>>74 補足
「夜には同級生3人で互いの家を訪ね合い、いずれも旅順工大の元教授だった父親に特別講義をしてもらいました。僕の父・俊平が化学、彦坂忠義先生が物理学、松塚清人先生が鉱物学です」
か、それで岡武史氏は父親と同じ化学者になったのですね、数学者ではなく

https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/20231116-OYT8T50111/
読売新聞 2023/11/17
[時代の証言者]天文と化学を結ぶ 岡武史<10>「目前の師を尊敬せよ」

 帰国できずに大連(中国)に残った日本人の子弟向けの「大連 日僑にっきょう 学校」が1947年2月に発足し、中学2年の僕も入校しました。数学を独学する時間は減ったけど、この学校は楽しかった。とにかく自由。しゃくし定規な指導要領も教科書もない。教師陣も資格など関係なくて、旅順工科大学の先生など、残留した人たちの有志。規格外のすごい面々でした。

 非常に影響を受けたのは、詩人で作家の清岡 卓行たかゆき 先生です。英語と数学を教わりました。放課後に文学も教えてくれて、エドガー・アラン・ポーの詩は素晴らしかった。今でも暗唱できる、僕の宝です。

 《清岡氏(1922〜2006年)は東大を休学して帰省中の大連で終戦を迎えた。故郷と亡き妻への思いを描いた小説「アカシヤの大連」で70年に芥川賞を受賞した》

 英語は根岸良二先生という化学者にも教わりました。この2人のおかげで、帰国するまでに英語力が相当ついた。体育は、24年パリ五輪の競泳選手だった宮畑虎彦先生。僕は今も週3回、1000メートルずつ泳ぎますが、そのクロールは宮畑先生仕込みです。

 夜には同級生3人で互いの家を訪ね合い、いずれも旅順工大の元教授だった父親に特別講義をしてもらいました。僕の父・俊平が化学、彦坂忠義先生が物理学、松塚清人先生が鉱物学です。この時、彦坂先生に教わった物理学は、その後の僕にとって大きな糧となりました。

つづく