数学なのか分野がわからないけどずっと気になってる事があるんだが
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1.凹凸のない完全な球体を凹凸のない完全な白い平面に置いたとする
2.平面には球体が触れている部分だけ色がつくとする
この時球体の大きさで色の太さは変わるのかどうかが気になっています。
わかりにくかったらごめんなさい。
また、板違いだったらごめんなさい。 >>2
レスありがとうございます!
真球ということでお願いします…! 球面の方程式と平面の方程式で考えれば?
結論から言うとサイズにかかわらず太さは0だけど >>6
!!
自分もその結論に至りました!
けどなぜそうなるのかがわからなくてここで聞いてみたのですが…!
学が無いもので方程式がわからず… 球面x^2+(y-r)^2+z^2=r^2と平面y=0の交点は級の半径rによらず原点の1点のみ 凹凸ない → 凹凸の曲率一定でいいのか?
物理屋としては「 完全な白い平面とは 」?
色の太さとはなんだ?
そんな疑問を持つ。 数学は物質科学ではありません。それに原子レベルで考えると問題の立て方があいまい 数学は人間誕生以前には存在しなかったとわたしのような素人は理解しています
自然を対象にいろいろ規定していくうちに科学や数学もまた誕生したのだと考えるのは間違いでしょうか 自然が存在しなきゃ人間、数学、科学も存在しないんじゃないかな
大前提としては自然 >>15
だからそれを人間は探求しているってことかと よく分からんけど、数学的には、球と平面は一点(大きさとか太さみたいな概念はない)で触れているってことなんじゃね?
つまりボールがデカくなろうと小さくなろうと色がつくのは一点で変わらない的な
ただ現実世界の話なら…どうなんだろうね 認識に現象するから自然に存在するかというと違うわけです
静止は運動の均衡状態ですし、絶対座標の存在は否定されています
また認識できないから存在していないとは言えない事象があります
光速度一定の原理は座標原点、静止の存在を否定します
ならば自然は運動するエネルギーの濃淡です
真空はディラックの海がありますから、エネルギーの基底状態、つまり無は認識には現象しますが存在しないと理解するのが妥当でしょう
光速度一定の原理が示す運動の普遍を前提に有と無という否定関係は成立しないということです
さて、数は認識に現象しますが存在するのでしょうか
座標原点、つまり〈ここ〉からが存在しなければ〈ここ〉までも存在しないのではないのでしょうか
数で理解することは否定していませんが、自然に存在することは科学は否定しているのではないかと ゼロ次元は大きさがありませんし、また存在を否定されています
一次元は幅が無く、二次元は厚みが無く、三次元は運動しません
何よりも存在しないゼロ次元の無限集合です
四次元は静止、つまり運動しない三次元の無限集合です
次元は認識に現象する物理状態の抽象であり存在しないのでは無いのでしょうか
自然の存在形態は運動です
それを認識を媒介にして現象する自然を理解、規定する
次元はあくまでも自然という対象の理解の媒介であり自体として存在するわけではないのでは?
出発点も無い、一次元も二次元も三次元も四次元も自然という対象から切り離して存在するわけではないのでは?
それらはあくまでも自然という対象の抽象でしかないのでは? 規定は否定とはスピノザの理解です
運動は静止で規定されます
有は無で、ということです
ならば〇に限りなく近いが〇では無いという数学の不思議な定義は理解できます
また不確定性原理は認識は本質として近似値であり、決して=ではありえないということも
観測問題も〈ここ〉から〈ここ〉までが存在しない、つまり濃淡ならば粒子は存在しないから渦の状態を粒子として認識には現象するだけではないかという無矛盾な理解が可能です
地動説は静止で認識するが静止は存在しないという光速度一定の原理の静止の存在の否定ということを暗示する自然理解なのでは?
いずれにしても認識に現象しても存在しない、また現象しなくても存在する事象があるということです
何よりも自然は無矛盾で理解可能だという前提は守られなければならない 現代科学の在り方にはハイゼンベルク、武谷三男氏らが半世紀ほど前に疑義を呈しています
九〇年代初頭にも洋の東西に現代科学には新しい観方が必要だとする科学者たちが出ています
立花隆氏が日本人の物理学者がノーベル賞受賞の際にテレビ番組で量子力学分野では新しい理論が求められていると語りました
また同時期にネットで量子力学研究の最前線では全くの混乱状態で解決の光が見えないと研究者らしき方が投稿していました
現在の学を絶対化して考えると危ういのではと横目で見る立場からは見えます
数学もまた例外でないのでは? 自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程で様々な物理状態を生成するのではないかと
紐から成るのでは無い、紐に成るのだという理解です
全てはそうではないかと
パルメニデスの自然は一であるという理解を光速度一定の原理は裏付け、そこからヘラクレイトスの自然観は正しいことを導けるのではないでしょうか
数学は認識の理論ではないでしょうか
それは自然存在ではなく、認識を媒介に現象する自然の抽象なのではと思えてきます
て素人の藪睨みの理解を書き捨てて逃げます 数学的にその接触面積は完全にゼロぽぃ
でも球体を膨らませれば、
接触面積も広くなるような気がする
ゼロに何をかけてもゼロでも、モチロン
0/0は1でなく不定値ぽぃようだ
さて話を簡単にするため、んー🤔
y=0とx=0の交点は一点で(0,0)である
y=0とy=x/2の交点も一点で(0,0)
両者とも交点の広さは、0だ。だが、
大きさはモピロン 後者は2倍大ぽぃ
スナワチ0と0は等しくないのだぁぁぁ
モピロンとはいえ0≠0を
今日も、モピロン証明してしまった 原子やクォーク・レプトンのレベルで考えたらこの世に連続体は存在しないので長さ・面積・体積は虚構 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています