なぜ「同型」な対象は同一視できるの?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
俺が紙の上に書いた「1+1=2」と、お前が紙の上に書いた「1+1=2」は、
筆跡をよく見ると厳密には形が違うのに、それらが意味している本質的な内容は
全く同じであることを誰もが了解している。トンチでもあるまいし、
「表面的な記号の筆跡が違うから意味も違う」と考えるバカはいないわけだ。
表面的な表現方法の違いを無視して、それらが意味する本質的な内容のみに着目して
「意味する内容は同じ」と考えるのが同一視。ここで「意味する内容」とは書いたが、
では具体的にどんな内容に注目しているのか、それを指定するのが同型写像の役割。 >>2
の回答が的を射ている
>>3
は正否はともかくとして「なぜ同一視したいのか」であって「なぜ同一視できるのか」ではない 横から失礼します。
同型と標準的同型って何がどう違うんですか? 可分なヒルベルト空間は点列空間l^2に同型だがそれでは作用素については何もわからない A パンツを履く、 B ずぼんを履く、 C 靴下を履く
パンツを履いてズボンを履くのは正常だけど、ずぼんを履いてパンツを履いたら異常
だからBAとABは等しくない
パンツを履いたあと靴下を履いても正常、靴下を履いたあとパンツを履いても正常
だからAとCは可換
同じようにBとCは可換
なぜズボンを履いた後パンツを履くとダメなのか教えてください >>8
小学生の頃に真面目にRPGの装備起因の防御力を考えるためにそういう発想してたわ俺。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています