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背理法不要論ってどうなん?

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0397現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
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2020/04/13(月) 12:05:12.34ID:my5S7sSz
>>396
粋蕎さん、どうも

> 0^0=1

下記ですな

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/0%E3%81%AE0%E4%B9%97
0の0乗
(抜粋)
0 の 0 乗(ゼロのゼロじょう、英: zero to the power of zero, 0 to the 0th power)は、累乗あるいは指数関数において、底を 0、指数を 0 としたものである。その値は、代数学、組合せ論、集合論などの文脈ではしばしば 1 と定義される[注 1]一方で、解析学の文脈では二変数関数 xy が原点 (x, y) = (0, 0) において連続とならないため定義されない場合が多い。

[注 1]
1^ 0 と定義される場合もある。

目次
1 背景
2 1と定義される場合
2.1 モノイド論における扱い
2.2 集合論における扱い
3 定義されない場合
3.1 実解析における扱い
3.2 複素解析における扱い
4 コンピュータにおける扱い
0398粋蕎 ◆C2UdlLHDRI
垢版 |
2020/04/14(火) 00:50:49.12ID:x0tX+KLS
>>397
あ否、其れも其うですが「背理法被害者の会」が主張しとる話です。
「集合に於いてφ乗は只一つ」言い、更に
「竹内外史も『トポス』で『ブルバキ参照』」言っとります。
こんなん「0乗は只、1」言うんと変わっとらんと思うんです。
0399現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
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2020/04/14(火) 11:35:57.84ID:PFls8jJA
>>398
>あ否、其れも其うですが「背理法被害者の会」が主張しとる話です。
>「集合に於いてφ乗は只一つ」言い

知っています
というか、過去にガロアスレで取り上げたことがある
”集合に於いて”という文脈が、判然としませんがねw(^^
まあ、下記でもご参考:>>397のwikipediaの英文版ですがね
ご注目は、”History of differing points of view”です
そして、各人が自分で判断すれば良いのでは?ww(^^

”集合に於いて”という文脈が、判然としませんが
デデキントの如く、ZFC:”自然数→実数→コーシー&リーマンまでの解析”で、これZFCの射程とすれば
”集合に於いて”という文脈は、かなり小さい限定された範囲ですね(^^;

(参考)
https://en.wikipedia.org/wiki/Zero_to_the_power_of_zero
Zero to the power of zero
(抜粋)
Zero to the power of zero, denoted by 0^0, is a mathematical expression with no agreed-upon value. The most common possibilities are 1 or leaving the expression undefined, with justifications existing for each, depending on context.
In algebra and combinatorics, the generally agreed upon value is 0^0 = 1, whereas in mathematical analysis, the expression is sometimes left undefined. Computer programs also have differing ways of handling this expression.

History of differing points of view
The debate over the definition of 0^0 has been going on at least since the early 19th century.
At that time, most mathematicians agreed that 0^0=1, until in 1821 Cauchy[13] listed 0^0 along with expressions like 0/0 in a table of indeterminate forms.
In the 1830s Guglielmo Libri Carucci dalla Sommaja[14][15] published an unconvincing argument for 0^0=1, and Mobius[16] sided with him, erroneously claiming that lim t → 0^+ f(t)^g(t) = 1 whenever lim t → 0^+ f(t)= lim t → 0^+ g(t)= 0 .
A commentator who signed his name simply as "S" provided the counterexample of (e^{-1/t )^t , and this quieted the debate for some time.

つづく
0400現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
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2020/04/14(火) 11:36:37.16ID:PFls8jJA
>>399

つづき
More historical details can be found in Knuth (1992).[17]

More recent authors interpret the situation above in different ways:
・Some argue that the best value for 0^0 depends on context, and hence that defining it once and for all is problematic.[18]
According to Benson (1999), "The choice whether to define 0^0 is based on convenience, not on correctness. If we refrain from defining 0^0, then certain assertions become unnecessarily awkward. [...]
The consensus is to use the definition 0^0=1 0^0=1, although there are textbooks that refrain from defining 0^0."[19]

