【92〜95】高木中日を語る2【12〜13】
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最下位ながら借金わずか10と健闘した1992年
ヤクルトとの優勝争いに最後まで燃えた1993年
なんといっても10・8に尽きる1994年
高木監督退場→そのまま休養で終わった1995年
2位ながら落合時代の強さを失った2012年
もう何をしたいのかわからない2013年
世間一般には2度の星野政権に挟まれ、落合政権のあとの地味な印象のある高木時代。
しかし中日の悪いとこが大いに詰まった6年間だった。
そんな高木時代を語るスレッド。 結局Aクラスで終わった93年、94年、12年はどれもほぼ他力で棚ぼたなんだよ。
去年は統一球に全くフィットできなかった阪神がいて、
93年は横浜がブラッグスが後半戦使えずで阪神は野田が去りパチョレックも序盤で退団。
94年は古田故障でヤクルトにアクシデント。
評価できる材料があまりない。
世代交代は進んでないし仰木が去ったあとのオリックスみたいになりつつある。 高木ってあれだけの名選手で引退後はずっとコーチをしてたのに、監督になったのは外様の山内や年下の星野より後なんだな。
やっぱりコイツに監督をさせちゃマズいと思わせる何かがあったのかね。 近藤の後にやってもいいぐらいなのに翌年から2軍監督に やっぱり、93年と94年の優勝争いした実績に惑わされたんだろうな。実力で勝ってたわけじゃないのに。 >>2
借金10で健闘した92年(笑)
前年2位だったチームなのにそれはない。
故障者は多かったけど、それでもせめて勝率5割程度まで持っていかいとそんな言葉は吐き出せないよ。
93年も結局最終的には7差つけられてるし最後まで燃えたと言えるのかw 地元出身清水、前原起用した
星野時代投手コーチだった佐藤道郎と対立し佐藤辞任
ヘッドコーチ徳武 まさかこのスレの2本目ができるとは。
しかもご丁寧に12〜13なんて入ってる。
ていうかなんだかんだ言ってみんな高木中日好き過ぎw >>7
91年は終盤故障者続出で記録的な急降下で優勝を逃がす。
91年は2位で終わったのが異常なくらいチームは焼け野原の状態だった。
せめて勝率5割程度までとあるけれど、60勝も65勝もたいして変わらんよ。
星野が続投していたら92年は60勝できなかったぞ(笑)。 佐藤道郎は精神論を持ち出してうまくいかなかった。
なんか権藤博と似た部分がある。
高木自身はピッチャーに精神論は要らないと考えている。 >>7
今中の怪我が92年は痛かった
今中がいなかった6月以外は、ほとんど善戦してる
あとは与田と森田劣化で、抑えがいなくなったこと
戦力があれば、高木でも勝てるは去年証明した
与田と森田劣化と岩瀬の今年が実に似てる >>4
86年の監督代行でそこから浮上出来ればヤクルトの小川みたいに翌年から正式に監督に昇格、という目もあったんだろうけどね
ただ当時はこのままだとチームが暗黒時代突入する可能性が大だっただけに
そういう意味でも切り札として星野しかいない、ということで仕方なかったような気がする
おそらく高木続投なら落合も来なかっただろうし下手すればそれこそ阪神並みの暗黒になっていたかも知れないし 佐藤の後任の高橋三千丈は近藤真市同様にイエスマンだったな
>>4
星野は加藤オーナーのお気に入りとはいえコーチ時代の評判も良くなかったのだろうか 最多勝利杉本、監督代行高木
86年は暗黒臭がすごい 08〜09の阪神は91〜92の中日と重なるとよく言われてるが、あれでも09の阪神はAクラス争いには絡んでたんだよね。
高木に比べたらマシってことかな、真弓は。 09 高田いなきゃAクラス
10 優勝争い
11 金本いながら巨人をBクラスに落とす寸前まで争った
真弓と比べるか?
金本と高田なしならもっと強かっただろ 86年は、単純に山内体制が連敗で変わっただけだとは思うが
谷沢、大島、宇野
一気に衰えたからな >>19
86年低迷の原因は
宇野三塁コンバート大失敗
小松が活躍するのは1年おき
藤王夜の街で大暴れ 08〜10の阪神は91〜93の中日と似た推移してたね。
Vやねん→自信喪失に陥って低迷→追いつかない程度の優勝争い 千葉茂、高木守道、武上四郎、近藤昭仁、土井正三、中村勝広
二塁手出身監督は球史に残る無能揃い。 今更になって森野やら平田やらクラークやら打線だけは少しよくなってきたな。
たまにホームラン打ちまくって2ケタ得点で勝ったりするゲームがある。
どうせ優勝とか誰も望んでないから最初からこうなら少しは面白かったんだがな。
遅すぎたな。残り30数試合、せめて平田を4番でテストするぐらいの大英断を見せてみろ。 中田賢もいい加減見切れんのかね?
見ててまったく進歩が感じられん。
朝倉あたりも今シーズンでクビだ。
若手にチャンスを与えてどんどんテストしろ。
そこで生き残った者で戦え。 >>23-25
古葉竹識は広島では実績を残したけど大洋で…orz 中田賢一 → 自発的FA促し又はトレード
(何れもSB限定)
朝倉健太 → 自由契約(移籍を前提条件) >>23
須藤豊、ブレイザー、岡本伊三美、本堂保次 中田ってあれでもチーム3位のイニングイーターだぞ...
いなくなったら一気に投手が不足するんだが。
中継ぎで痛打打たれるのなら先発に戻せばいいと思うんだが。 前スレの頭の期待はなんだったんだ
期待され最後ブーイングで去るパターンまたか >>20
宇野は確かに、ホームランの魅力はあったけど
守備もだけど確実性がなかったからな
山内さんや高木さんも、どちらかといえば、確実性重視だったし
ただ確かにショートからサードで、リズムは狂っただろうな
星野時代も、立浪ショートでセカンドに回って、成績が落ちたし 今日でちょうど19年がたちました。
・・・無能監督の無能采配と背信エースの背信投球と
ヘタレ四番のヘタレバッティングから・・・
高木と今中と大豊、この3馬鹿トリオだけは今でも許せんわ 93中日なら、今年の阪神とも重なったりするね。
Bクラスに位置することは一年通してなかったけど、8月後半で首位に踊り出そうな状況で首位攻防。
しかし、捕えることはできず残り20〜30試合のところで突き放されてジエンド。
あの年も横浜や阪神に大きなアクシデントがあってタナボタだったわけでw 決定的な決め手がないのが高木野球だった
中途半端
でも高木は、地元の子どもに野球大会させるくらい、野球に思いはある
地元の垂れ幕みて思った >>40
93年の横浜は開幕から連敗続き(10連敗?)でアクシデント以前の問題。
進藤のサヨナラホームランで開幕初勝利を収めたときは近藤監督が嬉し泣きをしていたくらい。 >>39
あの試合は中村の走塁タッチアウトも大きい。もったいなかった。 あの10.8の試合を教訓に昨年のCSに臨んでくれていれば日本シリーズ確実だったのに実に惜しい。
CS王手をかけた時点で“明日は一気に決める”のコメントピッチャーが一挙にしぼんでしまった。
4戦目はリリーフピッチャーを完全に休ませておけば体制は違っていたなぁ(権藤にも責任はあるが)。
焦れば焦るほどロクなことはないと、この人をみていて教訓として学んだ人は多いと思われる。 >>40
開幕から好調だったが6月辺りにBクラスに落ち込んだ時もあった。 6月16日
この年最大借金5を記録したこの日の時点で
対横浜2勝9敗。
その後ブラッグス離脱と共に対戦成績が逆転し
最終的には14勝12敗で勝ち越し。 >>44 高木は言葉が軽いというか、先のリスクまで考えられないんだよね。
「明日で決める」気持ちはわからなくもないが、じゃ決められなかった時はどうなるんだよ、ていう。
アンタに駆け引きは無理だわ、て感じだったな。 なんかAクラスに入れた年は棚ボタって言う奴いるけど
それ言ったら今年の阪神広島だって棚ボタだし大抵のAクラス監督は
棚ボタだろうって思うんだが?
巨人という滅多に大コケしないチームがBクラスやそれに近いシーズン以外で
棚ボタって言葉を使うのはどうかと思う 「明日で決める」のコメント自体は別に悪くない思うんだよ。例えば「あと1つ勝てばいい」よりかはいいコメントかと
ただ高木の場合Bプランを全く持っていなくてそれが100%本音だから軽く見られる 阪神は今後も和田にやらせると、近い将来は1995の中日みたいになるぞ。 とにかく陰気な性格で、周りを超ネガティブにさせる天才。
岐阜人気質なんでしょうな!! 野球】カルビー「プロ野球チップス」 カードの裏話に趣 江夏「太り過ぎ」小松「内蔵悪い」高木「グラウンドで笑顔みせるように」
1 :しいたけφ ★:2013/10/22(火) 18:29:48.27 ID:???0
カルビーの「プロ野球チップス」が今年で発売40週年を迎えた。憧れの選手の
カードが出てきた時の喜び、嫌いなチームの選手が現れた時の落胆は忘れられないが、
かつての選手カードを眺めると、裏面には味わい深い世界が広がっている。
1970年代のカードは自由度が高い。まずは球団に「100万円やるから笑え」
といわれたことを暴露された高木守道。この頃からファンサービスは苦手だったようだ。
【高木守道(中日)1973年版の裏面説明抜粋】
〈14年間、常に中日のスタープレーヤーとして活躍しているが、
高木の欠点は嬉しいときも悲しいときも表情に出さないこと。
このため46年の契約のとき「100万円給料をあげるから、グラウンドで笑顔をみせるように……」と
昇給してもらった珍しい選手。それ以来ホームランを打ったときなど
ファンに手をあげてこたえるようになった。プロの選手は表情の豊かさもスターの条件というわけだ〉
体の特徴も遠慮なく書く。江夏豊には〈ふとりすぎだけが強敵〉、
〈最近はちょっとふとりすぎが気になる〉。そして〈ちびっこ巧者〉と紹介され、
ひたすら「体が小さい」と書かれ続けるのが土井正三。ただ、
〈あの小さな体から大男顔負けの闘志があるんだ。君たちの中に「体が小さい」からと
僻むことはないんだ〉と、エールも忘れなかった。
1980年代には裏面に“ご意見番”が登場。論評を担当したのは、稲尾和久、高田繁、星野仙一の御三方だ。
中でも辛口だったのが高田氏。原辰徳(巨人)に〈守りは守備範囲が狭く、ライン寄りに弱い〉、
杉浦享(ヤクルト)は〈守備はカンも悪いし肩も弱い〉とバッサバッサと斬り捨てる。
星野氏も負けてはいない。江川卓(巨人)に対し、〈ヒョウキンに振舞っても過去は消えない〉と、
「空白の一日」を蒸し返すかのような、際どいことを子供向けのカードで語っている。
なぜか、やけに選手の胃腸に詳しいのも星野氏の特徴である。
西本聖(巨人)や小松辰雄(中日)に対しても〈内臓が弱いのが難点だ〉と指摘していた。 ──それにしても、ベンチでは怒ってばかりいたな。
高木:正直この2年間は、カッカし通しでしたね。特にコーチは叱りっぱなしでしたから、大変だったと
思います。カッカしすぎて、マスコミにもあれこれいいすぎました。試合後の談話も出さず、
ファンサービスもしない前任者(落合監督)が問題になったこともあって、多少はリップサービス
もしないと、という気持ちがありましたから。
──しかし、もともと多弁ではないだろう。
高木:私は現役時代から無口で“むっつり右門”といわれたほど。引退後にテレビの仕事をしていた時も
「一番喋らない解説者」といわれました。アナウンサーが「ファインプレー!」と叫んでも、私からすれば
ほとんどが普通に捕れる球だから「普通です」といって放送席を盛り下げていた。これではいかんと思い、
アナウンサーに合わせて喋るようにするうちに、余計なことまで喋るようになってしまったんです。
それにこんな年齢で監督にしてもらったのだから少しはサービスしないと、という思いもありました。
いい親父ギャグも炸裂していたと思ったんですが、なかなかウケませんでしたね。
──そういえば、いくつになったんだ?
高木:72です。パープレーですよ(とドヤ顔を見せるが、取材会場に数秒の沈黙が流れる)。 アンチ星野が、星野を叩くために高木を持ち上げていた感じだったな 多分楽天が日本一になるのを誰よりも嫌がっただろうな
読売大好きだし読売応援してたりして とにかく落合を引きずり下ろすことありきのフロントに担ぎ出されて
誕生した第二次高木政権だったが、それでも落合時代に若手が育っていなかったのは
事実で、勝った負けたよりはヤクルトの関根監督やダイエーの根本監督みたいな
役割を期待されていたはずなのに、それすらできず無味乾燥に過ぎた2年間でした。 他球団より前監督を意識しすぎて、選手からしたら、ようやく自分たち主導で野球が出来ると思いきや、落合や星野以上に独裁者だったために、人身離反が起きて野球が淡白になったのが全て
落合や星野は独裁者でも、肝心なときのケアは抜群だった
しかし高木はケアは一切なかった この人人徳ないよなぁ
今回は当たり前だろうけど、前回の時も殆ど高木さんにはお世話に〜
的な話をする選手を見た事が無かったしw ある意味で独裁者と正反対で何もできなかった監督って感じだけど。
森や島野だとかの仲間を連れてきた落合や星野と違って裸の王様って感じだった。
まあ、全く人脈もないところがそもそもダメだんだけど。
要するにこの人はせいぜい守備コーチ程度で監督をやらせたのが完全な間違いだったってこった。 高木は独裁者じゃないでしょ
全体的に統率力に欠け、
普段は適当に人任せにしておきながら
突然意味のわからんタイミングで激高して部下を大量粛清したりする
トップに立つ人間としては、一貫した独裁者よりタチが悪いタイプ 第一期の最後の日は呆気なかったね。解任された腹いせに審判に八つ当たりw
友寄もジョイナスに胸突かれて顔面引っ掻けられたのは屈辱的だったろう。せめて舌で応戦しろよ。 延長したのに代打居なくて最後ソーサが三振して終了の試合と、
ライト荒木を生で見た。
それがジョイナスの思い出。 あぁ、野手を7回くらいで使いきっちゃった試合と、
渡邊平野の1塁3塁コーチをゲーム中に入れ替えた試合も生で見た。
結構ジョイナスっぷりを見せてもらってたな、俺w ライト荒木…
守道って1回目のときも宇野をライトで使ってたことがあったが、ライトを何か
内野手の一時避難所的なポジションだとでも思ってるのかね? 確か宇野がトレードされたのは高木時代だからな
まあ、ああいうムラっ気のある選手は嫌がりそう 1993年の平田洋と1994年の金森隆治が活躍したら第一次高木政権ももう少し
延命になっただろうな・・・。 平田洋を指名していなければ中日の球団史もかなり変わったのだろうか >>72
当時は地元の平田指名しか選択肢はなかったから、平田を指名しないと
言う事はあり得なかった。別に平田を指名していなくても球団史は
変わらないけど、ただ1993年の平田が近藤真一みたいにルーキーの年の
1994年に活躍したら10・8はなかっただろうし、金森もルーキーの
1995年に川上みたいな活躍したら、高木監督は少しは延命だったなって思った。 もしかしたらこのまま行けば落合派永久追放、高木守道復活あるぞ
ヘッド鈴木孝政二軍小松辰雄捕手木俣くるで
谷繁解雇、落合は南海パークス野村のように記録抹消、白井は読売の丸山や黒田のように削除。
野党による菅直人再登板論のようになるぜ >>74
ここにきてどうやら中日が浮上してきたな… 真っ直ぐすぎる人なんだよな。
ユニフォームさえ着なければ、ベンチにさえ入らなければこんな良い人はいない。 >>76
まぁね。
解説を聞いていれば、ホントのプロだってわかるもんね。
技術的な話とか、ためになるし。 >>76-77
ヘッドか守備コーチまでなら良かったんだよな。
近藤監督のときにやってたけど。 近藤が監督の時は黒江がヘッドコーチみたいな仕事していたと言っていた そうかな。2度目の監督前の解説は何度も聞いてたが、
嫌味な人間ではないがさりとて人間味にあふれる人でもない、て思ったな。
アナと会話が成立してなかったり、打者が打つ前にされた質問に考え込んで打ってからやっと答える、とかさ。
正直、歯切れの悪さとかコミュ能力不足を感じたが、殿堂入り実績のあるミスタードラゴンズだから誰も踏み込めなかった感じだったけど。
人間的には小市民で野球職人て感じだからなあ。
結局ジョイナス崩壊はコミュ能力不足がそのまま露呈されただけじゃんていう。
高木を非難はしないけど、本来担ぎ出すべき人ではなかっただろ。 >>76
普段大人しくてもハンドル握ると荒くなる人みたいな感じかw 山崎の暴露本(ノムさんに教わったことは )で、ドラ時代(一期)は自分の車の窓ガラスを割られたり馬鹿死ねと落書きされたり
殺すぞと脅迫電話もされてたのは本当かな?
たぶん高木(一期)と星野(二期)時代のことだろうと思うが。 高木時代は2軍暮らしが多かった。
本塁打王を獲得した翌年(97年)あたりを指しているのでは? >>74
さすがに73歳で復活は本人もキツいだろう。
やはり50代の時が最も良かった。
個人的には宇野をチームに復帰させたほうが良いかと。 宇野より牛島かな個人的には
木俣、小松、孝政、彦野は論外 牛島は横浜での成績がそのまま監督(指導者)としての評価に
なってしまっているのがかわいそう。
横浜1年目は一応3年連続最下位のチームを3位までもってきているのに。 牛島引退後11年間解説者だったが
権藤が横浜の監督の投手コーチの時子供の問題でコーチの話断った 牛島って11年に阪神が真弓から変わる時に山田とかと同様に名前が上がったよな
もし受諾してればスパイス阪神は無かったんだよな 1992&2013中日みたいなチームが出てくると、長期間暗黒に甘んじんでたチームが代わりにAクラスに入って躍進するんだよな。92は阪神、昨年は広島。
今年のパも西武はそんな感じで進んでしまってる。 ていうか最近のパはそういう次元ではなくなっている気がする。
今年と去年で比べてもAとBがそっくり入れ替わっているわけで。 1990年は大洋3位(84年〜89年までBクラス)で中日が4位 >>47
高木って昔からこんな狭量な爺さんだったっけ? >>85
中日以外を知ってるかどうかってことだな
なんとなく分かる おらの自慢
ライト荒木
野手7回で使い切り
一塁コーチと三塁コーチを試合途中で入れ替え
最後代打居なくてチャンスなのにソーサ三振で試合終了
これらを生で見た事 >>95
有望な人間をなぜほしのや落合が放出したがるのか理由がわかる気がしてきた 来年の阪神は、ジョイナスが審判に胸突いて退場してそのまま辞めた年の中日の姿だな。
和田続投でその臭いがプンプンしてきた。 >>25
和田は今年は確変してしまった…
勝ち運の差は 負広>ジョイナス 神宮の試合後クラブハウスへの道中に思いっきりやじられてたな。
それでも神宮最後の試合の時はコールとかされてたが。 >>90
ほとんどのシーズンでカモにしてる猫が牛にカモられたからな
ストーリーで言えば素行が悪すぎて「結婚できないだろ!?」
思った奴が恋愛フラグ建っちゃたりするのは
恋愛対象のキャラが異常なまでにその奴をアシストするから… 2012と同じ成績を落合監督が残せば絶賛されるのに 2012年就任前にほめられてたのは、アンチ星野のネタにされたんだろうなぁ 別に守道じゃなくても93と94の連覇はなかったでしょ。
だってもともと最終的に勝ちきれない体質のチームだし。 2010年も僅差だし 99年もマッチレースから最後8連勝で決めた 93と94は、岩瀬がいたら優勝出来た
郭の衰えと中継ぎ不在は痛かった 選手の個人芸に頼り切っていたチームだったし。
しかしあれだけ投打でタイトルホルダーを出しながら優勝できなかったとは・・・ タイトルホルダー以外の選手が軒並み成績を落としてたからな。
試合数>チームHR数って三十何年か振りだったような 高木の野球って、基本的にオーソドックス過ぎるだけに
相手からしたら恐さはなかった 星野の前に高木はなぜ監督やらなかったの?
監督代行時代の評判が悪かったから?星野がオーナーの加藤に好かれていたからか? 中政権の二の舞になるだろうとしか思われなかったんじゃないの? 93、94年の2位からたった1年の不振で休養ってことは余程采配が酷いってこと
もっと早く代わっていればねえ >>116
監督代理でめぼしい成果が出なかったのも事実だが、あの当時はとにかく星野の人気が
高くて待望論が半端無かったし、守道がどうこうっていうよりは星野しかいないでしょって
雰囲気が強くて結果的に守道が後になった感じだった気がする。
阪神で村山が吉田より先に監督になったのと似ているかも。
>>118
就任4年目であのていたらくなら誰が監督でも休養なんじゃないの。 というかジョイナスって元々94年限りで退任する予定だったんでしょ?
それが思わぬ好成績で急遽続投することになったわけで 高木の輝いたのは、初年度開幕戦の1回のみ
あの時の采配だけは鮮やかだった
清水ヒット→種田バント→立浪ヒット→落合タイムリー→宇野ホームラン 93年も6月最下位に転落した時休養寸前までいったんだよな。
後半戦バカ勝ちして消えたけど >>115
落合ぐらいしか、その状況を変えられなかっただろう。 だから高木は落合から監督を変えられたときに固辞しなきゃいけなかった。 >>119
ただ吉田はジョイナスと違って1回だけとはいえ優勝して
日本一になれのだらから成功したと言えるのかもね
横浜の権藤、ヤクルトの若松、西武の渡辺監督みたいなもん >>122
それバントのサイン1回出してるだけやん 2004年は落合ではなく高木がやってたら堀内でも優勝出来てた可能性
ありそう…
3度も優勝のチャンスがあってもそれを潰す勝負弱さは
バイキンマンやロケット団に匹敵すると思う
なにせピーコや負広でも2位以上3回あって1回(負広はCSだが)
は優勝できたのだから… >>129
負広が監督だったらCS勝ててないと思うぞw >>129
堀内巨人より若松ヤクルトの方が強かった
巨人は昨年に続いてチーム防御率球団ワーストだったし 3球団渡り歩いた助っ人ブランコが告白「監督は落合が一番」
落合監督から高木監督に代わった時はどうだったのか。かなりの戸惑いがあったと予想できる。
ベンチ内で2人は衝突したという話もあった。
「戸惑いもあったね(笑い)。高木(監督)は感情を表に出すタイプだから。
ただ、それが悪いというわけではない。高木のような監督像を好む選手もいると思う。
確かに、調子が悪い時にみんなの前で何度か怒られたことはあったかな(笑い)。でも、彼が嫌いだったわけではない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150215-00000013-nkgendai-base 守道は監督就任後まもなく、慣れない土地でいろいろ大変だろうからといって
外国人選手たちを食事に連れ出したり、いろいろ配慮はしてたんだよな。
そういう配慮も試合になると感情を表に出しすぎる性格のせいで自ら台無しにしてしまうのだがw 今中は能見・岩田クラスだろう
どの道優勝は無理だった もし、契約が切れる94年に優勝争いなんかしていなかったら
95年に星野が就任して、同時に、ロッテを解雇された
宇野を伸び戻す予定だった
宇野さんが再び、中日で見れただろうというのに
守道はとことん、いらんことをする人だ >>135
92年に星野が辞めないで継続していたら
宇野は出される予定だったんだけどな。
高木監督になったから1年長く中日にいることになった。
もうどうしようもないほど衰えがわかったから1年遅れでロッテ行きになったが。 星野は意外にスキャンダルを嫌がる
平野もそう
宇野は、立浪を入団した時点で戦力外に近かった
立浪でホットコーナーを追い出し
大豊入団で定位置の5番を追い出し
この時点で戦力外は決まってはいた 星野は意外にスキャンダルを嫌がる
平野もそう
宇野は、立浪を入団した時点で戦力外に近かった
立浪でホットコーナーを追い出し
大豊入団で定位置の5番を追い出し
この時点で戦力外は決まってはいた
しかし不思議なのは
宇野や平野も
受け入れ先は大概ロッテ そりゃタニマチ接待させるのに脛に傷を持った人間は使いづらいもんな >>138>>139
宇野がスーパールーキー立浪に押し出されたのはサードじゃなくてショートね
サードには落合、ファーストにはゲーリー、レフトにはこの年からコンバートされた中尾がいるので、
押し出された宇野は前年レギュラーを掴んだ仁村徹が故障出遅れのセカンドに
そしてこの年仁村徹はサードで復帰、落合はファースト、ゲーリーはレフトに廻り、宇野は一年間セカンドを守った
翌89年は立浪のケガで再びショートに戻り、ホームランも増えた。
(何故か宇野はショートを守った年は成績が良い)
因みに落合がサードでフルシーズン戦ったのはこの年が最後
この89年までは立派にクリーンアップを務めていたが、それ以降は衰えもあり、成長した大豊(御冥福をお祈りします)や、
バンス・ロー、ライアルといった外国人選手に主軸を奪われていった
守備の方でも二遊間は若い立浪&種田で固定され、
高木監督就任の92年には監督の地元の後輩・前原が宇野に代わってサードで使われ始めた
そして千葉のスターが欲しいロッテに迎えられた
星野がドラゴンズOB会を除名(タイガース監督就任により)されるまでは、星野派 対 反星野派、
その反星野派の代表としての高木監督就任なので、あまり能力的には…
結局オーナー寵愛の爺キラー星野が監督に復帰することに >>142
中日内の星野派が消滅したのはいいが
今度は落合派VS反落合派による
新たな内紛が勃発したからなぁ〜 予想外だったのは。落合が宇野を可愛がってたこと
ムラが多く安定感ないのに
何故か評価してた >>144
宇野「落合さんは個人主義の人だと思われている落合さんが来て初めて本当のチームバッティングというものをおしえてもらった」 ⬆失礼、訂正
宇野「落合さんは個人主義の人だと思われているが、落合さんが来て初めて本当のチームバッティングというものを教えてもらった」 >>138>>139
の大バカ野郎にはこのスレでも>>142で指摘してるし、
他のスレでもデタラメオナニー作文しまくって方々から突っ込まれてる困った奴なんだよな
・とにかく史実がデタラメ
・的外れな講釈
・日本語が不自由、稚拙、ワンパターン
懲りずに書き込むこの野郎タヒんで欲しい 五番ショートでフル出場、30本打った宇野を立浪がホットコーナーで追い出した???
>>138>>139頼むから消えてくれ頼むからさ ○○だと思う。○○だから。そういう意味では。
このクソバカの毎度定番決め台詞 宇野のコンバート
86年 ショート→サード
(鈴木康友トレードによるコンバート)
88年 ショート→セカンド
(立浪ドラフトによるコンバート)
91年 セカンド→サード
(種田ドラフトによるコンバート)
92年 サード→ライト >>153
そんなシンプルじゃねえよ
89 立浪負傷欠場によりショートに復帰
90 落合を一塁に押し出しサード開幕も、バンスロー、仁村との併用でサードレフトを
いったりきたり
91 バンスロー退団によりサードに復帰
92 前原との併用でサード78試合、外野22試合
何でこの人は調べれば分かることを思い込みだけで書き込むんだろう 宇野を
「新参選手にことこどくポジションを奪われ、最後は中日まで追い出された選手」
って感じで自分なりの物語に当てはめたいんだろうけど、現実はそんなストーリー通りに
いかないよ。
もうちょっと検証する癖をつけたらいかがか。 本人のことを考えたらコンバートするにしても
セカンドかサードにきっちり固定してあげればよかったんだろうけどね >>154>>155>>156
全く同感
史実と違うストーリー書いて自分に酔う、困った奴
>>138でやらかして指摘されても>>153でまたドヤ顔
しかもチョイチョイ他人の書き込み真似してやがるからな
何考えてんだろ
殿堂板で過去を勝手に捏造してどうすんだか >>123
その時は本人がキレて「辞めたい」と言い出したみたいね。
6月16日のハマスタ横浜戦で4点リードから大逆転負け。
それも守乱にサインミスにという酷いプレーのオンパレード
高木本人がキレてしまって「やってられない。もう辞める」と言い出した。
周囲は当然慌てて、球団代表まで出てきて説得。
で、結局休養するにしてもここでは何だからせめて名古屋に帰る18日までは待ってくれないかということで高木も了承。
翌17日の試合はほぼノーサインで戦ったが4-3で勝利。
それも1-3ビハインド8回表に落合が斎藤隆から逆転3ランを放つという劇的な内容で
守道の機嫌も直ってしまったのか、休養だの辞任だのの件はいつの間にか立ち消えとなり
確か18日の巨人戦も快勝
チーム状態も次第に上向いて、9月まで優勝争い
まあ何にしろ悪い人ではないんだが、あまりに直情的過ぎて監督には向かないというタイプなんだろうな、昔から
でも不思議なのは、上記の話を最初に暴露したのは身内の中日スポーツの記事だという所。
翌94年の高木契約満了星野復帰内定からのチーム快進撃で、高木への同情論が高まった時に
球団の選択がいかに正しいか、高木の監督としての資質に問題があるか、について弁解するための材料として書いた。
そもそも辞めていく監督に対して、自分らの記事を使ってネガキャンするのは中日球団の「伝統」のような所もある。 しかし今年の中日見てるといかに監督って元々の性格が大事かっていうのを
思い知らされるな 上の方にも書かれてたけど1年目の開幕カード(横浜戦)だけは輝いてた
エンドランに重盗、スクイズと動きまくっりそれがズバズバ当たって連勝
前任の星野が保守的で慎重な采配好むタイプだったから相手も面食らっただろう
でも次のヤクルト戦では
そんなバクチ采配連発が野村相手に通用するはずもなくあえなくホームで3連敗 92〜95の評価が高いのは、ネットが無い時代だったから?
それともアンチ星野がネタにしてるだけ。 92〜95の評価も別に高くないぞ
少なくとも当時は高木を評価する声などあまりなかった
ただし94年の10.8の時だけは同情論が広がって結果続投になったが
翌年はあの通り 堀内巨人
中村阪神
野村広島
高木中日
大矢横浜
高田ヤク
このメンツでセ・リーグを回したら
何処が日シリ出ても
SBやロッテはおろかオリ相手でも
33-4になる可能性ありそうだな… 清水ヒット→種田バント→立浪ヒット→落合タイムリー→宇野ホームラン
この時ぐらいだろ
高木守道が輝いてたのは 高木を評価するのは
星野アンチが星野を否定するために相対的に高木を持ち上げる
落合アンチが落合を否定するために相対的な高木を持ち上げる
ほとんどこのパターンのどっちかだろ
星野落合関係なく高木自体をいい監督だと評価する人はほとんどいないと思う こいつが就任しなきゃ
落合留任で2012年は中日優勝
↓
巨人原解任、川相中日復職
↓
広島のブーストは無く、Aクラス維持で落合退任、好環境で谷繁へ
↓
減俸は無く井端堂上あたりを巨人に強奪されずにすむ
↓
2014年も優勝、阪神和田解任
↓
今頃ベイスと熾烈な優勝争い
だったのに 落合が年老いて行くベテランをどうまとめて行ったのかは見て見たかったね >>121
中継ぎ以降は中山だけが頑張ってた
復帰させることには物議醸したけど結果的には良い補強だったと思ってる >>170
パウエル、前原あたりはジョイシンだぞ
あと中日OB会 >>173
今だったら絶対復帰反対運動
起こされてるだろうな…
てかこれ高木主導での復帰なら
あの試合落とした時点でクビ
だろうし… 高木主導の復帰ってことはないな
高木の特徴は球団フロントや親会社にはひたすら従順で何も要求しないこと。
編成面等で自分の意見を通そうとすることも少ない
その辺が星野落合との最大の違い。
上の人間にとって扱いやすいから
監督としての能力が疑問なのはわかっていても何度も引っ張り出される 何度もって、1995年前半〜2011年末までどれだけの時間が経ってんのよ そもそも高木自身が金がなくなると俺のところに監督要請が来ると言っている通り
良くも悪くも尻拭い要員だって本人も思っちゃってるし、逆にそういう役回りを本命や外様にはさせられないからな。
ただ尻拭いといっても、もう少し丁寧に拭ってもらいたいとは思うが。 >>174
OB会は島野を強奪して虎へ行った星野と選手会脱退したくせに選手会の権利たるFAで巨人行った落合は絶許だから
さらにこの2人は生え抜き飛ばしまくるのも印象良くないみたい
星野落合より弱くても高木、中、近藤、あと外様山内こそが中日の本流ね >>177
落合監督就任時も最初は高木が就任予定だったろ >>179
山内だけ何故好かれてる?
