>>181
これは、御大か
まず、下記 有名な文だが、高木貞治 青空文庫より引用

https://www.aozora.gr.jp/cards/001398/files/50907_41899.html
回顧と展望 高木貞治 底本:「近世数学史談」岩波文庫、岩波書店 1995 青空文庫
※表題は底本では、「1.回顧と展望(昭和15年)」となっています。(昭和15年12月7日,東京帝大,数学談話会に於ける講演)

大学(東京帝国大学)へ私が学生として来たのは1894年――日清戦争が起った明治27年である.
当時何を教わったか,古い記憶を辿たどって見ると,先ず微分積分それから解析幾何学.これは当然だが,次で二年になると,Durege の楕円函数論というものをやったものである.これは古い本だから,諸君は知らないだろうが,まあヤコービの楕円函数論を書いたもの,つまり Fundamenta Nova の平易な解説といったものである.函数論の出来る前の楕円函数論で,随分時代離れのものだが,多分これは,私の想像なんだけれども,ずっと明治の初期に,ケンブリッヂ辺あたりから,そういうシステムが輸入されたのではないか――と思われる.それから,サルモンの代数曲線論,例の略記法か何かで,我々はそれが射影幾何学であることを知らずに習った訳なのだ.

当時は相当学風が自由であって,藤沢先生などは,ドイツ仕込みの Lehr-und Lernfreiheit ということを鼓吹されて,なんでもいいから本は勝手に読め,そんなことを奨励されていたものだから,いろいろのものを読んだわけである.

それで,後の二年間は全く自由に暮して,最後の一年は大学院で,結局四年大学におったが,その間にいろいろな本を読んだのであるが,指導者なしの乱読で,本当に読んだと謂うよりは,図書室にあるだけの本を見境いもなく片っ端からひっ繰り返して見たという程のことであった.
 それからまあそんな風にいうと,いかにも不完全なようであり,事実不完全に相違ないけれども,藤沢先生はベルリンでクロネッカーの講義を聴かれたらしいのであって,代数を大学へ入れなくてはならぬということを絶えず言っていられたのである

つづく