1990年にドラフト外で日本ハムファイターズに入団。
1994年オフにトレードで広島東洋カープに移籍。
投手以外全てのポジションを守れる上にスイッチヒッターという
器用な選手であった。巨人移籍以降は正二塁手としての出場も増えた。
本職は元々は捕手で、プロ入り後は主に二塁手・中堅手であるが、
プロでは投手以外の全てのポジションを経験した。
2010年シーズンより読売巨人軍の一軍内野守備走塁コーチに就任したが、
公式戦開幕後の4月2日午後5時40分頃、広島での対広島東洋カープ1回戦の
試合前シートノックのノッカーを務めていた際に倒れ、直ちに球団関係者
や救急隊等によってAEDで蘇生処置を受けた後に広島大学病院に搬送され、
意識不明の重体のまま入院した。病院の医師による検査などの結果、
クモ膜下出血と診断された。そのまま意識が戻らず4月7日午前3時22分に、
入院先の病院で息を引き取った。享年39(満37歳没)。