ライオンズのマイナーな選手
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西鉄から西武までのマイナーな選手をあげたいと思います。
春日 1979年山崎の故障で夏ぐらい出てた、現在楽天寮長
慶元 右打ちの好打者とおもったけど伸びなかった。 同時に根本が去ったのもあるな。>>41
加倉
駒崎 珍プレーで隠し玉にあったシーンでマイナーじゃないかもしれないけど、
成績は・・。
プグリとブリューワはやる気さえ出してくたら活躍出来たはず。
仮病使って途中で帰っちゃった。
ライオンズのマイナーな選手
これはオールド福岡世代とニュー所沢世代とで
それぞれ出てくる名前が違うだろうね >>47
栄光の西鉄ライオンズだって、ガタガタの末期は
レギュラー選手だってマイナーだったよ 吉本は外野守備も駄目で致命的エラーをやらかしていた。
吉本一人で81年のシーズン終盤は終わってしまった。 >>34
その清家と交換で阪神に行った山川猛。
声の大きい元気な捕手だったが、大石、伊東の入団でトレード。
阪神では、やはり声の大きかった笠間の後継者みたいに扱われたような記憶が…。 末期西鉄のドラ1選手 高橋二三男
俺の家の近所のマンションに住んでる。 >>52
笠間の怪我で出てきた時はさすがに大丈夫かとみんな心配したけど本人の頑張りで
大ブレークw クソスレ・シューリョー
すんげえダメ外人だった
w w w w w 高橋二三男、大鉄高校時代は福本豊よりもはるかに目立つ選手だったと
練習試合で当たったという、江夏豊(大阪学院高校)の週ベの手記にも書かれてたな
74年にはスタメンで試合に出る機会も多く、福本が使用していたようなツチノコバットで打席に入ってたが
きちんと振り切ってる福本と比べてバットに振られてるようなイメージだった
控えの忍全功や待井昇と大して変わらないと思ってたが、ロッテに移籍すると貴重なバイプレーヤーとして機能した >>31
田淵がミューサーのグラブさばき(一塁手が主だったからミットさばきか)はすごく上手かったと言っていたらしいが。
ま、打てなかったことがすべてだったわけだけど。前期で解雇、帰国することが決まった後、
選手や監督、コーチに口頭で「力になれずすまなかった」と陳謝したとも。その後はメジャーで監督もやったはず(ロイヤルズだったかな)
ベースボール・マガジン最新号に現ツインズコーチのジェリー・ホワイトの記事が。
テリーの後釜として、また土井正博引退以来空いていた背番号3を付けて期待されてたけど、
パッとしなかったね。 知り合いのレストランのマスターが、元西鉄の久保山誠
(選手としては出世できなかった)の親戚だった。
飲食店といえば、焼き鳥屋「野球鳥」(福岡市)の大将が、
元西鉄の投手・縄田洋海さん。 久保山さん最近お見かけしたけど、笑顔の素敵な方だったよ。 石井茂雄投手。190勝もしているけど、巨人時代に少ししか見たことありません。 >>60
>私が高校2年の時、ひとつ年上の福本は大鉄高(現阪南大高)3年で、大阪の高校球界で何度か戦った相手だった。
>それで例えば、大阪の地区予選が行われる際、当時の周りの評価の中には福本のフの字もなかった。
>注目されていたのは、一、二番コンビのもう一人、私と同学年の高橋二三男の方で、打てて、走れて、守れる好選手と言われていた。
>福本には当時それほど強い印象は残っていない。私自身、対戦してみて、高橋の方がいい選手と思っていた。
>事実、高橋は高校卒業後に社会人の鐘紡、新日鉄広畑を経て、71年のドラフトで西鉄に1位指名され、鳴り物入りで入団したのだから。
(週刊ベースボール2004年 11月8日号 江夏豊の球界にんげん交遊伝 球人蔵 第43回より一部抜粋) これだね。
>>62
5点差か6点差をひっくり返した試合は、ホワイトのサヨナラ3ランか満塁HRだったような。
地味だった84年シーズンで唯一、派手な逆転勝ちをした試合だった。
来日する3年前のNLCSでは、ウォーレン・クロマティ、ラリー・パリッシュ、ビル・ガリクソンといった面々と
エクスポズのスタメンで出場してる、向こうでは割と知られた存在だったんだけどね。
この試合が4〜5年前にYUTUBEに上がってて驚いたw とっくに削除されてるけど。
>>63
野球鳥、まだ、あるのかな。15年以上行ってないわ。 近鉄のイメージが大きいけど、在籍してたのを知ったのはマンガのあぶさん
投手の柳田
近鉄のイメージがあまりにも大きい。 太平洋クラブ時代の舟津隆介。
小倉高校から太平洋にドラフト外で入団。サインをもらったことがあるので個人的な思い入れで。
2年目の75年にウェスタン・リーグ最優秀防御率投手となるも、この年限りで野球に見切りをつけ20歳で引退。
この年の太平洋二軍は、加藤一博もウェスタン・リーグ首位打者になるなど活性化を見せたが
加藤も阪神へトレード。翌76年は山村、鈴木治が一軍に上がり層が薄くなったが、真弓、若菜らが
着々と実績を積み、クラウンになってブレイクした。
>>55
確認したら、1年だけとはいえ100試合以上に出場してるんだな。 大慈彌功
今ではメッツのスカウトとして知られる人だが、
太平洋→クラウン→西武と在籍。
しかし一軍出場はなかった。 >>31
タイロン懐かしいな 漫画のがんばれタブチくんにも出てたな
スティーブはMLBから落ちて来た印象がある 西武以降にファンになったライオンズファンの皆さんは
福岡時代のマイナー選手の名前を出されてもサッパリじゃない? >>71
タイロンは外国人枠が今のように緩かったらもっと長くいられたかもね。 >>71
スティーブはとりあえず来日前年まではカブスのレギュラー三塁手ではあった。
二塁を守ってたのが、阪急マルカーノの従兄弟と言われてたマニー・トリーヨという選手。
元々SFジャイアンツ出身。カブスで4度目の首位打者を取ったばかりのビル・マドロック(後ロッテ)との
交換トレードで移籍。元NYYのオールスター選手、ボビー・マーサーのオマケ扱いでだったが。
スティーブの前にいた三塁手のテイラー・ダンカンも忘れられてるな。
>>72
別に知らなくても、興味を持つ人が一人でもいたら別にいいんじゃないか?
自分は太平洋になってからのファンだが、西鉄黄金期の三羽烏以外の選手を知ったのは
だいぶ後だったぞ。 >>72
地元の福岡だって太平洋やクラウンの
頃は選手の名前に疎い奴は多かったよ。
興味を失ってた奴もけっこういたし。
このスレをきっかけに所沢西武世代も
古き時代に更なる興味をもってほしい。
>>76
東京日ハム・スレとはえらい違いだね
移転先のファンにもやさしいわ タイロンは一番打者だったので長くいたとしても石毛とはどういう兼ね合いで使ったか。 >>78
もしタイロンが残ってたら、打順はスティーブ、田淵、テリーの後の六番かな。
なかなかの重量打線になってたと思うよ。
>>77
あれは1人のキチガイが荒らしてるだけじゃん・・・ 当時外人野手登録が3人制だったら、無敵打線だったな。
唯一弱点だった遊撃に石毛が入ったし。あとは捕手だけか。 >>78>>81
守るところがない。立花を落とすくらいか。
タイロンは肩は強かったが捕球はあまり上手じゃなかった。
1 SS 石毛
2 2B 山崎
3 3B スティーブ
4 DH 田淵
5 LF 太田
6 RF テリー
7 CF タイロン
8 1B 片平
9 C 大石 >>82
その時代は外国人選手の1軍登録は2名まででは
とりあえずスレタイに沿って、捕手の仲田秀 >>83
前提として74の仮定があり、その上で78に反応したんだが。 問題は広岡さんがこの布陣をどう思うか。
長距離砲を欲しがる人だからね。 さっき尚美大学の女子硬式野球の選手を取り上げる番組で監督の新谷が出てた。 宮寺勝利(背番号28)
地味だが巨人から移籍してから、暗黒期に入る西鉄から太平洋2年目まで
後に入団する村上公康(後にロッテ)や片岡新之助と共にライオンズのホームを守った捕手。
楠城入団の年を最後に引退。引退後は福岡TNCの解説をやりながらリトル・リーグの監督を務めた。
現在は稲尾が作った福岡中央リトルシニアの会長兼総監督。
リトル監督時代の教え子には、柳川高校-近鉄-楽天とキャリアを積んだ川口憲史がいる。 >>87
宮寺といえば、太平洋時代にロッテ戦でホームに突っ込んできた選手の足をわざと?引っ掛けて、
カネやんと大乱闘したというのが印象に残ってるな。 >>87
プロ野球ニュースで解説者をやってたね。
佐々木信也「次は福岡のクラウン−○○です。テレビ西日本の
多田アナウンサー、宮寺さん、お願いします」 >>89
70年代後半の話か
その頃は関東在住の現・西武ファンは
どこのチームを応援してたのかな? >>90俺は西武球場できるまで 南海ファンだった。
野村が辞めてから1年一応応援はしてたけど前の年まで程ではなかった。 >>90
関東だから巨人ファンだった人も多かったんじゃない?
「巨人が西鉄に負けたときは、悔しくてヤケ酒を飲んだものでした」と
語る所沢の新規ライオンズファンのオッサンもいた。
もっとも、それを言ったら福岡の現・ホークスファンのオッサンも・・・。 城土(元コーチではない方)
前田俊郎(この前二軍コーチやってた)
高木宣宏
藤立次郎
種田 仁
武藤潤一郎
他球団で活躍しながら、西武では一軍出場さえなかった面々 >>90
江川事件がきっかけで西武ファンになった人も結構いる。
芸能界だと有名どころでは吉永小百合。
「江川が入ったんで巨人ファンやめます」発言は当時話題に
Denaなんかが買ったんで横浜ファンやめます
By やくみつる 小田慎也 左のワンポイント
西本和人 先発、ロングリリーフ、抑え、敗戦処理と何でもやった便利屋
高山郁夫 ローテの谷間として少しだけ活躍
ブライアントに4打数連続ホームランの4本目を打たれた投手
石井毅 言わずと知れた箕島高校の春夏連覇の時の優勝投手
ただし、プロでは主だった成績は残せなかった
マイナーと思われる投手を挙げてみました。 白鳥浩徳
東北高校では1年下の大魔神佐々木にエースの座を奪われたが、社会人で活躍して西武入り
先発した試合でプロ初勝利目前の4回2/3で交代となり、結局未勝利のまま引退 背番号18の田鎖。
84年に江夏が移籍してきたら18番略奪。
その江夏も1年限りでクビw
入団してないからマイナーではないけど、
西武で唯一入団拒否した藤高
熊沢とおる
打撃コーチ補佐としてはマイナーではないけど、選手時代はそんな人いた?
って状態。 川村一明
高山郁夫とともに高校の時にドラフト1位指名を拒否して、
プリンス経由で西武入りしたもののパッとせず。 野口裕美かな?
立大から1位指名で入ったけど、たいして活躍せずに引退
>>107
夫人の名前が異字同音で
結婚時は「ヒロミ夫妻」と話題になってたね。 あの倉持明もライオンズ在籍の2年間は
たいして日が当たらず・・・ >>109
成田幸洋ね。
確かアンダースローの投手だったけど一軍では1勝もできなかった。 小久保浩樹
って某球団のキャプテンと同姓同名(異字)の選手がいたな >>107
たいして活躍せず どころかプロで1勝も挙げられないまま去っていった。
背番号も入団時の14から58に降格。引退時の名前は野口「裕之」だった。 スティーブ・ハウが西武に入ってたらどうなっていたか。
ヤク中で投球自体はぶっ飛んでいた。
メジャーで四者連続暴投とかやらかしてたけど伊東なら取れたと思った。 バークレオ
実質活躍はわずか一年
あとは常に第三の外国人扱いでいつの間にかいなくなってた スティーブ・ハウというと
プログレの超有名人だけに一度名前聞けば忘れない。 >>115
バークレオはライオンズのマイナー選手というよりもカープのマイナー選手だなw
バークレオと同時期に一塁コーチやってた、バート・キャンパリネス(?)覚えてますか? ジェイソン・ジョンソンには大いに期待してしまったもんだ… >>118覚えている。最初(1987年)は三塁コーチをやってたけど、
一塁コーチの伊原と交代してた覚えがある。
そしてその年の日本シリーズではあの伝説走塁があった。
交代してなかったらあの走塁はあったかな?と今でも思う。 マイナーだったわりには引退後も長い間コーチで在籍した相馬 今スコアラーをやっている
玉井、根本も西武最初のころの投手だったな。
>>115
玉井→太平洋時代の76年に加藤初とのトレードで来たものの全く結果を残せなかった。
(ライオンズ史上屈指の大失敗トレード。ついでに一緒に移籍した関本四十四もライオンズとしては十分マイナーレベル)
根本→西武元年の79年に基とのトレードで来て、広岡時代初期まで中継ぎで投げてた。
山下律夫
古沢憲司
どちらも西武にいた時には既にピークを過ぎてた…
(山下はクラウン時代には活躍したが) >>124
ライオンズ移籍前のセ・リーグ時代はそれなりに名前は知られてたから
単に知名度という点では必ずしもマイナー扱いは当てはまらないかも。
“ライオンズの選手” としてはマイナーだったかもしれんが 大田卓治は大活躍したのに、引退後は消えた忘れ去られたイメージだが
引退後はどうしているの? >>126
文化放送解説者→ダイエーコーチ、スカウト→ヤクルトコーチ 小川史
藤村雅人
大津一洋
いずれも西武初期に在籍したものの一軍出場の機会に恵まれず後に南海へ。
しかし小川だけは南海でブレーク。 垣内は微妙かな?
鈴木健・清原・垣内のクリーンアップは実現したんだっけ? >>105
川村は甲子園で中西清起と投げ合って負けたけど球威自体は中西より上だった。
“信州の江川”とも呼ばれて地元民(高校での長野および出身地の新潟)には相当期待されていたはずだが…。 やっぱ西武ユニは黄金期の水色がええな
帽子のマークは筆記体のLでええやん
レオマークはさすがにキツイな >>134
「強肩の捕手」じゃなく「強面の捕手」かいッwwwww >>135
同意
やっぱり西武と言ったら水色のユニフォームだな
水色のユニフォームを止めてから日本一からも遠ざかってるしな 選手としては1〜2年の在籍で近鉄投手のイメージしかないが
西武コーチを永年務めている小野和義 中日から移籍して来た左投手の市村。
記憶では登板は多かったが3年位在籍して引退? 30歳でプロ入りしたオールドルーキーでしたね。
西武でも中々キレのある球を投げていましたね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています