野は加藤オーナーのお気に入りとはいえコーチ時代の評判も良くなかったのだろうか 最多勝利杉本、監督代行高木
86年は暗黒臭がすごい 08〜09の阪神は91〜92の中日と重なるとよく言われてるが、あれでも09の阪神はAクラス争いには絡んでたんだよね。
高木に比べたらマシってことかな、真弓は。 09 高田いなきゃAクラス
10 優勝争い
11 金本いながら巨人をBクラスに落とす寸前まで争った
真弓と比べるか?
金本と高田なしならもっと強かっただろ 86年は、単純に山内体制が連敗で変わっただけだとは思うが
谷沢、大島、宇野
一気に衰えたからな >>19
86年低迷の原因は
宇野三塁コンバート大失敗
小松が活躍するのは1年おき
藤王夜の街で大暴れ 08〜10の阪神は91〜93の中日と似た推移してたね。
Vやねん→自信喪失に陥って低迷→追いつかない程度の優勝争い 千葉茂、高木守道、武上四郎、近藤昭仁、土井正三、中村勝広
二塁手出身監督は球史に残る無能揃い。 今更になって森野やら平田やらクラークやら打線だけは少しよくなってきたな。
たまにホームラン打ちまくって2ケタ得点で勝ったりするゲームがある。
どうせ優勝とか誰も望んでないから最初からこうなら少しは面白かったんだがな。
遅すぎたな。残り30数試合、せめて平田を4番でテストするぐらいの大英断を見せてみろ。 中田賢もいい加減見切れんのかね?
見ててまったく進歩が感じられん。
朝倉あたりも今シーズンでクビだ。
若手にチャンスを与えてどんどんテストしろ。
そこで生き残った者で戦え。 >>23-25
古葉竹識は広島では実績を残したけど大洋で…orz 中田賢一 → 自発的FA促し又はトレード
(何れもSB限定)
朝倉健太 → 自由契約(移籍を前提条件) >>23
須藤豊、ブレイザー、岡本伊三美、本堂保次 中田ってあれでもチーム3位のイニングイーターだぞ...
いなくなったら一気に投手が不足するんだが。
中継ぎで痛打打たれるのなら先発に戻せばいいと思うんだが。 前スレの頭の期待はなんだったんだ
期待され最後ブーイングで去るパターンまたか >>20
宇野は確かに、ホームランの魅力はあったけど
守備もだけど確実性がなかったからな
山内さんや高木さんも、どちらかといえば、確実性重視だったし
ただ確かにショートからサードで、リズムは狂っただろうな
星野時代も、立浪ショートでセカンドに回って、成績が落ちたし 今日でちょうど19年がたちました。
・・・無能監督の無能采配と背信エースの背信投球と
ヘタレ四番のヘタレバッティングから・・・
高木と今中と大豊、この3馬鹿トリオだけは今でも許せんわ 93中日なら、今年の阪神とも重なったりするね。
Bクラスに位置することは一年通してなかったけど、8月後半で首位に踊り出そうな状況で首位攻防。
しかし、捕えることはできず残り20〜30試合のところで突き放されてジエンド。
あの年も横浜や阪神に大きなアクシデントがあってタナボタだったわけでw 決定的な決め手がないのが高木野球だった
中途半端
でも高木は、地元の子どもに野球大会させるくらい、野球に思いはある
地元の垂れ幕みて思った >>40
93年の横浜は開幕から連敗続き(10連敗?)でアクシデント以前の問題。
進藤のサヨナラホームランで開幕初勝利を収めたときは近藤監督が嬉し泣きをしていたくらい。 >>39
あの試合は中村の走塁タッチアウトも大きい。もったいなかった。 あの10.8の試合を教訓に昨年のCSに臨んでくれていれば日本シリーズ確実だったのに実に惜しい。
CS王手をかけた時点で“明日は一気に決める”のコメントピッチャーが一挙にしぼんでしまった。
4戦目はリリーフピッチャーを完全に休ませておけば体制は違っていたなぁ(権藤にも責任はあるが)。
焦れば焦るほどロクなことはないと、この人をみていて教訓として学んだ人は多いと思われる。 >>40
開幕から好調だったが6月辺りにBクラスに落ち込んだ時もあった。 6月16日
この年最大借金5を記録したこの日の時点で
対横浜2勝9敗。
その後ブラッグス離脱と共に対戦成績が逆転し
最終的には14勝12敗で勝ち越し。 >>44 高木は言葉が軽いというか、先のリスクまで考えられないんだよね。
「明日で決める」気持ちはわからなくもないが、じゃ決められなかった時はどうなるんだよ、ていう。
アンタに駆け引きは無理だわ、て感じだったな。 なんかAクラスに入れた年は棚ボタって言う奴いるけど
それ言ったら今年の阪神広島だって棚ボタだし大抵のAクラス監督は
棚ボタだろうって思うんだが?
巨人という滅多に大コケしないチームがBクラスやそれに近いシーズン以外で
棚ボタって言葉を使うのはどうかと思う 「明日で決める」のコメント自体は別に悪くない思うんだよ。例えば「あと1つ勝てばいい」よりかはいいコメントかと
ただ高木の場合Bプランを全く持っていなくてそれが100%本音だから軽く見られる 阪神は今後も和田にやらせると、近い将来は1995の中日みたいになるぞ。 とにかく陰気な性格で、周りを超ネガティブにさせる天才。
岐阜人気質なんでしょうな!! 野球】カルビー「プロ野球チップス」 カードの裏話に趣 江夏「太り過ぎ」小松「内蔵悪い」高木「グラウンドで笑顔みせるように」
1 :しいたけφ ★:2013/10/22(火) 18:29:48.27 ID:???0
カルビーの「プロ野球チップス」が今年で発売40週年を迎えた。憧れの選手の
カードが出てきた時の喜び、嫌いなチームの選手が現れた時の落胆は忘れられないが、
かつての選手カードを眺めると、裏面には味わい深い世界が広がっている。
1970年代のカードは自由度が高い。まずは球団に「100万円やるから笑え」
といわれたことを暴露された高木守道。この頃からファンサービスは苦手だったようだ。
【高木守道(中日)1973年版の裏面説明抜粋】
〈14年間、常に中日のスタープレーヤーとして活躍しているが、
高木の欠点は嬉しいときも悲しいときも表情に出さないこと。
このため46年の契約のとき「100万円給料をあげるから、グラウンドで笑顔をみせるように……」と
昇給してもらった珍しい選手。それ以来ホームランを打ったときなど
ファンに手をあげてこたえるようになった。プロの選手は表情の豊かさもスターの条件というわけだ〉
体の特徴も遠慮なく書く。江夏豊には〈ふとりすぎだけが強敵〉、
〈最近はちょっとふとりすぎが気になる〉。そして〈ちびっこ巧者〉と紹介され、
ひたすら「体が小さい」と書かれ続けるのが土井正三。ただ、
〈あの小さな体から大男顔負けの闘志があるんだ。君たちの中に「体が小さい」からと
僻むことはないんだ〉と、エールも忘れなかった。
1980年代には裏面に“ご意見番”が登場。論評を担当したのは、稲尾和久、高田繁、星野仙一の御三方だ。
中でも辛口だったのが高田氏。原辰徳(巨人)に〈守りは守備範囲が狭く、ライン寄りに弱い〉、
杉浦享(ヤクルト)は〈守備はカンも悪いし肩も弱い〉とバッサバッサと斬り捨てる。
星野氏も負けてはいない。江川卓(巨人)に対し、〈ヒョウキンに振舞っても過去は消えない〉と、
「空白の一日」を蒸し返すかのような、際どいことを子供向けのカードで語っている。
なぜか、やけに選手の胃腸に詳しいのも星野氏の特徴である。
西本聖(巨人)や小松辰雄(中日)に対しても〈内臓が弱いのが難点だ〉と指摘していた。 ──それにしても、ベンチでは怒ってばかりいたな。
高木:正直この2年間は、カッカし通しでしたね。特にコーチは叱りっぱなしでしたから、大変だったと
思います。カッカしすぎて、マスコミにもあれこれいいすぎました。試合後の談話も出さず、
ファンサービスもしない前任者(落合監督)が問題になったこともあって、多少はリップサービス
もしないと、という気持ちがありましたから。
──しかし、もともと多弁ではないだろう。
高木:私は現役時代から無口で“むっつり右門”といわれたほど。引退後にテレビの仕事をしていた時も
「一番喋らない解説者」といわれました。アナウンサーが「ファインプレー!」と叫んでも、私からすれば
ほとんどが普通に捕れる球だから「普通です」といって放送席を盛り下げていた。これではいかんと思い、
アナウンサーに合わせて喋るようにするうちに、余計なことまで喋るようになってしまったんです。
それにこんな年齢で監督にしてもらったのだから少しはサービスしないと、という思いもありました。
いい親父ギャグも炸裂していたと思ったんですが、なかなかウケませんでしたね。
──そういえば、いくつになったんだ?
高木:72です。パープレーですよ(とドヤ顔を見せるが、取材会場に数秒の沈黙が流れる)。 アンチ星野が、星野を叩くために高木を持ち上げていた感じだったな 多分楽天が日本一になるのを誰よりも嫌がっただろうな
読売大好きだし読売応援してたりして とにかく落合を引きずり下ろすことありきのフロントに担ぎ出されて
誕生した第二次高木政権だったが、それでも落合時代に若手が育っていなかったのは
事実で、勝った負けたよりはヤクルトの関根監督やダイエーの根本監督みたいな
役割を期待されていたはずなのに、それすらできず無味乾燥に過ぎた2年間でした。 他球団より前監督を意識しすぎて、選手からしたら、ようやく自分たち主導で野球が出来ると思いきや、落合や星野以上に独裁者だったために、人身離反が起きて野球が淡白になったのが全て
落合や星野は独裁者でも、肝心なときのケアは抜群だった
しかし高木はケアは一切なかった この人人徳ないよなぁ
今回は当たり前だろうけど、前回の時も殆ど高木さんにはお世話に〜
的な話をする選手を見た事が無かったしw ある意味で独裁者と正反対で何もできなかった監督って感じだけど。
森や島野だとかの仲間を連れてきた落合や星野と違って裸の王様って感じだった。
まあ、全く人脈もないところがそもそもダメだんだけど。
要するにこの人はせいぜい守備コーチ程度で監督をやらせたのが完全な間違いだったってこった。 高木は独裁者じゃないでしょ
全体的に統率力に欠け、
普段は適当に人任せにしておきながら
突然意味のわからんタイミングで激高して部下を大量粛清したりする
トップに立つ人間としては、一貫した独裁者よりタチが悪いタイプ 第一期の最後の日は呆気なかったね。解任された腹いせに審判に八つ当たりw
友寄もジョイナスに胸突かれて顔面引っ掻けられたのは屈辱的だったろう。せめて舌で応戦しろよ。 延長したのに代打居なくて最後ソーサが三振して終了の試合と、
ライト荒木を生で見た。
それがジョイナスの思い出。 あぁ、野手を7回くらいで使いきっちゃった試合と、
渡邊平野の1塁3塁コーチをゲーム中に入れ替えた試合も生で見た。
結構ジョイナスっぷりを見せてもらってたな、俺w ライト荒木…
守道って1回目のときも宇野をライトで使ってたことがあったが、ライトを何か
内野手の一時避難所的なポジションだとでも思ってるのかね? 確か宇野がトレードされたのは高木時代だからな
まあ、ああいうムラっ気のある選手は嫌がりそう 1993年の平田洋と1994年の金森隆治が活躍したら第一次高木政権ももう少し
延命になっただろうな・・・。 平田洋を指名していなければ中日の球団史もかなり変わったのだろうか >>72
当時は地元の平田指名しか選択肢はなかったから、平田を指名しないと
言う事はあり得なかった。別に平田を指名していなくても球団史は
変わらないけど、ただ1993年の平田が近藤真一みたいにルーキーの年の
1994年に活躍したら10・8はなかっただろうし、金森もルーキーの
1995年に川上みたいな活躍したら、高木監督は少しは延命だったなって思った。 もしかしたらこのまま行けば落合派永久追放、高木守道復活あるぞ
ヘッド鈴木孝政二軍小松辰雄捕手木俣くるで
谷繁解雇、落合は南海パークス野村のように記録抹消、白井は読売の丸山や黒田のように削除。
野党による菅直人再登板論のようになるぜ >>74
ここにきてどうやら中日が浮上してきたな… 真っ直ぐすぎる人なんだよな。
ユニフォームさえ着なければ、ベンチにさえ入らなければこんな良い人はいない。 >>76
まぁね。
解説を聞いていれば、ホントのプロだってわかるもんね。
技術的な話とか、ためになるし。 >>76-77
ヘッドか守備コーチまでなら良かったんだよな。
近藤監督のときにやってたけど。 近藤が監督の時は黒江がヘッドコーチみたいな仕事していたと言っていた そうかな。2度目の監督前の解説は何度も聞いてたが、
嫌味な人間ではないがさりとて人間味にあふれる人でもない、て思ったな。
アナと会話が成立してなかったり、打者が打つ前にされた質問に考え込んで打ってからやっと答える、とかさ。
正直、歯切れの悪さとかコミュ能力不足を感じたが、殿堂入り実績のあるミスタードラゴンズだから誰も踏み込めなかった感じだったけど。
人間的には小市民で野球職人て感じだからなあ。
結局ジョイナス崩壊はコミュ能力不足がそのまま露呈されただけじゃんていう。
高木を非難はしないけど、本来担ぎ出すべき人ではなかっただろ。 >>76
普段大人しくてもハンドル握ると荒くなる人みたいな感じかw 山崎の暴露本(ノムさんに教わったことは )で、ドラ時代(一期)は自分の車の窓ガラスを割られたり馬鹿死ねと落書きされたり
殺すぞと脅迫電話もされてたのは本当かな?
たぶん高木(一期)と星野(二期)時代のことだろうと思うが。 高木時代は2軍暮らしが多かった。
本塁打王を獲得した翌年(97年)あたりを指しているのでは? >>74
さすがに73歳で復活は本人もキツいだろう。
やはり50代の時が最も良かった。
個人的には宇野をチームに復帰させたほうが良いかと。 宇野より牛島かな個人的には
木俣、小松、孝政、彦野は論外 牛島は横浜での成績がそのまま監督(指導者)としての評価に
なってしまっているのがかわいそう。
横浜1年目は一応3年連続最下位のチームを3位までもってきているのに。 牛島引退後11年間解説者だったが
権藤が横浜の監督の投手コーチの時子供の問題でコーチの話断った 牛島って11年に阪神が真弓から変わる時に山田とかと同様に名前が上がったよな
もし受諾してればスパイス阪神は無かったんだよな 1992&2013中日みたいなチームが出てくると、長期間暗黒に甘んじんでたチームが代わりにAクラスに入って躍進するんだよな。92は阪神、昨年は広島。
今年のパも西武はそんな感じで進んでしまってる。 ていうか最近のパはそういう次元ではなくなっている気がする。
今年と去年で比べてもAとBがそっくり入れ替わっているわけで。 1990年は大洋3位(84年〜89年までBクラス)で中日が4位 >>47
高木って昔からこんな狭量な爺さんだったっけ? >>85
中日以外を知ってるかどうかってことだな
なんとなく分かる おらの自慢
ライト荒木
野手7回で使い切り
一塁コーチと三塁コーチを試合途中で入れ替え
最後代打居なくてチャンスなのにソーサ三振で試合終了
これらを生で見た事 >>95
有望な人間をなぜほしのや落合が放出したがるのか理由がわかる気がしてきた 来年の阪神は、ジョイナスが審判に胸突いて退場してそのまま辞めた年の中日の姿だな。
和田続投でその臭いがプンプンしてきた。 >>25
和田は今年は確変してしまった…
勝ち運の差は 負広>ジョイナス 神宮の試合後クラブハウスへの道中に思いっきりやじられてたな。
それでも神宮最後の試合の時はコールとかされてたが。 >>90
ほとんどのシーズンでカモにしてる猫が牛にカモられたからな
ストーリーで言えば素行が悪すぎて「結婚できないだろ!?」
思った奴が恋愛フラグ建っちゃたりするのは
恋愛対象のキャラが異常なまでにその奴をアシストするから… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています