【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】
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最も有名なのは江川。
73年阪急、77年クラウンを拒否。
78年阪神、小林とのトレードで巨人へ。 けっこうな左腕王国だな。
小宮山というシャッキリしたまとめ役がいる分、全員もう1ランクいい選手になれたかも ロッテの話題が再三出てるけどここの球団史上で一番酷い
というか間抜けな指名拒否が85年にドラフト6位で指名した
北海高校の有倉雅史(日体大→日ハム)のケース。
ロッテはこの年、ドラフト2位で日体大・園川一美の交渉権を獲得。
しかし6位で既に日体大進学を表明している有倉をなぜか強行指名してしまい
これに日体大関係者が激怒。園川の入団拒否の姿勢をちらつかせた為
ロッテは慌てて日体大に謝罪。有倉側にも
「指名は間違いです。交渉もしないのでどうか日体大に進学してください」
と平謝りするしかなかった。
まあ有倉は大学出てハム入りたけどプロでも大成しなかったから
この時の指名拒否が正解だったかどうかは微妙だけどね。 へぇ、面白い相関図
うっかりじゃ済まされん編成だけど園川は一応成功だし御の字かw >>54
それ違うぞ。
ドラフト指名後、2位指名の園川に対して
さっぱり連絡をせず園川側が「本当に
とる気があって指名したのか」とロッテに不信感を
持ってしまったのが原因。
日体大初の「名誉ある巨人指名」だったのに、
不人気ロッテが勝手に強奪指名しておきながら
その態度だったので日体大側が怒った。
有倉の指名など実は後付けの理由で、まったく関係ない。
>>54>>58
似たようなケースだと、1982年ヤクルトが駒大進学予定だった新谷と
駒大の広瀬を指名。駒大太田監督が激怒して2人とも拒否。
その後、2人ともプロで活躍。 原ドラフトの年、巨人を拒否した瀬戸山という捕手。
プリンスホテルに入った。
どんな選手だったのだろう?
まあ、山倉を押しのけてレギュラーになったとは思えないから、正解か? >58
園川は甲子園も出てない無名投手(川越工・石田)より評価が低かったことも
納得いかなかった。
>63
彼もプリンス入りが決まっていた。この年拒否してプリンス入り(高山、川村)
したなかでは唯一プロ入りしなかった。
でも社会人では正捕手となって10年近く現役だった。 >>62
ヤクルトと駒大が絶縁したせいで、
やる大矢はヤクルトに残れなかったんだろうかね
初優勝した頃は、若松と共に幹部候補生と言われてたんだけども >>62
それもよく言われるのだが、
新谷も広瀬もプロ拒否だったにもかかわらず
指名し拒否されただけ。
駒大を怒らせたとかいうのは、後付です。
球団の言い訳にだまされないように・・・。 鍛治舎前川の早稲田大学スラッガーコンビも拒否組だね
少なくとも鍛治舎はプロ野球等に入らず正解だった口か 瀬戸山満年、應武篤良、高見泰範・・・80年代後半の社会人全日本クラスの捕手はドラフト指名拒否組がやたら多かった。 島谷金二、産経65年D9、東映66年第一次D2、ロッテ67年D3拒否の末、68年D9
で中日入団。
長井繁夫、近鉄65年D4拒否、ヤクルト69年D3で入団。
長井はともかく、島谷の入団拒否のいきさつは会社の強い慰留?拒否した3度
のうち2度が上位指名だったにも関わらず、9位で中日入団したのは何故だろう?
>>70
最初に関しては「プロでプレーする自信がない」と断ったらしいけどね。 正解:古賀正明(阪神→太平洋)
阪神1位指名断って太平洋1位で入団って時点でアレだけど、結果12球団勝利で名を残したからねぇ
>>70
所属してたのが四国電力っちゅう超優良企業だったから、無理にプロ入りしなくても…って思ってたって本に載ってたな >>70
当時の監督水原茂と同じ高校(高松商業)だったため
断われなかった。 >>70
大先輩の水原元監督に口説かれたと聞いたような・・・・
>>72
古賀の場合、太平洋に入団した76年の時にいた鬼頭ヘッドコーチ
(ドローチャーが結局来なかったため、その後監督に昇格)
が高校の先輩(日大三)だったことも大きかっただろうけどな。
>72
野球部自体が休部になるタイミングだったような。(またはその前触れがあった) 正解:三井浩二(ダイエー→西武)
足寄高のときに4位指名ながらダイエーと阪神が重複。抽選でダイエーに決まったけど3位以上じゃなきゃイヤと拒否。
抽選で負けた阪神が指名したのが桧山。
拒否ではないけどダイエーにフラれたのが前田智徳。
スカウトは3位で指名すると言ったのに他の選手を指名。広島4位指名に悔し泣きしたそうな。
ちなみにこの年のダイエー3位指名は橋本武広。まずまず戦力になったし、結果的に今の監督人事に繋がったのだから、ホークスとしても大損ではない 古賀は丸善石油の時阪神にドラフトされたけど
交渉のたびに契約金が変動するので、そのときの
野球部長が球団に不信感を持って拒否させた。
その野球部長とは元オリックスの井嚢だった。 『かつて複数の球団から誘われたドラフト1位が、プロ入り後、多くの
チームに移った。「で、どうだった?」と聞くと「一番やりがいが
あったのは、今一番人気のないチームですよ」との回答だった。』
これ、20年以上前の野球雑誌の記事だが名前は伏せられていた。
恐らく、古賀のことだと思う。
ちなみに「今一番人気のないチーム」はロッテだと思われる。 >>79
古賀の場合、2位指名の高校生投手、工藤一彦(土浦日大高)のほうが契約金が高いのを知って入団を拒否した、とも。
その年のドラフトは高校四天王と評される投手たちがいて、土屋正勝(銚子商)は中日に、永川英植(横浜高)はヤクルトに、
定岡正二(鹿児島実)は巨人にそれぞれ1位指名されるも工藤だけは1位で指名されず阪神が2位指名、
それに難色を示した工藤サイドが早大進学をちらつかせて1位の古賀以上の契約金を取れた。
今度はそのことに古賀が態度を硬化させて入団拒否。 阪神は古賀との交渉に2度しか会わず、後は全て電話で交渉をしてたらしい 阪神は古賀に入団拒否された翌年にも足立義男って大分鉄道管理局の
左腕投手を1位指名して入団拒否られてるよね。足立は最初のうちは
「1位指名は光栄。阪神は好きな球団です」って言ってたのに最後には
「会社にまだ恩返しをしていない。まだ若いしプロ入りは社会人で実績を作ってから」
って言って入団拒否。でもそれっきり足立って名前を聞く機会なんて無くなったなあ。
同じドラ1位拒否社会人残留組でも鋼管福山の田村はベテランになるまで投げてたのに・・・ >>83
しかもその年は二位指名の鍛治舎巧(後に松下電器監督)にも入団を拒否されている。
この二年間に渡るドラフト上位の失敗がなければ、昭和50年代に一度くらい優勝できていたかも。 >>87
阪神の場合は43年田淵、44年上田二郎、45年谷村、46年山本和行、48年佐野とドラフト1位は当たりが続いていたので
入団していれば期待できたかも。まあこういう話題はこのスレとは違うのでまた別のスレで・・・
正解:平松政次(中日→大洋)
中日入ったらカミソリシュートは生まれなかったかも知れないから >>89
でも平松が仮に中日に入ってたら優勝経験はできたんじゃね? プロ入りしなかった選手だが、
守屋利和(相洋高・82年ロッテの6位指名を拒否)
それにしても、入団拒否してバス会社(神奈川中央交通)に就職っていったいなんなんだ… >>52
それに前田幸長も加えてやってくだされ
ロッテでは8〜9勝して戦力になってたし デレック・タツノ(ハワイ大-パドレス79年1位、ホワイトソックス80年2位し
名を拒否、ブリュワーズ82年1位指名を受け入団)
2度の拒否は、プリンスホテルに入社した際に支払われた支度金が無税で賞
与に組み込まれてた為に、すぐに退社して入団出来なかったらしい。
といってもそれが何故入団拒否の理由になったのか今一わからない。
岡本光は2度の南海入団拒否の末(53年3位、56年5位)、巨人入団(57年2位)。
無名校にも拘らず上位指名拒否、名門松下で下位指名拒否後の巨人入団。
選手層の厚さに泣かされたのと、2軍で好成績残してるのに1軍に上げてもら
えなかったのは、干されてた感じもややした。
小池はロッテ入団してたら、小宮山並の通算成績を残してたと思う。
広島→西武の山根和夫の実兄で
後に都市対抗20年連続出場を果たす
山根(結婚後は鈴木)政明。 >92
こういう選手は就職決まって本人の意思がないのに指名してしまった場合が多い
(ましてアマチームに決まってなければ関係性にも問題ないので、指名すれば来るだろうという)
>95
プリンスに入った時点で日本球界入りを目論んだのだろうが
何かの事情でそれが難しくなったんだろう
>>95
岡本は決して干されていない。
一年目のオープン戦で肘をやってしまったのがすべて。
やってしまった場面を、テレビ中継で観ていた。 正解:池谷公二郎(近鉄→広島)
投球フォームがカッコエエ 戸井(101)番GET。
オトコはやっぱ、せんずり。 益山性旭は?
昭和47年大洋4位拒否、51年阪神1位入団で11勝27敗 >>25
山田は社会人だの入団拒否だのと遠回りしてよく284勝もできたな……
このクラスはほとんど高卒即プロ入りなのに
正解:長冨浩志(ロッテ→広島)
ピークはやや短かったとはいえ、広島で新人王取れたことを考えれば… 長冨は巨人も狙っていた説もあったからな
桑田とは格が違ってたというのは結局は結果論だろ ドラフト制度が始まった頃はどの球団も拒否の山だった。
福本が入団した年の阪急なんか10人くらい指名して3人くらいしか入団してない。 昔は獲得する気もないのに他球団の邪魔をするために指名して挨拶に
さえ行かないことも有ったらしい。
例えばドラフト上位級を阪神が囲い込んで下位で指名する約束をする。
阪神の戦力アップを阻止する為に大洋が5位くらいで指名する。
入団する見込みなどまったくないから挨拶にも出向かない。
いわゆる指名放棄だな。
昭和40年代によくあったよ。
拒否とはまた別物です。 鶴岡親分の息子を南海が敢えて指名して、プロ入りを阻止したことも
ある。
親分から見て、プロとしてやっていく力がなかったとか。 入団拒否が騒がれるようになったのはやはり江川事件の影響が大なんだろうな >>112
その後アマ野球の指導者として活躍し、
近鉄・マリナーズでスカウトとしてプロに関わる事ができたな。 西武を拒否した藤高というのもいるな。
実力的に通用しないのと、性格的にプロ向きでない、ということで
拒否した。
のちに都市対抗の常連としてアマで活躍したから、プロ入りしていたら? 正解:尾崎健夫(ヤクルト?→ゴルファー)
最強の正解かもねw 尾崎兄弟>
じゃあなんで今の石川遼みたいに
幼い頃からゴルフの英才教育しなかったんだと思う。
ジェットはエースで甲子園出てたはず。
兄がゴルフで活躍したのはまだ野球やってた頃、当時はさすがに高校以下で
取り組める環境はなかったでしょ。
三男も千葉日大一高まで野球部だった。 海南高校が甲子園に出たのはジャンボのときだけだから、
ジェットは出てない。 ジェットは甲子園出場こそかなわなかったが、投手としての実力はジャンボより上ということでヤクルトが指名したんだよな
ややスレチになるが、ジャンボは西鉄入団後、池永を見て「こんな凄い投手がいるなら俺は絶対勝てない」と打者転向も泣かず飛ばずでゴルフに行ったわけだが
当の池永は黒い霧事件で永久追放になり、他にも主力級が抜けて苦しい台所事情となって
当時実力不足の東尾が負け続けても連投せざるを得ず結果的に力が付いたと語っているから
ジャンボも投手を諦めてなかったらひょっとすると好成績を残すことになっていたのかも? ヤクルトを拒否して日本興行銀行へ行った黒須陽一郎。
西村、古田のあとの3位。
3人モノになることは考えづらいから、正解かも。
>>122
東尾も一時は打者転向しようとしてたからね
ジャンボは高校生の時に既に個人競技への転向を考えてたらしいし >>123
やっと出たな、黒酢陽一郎
指名されたらプロ入りを決めてたにもかかわらず拒否したってやつ
3位指名が高校生の外れだったからとも銀行の生涯賃金に目がくらんだからとも言われている
おかげでこの後結構長い期間立教はドラフトで指名されなくなった まあ、生涯賃金云々言う奴ははなからプロには向いていない、とそう
言い切る人もいたしな。
同じ立教の1年上の矢作、その上の一茂、同学年慶応の大森などを
みても拒否は正解じゃないかな? そこらへんはナンバーで語ってたな。
当時のスカウトの片岡さんはこの一件で立教のOB会を辞めた。
指名してくれと頼んで、拒否だからかなり不信感だったな。 >>126
黒須事件の影響なのかどうか知らないが立教大の選手
特に野手はプロスカウトから敬遠される傾向が強いな。
去年の田中宗一郎も今年の岡崎も六大学で実績は十分だし
プロ志望届けも出してたのにきれいにスルーされてしまってた。 >>128
このこともあってヤクルトは現在も立教とは絶縁状態なんだよな。 横浜と早稲田は当時のスカウト陣が六大学関係者だから、修復できた。
裏金で荒井氏、山中氏は辞めたがね。
早稲田自体も入学拒否した桑田の件を解決しないのかね?
今のPLでも割といい選手いるのに、履生舎とか大阪桐蔭からは早稲田こないし、関西の強豪からすっかり早稲田は来なくなった印象がある。 立教の場合は、その後プロが上位で獲りたいような選手が出てないから
修復の機会もないよな。
上野はミスター枠だし、やっと1位級が出たと思ったTDNは・・・
広池はテスト生、小林、戸村も競合するような存在じゃなかった 江川ってプロか何かに入った時にピッチングを見て「これがあの江川か」と愕然としたエピソード
の詳しいいきさつを知ってる人はいますか
江川のピークは高校ってどっかで聞いたことがある 結局それぞれ入団して活躍したから良かったが、
ロッテに指名された時の愛甲のしかめっ面と近鉄に指名されたときの阿波野の
童顔の泣きそうな顔と周囲の同僚たちの「ええ〜〜〜〜っ!」が忘れられない あ、そうか(恥)
亜大の左腕ということでごっちゃになってたか
昔の記憶を洗い直すってのもたまには良いかな 来年東浜の時に久々に「ええ〜〜〜〜っ!」が再現されそうな悪寒… ロッテが小池の交渉権を獲得した時
当時の亜大の内田監督だったか矢野総監督だかが
「ロッテなんか一番生徒を行かせたくない球団」
って今年の貢爺以上に過激な拒絶発言してたが
読売絡みじゃないせいもあってか世間からは
叩かれるでころかむしろ同調意見が多かった。 正解:山口高志(ヤクルト→阪急)
阪急黄金期に投げられたんだし、拒否して正解。
近鉄がスルーしたのはあまりに有名だけど、阪急も拒否られるかもって指名を迷ったらしい。
結局、上田監督の熱意にフロントが負けたらしいけど、阪急もスルーしたら…って思って中日が淡い期待を抱いたらしい >>143
当時の監督だったカネやんが亜大OBの古川を
「お前なんか四番じゃない!!」って感情論で
二軍に落として干したのに亜大関係者が激怒。
これが亜大のロッテへの拒絶反応につながったらしい。 新谷博
荒木に次ぐ2位指名でヤクルトに入らないで正解
西武には満27才での入団だったが現役10年で54勝は立派
怪物サッシーを潰し、荒木をも壊しかけ、高野ほどの才能を並の好投手で
終わらせてしまった当時のヤクルトに入っていたらどうなっていたことやら >>147
同じく西武に高齢で入団した三井浩二と状況が似てるな
本来の実力つける前に初期の暗黒ダイエーに入っていたら・・・
もっとも新谷がこの年齢でNPB入りになったのは、前年に所属の日本生命が
木村恵二のダイエードラ1入団を優先させたという事情もある
(シダックスの野間口と武田勝と同じパターン) さて菅野はどう転ぶかねぇ
留年という超異例の形を取っての入団拒否だが
まぁ実際は留年選手って山ほどいるんだけどねw
スレ的には菅野は型にハマる 留年という表現はアレだな、別にわざと単位落とすわけじゃないだろ
ただ、1年間練習だけとか元木みたいに劣化しての入団になりそうだが 一年後・・・原が解任されてたら、菅野はどうなっちゃうの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています