>>908
>「有限の文字情報では伝わらないことがあるんじゃないか」

ついに論理屋の機嫌に命運を託したか。この言葉は望月さんが数学者として敗北を認めたようなものだね。

釈迦に説法かもしれんが、なぜこうなったかを説明する。
望月さんとショルツは数学の基礎の部分の解釈で対立している。というのは皆の認める所だと思う。
そして数学者自身が認めたがらないことだが、数学の基礎は民主主義で決まる。
喩えると、21世紀に数学教というオワコン宗教がある。
「点と直線は存在する」、「数字は等分された要素であり存在する」、また「その数字同士で足したり掛けたりする操作は認められる」、..................、「数学のルールは言語で記述されうる」
といった数多もの教義を「数学者」と自称する数学教の信者さんたちはとても大事にしていて、それら教義が私たちの住む自然界にきっちり対応していると信じて疑わない。
その信者たちの中でも特別陰気で、最も目立たない、日陰者である「論理屋」と呼ばれる陰キャたちが深夜にごそごそと教会に集まって、それらの是非を隈無く議論しては投票し、多数決でルールを決めている。
その多数決による決定プロセスに絶対真理はないし、ゆえに数学という言語を「自然」に根拠付けることは絶対にできないということは彼らも薄々気づいている。
しかし、そのことを認めると数学の権威が落ちるので、今まで彼らは哲学者の仮面を被っては「ア・プリオリ」とか「自明」、「経験上に真」などと言って散々ごまかしてきた。