小澤 登高氏 (下記)4年生「函数解析に興味を覚えたので、夏休みにはConwayの本(GTM96)を読んだ。 数学の本を一冊通読したのはこれが初めてだった。 継続してまじめに勉強したのもこれが初めてだった」
こういう数学者もいるんだ。おっと、マネをしろとは言ってない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E7%99%BB%E9%AB%98
小澤 登高(おざわ なるたか、1974年[1] - )
東京大学理学部数学科卒業[4]。大学院で作用素環論とバナッハ空間論の境界分野である作用素空間論を勉強していたが、指導教官の河東泰之と泉正己の手に負えなくなったので、テキサスA&M大学に送りこまれた形になった[5]。河東は、書類上は東京大学大学院数理科学研究科で指導教官だったが何も教えてはおらず、逆に小澤に多くのことを教わったという[6]。

1999年に東京大学大学院数理科学研究科修士課程を修了、その1年後には同研究科の博士課程を修了する。またさらに1年後には、テキサスA&M大学でPh.Dを取得している。学士取得後3年で博士課程を修了した。冬でもアロハシャツ[7][注釈 1]を着て講義をし、短パン、サンダルで過ごすというエピソードがある。

「フォン・ノイマン環を小さな環に分解できるか」という難問を、フォン・ノイマン環の構造をC*-環の方法で解析するとソリッドが出てくることから解決した[8][9]。

https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~narutaka/rireki.html
小沢 登高 履歴書(非公式版)
当時、3年生向けの講義は一日一科目で午前午後を通して行われたが、 昼寝癖のせいで後ろ半分はほとんど聞き逃した。 おかげで、知識は穴だらけであった。
少し態度を改め、 4年生の春にルベーグ積分とホモロジー代数を市立図書館で勉強する。 ついでに関数解析の教科書も眺めてみた。
函数解析に興味を覚えたので、夏休みにはConwayの本(GTM96)を読んだ。 数学の本を一冊通読したのはこれが初めてだった。 継続してまじめに勉強したのもこれが初めてだった。

1997年4月 東京大学大学院数理科学研究科修士課程入学
河東先生と泉先生の指導の下、作用素環を学んだ。 ひょんなことからマイナー分野であった作用素空間論の勉強を始める。 夏休みはWassermann講義録やKirchberg論文などを読む。 この年の秋に河東先生に薦められて、 作用素空間論の専門家であるテキサス農工大学(以下、TAMU)のPisierのもとに 留学することを決意。