今日はジムで一日中遊んでてくたくただし、そもそももうあんまり書くこともないし。
書けって言われてもな。
もう書きたい事は書いてる。
時枝先生の元記事であれだけ確率確率連呼してるのに確率論でなければ正当化できるとか言う意見に何を言えと言うの?
時枝戦略では時枝先生の定義した関数(もちろん選択公理下でwell defined)を用いて
D=max{d(y),d(z)}+1
としてD番目の箱の値をr(C(x))[D]と推定する。
もちろん標本空間上の関数としてwell defined。
この推定が正解である確率がP(x[D]=r(C)[D))≧2/3。
それ以外にどう読めっての?
反論は全部目通してないし通す気もないけど "理由は時枝記事よく読めばわかる" とかなんとか。
そんなもんにどう反応しろっての?
ただし例のナゾナゾはよくできてるとは思うよ。
実際時枝戦略は中々面白い。
しかし確率論のテーマとしては正当化できない。
なんとかならないかと頭をひねってあのナゾナゾ思いついた人は偉いと思うよ。
間違いなく時枝戦略にインスパイアされて出てきた面白い話だとは思う。
しかしあのナゾナゾを持って "まさにコレ。コレが時枝先生の記事に書いてあった事" になるわけないでしょ?
後私はレスバになんか興味ないし。
ここの常連の人物評なんてしません。
興味あるのはどっちが言ってる事が数学的に正しいかのみ。
学生時代も今も一生懸命数学勉強してるし、今も細々ながら勉強は続けてるし、オレは数学だけには正直でありたい。
こいつの肩持つと集中砲火浴びていやな思いしそうだから黙っとこうとかは思わない。
オレの書いた意見に対して反論する価値ありそうな意見にならレスするけど、まぁでて来ないだろうと思ってる。
数式にきちんと起こして書き下してみれば元記事の時枝先生の定義が到底可測性を保証されたものでない事は最初のレスで指摘したし、別の定義で回避できる見込みもまずない事もまぁ間違いないだろ。
あの記事読んでそれでも確率論出ないと言いたいならお好きにどうぞ。
あのナゾナゾこそ時枝記事の真意というならどうぞご勝手に。