>>393
ども

>もしかして背理法って対偶以外の要素を含んでたりする?

1.命題:P→Q
2.対偶:¬Q→¬P
3.背理法:¬Q∧P→Φ(矛盾)

 つまり、集合P、Qで書くと
1.命題:P⊂Q
2.対偶:¬Q⊂¬P
3.背理法:¬Q∩P=Φ(空集合)

>背理法不要論=対偶不要論=排中律不要論と違うのか?

排中律否定は、ブラウアーの直観論理ですね()
これは、背理法不要論とは別です

つまり、いまの東京理科大を中心とする 背理法不要論 は、背理法は認めるけれど、不要だという
ブラウアーの直観論理は、背理法を否定するのです
分かり難いかもしれないが、そういうことです

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
数学的直観主義
(抜粋)
来歴と評価
これに類する主張は、カントールの集合論に対抗する形で、クロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、最も明確に表明したのは、オランダの位相幾何学者、ブラウワーである。
ブラウワーの立場に対してポアンカレらの立場は前直観主義と言われることがある。
ブラウワーは、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において、背理法によって、非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。
それ故、無限集合において「排中律」、すなわち、ある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。
ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウワーからの批判的主張に対し排中律を守り、数学の無矛盾性を示すためのものと考えることができる[1]。

ブラウワーの主張は、感覚的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。
現代では直観主義論理は、数学の証明は全て構成的に為されなければならないという主張(数学的構成主義)と関連が深いと考えられている。