元南海のマイナーな選手を懐かしむスレ その2
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>>3
穴吹政権でちょこっとだけ中継ぎで活躍したかな
でも畠山や山川の83年組が入るとたちまち影が薄くなってしまった 連投で恐縮ですが、
大久保は大分か宮崎で初勝利を挙げました。
大乱戦での勝ち星だったと記憶しています。 マイナー球団を拒否したのにマイナー球団に入るのか?
分からないなあww
で、森田って誰? 南海OBで本来ならマイナーな選手なんだが、現在結構メジャーな存在になっている
岡義朗
大阪で解説者やってたからそこそこ知名度がある。
実績がそれほどでもないのに解説の声が掛る基準って何だろうね。 阪神のときはベンチ最前列で野次を飛ばしてる姿が
よくサンテレビで映っていた。 >>8
阪急戦で簑田や外国人(バンプ?)のバットをへし折っていたシーンが印象強い。
重いストレートって本当にあるんだな。 >>6
穴吹時代より杉浦時代の方が登板機会が多かったで
それよりも大坪といえば門田の我侭で背番号を変えさせられた事件が
泣ける。 どうせ代えるなら52みたいな大きい番号じゃなくて、
10番台か20番台くらい背負わせてやればよかったのにな。 >>13
知名度って言ってもラジオだけだから顔は知られてないと思うけど。 プロ野球ニュースで大崎三男さんは
タイガースの選手なのに、南海や近鉄の解説ばかりしていたな。 ラジオ大阪では近鉄バファローズナイターの専属解説者でもあった。>大崎さん 渡辺泰輔なんてどう?
アマ時代が凄かっただけに、プロ入り後は・・・・・・ キャッチャー山本?・
山本といえば山本忠男・山本多聞・山本和範・山本雅夫 現役引退後、スタッフとして活躍してたのに
心臓か何かの不調で急逝したんだな。 セカンド桜井をこのスレに出すのは気の毒かな?
一応フル出場を2季果たしたが、殆ど知名度ない・ >>351
そりゃ気の毒でしょ。
桜井を含めてオールスター戦に出場経験のある選手をマイナー扱いはかわいそう。 竹口って左腕いたね。
左投手暗黒時代の平沢とともに敗戦処理扱いだった。 1979,80年の近鉄は南海戦の時、あて馬を遣わなかったね。
よほどのことない限り左の先発がないから。
逆に日本ハム戦は左の先発多かったからあて馬もおおかった。
三浦政基
渡り鳥人生の中で南海に3年だけ在籍
二桁勝ったことが一度も無いのに
解説者やってたのが不思議 南海ホークスでオールスター戦に出場経験のある選手(野村監督時代〜杉浦監督時代)
投手:江夏豊、江本孟紀、加藤伸一、金城基泰、佐藤道郎、西岡三四郎、西川佳明、藤田学、藤本修二、皆川睦男、村上雅則、山内新一、山内和宏、山内孝徳
捕手:香川伸行、野村克也、吉田博之
内野手:片平晋作、河埜敬幸、桜井輝秀、定岡智秋、島本講平、ジョーンズ、高橋博、富田勝、藤原満
外野手:佐々木誠、門田博光、山本和範
(アイウエオ順)
>>39
それを言ったら宇田東植も似たような成績だけど、長いこと
解説者やってる。 >>39一回 TVのクイズ100人に聞きました に家族で出てた選手がいたけど、
この人だったような。
もしかしたら三浦姓の違う人かもしれないけど。
確か元南海って言ったような覚えがある。 ドラ1なのにプロじゃマイナーだったのは内野手の中村之保 西川佳明もマイナーになるんだろか。
一応甲子園V投手、新人王次点。
でもピークは短かった 年を追うごとに成績が下がっていったのが凄い
まさか自己研鑽しなかったとも思えないのだが 1年目10勝、2年目7勝、3年目6勝・・・
でも負け数は3年とも同じ10敗。
スケールは違うけどジリ貧を辿った点では日ハム木田と同じだね。 >>12
近況を知らなかったのだが
今は阪神のコーチをやってたんだな。
真弓監督とともに退団するそうだ。 >>52
当時のチーム力を考慮せなあかんで。
好投しても打線の援護がなく負け投手になることも
たびたびあったのだから。 西川の決め球は何だったの?
のらりくらり投げてる姿しか覚えてない。 スローボールにしか見えない直球。ただしコントロールはよい。 テスト生で入った田尻一郎投手。打撃投手は辞めたのかな。 >>58
そうだったね。
初年度はどうにか誤魔化せたけど
二年目からは完全に慣れられて
相手打線の餌食に・・・それでも三年間で23勝30敗なら
上出来の部類じゃない? 当時の南海首脳陣には育成という感覚が無かった
使える者は後先考えず投入し、消耗させる。
これじゃ、勝てるわけない。 >>58>>60
法政では16連勝の六大学記録を達成するなど通算30勝5敗で防御率1.60
大学球界では技巧派として図抜けていたんでしょうが、
プロじゃ長くは通用しなかったってことでしょうかね。 PL時代は甲子園優勝、法政大学では連勝記録。
う〜ん、典型的な "アマチュア時代が華"、の選手だね。 遅い球はせいぜい打者の目線を狂わせるくらいの武器にしかならんわけね。
遅い球といえばスレ違いだが阪神の大町も本人曰く直球だが100キロ前後の
直球を投げていた >>63
土手本っていう名前からしてマイナーだなw 西川は新人の年にはなんば駅コンコースにユニホーム姿のポスターが何枚も貼ってあって
電鉄本社の期待の大きさを感じたものだよ。
ドカベン入団の時でもそんな扱いじゃなかったからね。 10勝10敗といえば二桁勝ってよく頑張ったようにみえるが、チームにとってはプラスマイナスゼロ。
西武時代の松坂が16勝したけど15敗したので評価が低かったのと同じだな。
その点ではダルビッシュや今年限定だが田中マー君は賞賛に値する。 勝率5割10勝10敗の投手が抜ければ他の投手が穴埋めすべく投げる。
その結果が7勝13敗と言う事も有るし、思わぬ投手が台頭し、13勝7敗の
事も有るかも知れない。
いずれにしても一年間ローテーション守って投げてくれる投手は貴重だよ。
>>68
だから、>>55も書いてるとおり、
勝ち星は自分の力だけではどうにもならんのよ。 南海最末期のローテ投手といえば
両山内と西川、藤本修くらい? 最末期は4人とも期待持てたな。井上がうしろにおったし。
野村解任後から杉浦さんまでの先発ローテが酷すぎた。
特に 広瀬監督の時って
山内、藤田、森口、金城、村上 しか投手が浮かばない。
あとは、誰がいたっけ?と思うぐらいマイナー投手ばっか。 西川投手って球はスローだったけど語り口もスローと言うか
訥々としてておよそスポーツ選手と思えないようなマッタリ感満点だったよ。 >>74
広瀬監督時代(78年〜80年)に在籍経験のある主な投手陣
先発→山内、藤田、佐藤道、森口、村上、杉田、田村、名取、高
中継ぎ→佐々木、星野、平沢、三浦
抑え→金城
(あくまで主な使われ方)
>>77
その面子の中でいうと
杉田・田村・名取・星野・平沢・三浦がこのスレに合いそうだね
村上・森口は微妙? 金城も歴史に残る投手。広島時代も含めて・・・。
豪快なフォームでよく三振とっていた。
球は西川とは比べ物にならないくらい速かった。
リリーフの系統としては佐藤道−江夏−金城−井上という歴史だったか??? >>79
村上の場合、監督がブレイザーになってからは一軍登板さえなくなって、
82年に早々と引退したからマイナー扱いされても仕方ないだろうな。
自分も小学生の時、あるプロ野球の選手名鑑の中にあった記録集で、
78年のパの新人王として村上の名前が載ってたのを見て、
「村上って誰?」って思ったぐらいだったから。 最後の二年間は二軍でも登板機会がなかったらしい。
肩か肘でも壊していたのだろうか?
村上は日ハム古屋(現オリックススカウト)と争った末に新人王を獲得。
その年の11月にシンシナシティレッズが来日。
大阪球場で行われた南海近鉄巨人連合VSレッズ戦(河埜兄弟が二遊間を組んで話題になる)に先発登板。
レッズの監督は村上の速球は大リーグでも通用するとコメント。(ソースは79年南海ホークスファンブック)
田島俊雄いたねえ・・
滋賀県長浜では百年に一度の剛速球投手と言われていたんだが
プロでは活躍できず。
甲子園にも出てたはず >>87
衰えたと言うか、オフにしっかりオーバーホールやってなかったとか自己管理の甘さで故障に繋がったと考えるのが自然じゃない?
投手がだめになるケースってほとんどそれでしょ? 古屋がスカウトになったのか・・オリックスはよう分からんわ。
堀井Jrさんにやらせておけばよいのに。
スカウトなんて年齢関係ないのにな。 >>91
田島は甲子園には出てないよ。
ちなみに高校は長浜北高。 長谷川勉
日産自動車から鳴り物入りで入団、新人王候補筆頭とも言われたが、0勝3敗で
1年在籍しただけで阪神にトレード 全然マイナーじゃないんだけど、忘れて欲しくないので名前を挙げる
久保寺雄二 田島投手は1983年選抜大会で長浜北高のエースとして出場してます。
初戦で敗れていますが。
高校野球asahi.comの1983年選抜大会で検索できます。 1980年代に青山って外野手いませんでした?
ドラフト外入団で1年で首になった。
契約金はいらないと新聞に載ってて覚えていたけど
金貰わないと扱いも軽いと思ったもんだ。 >>98
青山忠司
79年ドラフト外で入団。記憶が正しければ子連れルーキーだったと思う。
一軍出場なしで一年で解雇。 >>99
ありがとうございます。
野球ファンなりたての頃だったのでかすかに覚えてました。
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