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現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む74

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0001現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2019/08/01(木) 20:35:45.70ID:3WolrY+P
この伝統あるガロアすれは、皆さまのご尽力で、
過去、数学板での勢いランキングで、常に上位です。

このスレは、現代数学のもとになった物理・工学の雑談スレとします。たまに、“古典ガロア理論も読む”とします。
それで宜しければ、どうぞ。
後でも触れますが、基本は私スレ主のコピペ・・、まあ、言い換えれば、スクラップ帳ですな〜(^^
最近、AIと数学の関係が気になって、その関係の記事を集めています〜(^^
いま、大学数学科卒でコンピュータサイエンスもできる人が、求められていると思うんですよね。

スレ主の趣味で上記以外にも脱線しています。ネタにスレ主も理解できていないページのURLも貼ります。関連のアーカイブの役も期待して。
話題は、散らしながらです。時枝記事は、気が向いたら、たまに触れますが、それは私スレ主の気ままです。

スレ46から始まった、病的関数のリプシッツ連続の話は、なかなか面白かったです。
興味のある方は、過去ログを(^^

なお、
小学レベルとバカプロ固定
サイコパスのピエロ(不遇な「一石」https://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=_SrJKWB8rTGHnA91umexH77XaNbpRq00WqwI62dl 表示名:ムダグチ博士 Yahoo! ID/ニックネーム:hyperboloid_of_two_sheets (Yahoo!でのあだ名が、「一石」)
(参考)http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/c1f41fcec7cbc02fea03e12cf3f6a00e サイコパスの特徴、嘘を平気でつき、人をだまし、邪悪な支配ゲームに引きずり込む 2007年04月06日
(なお、サイコの発言集「実際に人を真っ二つに斬れたら 爽快極まりないだろう」、「狂犬」、「イヌコロ」、「君子豹変」については後述(^^; )
High level people
低脳幼稚園児のAAお絵かき
上記は、お断り!!
小学生がいますので、18金(禁)よろしくね!(^^

(旧スレが1000オーバー(又は間近)で、新スレを立てた)
0377現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2019/08/10(土) 10:13:40.15ID:AHc3nl9z
>>376

つづき

『前者』…つまり「無限とは『実在』している」という考え方を『実無限』派と言います。
我々が知らず知らずの内に植え付けられている無限に対するイメージがこれです。

対する『後者』…つまり「果てしなく展開できるという『可能性』としての無限が存在するのみ」という考え方を『可能無限』派と言います。
あまりうまい言い方ではないですが、「天井知らずの有限」「人間が無限に近づこうとする作業」といったイメージでしょうか。

ここにおいて、『実無限』と『可能無限』という2つの「無限」の見方が出来ました。
果たしてどちらの見解が正しいのでしょうか。

結論から言うと「どちらが正しい」ということは言えません。

実無限の立場では、パラドックスを回避できません。
しかし、無限は実在すると考えればそれを数学的に議論することが出来ます。
前回の「無限級数」という考え方は「無限回の作業」が『実在』するからこそ「無限回の足し算」として式に表すことができたわけで、実無限の賜物なわけです。

可能無限の立場では、パラドックスを解消することが出来ます。
しかし、「可能性としての無限」なんてものは式で表すことなどできません。
「人は延々と足し算を続けることが可能ではあるがそれは決して完結しない」という考えは、無限級数とは明らかに異なります。
可能無限は、もはや数学の領域を離れ哲学の領域といっていいでしょう。

『無限とは何か』を議論する際、このような実無限と可能無限の2つの立場の対立は避けられません。
(個人的にはこの無限論における実無限と可能無限の対立は、普遍論争における実在論と唯名論を連想させます)

つづく
0378現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2019/08/10(土) 10:14:56.83ID:AHc3nl9z
>>377
つづき

現在の数学は基本的に『実無限』の立場をとっています。
無限を数学的に扱うための「集合論(素朴集合論)」を確立したカントールが実無限の立場であり、その立場の元発展してきたからです(というか実無限の立場だったからこそ数学的に扱う理論にできたわけですが)。

当然パラドックスは回避できないわけですが、余程特殊なケースを考えなければ議論に問題はない(事実前回の無限級数の結果は事実と一致しています)ため、パラドックスには「目をつぶって」数学的な扱いのできる無限を採用しているわけです。

パラドックスの発生しない範囲で実無限を扱っていると言い換えてもよさそうです。
前回紹介したゼノンのパラドックスは無限級数の考え方で解消できるので「数学」の範囲内ですが、超作業法のパラドックスまで行ってしまうとそれは「数学」の範囲外であり考察の対象ではない。という考え方です。
(誤解の無いよう言っておくとこれは僕個人の考え方です、数学における無限の扱いは分野や個人によって微妙に異なっています)

一方で数学的な議論が必要でない日常生活においては我々は意外と『可能無限』的な考え方をしているような気がします。
先ほどの例でいうと「石の中に予めあらゆる石像の形が内在している」と考えるより、人間が削りだすことによってはじめて石像が生み出されると考えたほうが自然な感じがしますし、イマドキのJ-popによくある「無限の未来」がどうのこうのという歌詞の「無限」は可能無限的な意味で使われていると考えられます。

表題の「無限とは実在するか」という問題提起に対する返答は
「『実無限』の立場に立てば実在する。『可能無限』の立場に立てば実在せず可能性としての無限があるだけである」
というものになるでしょう

有限の存在である我々人間が「無限」なんてものを考えようとした場合はこのようにケースに応じて立場を変えるほかないのかもしれません

少なくとも今現在では、実無限と可能無限のどちらが正しいということは言えず、1つの立場から統一的に無限を語ることは不可能です

興味が湧いた人は、実無限と可能無限の哲学的な関係について知りたい人は『無限論』、数学における無限の扱いについて知りたい人は『無限集合論』という分野の本を見てみるといいでしょう
(引用終り)
以上
0379132人目の素数さん
垢版 |
2019/08/10(土) 10:25:07.03ID:YVEy2auq
>>374
>では自然数の集合を何というのだ

自然数全体の集合は存在しない!
とさんざんいってたのに
今更認めるのか?

哀れな素人はついに発狂したか?
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