バカ「選択公理は証明も反証もできないから認めていい」←天国は?
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天国の存在は証明も反証もできない
だから選択公理を認めるなら天国の存在も認めないと主張に一貫性がないよね 選択公理って宗教だよな
証明も反証もできないのをいいことに好き勝手言ってるだけ 証明も「反証も出来ないから認める」のではない
感覚的には明らかだから認める、それだけのこと
連続体仮説は感覚的に自明とは言い切れないから公理に含めていない >>5
選択公理が感覚的に明らかwwwwww
超越者さんですか?ひょえ〜w >>6
あー、よくいるねこういうの
「こう言える俺ちゃんと理解してるだろ?」みたいな「深く考えてる俺」に酔ってるやつ
実際には「偉い人も疑ってた!否定する立場もあるし全然自明じゃないんだ!」という権威主義というか虎の威を借る狐というか まあ選択公理に関しては感覚的かどうかよりも、便利だから仮定するんだと思うけどね
具体的に構成される対象(ある特定のベクトル空間など)に関しては、選択公理の成否に関係なく、選択公理を仮定して建設された一般理論(基底の存在から導かれる定理など)がそのまま適用できたりするわけで 論理式で書くことのできない「天国」を、選択公理と同列に考えるな >>11
書けないと言うのはお前の憶測だろ
例として神の公理なら「全ての行為xついて神はxが可能」と書ける
一つ一つ∀とヨで表現すればいい 選択公理を擁護してる奴って論法が宗教と同じなんだよな 選択公理を信じることで得られる利益は大きい
神を信じて得られる利益が大きいなら信じたらいいし、実際宗教はそういうもの >>12
定義が違えば別もの。
まずは定義してくれよ。 認めていいと認めなければならないが区別出来るようになってから出直せ 地球人🌍の、反証出来なきゃ証明出来た
と云う論法はよく耳にする >>1
>天国の存在は証明も反証もできない
バカおつ。全然違う。
選択公理は「証明も反証もできない」事自体が厳密に証明されている。
天国のように「あるかないかどっちか分からない」という話じゃない。
>>5
>感覚的には明らかだから認める、それだけのこと
その通り、むしろ「証明も反証もできない」事が「明らかだと認めていい」
事の一つの定義とも言える。
即ち、ぶっちゃけて言えば、基礎論的な微妙な問題は、
数学をやる上で何も心配する必要がない(数学の本質に関わってこない)
という事 >>12
それで「書けている」などと思ってんじゃねえよ。
「行為」、「神」がZFの中にない言葉だろうが。 >>20
お馬鹿さん来ましたね。
それを言ったら圏もそうです。
そもそもZFで集合は未定義語ですし。
未定義語を認めずに数学は成立しません。 プログラムやったり基礎論やってると選択公理の仮定の強さを感じることは増える。 実際、選択公理は神じゃないと分からないことを人間が知れると仮定してるからな
実質的に神の存在を仮定してる バナッハタルスキーのパラドックスとかまさに神の御業って感じ
球体を有限個に分割して組み直すと、元の球と同じものが二つできる
こんなことは神にしかできない >>24
>バナッハタルスキーのパラドックス
出たら目からうまれた悪魔の所業 >天国の存在は証明も反証もできない
ほんとか?
反証できない天国の存在なら認めてもいい
しかし、大多数の人が望むような天国は
それこそ簡単に反証できそうな虫のイイ想定
だとおもうがね 死後の世界なんてどうとでも設定できるわ。
そんなもん現世の理屈で証明も反証もできるわけがない。 >>9
まさにこれ
分かってないこと誤魔化して、深いこと考えてるみたいに装ってる馬鹿 >>1
>選択公理は証明も反証もできないから認めていい
正しくは「選択公理はZFで証明も反証もできないから(ZF+(Cの肯定))と(ZF+(Cの否定))どちらも認めていい」 その割には選択公理を認めてる勢力が多いよな
否定派はほぼゼロなんじゃないか ご都合の良い公理を使って得られる定理とか価値があるのだろうか? 数学の公理なんかWell-definedで自己矛盾起こしてなければどんな公理でもOKだろ
あとは「その公理系は面白いか」だけ
面白ければ研究されるし面白くなければ数学史の闇に溶けて見えなくなる 選択公理を【認める】って表現するから混乱してるんだろおそらく
たんに「〇〇の公理」って書かれていれば混乱しなかったはず
公理とはなにか をまず調べるといいよ 選択公理が正しいことは自明じゃないからZFとZFCは別の公理系として扱われているわけだが。
たとえばバナッハ=タルスキーのパラドックスの証明は(現時点では)ZFのみでは証明不可能だろ >>42
それは、バナッハ=タルスキーのパラドックスが間違ってるからだよ 有限集合の場合に成り立つ性質を無限集合についても同じ形で成り立つとする
という御都合主義的(楽観的)直感主義に基づいて、昔はいちいち公理だなんて
仮定せずに、そんなの当たり前でいうまでもないぐらいの気分で、まるで意識せずに
使われてた(闇で導入されていた)のだが、あるとき実はこれは公理(つまり
他の公理からでは導けない命題なんだ!)と云う認識がされてからは、公理に
祭り上げられた。それを認めない流儀もあるが、すでに蓄積された数学の多くの
成果は選択公理を密輸入して使っていたので、ガラガラポンにはできるものでは
ないだろう。ユークリッド幾何では平行線公理を賢明にも公準として述べた上で
幾何学の論理を組み立てていたわけで、なんと偉大なことだろうかと思う。 集合Xにある性質を満たす元が含まれて居れば、その1つを取りだしてこれる
というのは、それをどうやって取りだしてくるかという手順を不問にして
話を先に進めているものであって、便利だが具体性に欠けるものだ。
そのような手順(アルゴリズム)が存在しない場合だってありうる。
集合Xの元で性質Pを満たすものをすべて集めてXの部分集合Yを作ると、
などというのはさらにそれに輪をかけて現実的ではない。 有神論の公理:「神は存在する」
無神論の公理:「神は存在しない」
唯一神教:「神は存在して唯一である」
多神教:「多くの神が存在する」
滅神論:「神は死んだ」 ある数学理論は、(1)矛盾がないこと、(2)語るに価するほどに面白い、ならOKだ。
選択公理を含めた理論、含めない理論は両立しうる。 >>46
仏教「神は存在しても、存在しなくてもいい」
(心の安寧は神の存在とは無関係) >>44
公理なのに証明とかなんとか騒がれてるからなんでだろうと思ったけど
そういう歴史的な経緯があったのね
ようは後だしで公理に格上げされたからモメてるってことか 神の存在は人間の思考の癖あるいは、言語の性格から由来すると思われる。
主客(主語)があって、その動作としての動詞があって、動作の対象がある。
あるいは、原因があって結果が生じるという考え方(因果律)。
そうなると、人間には(容易には)原因の正体がわからない場合でも、
その原因となるものが存在すると考えれば、それが神だったりするわけだ。
「雨が降る」も、雨自体は無生物で意志を持たないとすれば、その雨を
降らせた存在が居るということになり、それが神であるなど。
人が意図してやったのではないが、何かが起こったのだとすれば、
その主格として森羅万象を司る存在が為した業であるとすれば、その
存在とはエスである。 今、平面内の正方形領域S(ただし辺は含まず)
として、S内の通常の意味での二つの「点」PとQに対して
それらをとおる通常の意味での直線が必ず1本存在するから
それを「直線」と呼ぶことにする。S内の普通の意味での点も「点」とする。
つまり「直線」とは領域S内に制限された普通の直線・線分のことだ。
2つの異なる「直線」L1、L2はS内で交点を持てばそれは1つに限る。
三角形なども通常の平面幾何と同様に定義できる。
しかし、この幾何学では平行線公理が成り立たない。
S内の「直線」Lとその直線に含まれない「点」Pを与えたときに、
Pを通りLと交わらない「直線」は無数に引ける。
これは、この幾何学がユークリッド幾何ではないことを意味する。
では双曲幾何になるのだろうか? 正方形ではなくても、普通の意味での凸領域(任意の二点を結ぶ普通の意味での線分が
領域に含まれる)であっても良い。 プログラムで実装できるか考えた時に割と致命的になることがある。 選択公理は必修じゃないから、履修の要件にならないよね。 選択公理を認めないといろいろと不自由になってしまい、論文が書きにくくなって
しまうんだ。認めた場合にだけ成り立つ定理などは、認めなければ成立しないから
それだけでも証明可能性が減ってしまい、論文の製造には不利になる。
論文を量産してパーマネントを得たり、定理に名を留めるためには、
とりあえず選択公理を認めるのが有利だよ。
実に強力な公理なんだから。現実にはできっこ無いことを可能にする
魔法の杖を持ったのと同じ働きをすることがあるわけだからね。 バナッハ・タルスキー現象なら
選択公理がなかった
聖書の時代から知られている 選択公理以外にも、新たな他の公理と矛盾しない強力な公理を見つけ出せれば、
さらに定理とその証明を製造する強力な武器を人類は手に入れたと言えるのかも
しれないな。あんなこといいな、できたらいいな、が公理を認めると
論理の上では可能になるのだ。そこが現実を伴わない論理だけの世界である
数学の便利で素晴らしいところだから。 チャーチ=チューリングのテーゼ
はおそらく証明出来ないような命題で、一種の公理ではなかろうか? 多くの数学者が採用している公理。
数学は有用で価値があり人類の為になる。 理化学研究所ユニットリーダー募集(W22143)
募集研究室
情報統合本部基盤研究開発部門ネットワーク高度利用技術開発ユニット(仮称)
(2023年4月1日新規設置予定)
https://www.riken.jp/careers/researchers/20221003_1/index.html 公理であるから、例を挙げる必要などなくて
その理論体系の中では正しいとするものだ。
神は存在する、という公理と同様。 天国とは何かを定義したら反証できるかもしれないが
そもそも定義しないからねぇ 新しい用語「天国」を定義するとしたら、
定義自身が自己矛盾を含んでいなければ、それは定義であって
命題ではないので、証明出来たり反証できたりするようなものじゃない。 これ系の話聞くといつも思うんだけど
超越的と思われる公理について「神には‥できる」みたいな解釈を与えることで神や人間が存在する形で数学・計算論・論理学を記述したら面白そう >>66
目標は天国の存在(不存在)という命題の証明なので、天国の定義はちゃんとやっておくんなまし 問題は、日本の存在を証明できるかだ。まず、日本の定義をしないと。 最東端東経153度59分12秒,最西端東経122度55分57秒,最南端北緯20度25分31秒,最北端北緯45度33分26秒で囲った集合として定義する 宗教戦争は公理系の異なる論理体系が遭遇した場合の悲劇である。 >>1
普通に認めていいんじゃね?
なぜ認めることに抵抗があるのか分からない。
逆に何の根拠もなく天国を否定するのも非科学的な話だ
天国が存在するという思想体系で生きるか
存在しないという思想体系で生きるか、個人の勝手 「必ずしも必要ではないものは、仮定すべきではない、
それよりも極力単純なものを考えるべきだ」
というオッカムの剃刀といわれる原則・哲学が
普通はあるからな。 >>76
天国の存在を仮定しないと
キリスト教やイスラム教は成立せず、
よって近代科学は発達しなかったと考えられるので
必要だよ
選択公理がなくても文明は成り立つが
宗教がないと文明を維持できないので選択公理も結局は生まれない
天国だけじゃなく神の存在を認めることも必要。
「神が作ったルールがあるはずだ」という信念が
西洋科学の土台となっているからね 科学の論理の公理のようなものとして
「原因があって結果が生じる」というのがある。因果律とかいうものだ。
それから、結果を説明する原因があるはずだ、ということになる。
その場合に、ある時代のレベルでは説明がうまくつかないときには、
原因を神に帰着させるという便法が無意識にとられていたと思われる。
神はサイコロを振らないというアインシュタインの哲学も、
確固たる結果は確固たる原因によって生じるのだという思想があるからだ。 構成する要素全てを列挙することもできないのに、
無限集合の存在を確信して公理にしてしまうのは、
人間の思考癖・信仰なのではなかろうか?
要素が満たすべき性質を与えれば、それで集合が
定まるということは現実的ではないし。
さらに加算無限ならばいざ知らず、非可算無限だと
すれば、なおさら無理。つまり現代の数学の
ほとんどの部分は、虚構の花畑であり楽園なのだ。
そこから外部に出ていこうとすると、道具が使えず
に、たちまち現実の壁にぶつかって挫折をしてしま
うことだろう。 >>構成する要素全てを列挙することもできないのに、
>>無限集合の存在を確信して公理にしてしまうのは、
>>人間の思考癖・信仰なのではなかろうか?
その思考癖・信仰に裨益されるところの大きさというものが
よかれあしかれ今日の世界の特性である。 昔、天国という飲み屋があって、そこのプロモーションのようなソングが
大いに流行ったことがあった。
「天国、良いとこ一度はおいで、酒は美味いし、姉ちゃんは綺麗だ♪」 「ゲーデルの不完全性定理」からすれば、ある命題(定理)があって、
それを、ある公理系では真を証明できず、別な公理系では証明できる
ってことがあり得る。
だから人は、複数の公理系を適当に使い分ければいいんだ。 証明が出来ない公理系Lに、その命題を公理として付け加えた公理系L’であれば、
その命題はL’において真になる。 解が存在するかどうか決定不能なディオファンタス問題には
どのような例があるのだろうか?
具体的な不定方程式を与えて、その方程式に整数解があるかないかを
決定することが不可能であることが証明されるようなものがあれば
観て見たい。 双子素数が無数にあるかどうかとか、
フェルマー素数は有限個だろうかというのも、
決定出来れば素晴らしいのだが。 「証明も反証もできないことが証明されている」のと
「現時点で証明も反証もできていない」は違いますからね。
そもそも公理というものは作りたい体系に応じて必要な物を採用すればよいです。 |そもそも公理というものは作りたい体系に応じて必要な物を採用すればよいです。
それだと数学が分断されて、バベルの塔のような、あるいは
Linuxのディストリが乱立のような状況に陥らない? ほとんどすべての整数は素数では無い。
ほとんどすべての整数の対は互いに素である。
ほとんどすべての整数の対の商は整数では無い。
ほとんどすべての実数は整数ではない。
ほとんどすべての。。。。
という具合にほとんどすべての場合に成り立つ命題を
証明する方が、「ほとんどすべての場合に」という
但し書きの無い命題を証明するよりも易しくて論文の
数が稼げたりするのだろうかな? 物理では多次元宇宙というものがれっきとした学問として研究されてるんだから
天国が存在しても直感レベルにおいて違和感はない >>97
>物理では多次元宇宙というものがれっきとした学問
やることないから、妄想がふくらんでるだけ。 >>98
誰の妄想であるかということが
物理では重要らしい 天国は数学的には認めてもいい。
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