数学を初めとした理系の学問と哲学について
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数学と哲学は(開)近傍にある、もしくは、そこに類似の学的構造がある
ということは無いのかと考えて、数学板にスレを建てました。
ピタゴラス、デカルト、ライプニッツ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、
ホワイトヘッド、フレーゲ、クリプキ、ゲーデル、パスカル、ベルクソン、
ブール、パースetc.と、数学者と哲学者と兼ねた人物が多かったり、
数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多いのではと思い、
共に高度な論理性と抽象性が要請される点など、両者には共通の構造が
あるのか否かをここでじっくりと考えていきたいと思います。 >>99->>104
具体的な論文名が出てきませんね
どうせ読んでないんでしょうね
とても科学的な態度とは思えません
ググって題名調べて終わり、あなたたちが毛嫌いしてる、頭の中の哲学者そのものではないですか? >>93
>文系哲学は科学タームを修辞的に用いて、知的体裁があるものと装っているのだろうね。
>>99
>だが、幾つかの哲学科のシラバスを検索すると、哲学科で教えていることは、
>古代ギリシア語やラテン語とくいった特殊な言語の習得や、数理論理の基本を除くと、
>雑多な寄せ集めの内容になっていて、哲学科では何やっているのかよく分からない。
実際に読んでもいない論文を、シラバス見て専門用語並べただけで内容がわかった気になれるんですね
科学批判批判は文系哲学なのでしょうね >>105
>具体的な論文名が出てきませんね
>
>どうせ読んでないんでしょうね
哲学の論文を読むことは、哲学者がすることだろ。
哲学専攻の人でなくても哲学の論文が読めて内容が分かれば、
他の分野の専攻者でも哲学の論文が読めて、哲学科とかの存在意義がなくなってしまうじゃん。
高校の倫理の一部は哲学の内容になっているだろ。 >>106
>科学批判批判は文系哲学なのでしょうね
そもそも、批判するとは何か?
批判するという現象の解明だけでなく、
批判的な態度を諸分野に生かさないことには、これといった意味がないと思われる。
客観的に見たら、批判するとは何か? という問いへの答えは
唯一つではないどことか、人によって答えは異なる。この問いは終わることがない。 自己批判に向かうことで学問的に真摯な振りをしたいのかもしれないけど、
科学批判にも多様な形があり得ると暗に認めちゃって墓穴掘ってる >>106
>>108の一番下の行における訂正:
唯一つではないどことか、 → 唯一つではないどころか、 >>109
>科学批判にも多様な形があり得る
それだと、むしろ個人的な考えが強く反映されるということになる。 もしかしてカントも知らずに倫理の教科書がどうとか言ってるのか
無知はある意味で最強というが… >>112
カントの純粋理性批判や西田幾太郎の思想とかのことは、
多少は高校の倫理の教科書にも書かれていたぞ。 数学の場合は、なるべく解が求まる方向で動いていくけど、
哲学の場合は、問いそのものをメタ視点で新たに問い直す方向で
動いていくので、そもそも端から解の収束を目指していない感じが
する。哲学はむしろ、一般解を縦横無尽にスライドさせていき、
解を転覆、無化する傾向さえ感じられる。
ふーん、なるほど、そのような変わった物の見方や捉え方もあるのだな、
というように、哲学は人々が客観的・一般的であるとみなすものを
「実はそうではないよ」と説く。数学にもそういう要素がある。たとえば、
人間の直観的な認識から、虚数や無限小などの概念は現れてこないだろうから。
グラフ理論などでも、2つの或るグラフGとHを直観的にだけその経路を見てしまうと
全然別物に見えるものでも、その頂点と辺の接続状態だけに注目すると、それらに
同型と呼ばれるものがあるように、数学にもメタ認知的な要素があるだろう。 >>107
つまり、論文を読んでもないのに批判してるんですか?
科学を理解してないのに哲学やってるとあなたがバカにしてる哲学者と何が違うんですか?
てかそんな人の存在すらまだ示されてないですけどね
今までの議論で示されたのは、論文も読まずに哲学者を批判するレベルの低い人がいる、ということだけです >>115
>科学を理解してないのに哲学やってるとあなたがバカにしてる哲学者と何が違うんですか?
>
>てかそんな人の存在すらまだ示されてないですけどね
科学の哲学と科学とでは、手法が全く違う。
科学の哲学では、(大規模な)設備を使った実験はしないのではないか。 >>116
科学では実際に論文を読むことなくグーグルで上っ面かじっただけでもわかったことになるんですか? アホみたいに税金使って実験したところで、結局グーグルするんだったら、実験なんかしなくてもよくないですか? >>96
論文の存在を証明できないので、虚学ですね なるほど、そんな論文ないんですね
では、藁人形論法して喜んでるような低レベルしかいないということですね >>117-118
自然科学に限らず、人文科学や社会科学の諸分野にも、数学が応用されている分野は
かなり多くあって、実験や観察、観測を繰り返して経験的な方法で法則や事実をつかみ取る手法や、
行った実験や観測の数値が何故そのように出て来たのか?
ということを問題にして逆に実験や観測の数値から法則や事実を取り出す
というような方法論はある。これらは、(応用)数学をしていれば、分かるときもあると思う。
>>115
>科学を理解してないのに哲学やってるとあなたがバカにしてる哲学者と何が違うんですか?
書く内容が違ったような気がするが、フランスの大学入学資格試験であるバカロレアには
哲学の試験が含まれていて、フランス人は、大学に入る前までに哲学の手法を身に付けているようだ。
日本の大学だけでなく、フランスの大学にも、哲学科に相当する学部或いは学科はあるだろう。
これは、科学を理解していなくても哲学している人物の例に当てはまるのではないか? >>121
>これは、科学を理解していなくても哲学している人物の例に当てはまるのではないか?
でも、あなたはシラバスの題名だけ読んで済ませようとして中身を読まないので、本当にそのような人がいるということは示されてませんよ?
あなたの妄想ですよね、今の所は
早く示してください?
あと私は数学とか自然科学はある程度はわかりますからね
知ったかしてないで、科学を理解していなくても哲学している人物、の存在性を示してくださいね 科学タームを修辞的に用いて、知的体裁があるものと装って、論点をずらし続けて私が諦めるのを待つのはやめませんか(笑)? >科学を理解していなくても哲学している人物、の存在性を示してくださいね
日本ではニーチェがやたら人気があるけど、典型的な科学音痴の哲学者っぽいよね。
ニーチェは哲学者というより、文学者に近いイメージだね。デリダも科学音痴っぽい、
同じく文系修辞哲学という感じがする。
ドゥルゥーズ・ガタリの場合は、数学や科学の知識はあるけど、それらがポモ的に
恣意的に乱用されすぎている嫌いはありそうだ。とにかくそれらが、比喩やポエジーの
ように使わているので、読者を煙に巻くのが目的なのかと訝られても多少は仕方ない点もある。
>ID:foR26SUlは、興奮しやすいヒステリックなタイプなので、冷静な議論を要する
科学や数学、哲学のいずれにも向いてないだろうなw >>124
ある無矛盾な公理系τの任意のモデルに対してある論理式φが常に真となるならば、τからφがLKにおいて証明可能となることを示せ
わからないんですね
ようやく人の名前が出てきましたね
たとえば、どの論文が科学音痴なんですか? >>123
>科学を理解していなくても哲学している人物、
>>121の後半に書いたことから分かるかも知れないが、
フランスの大学に入ろうとするフランスの高校生の中でも文系の人達がその例に当てはまる。
フランスの高校の段階では、特別な人を除き、多くのフランス人高校生は科学を理学部のように学んではいないし、
高校の段階で哲学する手法を学んで身に付けているから、彼らは哲学しているといえる。 >>125
だから、その辺りの事情はアラン・ソーカルの「「知」の欺瞞」に詳しく書かれて
いるから未読であれば、参照するといいよ。ちなみにソーカルは、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの数学教授とニューヨーク大学の物理学教授を兼任する
学者。専門は統計力学と組合せ数学。一般には、ポストモダニズムへの批判者として
最もよく知られる。 >>127
ソーカルさんの本では、どのような人がどのような意味で科学音痴だと書いてあるんですか?
本当に読んでるはずなら答えられるはずですね >>128
君のような人が典型的な科学音痴だとそこに書いてあるよ。
嘘だと思うのなら、自分で読んでみなさい。
他人にネットで聞いて楽しようとするなんて、それこそ君の批判する
内容(読みもしないで批判)そのものだろうね。自己言及の矛盾に陥っているよ。 >>129
ある無矛盾な公理系τの任意のモデルに対してある論理式φが常に真となるならば、τからφがLKにおいて証明可能となることを示せ
でもあなたこれわかりませんよね >>129
読んだなら答えられるはずですね
答えないということは、よんでないということです >>132
君はもしかして、不勉強で怠け者の反知性主義者?
>ある無矛盾な公理系τの任意のモデルに対してある論理式φが常に真となるならば、τからφがLKにおいて証明可能となることを示せ
馬鹿の一つ覚え? より深刻なのは、明快な思考と明晰な書き方を放棄することが
教育と文化に与える悪影響だと我々は考えている。
(中略)
評論家ケイサ・ポリットがいみじくも否定しているように、
「ソーカル事件の喜劇は、もしかしたらポストモダンの思想家たち
さえ、お互いの書くことが本当は分かっていないのではないかと
思わせてくれることだ。彼らは、一つの聞き慣れた名前とか用語を
次へと移ることでテクストを辿っていく。まるで睡蓮の葉から葉へと
跳んで濁った池を横切っていく蛙なのだ」。
意図的に分かりにくく書かれたポストモダニズムの著作とそこから
醸し出される知的不誠実は、知の世界の一部を毒し、すでに
一般大衆の間に蔓延している軽薄な反‐主知主義に拍車をかける
ことになる。ポストモダニズムにおける用語の曖昧さと具体的な
現実からのほぼ完全な遊離は、状況をさらに悪化させる。 ラカン、クリステヴァ、ボードリヤール、ドゥルーズらの著作に見られる
科学的な厳密さに対する気のない態度は、フランスでは1970年代に否定
しようもない成功をみたし、その影響は今日でも十分大きい。このような
知の傾向は、フランスの外へと、特に1980年代と1990年代には英語圏
に浸透していった。これとは逆に、認識的相対主義は、1970年代に主として
英語圏で(たとえば、「ストロング・プログラム」に伴って)発展し、
後にフランスにも広がった。
以上、「知の欺瞞」からの引用だけど、ソーカルは、認識的相対主義にも
科学的なタームが恣意的かつ出鱈目に使われていることを批判している。
要するにソーカルが批判の対象にしたかったのは、>>134みたいな人間。 >>136
ある無矛盾な公理系τの任意のモデルに対してある論理式φが常に真となるならば、τからφがLKにおいて証明可能となることを示せ
わからないんですね >>137のようなスタイルのやり取りが、ソーカルが批判した典型的なポモ思想家のやり方ね。
何の脈絡もなく、テキストに書いてある通りの証明問題をただ書き写しただけなのに、
それで自分が知的優位に立てると中二病的に妄想する。あとは、ソフィストよろしく
くだらない詭弁を弄したり、不毛な揚げ足取りに終始する。つまり、典型的な構ってちゃんの
詭弁家だね。このようなバカな人間になるのを避けることが、賢明な人間のあり方だろうね >>138
これは先ほどの問題よりも重要です
また、近くに線路や高い所はありますか? >>128
ドゥルーズとかラカンとかクリステ婆とか 願望
文学部哲学科の哲学は言葉遊び、学問ですらない
現実
ラカン、クリステヴァ、ボードリヤール、ドゥルーズらの著作に見られる
随分と矮小化されてしまったけど、まあこんなもんだよね 科学の影響を受ける以前の哲学のほうが面白い
プラトンは自然科学から距離を置いてたし ソフィストの空っぽの頭蓋骨叩くとピタゴラス音階でいい音しそう 何かを皮肉ってるようで実は何も考えてない
とは>>145のことか >>142
実際学問のふりしたポエムみたいなもんだしね >>147
>>142を読んでその返答が出てくるのは理解不能 ところで文学やポエムが社会に必要かと言うと
それは明らかに必要なんだから
哲学も必要なんだろう >>137
お前はわかるのかよ?
証明はどこで読んだんだ?
証明読んだなら証明の概略言えるはずだよな?
言ってみろよ?
言えないのだったら138に土下座して謝ったほうがいいんじゃないか?
ゲーデルの完全性定理を微分幾何とか他の分野の数学者に質問したって答えようもないだろ。
お前の議論と言うか難癖のつけ方は卑怯だ。クズだな。
まず証明の概略を答えてみろ。
答えられないのか? >>153
τの極大無矛盾な公理系Tを形成して、T内の論理式を構成する形式的文字列それ自身を対象とみなしてモデルMを構成します
τ|-φ⇔T∋φ⇔T|=φ
τ|-φでない⇔T∋φでない⇔T|≠φ
このようにすると、Tはτのモデルとなります
今、無矛盾な公理系τの任意のモデルに対して論理式φが常に真となるのに、τからφが証明可能でない、と仮定します
τ∪{¬φ}は無矛盾となりますから、完全性定理によりモデルMが存在して、M|=¬φが成り立ちます
しかし、これは、任意のモデルに対してφが真であるという仮定に反します >>154
無矛盾ならモデルが存在するということの証明の概略を質問してるんだよ。
例えば微分幾何の難しい定理の系をどこかの本から持ってきて代数的整数論をやってる数学者に
「わかるかよ?、わかるかよ?」と絡んでも答えようもないだろ。
それで横から「お前はわかるのか?」と質問されて定理から系の証明の解説をネットで見つけて答えても答えになってないから。
文学部哲学科の連中は自分でもわからない事を相手にもわからないだろうと高を括って知ったかぶりをするんだよな。 >>140
自分で勝手に線路でも高い所でも探して逝ってくれ。
あ、線路はダメだ。電車止めないでね。 >>155
>>154
>τの極大無矛盾な公理系Tを形成して、T内の論理式を構成する形式的文字列それ自身を対象とみなしてモデルMを構成します
>τ|-φ⇔T∋φ⇔T|=φ
>τ|-φでない⇔T∋φでない⇔T|≠φ
>このようにすると、Tはτのモデルとなります
読めないんですか? >>157
こちらの質問の答えになってないよね。
わからないんだね。
知ったかぶりがバレていることも分からないんだよね。 >>162
あなたが数理論理がわからないので、>>157が証明になってることもわからないんだと思いますけど あ、τの極大無矛盾な公理系、というのは間違えですね
τの言語に、∃を含む論理式∃xAに対して定数記号cを追加した言語に、公理∃xA→Acを追加した公理系τ'に対する極大無矛盾な公理系、ですね >>163
モデルの構成の概略を言ってみろというこちらの質問の意味も分からないんだね。
証明の中心部分がどこだかわかってないようだね。
お前が証明を読んでいないのがよくわかるよ。
証明読んだことないのに、知ったかぶりしてたんだねwwww >>167
あ、τの極大無矛盾な公理系、というのは間違えですね
τの言語に、∃を含む論理式∃xAに対して定数記号cを追加した言語に、公理∃xA→Acを追加した公理系τ'に対する極大無矛盾な公理系、ですね >>167
あなたの住所を特定して、殺害せよ、という問題がわかりません >>167
自殺もできないのに数学ができるんですか?
できませんよね フランスのグランセコールの試験で「説明する」という単語について考えて
文章を書いて答える哲学の問題が出されたことがあったみたい。
その問題の意図は全然よく分からん。
哲学の場合、そればかりしていると、バカになりかねないぞ。 >>169
>>171
>>172
警察の方を待っているんですか? >>177
ゲーデルに詳しいの?それなら、ゲーデルがその完全性定理の導出に用いた
スコーレム標準形や非範疇性定理をどのように扱ったのかを説明してみて。
それで、あなたの実力の真贋を判定してみるから。逃げないでね。 >>179
こんな簡単なこともわからないとか、恥ずかしくないんですか? >>182
なら、しなければならないことはわかりますよね?
わからないんですか? >>185
わかりました、自殺をしようと思います
ありがとうございました א0 + 1 = 0א0
א0 = 1 - 0א0 >>147
ポエムと言えば、ラカンに師事していたイリガライ(ベルギー出身の
女性の哲学者・言語学者)の哲学における、数学や論理、科学(流体力学など)
の使用方法が出鱈目だと、ソーカルが滅茶苦茶、批判していて、ほとんど
お笑いの域に達していた。ただ公平を期すると、ソーカルにも少し問題が
あると思うんだよ。なぜなら、哲学という宇宙なり概念空間において、
ソーカルのような科学の視点だけでそれを誤っていると断罪してしまうのは、
どうなのかな、と感じるから。
そもそも科学や数学と哲学ではゲームのルールが違うのだから。
ただ、イリガライは女性における科学の不可能性を牽強付的に
フェミ思想にも結び付けていたようだから、そこは確かに極端では
ありそうだが。科学では扱えない哲学的な内容を科学や数学のタームを用いて
表現すると、多少はポエムっぽくなるのも仕方ないかもな ヴェイユ妹のなりきりみたいで微笑ましいな
まあ愚弟だと本格的にガッカリだが女や女の腐ったような人文ならたいていの兄は許容範囲だろうし 文学部哲学科って暗いし殺伐としてるし病的な奴多いしキモいよ。
自分がわからないことを人もわからないとタカを括って知ってかぶりしてマウンティングだろ。
周りを煙に巻くために理数系の用語を使うけど理数系の人には知ったかぶりがバレバレ。
自分の知ったかぶりがバレないように相手をやり込める手法ばかり考えているのかね?
まあ、殺人予告と自殺予告はやめてくれ。 本だけ読んで哲学した気になっちゃだめだろ。常日ごろ
他人ははらわたのちぎれる様なみじめで悲しい思いをして
自分の信念をつかんで生きてるんだから 教養教員やら左翼のじいさんばあさんに信念なんてないだろ
せいぜい自分のポストを現実社会がどうなろうとも死守する以外はなーんも考えてなんていない たぶん、文学や哲学などは、どこか性格に鬱屈した部分があったり、変人的な要素が
ない人らには、どうでもいいものなんだよ。だから、リア充でこの世に自足している
ような連中や明朗で素直な人間には哲学など用はないものだろう。その極端な例が、
ここで自殺なり、殺人なり、多重人格の演技性自己愛障害の人がいたが、あのくらい
狂った人間でないと、哲学とか本格的にコミットできないのかもよ。
ニーチェとか発狂してたでしょ。屈折した物の見方やひにくれたニヒリスト、
斜めからものを見るタイプは哲学向きだな。だから、普通の人は適度な距離感が
いるだろう。中島義道とか見れば分かる通り、明らかに人格がおかしいよ。
明るいのが嫌いと言ってたな。性格のことだけど。
ならば数学好きは、どんな性格なのか。 余計なことを気にしない方がいいよ
特に相手を利用しようとして首突っ込んでくるのは止めようね 数学なんて要は単なる数遊びなんだから、
哲学なんかとは全く関係ないと思うけど...
昔の日本の数学者って育った時代の雰囲気もあるのかも知れないけど、
何でもかんでもやたらにものを深刻に考える傾向があるみたい。
自殺した新谷卓郎先生とか自殺はしてないけどw上野健爾先生とか。
欧米の数学者はただ単に数遊びが好きだから数学者になったって感じだけど...
日本の数学者ってたいがい変わってるね。 数より幾何なんだけど
あんまり頭よくない人は数とか式とかそっちばっかり気にするよね >>201
お前が今やってるインターネッツもその数字遊びの数学のおかげなんだがな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています