確率と哲学について
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俺は高校生のときから確率は人間が不可知なものに対して「確率」として与えてるものだと思ってる。
例えばコイントスだって表か裏になるかわからないから1/2だって思ってるかもしれないけどもし仮に人間が全ての空気抵抗なりコインへの力のかけ方なりをコントロールできるならば意図的に表にすることだってできるわけだ。だけど人間にはそれが出来ないから「不可知なもの」として、そして大量な試行を重ねた場合ある一定の割合でその事象が起こるから1/2だよねって「確率」としてる訳だと思ってる。
それは太鼓の人間が雷が落ちることに対して当時の人間にとって不可知な現象であるから超越的な存在である「神」のせいにしたのと同様なものである種確率には神性があるものだとも思うんだけど
結局のところ大学2年生になった今でも確率がなんなのかがよく分かってないんだよね 確率は事象の割合じゃね
P→Qになる確率は、Pが真となる事象のうちQもまた真となる事象の割合
事
P,Qは人間の裁量で決まるからそこから出される確率も人間の裁量だよね
例えば1回目にサイコロを投げるという事象とその時に出目が1になるという事象と、2回目にサイコロを投げるという事象とその出目が1になるという事象は厳密には関連の無い全く別の事象だけれども同一とみなしてる
サイコロを投げるという事象なら全部Pを満たす事象として分類されるし(まあ外れ値はあるだろうけど)、その時に1が出る事象もまた全てがQを満たす事象として分類される
全く別の事象を勝手に分類してるのが確率だろう
まあ分類の仕方が適切であれば確からしさという量を得て、それを何かの判断に使えるんだろうから確率が当てになるか否かは分類の適切さ次第かな? >>1
ラプラスの魔っぽい考え方だけど、一応量子力学分野で否定されてるからもし知らなければ調べてみ
確率の成立とかの話をしてるんなら数学史だし門外漢やからノーコメ >>6
>一応量子力学分野で否定されてるから
量子力学が間違ってる >>7
そこまで断言されると自信なくなってきたわ
とりあえずソース探したけど見つからんかったから貼ってくれんか アインシュタインとボーアが登場したみたい
ラプラスの悪魔だから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています