元南海のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
市原稔、早大では教員目指し野球部ではなかったが年齢ごまかしてテスト入団
公式戦1試合守備だけ付、く引退後通訳、英語が喋れるのでブレイザーがコーチに起用 >>742
経歴がいかにもジモティックでイイネ
活躍してほしかった。。。 >>744
高校の時が華々しい活躍で、それっきりみたいな。 >>743
亀レスだが、息子の圭もホークスだったな
福岡ダイエーになってからだが >>742
世代的に全然知らんかったが引退直後にあぶさん達と飲みに行く話で知った
送別そっちのけで外山がキャバレーで暴走するとかはまあアレだが
まともな頃の作品に一話使ってもらっていい記念になったんじゃないかな
ラストのコマで人知れず棒切れスイングしてふっきろうとするのもいい 大洋や西鉄で活躍した山下律夫のプロ終焉の地は南海だったな
500試合登板をお膳立てしてもらったり背番号も若いのをもらったり
ピークを過ぎていた割に厚遇だったと思う 阪急黄金時代の主力選手だった加藤秀司を最後に引き取ったのも南海だっけ 今日なんばパークス通ってたら南海ホークスの歌が流れてたわ
懐かしくて涙が出た 釜野 照義 昭和22年12月1日生
真部 繁敏 昭和24年8月24日生
片岡 一美 昭和24年5月26日生
住友 秀雄 昭和24年2月5日生
石川 光一 昭和21年5月27日生
金富 光洋 昭和23年9月29日生
山口 和男 昭和24年12月25日生
工藤 守彦 昭和22年5月13日生
中礼 政博 昭和25年5月25日生
上領 義晴 昭和24年4月19日生
金城 進 昭和24年9月15日生
渡辺 保 昭和22年9月14日生
鈴木 幸弘 昭和18年6月21日生
岡元 勝幸 昭和20年4月30日生
原野 一博 昭和24年12月17日生
坂 英男 昭和24年6月10日生
西浦 秋夫 昭和25年9月19日生
木下 竜元 昭和25年11月22日生
長持 健一 昭和22年1月25日生
久保田 一 昭和24年4月29日生
山岡 実 昭和24年6月3日生
入江 巡一 昭和24年4月13日生
鎌田 幸雄 昭和26年1月7日生
鈴木 哲夫 昭和25年9月25日生
室井 勝 昭和22年7月6日生
近藤 義之 昭和28年1月1日生
堀田 芳信 昭和24年8月7日生
安藤 峰雄 昭和24年4月5日生
武内 国夫 昭和24年5月21日生
柏熊 克美 昭和26年1月21日生
中村 益章 昭和25年10月31日生
諸伏 徳政 昭和24年12月13日生
君島 洋造 昭和23年9月13日生
渋谷 洋一 昭和23年6月11日生
石井 清一郎 昭和26年1月11日生 >>755
巨人をクビにされて腐ってた時に当時の杉浦監督が声をかけてくれたらしい
おかげで2000本安打も達成できた
阪急近鉄南海と在阪3球団を渡り歩いたキャリアを持つ選手は少ない。
引退して解説者になった当初に、「図らずも3球団でプレーできたことは、つくづく自分は関西と縁が深いと思った」みたいなことを述懐してた。 何度も出てるが熊本出身のサブマリン松崎
エースは無理でもリリーフでそこそこいけるんじゃないかと期待したけど
やっぱり無理だった
中学の頃は神童だったんだよ >>中学の頃は神童だったんだよ
プロ入りする人って皆そうじゃないの? すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
ANHWY >>760
当時どんな補強方針だったか分からないけれども、このチームには謎の指名が毎年のようにあった
甲子園のスター選手を将来性を買って指名するのはアリだが
松崎はスターというほどでもなかったし。 鎮西高校
って 八郎か探題って感じでなんかカッコいい響きだった それだけ >>758
×杉浦監督が声をかけた
○西本幸雄御大が教え子加藤のために立教の後輩杉浦さんに無理を聞いてもらった
て聞いたことがある >>753
500試合記念ということで、ローテーション通りなら谷宏明のところを一回飛ばして
先発させてもらったものの2回ともたず5失点でKO、と当時の記録にはある。
実はこの試合、親に球場へ連れて行ってもらった最初のプロ野球観戦だったので
記憶に残ってる 大和田獏と武者小路実篤を間違えるぐらいあり得ないなW >>766
82年入団の畠山・大久保・青井・山川の高卒投手カルテット
スターは甲子園優勝した畠山だけだが4人セットで売り出そうとしてた時期はあった >>774
藤本修二を入れて5人組じゃなかった?
大学社会人の有力選手からことごとく事前に断られての苦肉の策だったな。 むしろ一番成功した藤本修二が入っていないのに驚愕
南海ホークス最後のエースだろ >>336
名取←→タイロン
片平・黒田←→山村・山下 >>775
その年の大・社有力投手って野口(武)、田中富(日)、大畑・関根(洋)、石川(ロ)、白武(広)、鹿島(中)、岡本光(巨)くらいだったか
一応、野口が目玉だったが、あんまり大した事ないな
南海も6位で森田(のちロ)とか指名せず、西武・外の中島(都城)とか持ってきて、高校生右腕六人指名にすればウケてたのにな
それとこの年のドラフトでは、南海を二回も蹴った岡本光がロクに活躍出来なかったのが嬉しかった
マイナーな選手を懐かしむか・・・既出だが山本昭良
浪商では三番香川、四番山本、五番牛島のクリーンアップ
ドラフト外でよく獲れたなと思ったが、全く何の事は無かった 高校生右腕六人は高校生投手六人に訂正
青井は左だった 浪商牛島は女性ファンに人気だったが、山本昭良も負けてなかった 西浦敏弘
西の西浦、東の小早川だったんじゃなかったのか!? >>721
雅夫は南海の頃の方が試合出場は全然多かったし、和範はむしろ南海に来て有名になったが、
何をもってメジャーなのか?読売へ行く事か?金満企業(当時)に身売りする事か? 高卒だけ指名は水島新司のストッパーで
ネタとして使わてた
貧乏球団ガメッツが育成の名目で高卒ばっかり指名 資金難で契約金ケチっただけと周囲に叩かれるってまんま82年ドラフトがモデル 翌83年も使えなかった近大西浦以外は5人高校生だったな
4位で大商大川原を入札してはいるが…マイナーな南海選手、その外れ4位山中律俊 >>785
この年は3位でマイク仲田を入札していたな
外れ3位は岸川だったかな 1位 小野×(近鉄・日本ハム)→加藤
2位 山口裕→
3位 仲田幸×(阪神)→岸川
4位 川原×(阪神)→山中
5位 西浦→
6位 佐々木◎(日本ハム) >>786
やや伸び悩んでから
やっと「エースや!」「主砲や!」と思わせるシーズンが数えるほどという共通点 スレチだが大商大川原はドラフト事前指名予想で複数が上位に行くみたいな記事だったのに
蓋を開けてみたら在阪2チームだけしかも下位指名であった・・・ 仲田、川原のどちらかが当たっていたら、佐々木を指名できていない可能性が高い
日本ハムに6位単独で持っていかれただろう
「指名がなければ広島ドラフト外が既定路線だった」と本人は後に語っているな 中出謙二
赤星鉄治
森浩之
野村解雇以降の上位指名即戦力捕手はどれもこれも 森はロクに使われずそれでも早々に指導者に収まり返ったよな
上田さんみたいなもんか?
しかしそれを上位で指名するほどの余裕などあるわけもなく不可解だ 森は地元PLで優勝経験があり、アマ時代の実績はあった。
当時は吉田博が定着しつつ、ダイエーになると先輩の山中に内田が入り
コーチ兼任で来た有田に背番号奪われるなど出場機会を獲れなかった。 オープン戦でちょっとだけ期待させて、シーズンに入ると4月に3打席だけで消えた伊藤泰憲 ゲイル・ホプキンス、ジム・ライトル
カープから移った外国人もパッとしなかったな
特に昭和58年のライトル 大商大はリーグ再編で旧関西六大学から追い出されて、当時下部リーグにいた龍谷大、大阪学院大等と新関西六大学に加盟したが、旧関西六大学の関西学生野球連盟よりレベルが落ちて、川原の評価も下がった。 ライトルの応援歌は広島時代のものがそのまま使われたが
大阪球場のラッパ吹きが下手でなあ
たぶんライトル本人も気になってたのではないだろうかW >>769
とはいえ、山下は西武になってからもライオンズに残ってたこと自体が意外だったけどね。
だいたいライオンズでまともに投げてたのはクラウン時代だけだったから。 ライトル
南海は1シーズンだけでクビになってしまったが
帰国の時に律儀に日本語で「オセワニナリマシタ」と言っていたのが思い出される
この時期近鉄のマネーをはじめ後味の悪いかたちで日本を去る外国人選手が多かったから・・・ ライトル
球史に名を刻む名選手だが どうも見てくれが王天上とかぶってしまってな
もう一年後の最終型ユニだとすげえシブかったろうなあ >>802
日本でたんまり稼がせてもらったし良い思い出もできたし、
思い残す事は無かったんじゃないの 広島も南海もそんなに年俸をはずめるほどリッチな球団ではなかったろ 外国人選手でマイナーといえばやはりピアースとトーランかな。
ピアース→野村南海最後の年の1977年に来たけどパッとせず、翌78年も選手名鑑には載ったがその直後にクビ。
トーラン→ピアースの代わりに入団するもこれまた全くダメで78年のシーズン終了後にクビ。
そしてベースボールマガジン社がよく出してたプロ野球の歴代の外国人選手名鑑でも、
顔写真のスペースが写真が見つからなかった関係でシルエットになっていたことが多かった。 >>800
スレチで申し訳ないけど
そのラッパ担当の人はずっと固定だったのかな
本業が忙しい時は別の人が代わりに吹いてたとか? やっぱ中山孝一、平沢隆好、村上之宏だろう
今は全員消息不明だけど 1976年のタイガース(投手フィドリッチ)対ヤンキースのユウチューブ見たら
ヤンキースの2番がロイ・ホワイトで3番がカルロス・メイだった メイさんね 門田さんの著書に
「あの子牛みたいな体で繊細なさみしがり屋」
といった描写があったな
あとファンブックの「黒い重戦車」という表現が子供心にカッコよく感じた
今なら3メーター手前でアウトだが ニュース23で小林とスタジオゲストの香川と浜尾朱美が3人で同時に出てるの見たな 香川は引退後に失敗したな
野球界に未練残して事業始めたりタレントやったり、果ては選挙にも出たことあったね
野球で食うなら野球一本で指導者としてのコネを作るなり手を打っておくべきだった うどん屋の時は食べに行ったら店に顔出ししてた
引退してからかなり時間がたってたが人気者だけあって人だかりができていた マイナーではないがあまり語られない選手
米谷延夫・柳田利夫・井上登 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 あの頃のビジター用ユニは地色が濃緑ですごく印象に残ってる 石垣一夫 高槻市議 大阪府議 府議会副議長 衆議院議員
2期目の選挙で辻本清美に負ける >>822
人工芝球場だと保護色になって見えにくいと苦情が出て短命に終わった 80年代は南海自体がマイナー過ぎた
プロ野球人気の絶頂期でなかったら
門田と香川がいなかったら
殆ど認知されないまま終わってた 昭和61年頃、ラジオ関西だったかで「真夜中の中」って南海応援番組があった。
番組中リスナー数調査ということで、「今、番組を聴いてる人、お電話ください」と呼びかけたら、自分を含めて3人からしか電話がなかった。
30年以上昔の番組で、今グーグルで検索しても何も出てこないのが悲しい。 MBSラジオで「真夜中のなか」という深夜番組があったのは覚えている
売れる前のダウンタウンがボソボソと喋っていたが
それのこと?南海応援の印象は無かったなあ
でも夕方のテレビ番組で人気が出る直前だから、昭和61年頃という時代は合っている
??? 現役時代はマイナーだったが引退後指導者の道を歩んで知名度の上がった森脇 南海ファンやもんを歌った野本の番組はMBSラジオであった 84年広島からやってきた守備の人・中尾明生
嘗てカープ連覇の頃同じような立場だった・岡と入れ違い。
当時は拓大出身の現役選手は他にいなかった >>829
森脇はあの濃い顔で有名だった選手だろ
似たような小川史よりかなり目立ってた顔だけで 小川も小柄あっさり系のようで
変に鼻が高く真っ白けで間近で見るとけっこう印象的な風貌である 某漫画のおかげで知名度はそこそこあるが
西清孝も南海時代のイメージが全くない 西は広島時代の試合中継でしか視てない
登板数も少なかったが
森脇も津田の親友でなかったら
忘れ去られて監督の機会無かったんじゃ