>>562
俺が20才ぐらいの時にガチ数学に興味を持ち始めて取り組んだ時に持った感情と同じことを感じてるな

俺の経験で言うと、徹底的に疑って自明なレベルまで納得の出来る数式表現なり、証明の進め方なりを求めていった。
例えば、「●●である、ゆえに■■である」って議論があったら、本当にそうなのか、この”ゆえに”の部分には一体どういう議論が省略されているのか
って事を疑いまくった。
で、それを繰り返している内にちょっとずつ力がついていって、この”ゆえに”の行間を埋めれるようになって、納得が出来るレベルにまでいけた。
例えば、「Aが成り立っている、同時にAならばBでもある。ゆえに、Bである」
↑こんな議論をみたら自明すぎて”ゆえに”の行間なんてありえないだろ?
こういう風にして”ゆえに”とか”従って”とか”だから”の言葉の裏にある省略された議論を引き出し、上記のようなA,Bに当たる命題まで遡っていったりしてた。

こういうやり方はかなり時間が掛かるけど、若い内の体力ある内にこういうタイプの「筋トレ」はしておいた方が良い。
ある程度慣れてくると、知ってる議論ならこの”ゆえに”が拒否反応を示さず納得できるようになってくる。

”ゆえに”に焦点を当てて語ってみたが、”=”についても同じで、この”=”を導く際に、他のどの数式を援用したのかとかも同じように考えまくってたな、俺は。

で、自分が考えた証明と模範解答の違いだけど、向き合う根本精神は全く同じで、自分が作った証明における”ゆえに”や”だから”や”なので”
について徹底的に「本当にそうなのか?」「ツッコまれたら答えれるのか?」とか自問自答しまくるといい。


俺は、そういう風な態度で臨んだ結果、論理や式変形にまで疑問を持ち始めて数学基礎論に興味を持った。
もうここでは、数学の証明は記号変形として定義されていて俺の脳にメッチャしっくりときた。