こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は
自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。
これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのは
かなり後のことである。

なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、
この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、
吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、
第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。

現皇統は南北朝の合一以来、北朝である。