【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】
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最も有名なのは江川。
73年阪急、77年クラウンを拒否。
78年阪神、小林とのトレードで巨人へ。 正解・川口和久(ロッテ・広島)
裏目・小池秀郎(ロッテ・近鉄) 裏目:竹本由紀夫(ロッテ・ヤクルト)
正解:森繁和(ロッテ・西武)
じゃねーの
ロッテばっかりでスレ埋められるよこれ 竹本は最初の指名時は本人の意思よりも、会社や全日本の兼ね合いで
慰留されたようだ。 現役選手
正解:福留(近鉄→中日)、内海(オリックス→巨人)、長野(日ハム、ロッテ→巨人)、福井(巨人→広島)
裏目:木村(横浜→ロッテ)
微妙:新垣(オリックス→ダイエー)
>>4
翌年に地元で世界選手権があったから?
後に五輪に合わせて指名凍結選手制度が出来たのも
この時の竹本の一件が影響してるのかもね >>5
福井は正解か?ドラフトの時「もうないじゃん」だぞ、今年の菅野以上に不満げだった >>9
指名順位考えたら正解じゃない?
高校のときのドラフト同期にもう首になっているのもいたし 木田勇(広島→日ハム)
今、栗山監督就任の件でも言われてるけど創価の件が絡んでるらしい
広島指名時は創価がネックで入団に至らなかったとか 裏目:川村一明(阪急・西武)
高山郁夫(日ハム・西武)
いくらプリンスホテルの“囲い込み”があったとはいえ、
西武での伸び悩みを考えると高校出た時点でプロ入りするべきだった。
高山は当時から故障持ちだったのも一因だったらしいので
入っても活躍できたかは微妙だね。 >>21
76年の日ハムは1位の黒田、 2位の藤沢、 3位の末次秀樹、 5位の柿田登が入団拒否。
ロッテの1位森繁和、2位前川、南海の1位武藤、3位唐木も拒否。
この当時はパの1位指名選手の入団拒否はざらだった。
正解:山倉(南海→巨人)
微妙:西山一宇(ロッテ→巨人)
池田親興とか米正秀とか一回拒否した球団に入る人もいたね
中日の古川とか 山倉は、当時の南海は野村が不動の正捕手だったからなあ。
まあ、どっちみち高卒ですぐに出れるポジションじゃないが、入っていたら、
3,4年でクビになったか、上手く野村の後釜になったか? 正解:山田久志(西鉄→阪急)
弓岡敬二郎(クラウン→阪急)
当時の西鉄・クラウンの酷さを考えれば…。
>22
入団が大宮ぐらいだったので、ドラフト外の島田誠にもチャンスが巡ってきたらしい。
>23-25
皆、進学、社会人入り、残留などが決まっていての指名で球団側も
うまくいけばぐらいの感じだったらしい。
米は高校の野球部一期生で自身がない、弓岡は関西だったら行ってたかもという
話は聞いたが。 >>23
西山は期待通りの活躍ではないにしても一時的に中継ぎで戦力になったし
今もスコアラーで巨人に残れてるんだからまあ正解じゃないか? 西山の時は有藤の後輩なので来るだろうと指名したらしい 正解:長崎慶一(阪神→大洋)
阪神拒否して法政に入って飛躍して大洋で首位打者、
最後はあこがれの阪神で日本一に貢献して引退
高卒下位指名で阪神入りしていたら恐らくさっぱりなまま消えていただろう
高卒野手の育成下手には定評があるから 正解:新井宏昌(近鉄→南海)
近鉄を拒否して>>30の長崎と同様に法政に入って活躍し、
南海では79年に打率2位になるなど3割を3回マーク。
その後やや衰えたが、86年に高校時代に入団拒否した近鉄に移籍して復活し、
87年に首位打者、89年には優勝に貢献し、2000本安打を達成した92年で引退。
高校卒業後に近鉄入りしていたら、ここまでの活躍はたぶんできなかったはず。 杉浦こそミスターアマチュア。ヤクルトやダイエーの誘いを蹴ってアマチュアに
拘り続けた。 エモやんも、最初のドラフトで西鉄を拒否した。
その後の球団の消長を見る限り、正解だった。 江本はチームメイトが自分より上位で指名されたのが気に入らなかったから拒否したんじゃないっけ?
市川和正
昭和51年近鉄6位拒否、55年大洋4位入団
一時期正捕手の座をつかんだ時もあったから正解だろう。 >>35
アリナシコンビ全盛の近鉄じゃ、出番ないよね。
下位指名だし、あっさり見切られそう。 応武も近鉄指名拒否
推薦入試不合格なら…というとこまでこぎつけたが
合格だったのでOUT >>36
先にプロ入りして1年目から働いた、高校で亭主役だった青エンピツ青山久人を追って
中日に入りたい気持もあったのでは。木俣もキャリア後半に差し掛かってたし。
あーでも近鉄が6位で掬えるほどどこからも指名されなかったわけか。
まあでもプロでも一応の成功組だし、セカンドキャリアも含めて勝ち組な人ではあるな。 微妙:武藤一邦(南海→ロッテ)
不人気かつ弱小球団という意味ではどちらに入ってても同じだったと思われ…。
市川は六大志望だったので拒否したが、希望叶わず原パパに拾われる。 有名選手ではないが、蒲谷和茂
大洋1984年ドラフト3位→拒否して東芝入り→交通事故で瀕死の重症
→西武1991年ドラフト9位→1年でクビ
最初に入団しとけばね・・・ 正解:新谷博(ヤクルト→西武)
西武には結構多い高齢で入団して成功した投手のひとり
プロ入りが遅れたのは層の厚い日本生命にいたせいだろう 巨人しか行かない人や巨人でユニフォームを脱ぐ人ってのは野球が好きではないと
聞く。確かに好きなら何処へ行っても野球はやるだろうしね。
プロアマが断絶していた時代は、
指導者候補をアマ側が囲い込んでいたからな… >>43
いまならまだしも30年位前は巨人以外は行く気しない気持ちはわかる。
プロ入りしてプロで10年やれる保証なんてないわけで
たとえ二軍で終わったとしても元巨人のブランド力は格別だからね。
>41
無名校出身なので力を付けてからと東芝入りを決めていたところでの指名。
西武入団はリハビリも兼ねてで実戦で投げられる可能性は低かった。
>>44
門田と同期の外山義明(広島拒否、ヤクルト入団)は? 小池は素直にロッテに入って、カネやんの教えを受けていれば彼の野球人生に
プラスになったんじゃないかな?
同世代に伊良部という格好のライバルはいるし、その後のロッテは川崎の暗い
イメージから完全に脱却したし、もったいないことした。 小宮山 伊良部 小池 河本 ついでに園川
いい投手陣になったかもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています