数学を初めとした理系の学問と哲学について
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数学と哲学は(開)近傍にある、もしくは、そこに類似の学的構造がある
ということは無いのかと考えて、数学板にスレを建てました。
ピタゴラス、デカルト、ライプニッツ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、
ホワイトヘッド、フレーゲ、クリプキ、ゲーデル、パスカル、ベルクソン、
ブール、パースetc.と、数学者と哲学者と兼ねた人物が多かったり、
数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多いのではと思い、
共に高度な論理性と抽象性が要請される点など、両者には共通の構造が
あるのか否かをここでじっくりと考えていきたいと思います。 >数学とは神の言葉ですか?
分からないですけど、少なくともデカルトやライプニッツは数学の完全性の保証人として
神を持ち出したというのはあります。ちなみに新井紀子先生の著書に「数学は言葉」と
いうのがあります。 濃度で考えていけばいいんじゃないんですか
ℵ3とℵ3なら、同じだと言えるだろうし。 最近は哲学者兼数学者みたいな人がいないようでつまらない 「オッカムの剃刀」は、
必要が無いなら多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない
というものだから、神や霊界、超越論的なもの(たとえば、カントの「もの自体」)などを捨象、棄却
する発想で、現代でも機械学習でこのオッカムの発想を導入し、学習がオーバーフィッテイングに
陥るのを防ごうとしているようだ。 >>6 そう思います。
>>7 「心の哲学」というものはありますが、「心の数学」は聞いたことないですね 尋常じゃないくらい頭が悪いのですが、東京大学理学部数学科に入りたいと思っています。
猛烈に努力をすれば可能でしょうか? >>10
どのくらい悪いのか気になるけど、5年とか10年とかの単位で時間をかけていいなら可能性はある 認知科学者の苫米地英人は、数学だけで飛び級でイエール大学の博士課程と
カーネギーメロン大学で博士取っている。後者の大学は人工知能の研究で
有名な大学です。数学だとプリンストン大がイメージされやすいけれども。
AICの赤池弘次は東京大学理学部数学科ですね 「オッカムの剃刀」やゲンツェンの「カット除去定理」、「赤池情報量規準」に共通して
いるのは、一種の最適化であったり、最小化なのでしょう。最小二乗法もそのようで
あるし、疎行列や次元削減によるデータ圧縮も、非常に数学的な発想に基づいた
アプローチであるように思われます。複雑で錯綜した要素をシンプルなものに構造化、
もしくは還元する。 >>11
なんとか2〜3年で合格したいのですが無理ですか?
ちなみに白チャートすらあまり理解できません。 政府は17日に開いた未来投資会議で、大学入試センター試験に代わって導入される
「大学入学共通テスト」に、プログラミングなどの情報科目を導入する方針を確認した。
第4次産業革命を推進するうえで人工知能(AI)などを使いこなせるIT(情報技術)
人材は不可欠。将来的な不足が見込まれており、人材の育成を急ぐ。安倍晋三首相は
「AIやビッグデータなどのIT、情報処理の素養はこれからの時代の
『読み書きそろばん』」とした上で、「大学入試において国語・数学・英語のような
基礎的な科目として情報科目を追加し、文系・理系を問わず学習を促していく」と述べた。
高校では2022年度に、共通必履修科目としてプログラミングを含む「情報I」を新設する
ことが決まっている。今後は林芳正文部科学相が中心となり、22年度に入学した生徒が
受験する24年度の大学入学共通テストを目安に情報科目の導入に向けた検討を進める。
プログラミング教育の強化には、高度な知識をもつ教員の確保が急務だ。文部科学省の
調査によると、15年5月時点で情報科の担当教員5732人のうち、情報科のみの担当は
2割だった。 数学など他教科との掛け持ちは5割で、情報科の免許を持たないが特例で認められた
「免許外教科担任」が3割。文科省は各自治体の教育委員会に対し、免許保有者の
計画的な配置や、現職教員の免許取得などを促し、大学入試に対応できる教育現場の体制を
整える。
経済産業省によると、国内のIT人材は30年までに最大79万人不足する見込みだ。会議に出席した
フューチャー会長兼社長の金丸恭文氏は「AIを理解し、戦略的に活用する人材が決定的に
不足している」と指摘した。潜在的スキルを持つ統計学専攻などの大卒者は、日本の年間
4千人弱に対し、米国は2万5千人、中国は1万7千人と日本を上回っている。 >>14
頭のいい高校生でも1年から勉強を始めて3年で合格できるかどうか分からないレベルだから厳しい 統計の林知己夫も東京帝国大学理学部数学科卒。
データ改ざんばかりの世の中だけど。 >>1
数学板の人らは、哲学書などあまり読まなそうだなあ >>20
「文系」「理系」っていう分け方がよくない。そこで分離される。 >>20
俺は読んどるで
大学の教養でも哲学履修したし
哲学と数学は紙一重や 神学書を尋常じゃないくらい読みまくったらどうなるのでしょうか? >>22
対象から本質と構造を抽出するという点で、数学と哲学は案外似ているのかも 数学⊂哲学ではあるかもしれんが、哲学⊂数学ではないな。
哲学なるものは雑多な寄せ集め過ぎる。 >>27
日本では日本の方が有名だし、中国では中国の方が有名ですよ。 >>26
それは似ている点ではなく両者が属すカテゴリの性質だ
ほとんどの学問に共通している
物理:対象(物理現象)から本質(支配法則)と構造(記述する数式)の抽出
文学:対象(文学作品)から本質(作者が伝えたかったこと)と構造(表現手法)の抽出
等々
数学と哲学では対象も本質も構造も抽出方法も異なる >>30
>数学と哲学では対象も本質も構造も抽出方法も異なる
それなのに、歴史上の著名な数学者は、なぜ哲学者も兼ねているのだろう、
というのがこのスレの趣旨じゃないのかな。異なるように見えて、数学と哲学の
間には、実は位相不変量のある同相写像のような同相構造があるのではないか、
という話をしている。>>22の人も述べている通り 有名人なら誰でも我がことの如く振る舞う神学のはした女肥溜め吹き溜まり >>29
そういうことじゃなくて、世界的に見て、一番有名な国はどこかという話です。
やっぱり1位はアメリカになるのでしょうか? ていうか単純に数学を始めとする理学系の学問も哲学も「真理の探究」っていう部分が同じなんでしょ >>31
哲学と数学の似た構造を話し合うスレで学問全般に当てはまる的外れなことを言ってたから指摘したまで
トマトと私について語るとき「トマトと人はともに地球上にあるから案外似たようなもの」というのは過度に一般化しすぎているだろう?
著名な学者が複数の分野で業績を残している例はよくあり、また数学者かつ哲学者であった人より数学者かつ物理学者であった人の方が多い
そのため哲学者兼数学者がいてもそれは特筆すべきことではない、と感じる
なぜ殊更に哲学と数学に共通構造があると考えるのか説明してほしい
>>22も
>哲学と数学は紙一重や
の根拠を教えてほしい
このスレで哲学と数学に共通した何かがあると述べている人はいずれも、学問全般に共通したことを述べているか理由を述べていないかのどちらかだ >>36
その理屈が正しいのなら、>>30が例で上げているような文学者が数学者をも兼ねているケースがもっと見られないと矛盾しないかな。美学者が数学者を兼ねているケースや法学者(ライプニッツは例外的に該当するけど)が数学者を兼ねている例がもっと
あっても良さそうな気がするけど。ベイズとかは牧師でもあったので、そこに神学者の要素を見ることも不可能ではないと思うけど。数学者かつ文学者は、少ないんじゃない。サルトルは哲学者かつ文学者だけど、数学者ではないというパターンだけどね。 エリオット・ソーバー(Elliott Sober, 1948年 - )はアメリカ合衆国の哲学者。
ボルチモア出身。ハーバード大学においてヒラリー・パトナムの下で学び、Ph. Dを取得。
現在はウィスコンシン大学で教鞭を取り、1989年よりハンス・ライヘンバッハ教授職、
1993年よりウィリアム・ヴィラス教授職を勤めている。2003-2005年にはアメリカ科学哲学会会長。
専門は生物学の哲学および統計学、確率の哲学。生物学の哲学においては、自然選択説、
系統分類学の方法論、最適化理論、利他主義の進化や集団選択、創造論やインテリジェント・デザインなど、
統計・確率の哲学においてはベイズ主義や尤度主義、あるいは赤池情報量基準(AIC)などに基づく
モデル選択などを巡る論文・著作を多数発表している。 >>36
>>20に対しての>>22であって>哲学と数学は紙一重っていうのはあくまでも個人的な考えやろ
スレタイに対して「哲学と数学には共通部分があります!」って言ってる訳でも無いんだから根拠はいらないだろうに
一個人的考えに根拠を求める必要性も根拠の提示の義務もないやろ >>37
確かに指摘通りだ。私が間違っていた
哲学者兼物理学者も多かったから数学哲学物理学の間には共通した何かがあるかもしれない
>>40
説明義務は無い
ただどうしてその考えに至ったのか気になったから根拠を求めた >>41
数学・哲学・物理学を論理積で考えていけば良さそうだね 哲学なんてポエムだろ
学問と呼べるものではない
ましてや数学と比べるなんて笑える 教養過程教員ぐらいだからなあ
哲学に変なロマン持ってるの。 数学と比べられたと思い込むあたりでお察し
教養も余裕もない 哲学一本で食えよ。数学だけはダブるな。ダブり要らない。 客観的認識能力より、主観の方が絶対速いわけで。共存共立しないからね。 日本の哲学者は哲学者ではなく
「哲学者学者」ばかりだ 数学は、公式の意味をどこまで深く考えるかがあると思います。結構苦痛なので、数学苦手な子は、もうこのへんで、次の機会にな!どと逃げます。公式の意味をしゃぶり尽くすほど味わえる人は当然数学得意だらうし、哲学でも考え続けるイメージ >>1 ベルクソンはどういう意味で数学者と呼べるんじゃ? ベルクソンは数学者ではないけど、数学について哲学しているよ
ベルクソンの純粋知覚や純粋記憶の概念は、現代の脳科学や人工知能の
考え方と近いと述べている学者もいるよ >>57
そんなことを言い出したら、シュペングラーの『西洋の没落』も数学史から始まるし、
フッサールもドゥルーズも数学の本質に関する思索をしてるわけでしょ。
そもそも、現代科学に取り組もうとすれば、何らかの形で数学と向き合うのは自然なわけで、
それだけで>>1みたいに数学者の範疇に入れてしまったら、
現代科学に論じる人間は、ほとんどが数学者になってしまう… >>58
>>1には、> 数学的思考⇔哲学的思考の間を行き来している人物や人々も多い
と書いてあるよ。つまり、ベルクソンやドゥルーズらはそれに該当するので、
>>57は別に矛盾した記述ではないんじゃないの。だから、正しく表現すれば、
現代科学を論じる人間は、ほとんどが数学的思考を有しているだろう、という
風になる。 科学哲学などもそうなるのかな、と。 少し修辞的な表現となるけど、剰余類の考え方を使って、
数学aと哲学bの間には、未知のxを法とする合同なり、同値関係がある、
と考えてみたりするのは、面白いんじゃないの。
a≡b(mod.x)
mod.xによって、aとbが合同となる同値類としての剰余類が
数学と哲学の間にはあってもいいだろう、という話じゃないかな。
>>1の述べていることはね 哲学の素養が一切なくとも、真の数学理解が
進むと考えるのは、浅慮だろうな 数学の素養がなくても哲学は出来るけどな
つまり数学>哲学 小室直樹・副島隆彦・ロバートキヨサキ、鴨頭の信者の俺から見ると
日本では数学は計算というイメージだけど
欧米では論理学というイメージ
日本では何でんでもかんでも突き詰めるとすべて「数字」になる
欧米やイスラエルでは逆で突き詰めるとすべて「言葉・会話・言語」になる >>65 功利主義(幸福の数値化)にIQ(知能の数値化)、EQ(感情の数値化)と、
なんでも数字にする発想は、欧米人に由来するんやで。 AIをやるために数学の勉強をはじめて、
とても楽しいと知りました。 ロジックと、数学と、プログラミングが
近い関係にありますよね。
ややこしくなるのは、
and nand or とかの記号が、
ロジック、数学、プログラミングで
それぞれ変わる点ですよね。
^ これたしかandですよね。 おれは論理学は幾何学だと思うね
推移律はいくらでも中間を埋めれるということだから 多角形は、頂点の数で分類すれば群構造として表せる。
三角形同士ならば、直角三角形、鋭角三角形、鈍角三角形の群構造で表せる。
andは∧、orは∨、排他的論理和ならXOR。
数学と論理学とプログラミングはほぼ同じ。
楽しんでいきましょう♪ インドも西洋なのか?
ローマ数字で数学やってたら不便でしょうがなかったと思うが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています