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数学を初めとした理系の学問と哲学について 
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0001132人目の素数さん
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2018/05/19(土) 03:10:23.11ID:xoGGPCWd
数学と哲学は(開)近傍にある、もしくは、そこに類似の学的構造がある
ということは無いのかと考えて、数学板にスレを建てました。

ピタゴラス、デカルト、ライプニッツ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、
ホワイトヘッド、フレーゲ、クリプキ、ゲーデル、パスカル、ベルクソン、
ブール、パースetc.と、数学者と哲学者と兼ねた人物が多かったり、
数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多いのではと思い、
共に高度な論理性と抽象性が要請される点など、両者には共通の構造が
あるのか否かをここでじっくりと考えていきたいと思います。
0237132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/13(金) 17:30:42.66ID:1uz/QrFw
ラッセルは数学の持つ必然性を説明するために、数学を論理学に還元しようとした。
それを現在の区分から言えば、正確には論理学と集合論への還元にあたるが、
ラッセルは集合論において、集合という外延的な存在者を認めず、命題関数という
内包的存在者を根本概念とした。これにより、数や集合という存在者を認めず、
個体と命題関数、命題だけを存在者として認めることにより、数学に解釈が与えられる
ことになる。また、論理学と集合論の公理さえ認めれば、数学の公理や定理をそこから
演繹することができる。こうした試みは「論理主義」と呼ばれ、ヒルベルトの
「形式主義」、ブラウアーの「直観主義」と並んで、20世紀初頭の数学の哲学の
代表的な立場の一つだった。
0238132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/13(金) 20:38:17.77ID:1uz/QrFw
ここにラッセルの判断論を図式にまとめてみよう

関係<R>が対象<a>と<b>を関係付けているとき、そうして構成される事実を
<R (a,b)>と表記する。ここで()は、関係が作用する範囲を表すだけで、
独立して存在できる対等のまとまりを表していないが、<>で括られた部分は
独立して存在することができる。

「オセロ」、「デスデモナ」、「キャシオ」、「愛する」、「信じている」
という表現が意味する対象や関係をそれぞれ、<o>,<d>,<c>,<L>,<B>とする。

オセロが「デスデモナはキャシオを愛している」と信じている、という事実は
どのような構造をしているのか。
0239132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/13(金) 20:38:41.02ID:1uz/QrFw
ラッセルの理論によれば、それは次の事実αである。

<B (o,<L (d,c)>)> ……α

つまり、<o>と<L (a,b)>という2つのものを<B>が関係付けていることになる。


また、別のラッセルの理論によれば、

<B (o,L,d,c)> ……β

となる。(対象と関係の一つ一つに<>を付けるべきだが、式が煩雑になるので省略)
0240132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/13(金) 20:39:16.19ID:1uz/QrFw
αは<L (d,c)>というオセロが信じている内容となる命題という部分を持ち、
これはαから独立して存在することができる。またオセロがもっと複雑なこと、
たとえば「デスデモナはキャシオをその若さゆえに愛している」と信じたとすれば、
命題となった部分の構造が複雑化するが、信じるという関係<B>は、オセロと命題の
間の二項関係のままである。

一方βは、そうした命題という独立して存在可能な部分を持っていない。
<L (d,c)>というものが仮にあったとしても、それはβの構成要素でなく、
その外部にあってβを真にするような事実である。そして、オセロの信じることが
複雑になればなるほど、関係<B>が関係付けるものの数も増える。そこでこの理論は、
多項関係理論と呼ばれる。
0241132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/13(金) 21:09:38.16ID:1uz/QrFw
>>236 ふーん、そうなんだ

ただ、ラッセルやゲーデルの数学の哲学的立場は、数学実在論だと思うよ。
つまり、数学的な真理はアプリオリに実在している。だから各々の偉大な
数学者は、その数学的な真理をアプリオリを発見したのであって、
それを発明、創造したのではないだろう。たとえ、それが数学者同士での論争の末に
決着がついたものであれ、それはアプリオリに数学的な命題や真理としてあった、と
想定してみてもいいだろう。
0242132人目の素数さん
垢版 |
2018/07/13(金) 21:12:24.30ID:1uz/QrFw
たとえば、ギリシアの3大作図問題の一つに、角の3等分問題がある。
この場合、与えられた量の3乗根を求める必要があるためコンパスと
定規だけでは作図不可能であることが知られている。

「定規とコンパスを使って作図」とは、(1)定規は2点を直線で結ぶ(目盛りは使わない)、
(2)コンパスは円を描く、(3)あくまでも手順は有限回である、ということを意味している。

さらには、「作図可能」とは、全ての角において作図可能ということであり、
例えば、直角( 90度)のような特定のケースだけ、作図可能であっても答えにはならない。
1837年に、フランス人数学者ピエール・ローラン・ヴァンツェルによって解決されたもの。

それで、頂点の数が素数の正多角形で正3角形と正5角形はコンパスと定規で作図可能
なのはユークリッドの時代から知られていて、それから長い間、コンパスと定規で
作図可能なのはこの2つの図形だと考えられたいた。でも、ガウスは正17角形も
コンパスと定規で作図可能なのをある朝知った。つまり、ユークリッドの時代から
2000年も経て、その数学的真理を発見した。

だから、数学は創造ではなく、アプリオリに存在する真理の発見だと考えてみても
いいだろう。
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