元南海のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>905
ドラフト会議場にて「プッw あんなヤツ指名してる アホちゃうかっw」の声
は本当にあったという マイナーではないけど
山内新一の邇摩高校はマイナーだよな
社会人で頭角とはいえ巨人二位指名はなかなか 長池の撫養高校とかも「有名選手の出身校だけどどう読むんだ?」 1982年にドラフト外で西村と西上と苗字のよく似た投手をドラフト外で獲得
名前も義人と正人でこれまた似ていた
記録を調べたら一軍出場無しで短期間で引退 ドラフト下位やドラフト外で入って短期間で引退した人の成績を見ると
一軍はおろか二軍戦もほとんど出場していないケースがあるが
どうやってシーズンを過ごしていたんだろう
毎日練習だけしてたのかな 釣りかもだけど、撫養(むや)だね、後に鳴門商と統合して鳴門商名義になってから鳴門第一に校名変更して
鳴門工と統合で鳴門渦潮・・・。
邇摩はそこそこ実績あって、森山一人の時には選抜出てるね。
西上とか、それらの選手は練習生みたいな扱いで体力づくりとかバッピさせて見どころがなければ
契約見送りって感じだったと思う。 契約して支配下にはなっているが、試合に出ていない選手でも
年俸は当時で300万円前後 >>917
1977年も似てる投手
4位 竹口昭憲 人吉
6位 竹内和憲 東住吉工 選手層が薄いのにドラフトでちょっとしか指名しない年がちょくちょくあった
各球団概ね6人指名の時代に南海だけ4人、とか。 >>921
東住吉工なんて甲子園はおろか府予選でもそんなに勝ってないチームでしょ
そこから指名するなんて、逆にスカウトの発掘力が凄いと思えたりするけど 球団が貧乏なのでスカウトの出張費が出せず大阪近辺の学校しか調査できなかった 入団テストを何度も繰り返せばたまには掘り出し物にも当たるだろう
ドラフトだけに賭けるのは厳しくないか? 1958年から1961年まで在籍した板敷保と言う
投手がいるが日本野球機構の在籍者名簿では
1961年在籍1年となってる1961年だけ支配下選手登録されたということか
同じ1958年入団の大谷哲弥という選手も1959年までわずか2年で退団したが在籍者名簿では
1959年在籍1年となってる、1年目は練習生だったのか レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。