>>376

つづき

『前者』…つまり「無限とは『実在』している」という考え方を『実無限』派と言います。
我々が知らず知らずの内に植え付けられている無限に対するイメージがこれです。

対する『後者』…つまり「果てしなく展開できるという『可能性』としての無限が存在するのみ」という考え方を『可能無限』派と言います。
あまりうまい言い方ではないですが、「天井知らずの有限」「人間が無限に近づこうとする作業」といったイメージでしょうか。

ここにおいて、『実無限』と『可能無限』という2つの「無限」の見方が出来ました。
果たしてどちらの見解が正しいのでしょうか。

結論から言うと「どちらが正しい」ということは言えません。

実無限の立場では、パラドックスを回避できません。
しかし、無限は実在すると考えればそれを数学的に議論することが出来ます。
前回の「無限級数」という考え方は「無限回の作業」が『実在』するからこそ「無限回の足し算」として式に表すことができたわけで、実無限の賜物なわけです。

可能無限の立場では、パラドックスを解消することが出来ます。
しかし、「可能性としての無限」なんてものは式で表すことなどできません。
「人は延々と足し算を続けることが可能ではあるがそれは決して完結しない」という考えは、無限級数とは明らかに異なります。
可能無限は、もはや数学の領域を離れ哲学の領域といっていいでしょう。

『無限とは何か』を議論する際、このような実無限と可能無限の2つの立場の対立は避けられません。
(個人的にはこの無限論における実無限と可能無限の対立は、普遍論争における実在論と唯名論を連想させます)

つづく