彼も巨人だろ 94オフはアロンゾとの残留交渉にかなり苦戦してたんだよな
地雷物件のホールを獲る金あるんならその分をアロンゾに回せよと思った 昔からのファンでも、星野好きには高木嫌いが多いんだよな
何か監督としての落合の登場以降
落合vs中日生え抜きOB みたいな図式が強くなって
ファンもその2つで割れてるように思われがちだが
実際はそんな単純な話ではない 95はパウエルと中山裕がいなかったらと思うとぞっとするな…
借金45〜50まで行ってたかもしれない(まさに08と10の横浜並) この人は敵と戦わずに味方とばっかり戦うのが面白くない
コーチと公開喧嘩、選手と公開喧嘩、試合後にコーチ批判選手批判、野次った中日ファンと喧嘩
同じ「暴走老人」なら
死球ぶつけた敵投手をマウンドまで走って行ってぶん殴るとか
甲子園で阪神ファン相手に大立ち回り演じるとか
そういう暴走の仕方してくれたら面白いんだけどな
内紛ばかりでは、チームの雰囲気が悪くなるだけ 中日の球団通算5000勝、和田の2000本安打を祝うコメントが大本営に掲載されていた
元気そうでなにより 就任前にやたら褒められてたのは、アンチ星野のネタにされてたから?
前スレから
1 名前:守道[] 投稿日:2007/07/22(日) 12:16:01 ID:4f393TYk [1/3]
最下位ながら借金わずか10と健闘した1992年
ヤクルトとの優勝争いに最後まで燃えた1993年
なんといっても10・8に尽きる1994年
高木監督退場→そのまま休養で終わった1995年
世間一般には2度の星野政権に挟まれて地味な印象のある高木時代。
しかし中日の魅力が大いに詰まった4年間だった。
そんな高木時代を語るスレッド。
4 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2007/07/22(日) 13:56:26 ID:Q+0ngGpA [1/4]
この数年が俺の原点だな。
93・94は面白かったし、その前後に91・96もあるから「万年2位」のイメージが刷り込まれた。
高木にもう一度監督をやらせたいと思うのは、この時の健闘ぶりがあるから。
6 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2007/07/22(日) 18:36:36 ID:5CFL4OYK
>>4
あれだけの選手だったので是非とも監督として優勝を
という気持ちはある。
でも今年で66歳という年齢もあるし・・・
もう難しいでしょうね、常識的には。
個人的にはもう一回監督をやって、
「高木ドラゴンズ50云年ぶりの日本一」
というのが最高に望ましいのだが。
それが見られたら死んでもいいくらいだ。
8 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2007/07/22(日) 20:58:48 ID:cCBigpsn
本当に運が無かったよね…この時代わ
9 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2007/07/22(日) 21:53:50 ID:Q+0ngGpA [3/4]
>8
同意。
91、96、98も合わせてかつての「万年2位」は阪神から中日に変わったことを実感させられた。
馬鹿の一つ覚えみたいに「阪神・巨人」を伝統の一戦というマスコミに腹を立ててたな、この時期は。
「いつも巨人と優勝争いしてるのは、万年最下位球団じゃなくうちやろ!」といつも思ってた。
10 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2007/07/22(日) 22:35:47 ID:6f9/86kR
>>6
ラジオで自分のことを
「監督の器じゃない、コーチどまり」
みたいなことを言ってたから、オファーがあっても断りそう
11 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2007/07/22(日) 23:02:41 ID:Q+0ngGpA [4/4]
>10
謙虚な人だから野心はない。
しかしポスト落合は「純粋生え抜き」が有力だろうから、間違いなく候補になる。
っていうか高木以外、生え抜きには有力候補なし。 今も谷繁より高木の方が良かった!という意見も出てきてるし、過去は美化される だけど第一次政権では
采配も言動も第二次ほどはぶっ飛んでなかった
2打席で狂ったように懲罰交代連発だの
9回で全野手使い切りだのはあり得ない(まあ当時は15回制というのもあったが)
言動も元々短気なのはあっただろうけど
あれほど周囲に当たり散らしたり、内紛を露呈するようなことはなかった
そりゃあ監督としての能力が星野>高木なのは確かだが
高木自身も年を取って心身ともにさらに劣化したのもある そりゃ人間70歳を超えれば堪え性もなくなるしな
能力云々も当然そうだが70歳超えて監督はやっぱり無理があった >>192
仰木オリバはなんとか4位にしたけど体調を崩して1年で辞めたし…
野村楽天は3年目まではBで最終年に2位でCSファイナルまで行ったけど
ハム戦で継投ミスが致命的になったし… ジョイナスみたいに外野荒木をスタメンで続けて使わなきゃまだまだよw 荒木は、2006年7月1日から14日までの8試合でスタメン中堅だった。
一軍に台頭してきた2001年頃は、ほぼ外野手だった。 最近打てる若手が出てきたのは高木の遺産なのか?はたまた谷繁が育てたからなのか?
高木、ピッチャーはしっかりと壊していったな 選手の台頭の要因は基本素材>育成だからどっちでもないな >>197
前回の時も投手陣崩壊、怪我人続出で途中で辞任
星野が復活してからも2年は投手陣の成績振るわず
投手コーチに宮田招聘、川上入団で12球団1位のチーム防御率になる >>184>>173
ブランクもあったせいか球速は若干落ちたけど、フォークの技術は大洋時代と変わらず健在だったと思う>中山
95年はラスト40試合弱は5割で行けてたし中山がフィットし出したのもそのころからだったよね 1995は応援団が8回だかの応援をボイコットしてたな
今はそういうことやらないのかな 星野が北京でやらかした時と同じでま〜た前任者のやらかし利用して株あげるつもりだぜこの爺 どういう発想したらそんなもんで株があがると思うのか。 そろそろ高木チェックに出てきて周平をぶった切ってやってください 高木の4年間の後の星野
高木の2年間の後の落合
差が出ましたな。 >>199
宮田投手コーチは良かったな。あれだけ壊れていた投手陣をたった1年で建て直したんだから。
これは森繁には出来ない芸当だ >>188
イチローは高木時代の中日が一番好きらしいよ
自分の好きだった中日に近いからだって
星野は殴るし、落合は陰湿だから嫌いだったらしいがいじめ国家とWBC辞退でさらに嫌いになったとか >>211
実際に高木の下でプレーしたらその気持ちも変わるんじゃないかね。
これまでの経緯からしてイチローをうまく使えるとも思えんし。 とりあえず高木が諸悪の根源みたいなことを言う奴は消えたようだな めぐりめぐり星野が結局は一番だったというのを証明した4年だった 476: 神様仏様名無し様
2011/09/23(金) 21:30:52.58 ID:LnxOlP4y [1/4] AAS
前回の時と大きく異なるのは他球団の戦力。
広島とヤクルトが弱くなっている。 ←むしろ強くなってる
阪神は強くはなったものの、
3年程前がピークで現在は落ち目。 ←最下位までは逝ってない
横浜は数段弱くなり、
格好のカモにできる。 ←むしろカモられてる
マークするのは巨人くらいで充分。
その巨人も槙原・斎藤・桑田クラスの
ピッチャーは存在しない。←菅野がきちゃったよ… >>212
外面だとな
星野や落合は電波芸者だけど
高木はガチの瞬間湯沸かしだからな
愕然とするよ 同じ高木ならブーや清水一家の康男を連れて来い!とナゴドの外野で野次ってたのはこの俺だ。 ブーはジョイナスを知りおなじ高木にこんなのがいるんだ!で中日ファンに >>222
高木のは湯沸かしというより、急速冷凍じゃないか?
鉄拳は無いが、言葉のナイフでグサリとやって、突き放すっていう。 小松タコ雄のクソ指導のせいで
97年までは投手陣は昌今中以外壊滅的だった。
後任の宮田&山Qの優秀さゆえに
余計無能ぶりが際立った。 1997年 チーム防御率11位
1998年 チーム防御率1位
1999年 チーム防御率1位 2度にわたる巨人の劇的伝説的勝利のかませ犬になるためだけに監督やったピエロ
10.8で郭昌を使わずにザコ中継ぎ使ったのは万死に値する モリミチ!!!モリミチ!!!モリミチ!!!
オー モリミチ〜
君の夢乗せて 今日も見せるのさ
みんなの想いここへ 行くぞ モリミチ〜 >>233
その雑魚な中継ぎは5回1失点。
先発の今中は4回5失点。 めちゃイケの打ち切り見てると
やっぱこの人って93〜94の連続2位が
あったからこそ12年監督復帰出来たと思う…
まあ95の休養劇もフロント側にも落ち度が
あったし故阪神中村監督もgmという形で
阪神に復帰できたからね…
オリ森脇もそうなりそう… すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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DRR1W 1994年終盤の高木は完全に放任してたんだろ
高木の縛りがなくなったからみんなのびのびとやれて10.8に持ち込めたんだからね
それまでは阪神と3位争いしていて5割前後を行ったり来たりしてたから 星野が島野を呼び戻したり高畠をコーチで呼んだり95年向けて
コーチ人事決めたりしていたが結局高木が続投し2人共に2軍コーチ
96年星野再就任に伴い二人共1軍行ったけど >>239
終盤の快進撃の原因について、当時の報道で覚えている事として、
8連敗で優勝が絶望視された頃に
監督が選手に向かって「何故チャンスに打てないんだ?」と責めるような感じで聞いたそうです。
(それまでそういう事で選手を直接責めたことはなかったのでしょう)
これに対し選手からは
「自信がないんです。もう少しベンチから『行けるぞ』などの掛け声があれば」
と答えたそうです。
これでベンチと選手との間のわだかまりのようなものが消え、
9月以降の快進撃につながったとか。
正直、後付の理由なのでは?と思ったりもしますが。
星野監督復帰報道で選手の尻に火が付いた、というのが真相かな?と思いますが、どうでしょう。 今の中日に立浪と仲良かった有力OBは一切近づかないな
井端は巨人コーチだし昌や山崎も解説してるしな 秋田の県民会館の名前がジョイナスっていい、まもなく新会館工事のため閉館なり、さよならジョイナスとかいう企画やってる
だが、守道ばかり思い出して仕方がない
秋田出身が二代続いたあとのジョイナスで、ある意味秋田には親和があるのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています