>>96
検索して調べた結果、英語で書かれている哲学の論文はある。
言葉を定義して議論を論理的に展開したり、他の科学の結果を使って議論を展開したりする手法もある。
だが、幾つかの哲学科のシラバスを検索すると、哲学科で教えていることは、
古代ギリシア語やラテン語とくいった特殊な言語の習得や、数理論理の基本を除くと、
雑多な寄せ集めの内容になっていて、哲学科では何やっているのかよく分からない。
哲学の論文の内容としては、数学や自然科学、社会科学、人文科学の諸分野の内容だけでなく、
芸術(美しさの捉え方の問題)や文学(?)を論文の題材にしてみたりしていて、何でも論文の題材になるみたいだ。
だが、芸術は本来言葉より完成が先にあって成り立つから、言語を用いて、哲学で分析しても仕方ないだろう。
哲学全般に共通する基本的な問題意識としては、…とは何か? という形になるようだ。
これは、扱っている対象を定義可能なときは、その対象を定義したら論理的な議論をすることになる。
(こちらは、方法論としては、数学の手法とほぼ同じ)。或る意味で数学につながる。
もし、扱っている対象を定義出来ないときは、個々人で捉え方が違うということになって、終わりのない問題になる。
(そちらの例には「認識するとは何か?」が挙げられて、そういった類の問題や対象は、何が何だかよく分からない議論に終わる)。