優秀な数学者って意外と教科書を精読するみたいなのやってなくない?
本を読むということを鰯の頭みたいに有り難がってる人が案外少ない
何故だろう?
日本の大学はゼミで教科書を読むということに重きを置きすぎなのでは? 感覚が掴めてれば精読に努めなくても精読できるからね。
たとえば線形代数で行列式と1次独立性の関係が出てくるけど、
「行列式は面積だ」って感覚があれば自明だ。感覚がなければ暗記して証明を細かく読んで...ってなっちゃう(なってる同級生を見た)。 優れた業績を挙げてる方は、優れた直感のもとに発想していると思う。
初等幾何を楽しむ中学生のように研究できれば理想的だと思う。 >>64
でも代数的に定義されている行列式の性質は代数的に証明しなければ駄目ですよね。
そして、幾何的に行列式が何を表しているかということから、証明は自動的に出てきませんよね。 >>66
だから最先端の論文の証明は論証がめちゃくちゃだったりする >>67
横から悪いけど、その「だから」の意味がわからん。
それに、論証がむちゃくちゃなら、ちゃんとしたジャーナルに出ないだろう。 俺の知る限り、最近の優れた業績を上げている数学者は直感に加えて厳密さにもこだわる人が多い
だから最先端の論文は抜け漏れがないことが多い
arXivで論文を公開する前や後、メールを貰ったり他の数学者に質問することも多く、大体論証がめちゃくちゃな部分は大体解消されている 逆に言うと、厳密でなくても論文が掲載されるのは普通のことということですか?
それは意外でした。
厳密に命題の証明が書いてあることが論文掲載の必要条件だと思っていました。
深谷賢治さんの教科書などを読んでいて、なぜ有名な数学者なのに、論証がいい加減なのかと疑問に思っていたのですが、そういうタイプの人でも数学者としてやっていけるということなんですね。
ちなみに、深谷賢治さんの論文は深谷さんが書く教科書とは違って、厳密ですか? >>72
ハゲタカジャーナルなら、ありえるんじゃね?
まともな学者が書いてまともなジャーナルに掲載された論文なら、論文の心臓である論証がいい加減なはずはないが。 >>66
確かに、あんまりいい例えじゃなかったですね。
なんかこう、直感があると精読しやすいし、具体例とか新しいことを思いつきやすくなりませんか?
それを言いたかった。 トップ数学者の書いたトップジャーナルにのった論文でも論証が酷いものなんていくらでもあるけどな。
むしろトップの有名人ほどそれで許されてる感じがするが。 トップ数学者の書いたトップジャーナルにのった論文でも論証が酷いものなんていくらでもあるけどな。
むしろトップの有名人ほどそれで許されてる感じがするが。 深谷賢治さんが、小平邦彦 編『新・数学の学び方』という本に以下のように書いています。
「
数学者のなかには、マニアックとしか言いようがない、面倒で技巧的な議論の積み重ねで、元来のアイデアを通すのが好きな人が多くいて、それができないと、ひらめきは優れているが指が動かないからろくに曲が弾けないピアニスト、のような存在になってしまいます。
」
深谷賢治さんのベクトル解析の本を読んで、なぜこのような本を書く人が著名な数学者なんだろうと感じました。
深谷さんの論文がどんな感じなのか知りませんが、「指がまわらないピアニスト」なのではないかとそのとき、感じました。
ケンプというピアニストが弾いた「月光」のCDを昔聴いたときに、曲の最後にミスをしていて非常に驚いたことを思い出しました。
プロが事前準備をして演奏していて、しかも録音は取り直しができるにもかかわらずミスをしているわけです。 >>75
それはいつの、今何歳くらいの数学者の話? James R. Munkresさんの『Analysis on Manifolds』はまさに、「面倒で技巧的な議論の積み重ねで、元来のアイデアを通す」ような本であるように感じます。 ケンプの「月光」の演奏を
youtubeで聴いた時
ミスをしたのに気づいたが
全体の流れが素晴らしいので
あまり気にならなかった >>「面倒で技巧的な議論の積み重ねで、元来のアイデアを通す」
それで元来のアイディアがよく表現できていれば
まったく問題はない ここの人達には耳が痛い話だろうが…
阪大の先生が良い動画をつべに上げておられるから紹介する。
業績的に数論分野のトップ研究者に属するこの人をしてこの姿勢だから、
特に凡才の人ほど学問を舐めた態度をよくよく反省したほうがいい。
https://www.youtube.com/watch?v=5JaBl7Tok3s
https://www.youtube.com/watch?v=w5MxCJUmUno ここの人達には耳が痛い話だろうが…
阪大の先生が良い動画をつべに上げておられるから紹介する。
業績的に数論分野のトップ研究者に属するこの人をしてこの姿勢だから、
特に凡才の人ほど学問を舐めた態度をよくよく反省したほうがいい。
https://www.youtube.com/watch?v=5JaBl7Tok3s
https://www.youtube.com/watch?v=w5MxCJUmUno >>78
若いのから年寄りまで、いくらでもいるでしょ
publishされた後にerratumとして補足するのもよくある話
アイデアが本質なら証明間違いが見過ごされる(見落とされる)ことがよくある >>78
若いのから年寄りまで、いくらでもいるでしょ
publishされた後にerratumとして補足するのもよくある話
アイデアが本質なら証明間違いが見過ごされる(見落とされる)ことがよくある >>78
若いのから年寄りまで、いくらでもいるでしょ
publishされた後にerratumとして補足するのもよくある話
アイデアが本質なら証明間違いが見過ごされる(見落とされる)ことがよくある >>77
非整数回微分可能なソボレフ空間を使った関数解析的な議論をする幾何学者はいます。
深谷先生が実名を挙げてこういうのは好きじゃないと言ったそうです。 >>84
それは単に見落とされてるだけだろ
昔でも今でも、見落とされてるものは認識の範囲外なのだから
ただ、今では見落とされる率は低くなってるだろうね 「negative Sobolevは怖いよ」と熊ノ郷先生に
忠告されたPDEの人がいるそうだ。
Folland-Kohnの有名なtextは
ここで間違っているらしい。 たとえ三流ジャーナルでも投稿するときには、証明はもちろん英語も何度もチェックするけどな。 >>93
残念ながらいろんな数学者がいていろんな貢献の仕方があるからな
Gromovなんかいい例で、Gromovの論文はpublishされた段階ではほとんど全ての数学者からしたらギャップだらけで、基本まともに理解できない代物なことが多いけど、論文の価値とアイデアは高く評価されてるでしょ Riemannの写像定理を証明したのが
Riemannでなくても構わないが
長年Koebeの一意化定理として親しまれてきた定理を
HitchinがPoincareの定理と呼んだからといって
すぐにそういう呼び方に変えるのはよくない ビーベルバッハやゲンツェンのようなナチス党員の名前のついた定理や概念は確実に名前が変わるだろう
タイヒミュラーもそうか ナチスは絶対悪だという考え自体がユダヤ人の政治活動の結果
京都への原爆投下を強く主張していたノイマンは英雄なのか >>96
宇宙論文も現時点では理解されてないけど、そのうち高く評価されるのか? >>96
ミハイルグロモフは79歳
例えば連続と一様連続の区別がついた頃に、コーシーが区別出来てない論文を出してきたとして、区別出来てないからリジェクトにはならないだろう
読む側が配慮する
それでも徐々に、連続と一様連続の区別のついてない数学者は遅れを取っていく >>101
今の感覚だと、「あやふやな部分が残ってんだから、論文とか言って投稿してくんな」と言いたくなる。 >>82
正直、こういう動画になんの価値があるのか分からない 高評価558ついてるし558人にとっては価値があったんだろ
知らんけど >>104
基本的すぎて人に聞けない情報が詰まっていて有益 >>101-103
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1693982722/
73 名前:132人目の素数さん[] 投稿日:2023/09/20(水) 17:48:26.81 ID:Zi7vzyix
非専門家から質問されたとき、その質問に答えてはならない。
大抵の場合問題設定を間違えている。 >>104
大学入りたてとか、中高生とかには有益なんじゃないかな
そういう頃って何するにも確信持てないから 何を言ってんだかよくわからない
専門書や論文は大体分野の入門書の知識を前提にするんだから、定義や概要は理解しなきゃならないだろ
精読するかしないかに関わらず意味がわからなきゃ研究しようがないってだけ ガウスとかオイラーも教科書を鰯の頭みたいにありがたがってたの? >>110
自分と縁のない人の真似をしようとするよりも、目の前の数学書一行でも読んだら? あの辺りは精読というか本を丸覚えして何度も反芻するんだろう ショルツのperfectoidやprismaticやcondensed spaceとかは全部
そんなに多くの論文知識を必要とするものじゃない
p進ホッジ理論はまだ高級だが、整数論と代数幾何の基本知識から
捻り出せないこともないよね。基本的で新しい概念を出せるのがショルツの凄さだわ まだ研究する前や研究し始めたての頃は、数学書や論文を精読しないと研究ができないと思ってたけど、実際研究を進めるようになって、そうでもない事に気づいたな。俺は
もちろん、学部生や修士の頃に一時的にそういう訓練をするのは必要かもしれないけど、そういう能力はいい研究をするための必要条件でも十分条件でもないよ。 ショルツェのクリエイティビティは勿論のこと、厳密なのもそれを支えている
condensed setのアイデア自体は、BarwickとHaineという数学者たちも生み出していた
唯一差がついたのは、condensed mathematicsがgrothendieck universeを必要としない(ことをきちんと示した)点
上でも少し話題にあったギャップだらけの論文の後進性が生じる理由は、こうしてギャップが前より発見されやすくなった現代では、引用が躊躇われるんだろう
ショルツェのようにその点も1流であれば、安心して引用できる、そして広まり発展する ショルツェはトップの例だが、最近の教科書や論文を読んでると「これは○○の取り方によらない(したがってwell-definedである)」といった結果が載ってることが多いと思うが、
これを最初に示した論文はこうやって引用されて引用数が伸びるということになる いい研究をするための必要十分条件は、いい問題を見つけることです 問題というか、野望があったほうがいい
短期的で具体的な問題意識と壮大な野望の両方が常にあるのが好ましい 河東先生の教科書精読鯛のお頭思想を考えるときに、
師匠が小松、竹崎(せっかく留学したのに)である点はどう評価すればいいんだろう
日本だけの方言だったりしないのかな >>122
正直アメリカとか、精読文化はほぼ無い印象だな
向こうの最近の学生と話しててもそんな感じ
かといってどうやって指導研究してるかは自分には具体的にはわからない 周囲に出来る人がいて、間違えたら厳しくチェックしてもらえるなら文献を読まなくても大丈夫なのはグロタンディークが証明しているが、彼が疑心暗鬼に陥ったように周囲の人間に自分が操られる危険性はある。 アメリカの院生は講義を任されて学生から厳しく評価されるから、精密な理解・解説が必要ではあると思う。
ただ、初学の段階では求められないと思う。 数学書を論理的に厳密に読むなんてことは当たり前のことです
自分の見聞きした少数の事例から「アメリカには精読文化は無い」なんて言ってしまうのは、大変恥ずかしいです
大学を出ていながらそういう独り合点をしてしまうのは、数学以前の根本的な教養・思考法が身に付いていない証拠
いい加減、インターネットで変わったことを言って耳目を集めようとするのは、やめたらどうですか そもそも>>1の「教科書を読むことに重きを置きすぎ」というのが何を言いたいのか分からん。
大半の数学科生は、学部4年のセミナーでその分野の入門的な教科書を一冊、修士の前半でそれよりも専門的な本を一冊読んで、あとは研究。研究で必要な知識の吸収は自習に委ねられる。
学校によってはセミナーが複数ある場合もあったり、指導教員を変える場合もあるが、それでも数冊。一冊読むといっても重要でない章は飛ばすこともある。
三~六年間で教科書をたった数冊読むことが、「重きを置きすぎ」なのか? 博士課程になって、具体的な研究テーマを与えずに「次はこの本を読みましょう。その次はこの本を」とかやってるなら問題だが、そんな話は聞いたことがない >>128を受けて今度は、
「精読文化とは、小松・河東のやり方でセミナーをすることだ」
のように定義をすりかえます(笑)
>>16に書かれているように まあ精読というか良書を何度も立ち返り読むのが一番な気はするね
わかる所を踏まえて考えながらわかる所を増やすのが数学の基本で、
独学の場合はわからない所は考えながらも流して読みきったほうが良いと思う
よく素人はちょっとわからないと止まっちゃうけど 入門書レベルの場合は特に、切り口はともかく重要な箇所がほとんど変わらないのが
数学の良い所
つまり、一応把握した部分はそのまま保存されるので、疑問はノートに書くなり
記憶しながら反復するのが一番良い
勿論質問できる環境があるならそれに越したことはない 優秀な数学者と優秀じゃない数学者に対して
教科書を精読してるかどうか表にしてまとめてください >>136
なんかでも、初学者の頃、まとめ方によって頭への入り方が全然違った記憶がある。
相性のいい本だとスポンスポンとスポポビッチのように頭に入るのに、全く頭に入ってこない本もあった。 >>138
それは勿論あって、理解が不十分な所を補強するためにいくつか当たるのは
全然アリだよね。例えば線形代数でも斎藤毅のは抽象的で簡潔にまとまってるけど、
もうちょい具体的な理工系全般向けの奴から入ったほうがよい可能性もある
多様体でも松島のは簡潔で深い所まで行くけど、松本のほうが具体的でわかりやすい >>140
職務に限らず、自分で自分に教えるつもりで整理しても鍛えられるね 海外の有名数学者でも一冊を徹底的に読まにゃアカンと言って聞かない方おられるんですか? ヨーロッパの大学だと、セミナーでも教員が講義しているとこが幾つかあった
特に修士レベルの内容は指導教員が講義して、そこから証明や問題を宿題として出していたな
学生が一冊の本を精読して、その内容を発表するってスタイルのセミナーは、ヨーロッパでは余り多くないかも知れない
彼らは口コミ文化、人の話を聞いて理解するってスタイル
サマースクールなどでお偉方が院生に講義するスタイルもそこから来ている
日本のセミナー合宿のらような輪読は余りやらない ヨーロッパだと、その著者から直接教わったという人が居て、
それが弟子に受け継がれてるって印象を受ける
それは図書館の文献の量の違いにも現れている
ヨーロッパの大学は、有名どころでも図書館が意外なほど貧弱
極東で孤立している日本は、伝統的に西洋の本に頼っていたから、
図書館はどこも金かけて、本を精読する事に重点を置いている >>144
セミナーでも教員が講義するほうが断然効率的でいいですよね。
できの悪い学生が本を読んでその内容を発表して何の意味があるのかと思います。 周り見てても拾い読みやつまみ読みばかりしてる奴はろくな論文書けてない
もちろんアカポスなんて箸にも棒にも掛からない
根本的に研究に必要な集中力がない
こういうのは治らない >>145
なるほど、地理的な背景は勉強の方法も変えるのかもね
ただ、最近日本人数学者のレベルが落ちているのは、日本のセミナーの方法が非効率で良くないのかもしれないな それ概念自体がわかってないだけでしょ?
拾い読みも何も定義がわからなきゃ定理の意味や本のセクションがわかるわけない 効率的な受動的な学習というのが非常に重要だと思います。
とにかく大量に効率的に学習することが重要だと思います。
日本では否定されることが多いですが。 効率的な受動的な学習というのが非常に重要だと思います。
とにかく大量に効率的に学習することが重要だと思います。
日本では否定されることが多いですが。 日本の大学はまず講義の数が少なすぎます。
大学は自分で勉強するところだなどと言ったりする人がいます。
単にそれだけの講義数を提供できないことの言い訳にすぎないですよね。 キーになる論文は精読するけど、拾い読みするだけの論文もある。
でもなるべく精読する論文を増やさないといかんよな。
器用にさばこうという意識が芽生えるのは良くない。 まあ好きなようにすればいい
君らがどうなろうが知らん 大学の教員もゼミで学生に読んできたところを発表させたりする。
ひどい教員になると、自身はそのゼミには参加しないで、学生だけにやらせる。
単にその教員が働きたくない、サボりたいというだけのことです。 >>147
指導学生については、発表させて、矯正してあげればいいやん。
最初は糞みたいな時間だろうけど、一行ずつ問い詰めて証明させていけば、少しは直りませんの? >>148
>最近日本人数学者のレベルが落ちているのは
セミナーの方法が問題なのであれば、最近ではなく昔からレベルは低いはずであり、矛盾する >>157
優秀な人は優秀であり、そうでない人はそうでないというだけのことです。
セミナーや教育によって優秀な数学者の数やそのレベルは変わらないと思います。 >>158
つまり>>148は間違っているということだね わからない所を質問して問題を貰ったり自分で立てて調べる
この基本はコミュニケーションでも読解でも変わらないし、やらない人間は
当然上手くいかない >>156
こういう傾向は治らない
数学を志す一群になぜか自己主張ばかり強くて注意欠陥多動傾向の人が一定数いる
非常に扱いにくいし伸びないし正直私はもう関わりたくない
このスレにもいっぱいいると思う
こういう人が数学に興味を持つ理由がどうにも分からない
集中力や精神的な持続力に欠ける人には数学は苦行だと思うのだが