・Others argue that 0^0 should be defined as 1. Knuth (1992) contends strongly that 0^0 "has to be 1", drawing a distinction between the value 0^0, which should equal 1 as advocated by Libri, and the limiting form
(an abbreviation for a limit of f(x)^g(x) where f(x),g(x) → 0 ),
which is necessarily an indeterminate form as listed by Cauchy
: "Both Cauchy and Libri were right, but Libri and his defenders did not understand why truth was on their side."[17]
Vaughn gives several other examples of theorems whose (simplest) statements require 0^0 = 1 as a convention.[20]
(引用終り)
以上
0401現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
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2020/04/14(火) 11:37:48.47ID:PFls8jJA
>>400 タイポ訂正

The consensus is to use the definition 0^0=1 0^0=1, although there are textbooks that refrain from defining 0^0."[19]
 ↓
The consensus is to use the definition 0^0=1, although there are textbooks that refrain from defining 0^0."[19]
0402132人目の素数さん
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2020/08/21(金) 23:22:17.78ID:RM9y96NI
>>3
それ結構深い比喩かもとちょっと思った
0403132人目の素数さん
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2020/08/21(金) 23:23:57.06ID:RM9y96NI
>>20
いやいや背理法だよ
0404132人目の素数さん
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2020/09/09(水) 22:58:19.73ID:IR7822fG
とんでも数学
0405青戸六丁目被害者の会(本部:葛飾区青戸6−26−6)
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2021/03/09(火) 20:27:49.78ID:5gIZP/7W
●青戸六丁目被害者住民一同「色川高志の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●龍神連合五代目総長・色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)の挑発
色川高志「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)

●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の色川高志の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志
色川高志の住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110

盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者である色川高志の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。
http://101.dtiblog.com/b/bodytk9690/file/kan01.jpg
浣腸器と異なりどくどくと直腸内に注入され清水婆婆は激しくあえぎます
0406132人目の素数さん
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2021/05/31(月) 23:26:01.40ID:kl5/EMI8
>>403
有理数と仮定して矛盾が起こるから有理数でないと結論するのは
厳密に言えば背理法ではなく
否定の定義
直観主義で排除しようとした背理法は
何々でないと仮定して矛盾が起こることから何々を結論すること
0407132人目の素数さん
垢版 |
2021/06/01(火) 07:11:22.95ID:KrMV1miB
π+eとπeのどちらかは超越数

どちらも代数的とすると(π+e)^2も代数的、(π-e)^2=(π+e)^2-4πeも代数的、これらの平方根であるπ+e、π-eも代数的、よってπも代数的になりπの超越性に矛盾する。

これを背理法抜きで証明できる?
0408132人目の素数さん
垢版 |
2021/06/01(火) 08:09:27.21ID:w+r2APAm
それも厳密には背理法ではない
超越数の定義が代数的ではないことだからだよ
代数的だとして矛盾が起こることが
代数的でないことの定義
0409132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 08:30:23.82ID:KrMV1miB
それ間違ってる
0411132人目の素数さん
垢版 |
2021/06/01(火) 16:07:18.00ID:+Il9kay+
>>409
間違いではないよ
直観主義論理の採用しなかつたこととは何かということと
否定の定義はなんとされているかを調べてごらん
0412132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:11:38.99ID:+Il9kay+
>>410
恐らく無理じゃないかな
超越数の定義が代数的数ではないことで
代数的数であると仮定して矛盾することが定義だから
これも背理法だと思い込んでると
背理法は使わざるを得ないことになる
0413132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:20:21.71ID:+Il9kay+
¬PとPから人が出る
すなわち
¬PからP→人が出て
P→人から¬Pが出る
というのは
直観主義論理より弱い最小論理でも採用してる公理
0414132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:46:13.55ID:BFiu2xxk
>>412
407は¬(AかつB)から(¬Aまたは¬B)を導いているから
直観主義論理では無効な議論だと思うけど
0416132人目の素数さん
垢版 |
2021/06/01(火) 18:04:49.86ID:KrMV1miB
>>414
「a、bが超越数ならばa+bまたはabは超越数」の証明ならば背理法は不要
πやeの超越性を前提にした上の話
0418132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/12(日) 14:50:47.63ID:4jyqDRQu
>>407
Π+eとΠeのどちらかは超越数である。

まず、Π+e,とΠ-eのどちらかは超越数である。
何故ならば、Πは超越数かつΠ = {(Π+e)+(Π-e)}/2かつ代数的数全体は体なので。
Π+eが超越数とすると、「Π+eとΠeのどちらかは超越数である」は真。
Π-eが超越数とすると、(Π-e)^2 = (π+e)^2-4πeかつ代数的数全体は体であることより「Π+eとΠeのどちらかは超越数である」は真。
よってΠ+eとΠeのどちらかは超越数である。
0419132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/12(日) 16:57:31.78ID:AuQR4hDN
開集合は直観論理だと何かに書いてあった
0420132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/15(水) 21:36:14.12ID:Jcoq/m6X
背理法でしかできない証明ってないの?
0422132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/16(木) 22:40:00.31ID:9DpUtLsu
>>420
解析学のいくつかの評価式については
背理法以外の証明は知られていない。
0423132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/17(金) 00:55:42.42ID:UGPHpedN
>>422
例えば?
0424132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/17(金) 08:55:41.61ID:p5svpt5g
背理法を他の同等の推論に置き換えるという意味だから
古典論理の否定ではないね

その程度の日本語も読めない馬鹿には数学は無理だから諦めろ
0425132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/17(金) 13:03:41.52ID:oJ5boE7I
>>423
ヘルマンダーの有名な論文
0426132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/17(金) 17:18:11.99ID:UGPHpedN
>>425
どれ?
FOURIER INTEGRAL OPERATORS ってやつ?
0427132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/17(金) 18:06:52.24ID:oJ5boE7I
とにかくActa Mathに出たやつ
0428132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/17(金) 18:27:35.09ID:oJ5boE7I
Proposition 3.4.5
0429132人目の素数さん
垢版 |
2021/12/21(火) 08:55:37.93ID:RnL9rMPq
名著「非圧縮性粘性流の数学的理論」の第89ページの証明中、
「そうでなかったと仮定すると」で始まった文章が
「矛盾する」で終わっていない。
これは「見かけの背理法」か?
0430132人目の素数さん
垢版 |
2022/04/13(水) 23:13:17.51ID:MOUN8VRB
数学的帰納法不要論は?
0431132人目の素数さん
垢版 |
2022/04/14(木) 03:51:07.54ID:uHdSj82h
>>430
bounded arithmeticという分野がその辺りを研究している
0433132人目の素数さん
垢版 |
2022/12/21(水) 11:45:46.59ID:bG514WP3
無矛盾であることが証明された系、または無矛盾であることが証明不可能であることが証明された系でしか背理法は使えないのでは?
矛盾を導出したとして、その原因が「仮定」にあるのか系自体にあるのか判別できないから
0434132人目の素数さん
垢版 |
2022/12/24(土) 02:33:49.00ID:Twzd+IEU
>>433
背理法は偽の命題を導いてその仮定が偽だとする論法
理論の無矛盾性なんて関係ない
つまり、もし偽の命題を導いてその仮定が偽であるかどうか知りたいならそれを証明の中で用いているか調べさえすればいい
0435132人目の素数さん
垢版 |
2022/12/24(土) 04:15:02.18ID:/P8Bw71J
中学生のときに以下のような妄想をした。

命題の論理をつなげて公理から定理、定理、定理とどんどん論理の網を
広げて行く際に、まるで複素関数論の解析接続のように、論理の網を
どんどんと進めていくときに、その経路によって結果に違いが出る
ことが起こらないのかなと。例えばy=√xのような代数函数の
リーマン面は原点と無限円点以外では二価になっていて、そのことを
しらなければ、x=1のときy=1から接続して原点の周りを回ってくると
x=1でy=−1になるので、よって1=−1だ、みたいな間違った結果を
導くけれども、それに類したことが起こらないのかという感じの妄想だ。
つまり、命題を証明する手段の網目をつなぐときの経路によって
異なる結果が得られても良いのではないだろうか、それは別のリーマン面の
シートに入り込んだようなものだと考えれば矛盾ではないと。
そういう妄想を抱いたのだ。
0436132人目の素数さん
垢版 |
2022/12/24(土) 09:07:45.43ID:6P5AjeCt
矛盾とは何を指すのかという妄想は湧かなかった?
0437132人目の素数さん
垢版 |
2022/12/24(土) 09:25:24.79ID:OdkKx1mA
>>434
矛盾が導出された理由が追加した仮定にあるのか系自体にあるのかが証明できないので仮定が偽である証明にはならない
0439132人目の素数さん
垢版 |
2023/01/01(日) 10:07:26.27ID:W1uGFZgv
排中律を証明できれば背理法を使ってもいいと思う。YESかNOか2択しかないっていう状況自体をまず証明してその上で背理法を使う。
これなら問題ないはず。
0440132人目の素数さん
垢版 |
2023/01/02(月) 11:01:19.68ID:Tjm8RrUz
ある命題が「正しい」か「正しくない」か「決定不能」であるかの
3種類の"状態"があると思いますが、決定する手順が存在しないで
決定不能であっても、もしもたまたま成立することを示す例が
見付かれば「正しい」になるし、成立しないことを示す例が
見付かれば「正しくない」になるでしょう。

しかしたとえば、平面幾何で平行線公理を除いた体系を考えて、
その中で「平行線公理」を普通の命題のように考えて、
それが正しいか正しくないかを決定しようとしても、
正しいあるいは正しくないという証明はできないはずです。
つまりそのような「決定不能」の場合には、どれだけ成立例
あるいは反例をさがしたとしても、見付かるということは
あり得ませんね。

そうなると、正しいか、正しくないかの二通りだというのは
無理があるのではないでしょうか? 排中律は成り立つのでしょうか?
0441132人目の素数さん
垢版 |
2023/01/02(月) 12:13:58.59ID:g8sppIUg
よく知らないけど直観主義論理はそういった違和感から産み出さたのかな?
0442132人目の素数さん
垢版 |
2023/01/09(月) 20:07:44.17ID:afxohR47
ある程度複雑な体系はその中では真偽を決定出来ない命題が存在する、
とゲーデルがのたまっているそうだから排中律は成り立たないのではないだろうか?

決定できない命題を1つをとり、それを肯定するあるいは否定する命題を公理系に
新たに付け加えたとしても、その拡大された体系の中にも真偽を決定出来ない命題が
存在する,そこでその決定出来なかった命題をまた1つとり、それを肯定あるいは
否定する命題を再度公理系に新たに付け加えたとしても、その拡大された体系の
中には、。。。。。いくらやってもキリがないことになる。

 こんなことでは安心して夜も寝られない。それでも排中律は成り立つと言えるの? 
0443132人目の素数さん
垢版 |
2023/01/10(火) 22:35:57.38ID:sWivYE4V
排中律は証明すべきものではないでしょう。
公理として認めてスタートするか、
認めないとするかを選べばいいだけ。
悩む時間があるなら、どっちかに決めて、
数学を始めた方が有意義。
0444132人目の素数さん
垢版 |
2023/01/20(金) 09:41:28.41ID:A5vIrXQO
決定不能な命題は真であると仮定しても偽であると仮定しても矛盾を導けないので気にする必要はない
0445132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/01(土) 10:48:43.51ID:1/gRl0so
>こんなことでは安心して夜も寝られない。それでも排中律は成り立つと言えるの?
君は排中律の意味が全く理解できていない。
すでにコメントにあるが、決定不能な命題がその理論に存在しても排中律には何の影響も与えない。

理論Tに対して、その理論で決定不能な命題をAとする。
TからはAも¬Aもどちらも証明できないということは、
(1)TにAを加えたT+A
(2)Tに¬Aを加えたT+¬A
という二つの新しい理論が考えられ、そのどちらも矛盾しない。

しかし、排中律が成り立つということは(1)かつ(2)を考えると「Aかつ¬A」となって矛盾する。
ただこれだけのことだ。
0446132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/01(土) 11:16:51.79ID:SFuGsu5u
長~い背理法ってウザい
0447132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/01(土) 13:09:41.82ID:0oPYJmC1
基礎論バカはまじ不要
0448132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/01(土) 13:23:54.15ID:7ziiEkiM
数学バカはもっと不要
0449132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/02(日) 15:03:00.34ID:icxGHFsq
>長〜い背理法ってウザい
証明の長さに背理法か否かは全く関係がない.
長い証明はうざいかもしれないが,現状その証明しかないのならそれを理解するしかない.
0450132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/02(日) 15:05:58.84ID:icxGHFsq
>基礎論バカはまじ不要
>数学バカはもっと不要
確かにバカは不要かもしれんな.

しかし,基礎論や数学に通じている人間は総じてバカではない.
これは他の理学の研究者などでも同じこと.
だから,そんな人間はこの世にほぼいないだろうな.

最もこの世に必要ない連中は,何も学ばずに思い込みで何らかの分野をバカ呼ばわりする本物のバカだけだろう.
0451132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/02(日) 15:42:32.72ID:icxGHFsq
>ZFCなら排中律を証明できる
この事実だけなら確か1950年あたりには既に知られているはず.

直感主義論理で解析を実行しようという数学もあるけど,その場合の集合論では選択公理は入れてはいけない.
「Z+選択公理」を集合論の前提にしてしまうと,論理が直観主義論理でも集合に関する全ての事柄で排中律が成り立ってしまうから,せっかく直観主義論理でやったら古典論理とどう違うのかを考えているのに,古典論理でやったのと区別がつかなくなる.
同じ理由で(普通の)正則性公理を仮定しても排中律が出る.

直観主義的集合論でも選択公理や正則性公理(基礎の公理)の名前は出てくるが,それは通常のZFCのそれらより弱い形のもので別物だ.
0452132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/02(日) 15:42:46.97ID:SX50VDhd
本物のバカは希少種
0453132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/02(日) 16:08:53.38ID:icxGHFsq
>>411
>直観主義論理の採用しなかつたこととは何かということと
自然演繹(推論)における「否定の導入」という推論規則が別名背理法なんだよ.
そして,背理法の原理はそのままこの否定の導入でもある.
演繹定理があるから否定の導入の推論規則は「公理」の形に書き換えることもできるから,やる意味はないが「対偶の公理」のように「背理法の公理」とすることもできる.

古典論理はこの「否定の導入」だけでなく「排中律」つまり実質は「二重否定の除去」に相当する否定の特徴づけが加えてある.
直観主義論理には否定に関しては「否定の導入」しかない.

理論Γと命題Aを仮定して,それがΓと矛盾する事を示して,¬Aを結論づける論法が背理法(否定の導入に対応)だ.

(1).Γ,A ⊢ P(B,C,D,…)⇛⊥(矛盾),よって¬A

対して,最初の仮定をAから¬Aに置き換えたものが

(2).Γ,¬A ⊢ P(B,C,D,…)⇛⊥(矛盾),よって¬(¬A)

となる.直観主義論理だと最後の¬(¬A)はAと同じと言い切れないが,古典論理ならおなじになる.

(2’).Γ,¬A ⊢ P(B,C,D,…)⇛⊥(矛盾),よってA

そして背理法とは,なんの断りもなければ,(1),(2’)を自由に扱って良い古典論理の場合の事をさす.
0454132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/02(日) 16:11:57.27ID:icxGHFsq
>>452
希少だが,声がでかいからバカが目立つ.
数学や基礎論に親でも殺されたのかというぐらいにヘイトがあるから真正のバカはすぐ分かる.
0457132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/24(月) 12:44:53.70ID:jbDWs/M5
>>455
基礎論(この場合は証明論)に関する話題で基礎論を排除しようという奴らこそがキチガイ。

料理教室で「料理の先生煩い」と吠えるDQN猿と一緒。
0459132人目の素数さん
垢版 |
2023/05/09(火) 13:33:28.36ID:WePDQ/me
>>453
話の前後関係しらんけど

> 自然演繹(推論)における「否定の導入」という推論規則が別名背理法なんだよ

これは違うだろ
背理法は¬P→⊥からPを結論する
否定の導入はP→⊥から¬Pを結論する
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