>>427
>>”圏論と集合論 渕野昌 23年1月”のご一読を、きみに勧める
>その文章では
>「数学の基礎は集合論でなく、カテゴリー論である」
>という発言が「痛い」と書いてあるが、君、意味わかってるか?

良いところに気づいたね(そうなのです、渕野先生は集合論養護派です)
それに対する答えは、下記がよく纏まっていると思う

(参考)
https://martbm.はてなブログ.com/entry/20170723/1500777080
martingale & Brownian motion
2017-07-23
ZFCの圏論での「代替」には意味があるのか?

ご存知のように、数学の「基礎」はカントールによって危機に陥れられた。つまり、(素朴)集合論によって。あらゆる集合を含む集合は、自分自身を含むだろうか? この答えは含むと言っても矛盾だし、含まないと言っても矛盾。正解は「それ」は「集合ではない」というものであった。では、なにが集合なのだろう? そこから、公理的集合論は始まる。

バートランドラッセルが提案した「プリンキピア・マセマティカ」は、上記のパラドックスに「直接」、パッチを当てる、という意味では、素直な発想だったと言えるであろう。コンピュータの世界では今では一般的になった「型」という考えを使ってこの問題にアプローチする方法であったわけだが、興味深いのは、この頃の「哲学者」はまだ、真面目に「数学」をやっていた、ということであろう。

しかし、この問題はそれ以降はより、エレガントに議論されるようになる。つまり、数学基礎論(=論理学)と、公理的集合論として。しかし、そこで問題となったのは「後者」であった。なぜ、公理的集合論が問題なのか? それは、一言で言えば、この「公理系」が「直感的」ではないことなのだ。

昔から知られている結果ではあるが、おもしろいアプローチが知られている。それが、

カテゴリー(圏論)
である。つい最近、以下の本を読んでいたら、第3章が「集合論について」となっている。

ベーシック圏論 普遍性からの速習コース
作者: Tom Leinster,斎藤恭司,土岡俊介
出版社/メーカー: 丸善出版
発売日: 2017/01/29

ちなみに、最後のZFCとの相等性については、以下の論文で議論されていて、

Gerhard Osius. Categorical set theory: A characterization of the category of sets. (1974)
Categorical set theory: A characterization of the category of sets - ScienceDirect
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0022404974900322

また、以下の教科書では、上記の圏論的な枠組みの中で、実数の構成まで記述されている。

S. Mac Lane and I. Moerdijk. Sheaves in Geometry and Logic. (1994)
Sheaves in Geometry and Logic
http://atondwal.org/Sheaves_in_Geometry_and_Logic__MacLane_Moerdijk.pdf

つまり、この公理系が魅力的なのは実際にその主張内容が、「私たちに直感的に理解可能なもの」しかないが、他方において、ZFCの弱い主張と解釈できるとするなら、これを

数学の「基礎」
とすることは、どこまで可能なのか、ということになる