選択公理は補助輪
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それなしでも数学は出来るが、初心者は仮定して始めると楽 選択公理なんか使ってると、こいつ補助輪付けてるって思われるぞw 選択公理を一切使っていないことを完全に保証しているような
代数の本、解析学の本、を読んで見たい。
そのような制約の中で為し得ることはどこまでであるのかを知りたい。
そのような本の中で、これこれの定理は選択公理を要するので本書の立場では
証明をすることが不可能である云々などといった講釈がついているとなお良い。 参考書を読む際に証明の中で選択公理または選択公理を使わなければ証明できない定理を使っているかを順次チェックして自分で印を付けていけばいいだけ かつて選択公理が公理として認識されておらず、暗黙に当然のこととして、選択公理を使ってというような
意識もなく、密輸入されて使われていた歴史を考えるに、ある命題の証明の中に選択公理が決して使われて
いないことを保証するのは簡単なことではないのではなかろうか?公理は人間の思考癖、願望、御都合主義に
沿ったものだろうから、知らぬ間に忍び入るだろう。 いまでもまだ気が付かれずになんらかの本当は証明など不可能な事柄を
証明の中で意識せずに使っていたりしないのだろうか?そのようなことは
絶対に無いという保証があるのだろうか?その保証の証明にも使われていたり
するかもしれない。 知ってるよ
AC |- ZFも AC |- ¬ZFも成り立たないんやろ ダーウィンによる進化説では、自然選択と人為選択、雌雄選択などによる進化が
仮説として取り上げられていたと思う。 だって好きな人に触りたいっていうのは当然のことじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています