>>199 訂正と補足

さて、時代がと環境が違うのだろうが
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さて、時代と環境が違うのだろうが

さてさて、絶望について

1)例えば、ポアンカレ予想
 いろんな人が、チャレンジして150年くらいだったか
2)本来は3次元だが、
 もっと高次元のポアンカレ予想にチャレンジした人がいて、そっちが先に解かれた
3)3と4次元が残って
 4次元が先に解けた
4)3次元にチャレンジした人で有名なのが、ハーケンさん
 ハーケン多様体に名を残す
5)”ハーケンは大学生時代に知ったポアンカレ予想を証明することを目指していたが、叶えることはできず、俗に「ポアンカレ病」と呼ばれる精神疲労状態に陥ってしまう”
 ”そんなとき数学者のハインリヒ・ヘーシュ(英語版)から四色問題のことを聞かされ、研究対象をポアンカレ予想から四色問題へと変更した”

まあ、最初は「こうやれば解けるんじゃない?」と考えていたが
やっぱり解けないでハーケンさんは、精神疲労状態に
そこに出てきた”四色問題”。研究対象をポアンカレ予想から四色問題へと変更して解いて名を残す

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3
ヴォルフガング(ウルフガング)・ハーケン(Wolfgang Haken、1928年6月21日 - 2022年10月2日[1])はドイツ出身の数学者。専門分野はトポロジー(位相幾何学)。数学上の難問として知られる四色定理(四色問題)を証明したことで有名。

数学を学び、1953年に博士号を取得。その後ミュンヘンにある大企業シーメンス社に就職しマイクロ波工学の研究員となる。シーメンスでの仕事の傍ら、トポロジーの研究を続けていた

その後、国内で発表した論文をきっかけに数学会において注目されるようになり、アメリカ合衆国のイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に客員教授として招かれる。1965年には常任教授となった。プリンストン高等研究所への赴任経験も持つ。

ハーケンは大学生時代に知ったポアンカレ予想を証明することを目指していたが、叶えることはできず、俗に「ポアンカレ病」と呼ばれる精神疲労状態に陥ってしまう。そんなとき数学者のハインリヒ・ヘーシュ(英語版)から四色問題のことを聞かされ、研究対象をポアンカレ予想から四色問題へと変更した。

1976年に4歳年下の同僚ケネス・アッペル(英語版)と共に四色定理を電子計算機(現在のコンピュータの原型)を用いて証明した。1979年ファルカーソン賞受賞