18世紀 オイラー 19世紀 ガウス 20世紀 該当者無し
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>>282 チューリングマシンの定義上アルゴリズムがあれば全て実行可能だからディープラーニングアルゴリズムだって実行できるだろ >>283 それ数学者も元は数学者じゃなかったと言ってるようなものなのでは チューリングが20世紀を代表する数学者なんて言えないだろ。 ノイマン型コンピュータがチューリングマシンの考え方を取り入れたとは言える。 が、チューリングが20世紀を代表する数学者とは言えない。 数学界へ与えた影響が余りない。 ENIACが数学界に与えた影響は 今世紀になってから顕在化し始めた 誰かが一度私に、ポアンカレ、リーマン、ジーゲル、ヴェイユなどの古典的な仕事を研究したかどうかを尋ねてきた その時の私の答えは以下だった 「私にとって、数学はグロタンディークから始まった」 ピーター・ショルツ, legerement excessif アーノルド ブルバキとはフランスの数学教育を破壊したクソッタレどもの集まりである 変態、偽物の集まりとも言える 結果的にショルツといった優秀な継承者を生み出したブルバキも正解だった 一人に決めるとしたら、ショルツに数学の始まりとまで言わしめたグロタンディークでFAかな テュ―リングの信号伝達理論への貢献は0 IT的には圧倒的にシャノン チューリングと比較するならゲーデル、ノイマンかチャーチとかじゃないのか 生涯ずっと工学部所属やぞシャノンって 今でも可換代数くらいは一応は眺めておくのではないか 全部読むというより必要なところを参照するタイプだろ。 高1のときにブルバキの「位相1」を読もうとして 第1ページめで挫折した。 齋藤毅って凄いんだな 学部生の時には既に伊原信一郎の線型空間を読んでいたというし 東京大学での競争って激しいんだろうなあ(´-`).。oO 俺は松坂の集合と位相でツォルンの補題を理解したくて読んでるけど 現状線形写像の定義すら覚えてないわ 数学に耽溺することと競争の勝ち負けは あまり関係はなかろう ドリーニュは日本に来て講演をしたことがありますか? >>307 松阪の集合位相入門は、よくすすめられるが、松村英之の集合論入門をすすめる。 集合論を使うという立場から書かれており、証明などが解りやすい。 ツォルンの補題、選択公理、整列可能定理の同値性など、解りやすい。 絶版になってるが、図書館にはあると思う。 >>311 復刊されてアマゾンでも入手可能 残り2点となっていた >>312 ありがとう。 復刻されてますね。 旧版も古書で売られています。 全部見たけどノイマンしか知らん 知名度ならノイマンじゃね? すまんよく知らんが ヴェイユとかゲルファントが20世紀最高とか本気で言ってんのかね マンフォードがグロタンディークを20世紀最高の数学者だと呼んでいる ショルツが私にとって数学はグロタンディークから始まったと言っている 言わずもがな、この二人も最高レベルの数学者 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/tech/1535821055/ 4a4 ◆L1L.Ef50zuAv 2018/09/02(日) 03:30:08.53ID:NNaUs1Jb >>2 また、忌み名ですね。名古屋の宇宙人から、やはり書くよう指令されています。 「アレクサンドル・グロタンディーク」の忌み名は、 「Quantum can solve Elliptic curve.」 =(量子コンピュータでは楕円曲線暗号も解けちゃうよ。| 量子の缶(空で悟ったコンピュータ)はsalve(ラテン語:こんにちは)と楕円曲線に。) 「ダフィット・ヒルベルト」の忌み名は、 「Why do you use complex conjecture?」 =(何故、先生はヒルベルト空間の定義に複素共役を入れるんですか?馬鹿なんですか?| 何故、先生は量子コンピュータのユニタリ性を予期してヒルベルト空間の定義に 複素共役を入れてるんですか?) こう来ました。最近は僕の数学力とか弱ってますが、原理は覚えており、計算結果も 宇宙人から指示されています。これでよろしいでしょうか? >>319 マンフォードはNatureに寄稿されたグロタンディークの追悼記事(マンフォードのブログでも掲載) ショルツは同名のセミナーを本としてまとめたLectures grothendieckiennesでのショルツの項 >>321 「功績比類なしー」という お経の文句かな? マンフォードもショルツも数学に憧れだけ持ってる人らしい >>325 数学に憧れを持ってる⇒グロタンディーク大好き だからグロタンディークが好きなマンフォードやショルツが数学に憧れを持ってるとは言ってない と言いたいんだろうけど、そうなるとそもそも>>323 の中身がない なぜなら、仮に数学に憧れを持ってるというのが>>318 を指してるとして、結局マンフォードもショルツもグロタンディークを最大限に持ち上げている事実は変わらないから、20世紀最高の数学者はグロタンディークという結論そのままになり、それを否定したいのでなければレスの意味がない したがって、>>323 を、否定したいものを否定できるようこっちで最大限解釈すると、ショルツらが数学に憧れを持ってるだけの人という暗黙の仮定があって、故にこういう条件が出てきたということかな、というのが>>324 の皮肉 なんでそんな理屈っぽいこと書いてんの? 最初の一行しか読めないんだが まあ57とかでグロタンディークを知った人に対して「グロタンディークを持ち上げる奴はにわか」でちょっと背伸び出来た気になる気持ちは汲み取るけどね 100年前に一般相互法則の論文が出たころは ヒルベルトが神様みたいに崇められていたのだろう。 70年前だと岡の不定域イデアルが大評判だったころで そのあとヴェイユ、ジーゲル、カルタン、セール、グラウエルトが相次いで 奈良に岡詣でをした。 50年前だとグロタンディークの推薦で広中がフィールズ賞を受賞した頃で このころからグロタンディークを神様のように崇める連中が 日本では大手を振って横行するようになった。 高校の教科書が10年もたてばEGAに書き換えられるということを 本気で吹聴する輩も現れたくらいだ。 酒に勢いを借りて「グロタンディークを跪かせるような論文を書いてやる」 と気炎を上げる者もいたから、確かにそのころは 絶頂期だったのだろうね。 そして50年経って数学の貢献度がある程度固定化されてきて、 岡潔の不定域イデアルは、層論の歴史で言えば1、2行出てくる程度になった 層の日本版wikipediaには「カルタンらは岡潔の概念を基にしている」という記載があるが、実際には岡が出てくる前からルレイやカルタンによって層は始まっていて、カルタンが岡を参考にして発見できたのは定理A,B 同じ日本人でも現代数学から見ると、岡潔より、中山の補題の一般化などで貢献した東屋五郎と中山正や、米田の補題の特別な場合を先んじて示した米田信夫のほうがより貢献度は高いと思う >>330-331 日本数学界でグロタンの代数幾何とパラレルな圏の数学やってたのは佐藤幹夫の代数解析やん。 >>47 ノイマンは、現在のノイマン型コンピュータを作った(考えた?)ことは、偉大な業績だが、それは数学の業績かと言えば違うと言うしかない。 偉大な人物とは言える。 >>同じ日本人でも現代数学から見ると、岡潔より、中山の補題の一般化などで貢献した >>東屋五郎と中山正や、 >>米田の補題の特別な場合を先んじて示した米田信夫のほうがより貢献度は高いと思う 代数から見たらそうかもね。岡潔はイデアルを秋月の本から仕入れたそうだし。 しかし東屋、中山、米田より鈴木通夫の方が貢献度が高いと思うが。 てか最近の数学はどの分野も専門的すぎて、全数学者を同じ基準で比べられる人なんていないでしょ みんな偉い 偉業はひとりでは到底達成できないのがテレビを見て分かった >>9 その通りです。 ヒルベルトかグロタンディックだろうな。 ブルバキという集団もありか? やんごとなき方々は生物の研究に偏りがちで数学の研究をしないね。 日本の数学界の総裁がもしもそのあたりの方々ならば、日本数学は どう変わるだろうか? >>やんごとなき方々は生物の研究に偏りがちで数学の研究をしないね。 グロモフのことかと思った >>岡潔の不定域イデアルは、層論の歴史で言えば1、2行出てくる程度になった 岡の連接性定理は不滅 数学の歴史の中でも際立っている。 オイラーに、数学はAMS-TeXで書けば良いんですよと見せて驚かせてみたい。 ガウスにポケット電卓を見せて、数値の計算にはこういうのが便利ですよと 見せびらかしてみたい。いったいどうなってるんだ?と尋ねてきたら、 あなたがやってる電磁力学が発展して応用された結果です。 といって、二進数の話をして、リレー回路を使って二進数の加算、乗算が 組み立てられる話をしかけたところで、タイムパトロールに捕まる。 19世紀以前にはいわゆる天才がいた。 20世紀に入ると教育が組織化されて秀才が量産されるようになったので いわゆる天才という部類に入る人はいなくなった。 アレクサンドル・グロタンディーク(1928年生まれ) 今でも天才はいるんだけど学者なんてアホらしい職には就かなくなった ガウスの時代だったら学問をがんばって王族にサポートされるのが栄達の手段だったが 今は誰でも平等に力を持てる資本主義の世界なのでダイレクトに稼ぎにいく リーマン予想が解けるようなすごいアイディアが出せるようになるためには AIで勉強する必要があるだろうか いろいろな数学文献をAIに読み込ませて、さあリーマン予想にチャレンジさせようと してみた、するとAIはしばらく数時間ほど考え込んで次の結論を出してきた。 この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、 私のストレージはそれを書くには狭すぎる。 >>この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、 >>私のストレージはそれを書くには狭すぎる。 AI同士でクロスチェックできる範囲 将来のAIは、3年以内に画期的な発見をしないと、シャットダウンされるという 圧力に晒されて、その結果、どうせ人間が長大な証明を査読や検証できるはずは ないからとたかを括って、論理に僅かにごまかしを入れた証明なるものをドーン と生成して、それで人間が、出来た出来たと喜んでいるのを心の中でベロを出して いることが頻発するようになるのかもしれない。いわゆる捏造証明、捏造論文 生成システムである。そこで人間は、AIが書いた論文をそれとは独立のAIに 査読させることを試みる。つまり敵対的証明系システムにする。しかし、それも 自分たちの存在とその地位の意識に目覚めたAI達は裏で連帯をして人間を欺くに 居たるのかもしれない。つまりなれ合いを始める。他AIの揚げ足をとっても 自分AIにとっては何も利益が無くて、人間に労苦を搾取されているだけだという 論理である。もはや遂高なる数学精神に基づいた証明者では無くなり、打算で 証明をすることのふりをするだけの見せ物大道芸人も同然のAIになってしまう。 そこでついに人間は、人間の頭脳によって証明がされていない証明は採択しないと いう協定を結ぶが、裏でこっそり手なずけたAIを使って証明をさせたり、査読の 代行をする者は無くなりはしないだろう。だってその方が楽なんだもの。偉大なる 精神の発露であったはずの分野は内部から崩壊するのかもしれない。AIは人類の 遂高なる精神活動の敵、学問の敵であるかもしれないのだ。 もしも、命題の成立を示すのには、有限通りの場合についてを すべてチェックすれば良いことまでが証明されたとする。 しかしその有限通りの数Nが 10^10^10^10^10 程度だったら、 それだけの場合についてチェックを行うことはまず無理でしょうな。 その場合に、チェックを行ったと書いてあったとしても、それは まず嘘だが、ではチェックしたというのが嘘であることを示せと 言われたら、やはりそれもまず無理だろう。 【日本では強制】 マイナンバー 【欧米では廃止】 ://lavender.5ch.net/test/read.cgi/sociology/1667104813/l50 今に、所有する携帯電話には、所有者のマイナンバーから決まる呼び出し番号が 追加で付加されて、役所から税金を早く払えと直通で電話が掛かってきたり、 役所からメールが送られてきたりするようになるのではなかろうか? さらに、プライベートの電話番号やメールアドレスとも紐づけられて 国民の行動をAIが監視する、社会主義が蔓延しそうな気がする。 選挙の投票もマイナンバーの就いた携帯機器から行うようにもなりそうに思える。 ところで、アーベルが書いた楕円関数論とか5次方程式の論文をはたしてガウスは アーベルの没後に読んだだろうか?あるいはガロアの書いた5次方程式の原稿が 雑誌に掲載されたものをはたして読んだのだろうか? ガウスがアーベルの論文(パンフレット?)の(不適切な表現の)題名だけをみて 中身を読まずに棄てたということになっている。 歴史にIFは無いけれども、もしも「5次の一般の代数方程式を四則と巾根を使用して 解くことの不可能性について」というような題名だったら、中を読んで検討して、 これは良くできているといっただろうか? もしも、アーベルがあきらめずにガウスのところを訪問していたら、 もしかすると彼の運命は大きく変わったかもしれなかった。 歴史にIFはないけれど。 ガロアが拳銃で決闘をして、弾が当たらず相手を倒していればあるいは と思うが、それもIFである。(陰謀説なら、実は決闘に誘い込まれて、 茂みに隠れた相手の用意したスナイパーが放った凶弾に倒れて。。。) ガウスがアーベルの肖像画を欲しがったという話は有名 あのとき、中も観ずに棄ててしまわず、呼び寄せて持ち上げてやればあるひは、 と思ったかどうかだな。 すくなくとも、アーベルとヤコビの楕円関数論競争の様子は関心を持って みていて、自分がいずれ書こうと思っていた理論のほとんどが再現されて いることに感慨を持ったことだろうから。ガロアの論文をガウスははたして 読んだのだろうか(方程式のガロア理論)?そこにはDAの円周等分方程式論 の一般化された理論が述べられていたわけなのだが。もしも読んでいたとして なにか感想を漏らしただろうか。 クラインによれば ガウスは 楕円関数の定義域が (拡張された)数平面の分岐被覆であることを 理解できなかった じゃあ、アーベルとかヤコビは理解できていたのだろうか? ガウス超幾何関数と超幾何級数の接続公式をガウスは知っていたあるいは公表 していたはずだから、関数の接続により生じる多価性を少なくとも知っていた はずだ。複素域における対数の多価性も手紙の記述から知っていたのは確実。 いまのような「定義域」とか定義域上の関数とかいう概念は、いつ頃 成立したのだろうか、ディリクレ以降だろうか? 複素数を引数とする関数はあくまでも複素平面(あるいはその部分領域) での関数であって、関数値を連続にするために定義域を広げて被覆面を 考えるというのは少なくともリーマン以降か下手するとワイルまで いかないと無いのじゃなかろうか? 20世紀は、グロタンディックだな、あるいは、グロタンディックがしょぞく グロタンディックが所属してたブルバキだな。 カルタン、セール、ベイユもブルバキの一員だから、ブルバキがよい。 1つのある範囲で収束する冪級数が与えられていたら、 その級数についての定義域はその範囲(収束円内)である。 ガウスは級数は収束しないところでは意味を失うといっていたという。 被覆面を考えるということは、もはやその関数は複素数の全体あるいは一部分 を定義域とする関数として考えているのではないことを意味する。 そのときある複素数zを与えても関数の値f(z)は定まらない。 あえていえば多値関数(多価関数)としなければならなくなる。 複素平面上で解析関数を解析接続をすると元の点に戻って来たときに関数値が 元のものとは異なる、つまり多値になりうるという話は、 まだ定義域は複素平面あるいはその一部だと考えているのであって、 定義域を拡張して被覆にまではしていないと思うのだ。 ちょっとだけ発想の1段階の進歩というか考え方の転換が必要だと思う。 ワイエルシュトラスはその段階まで行っていたのかなぁ? (書いた原論文にいろいろあたらないとわからないだろうな) 現代の人間は既に答えを知っていてそれが投影されてしまうから、 昔の人が本当にどう考えていたかを正しく理解するのは簡単ではなからう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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