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背理法不要論ってどうなん?
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0371132人目の素数さん
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2020/03/05(木) 07:15:51.24ID:LD/M+03t
このスレの>>1でもないのにスレ主と呼んでいる時点であの阿呆の術中にはまっている
0372132人目の素数さん
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2020/03/05(木) 16:08:14.00ID:5A6NAdOC
だいたいスレ主というの自体自称にすぎないんだな
そんなものはオラン
0374現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/06(金) 00:15:49.57ID:UEykiR6s
>>372
>だいたいスレ主というの自体自称にすぎないんだな
>そんなものはオラン

それは正しいよ
なお、ガロアスレが無くなったから、空き家の下記を代用することにしたよw(゜ロ゜;

現代数学の系譜 カントル 超限集合論2
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1576852086/
0375現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/06(金) 07:49:46.38ID:UEykiR6s
>>373
私は、名前の議論には乗りません
議論をすることが、誰か第三者の迷惑に成りかねないからね

ところで、このID:VaJI+BR1氏=”おサル”の紹介をしておく
おサルは、時枝記事(下記)前段の数当てパズルを正しいと信じている落ちこぼれです
某テイ大数学科卒 らしいが、確率論の単位を落としたらしい

時枝記事では、「確率変数の無限族 X1,X2,・・,Xi,・・において
あるXiが存在して確率1-εで的中できる」とする 数学パズルを正しいと信じているのです
確率論を学べば、iid(独立同分布)を仮定すれば、そんなXiは存在しようがないことは自明です

だが、おサルさんは、「時枝記事が否定されれば、選択公理が否定される」と名言?を主張するのです
それって、”選択公理”とか、”数学の推論”等で、完全に スベッている発言じゃないですか?w(゜ロ゜;

(参考)
https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/6987.html
数学セミナー  2015年11月号
箱入り無数目───────────────時枝 正 36

現代数学の系譜 カントル 超限集合論2
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1576852086/358-
以上
0376132人目の素数さん
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2020/03/06(金) 16:55:50.81ID:4pbuiWn9
>>375
>某テイ大数学科卒 らしいが、確率論の単位を落としたらしい
あなた The Riddle の成立は認めますね?
The Riddle は確率そのものを使ってませんから確率論の単位は無関係ですね。

>時枝記事では、「確率変数の無限族 X1,X2,・・,Xi,・・において
時枝戦略の確率変数は箱の中身ではなく 列番号k∈{1,,...,100} です。

>あるXiが存在して確率1-εで的中できる」とする 数学パズルを正しいと信じているのです
>確率論を学べば、iid(独立同分布)を仮定すれば、そんなXiは存在しようがないことは自明です
ある箱の中身を確率1-εで的中できるわけではありません。当たりの箱を確率1-εで選べるのです。
確率変数の取り方を誤解しているのに「数当てできる」という結果だけ使うからおかしな話になってるだけのことです。

>だが、おサルさんは、「時枝記事が否定されれば、選択公理が否定される」と名言?を主張するのです
>それって、”選択公理”とか、”数学の推論”等で、完全に スベッている発言じゃないですか?w(゜ロ゜;
時枝戦略の仮定は選択公理だけなので、戦略を不成立とするには選択公理を偽とする以外ありません。

時枝戦略について論じたいなら、正しく理解することから始めましょう。
0378132人目の素数さん
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2020/03/06(金) 20:40:50.09ID:4pbuiWn9
現代数学の系譜11 ガロア理論を読む10
>274 :132人目の素数さん:2014/10/19(日) 11:24:32.65
>同値類とか商集合も分かってなさそう

時枝を理解できない原因が既にこの頃から言われてて草
はい、5年半経っても未だ分かってませんw
0379132人目の素数さん
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2020/03/06(金) 21:04:51.36ID://zxpzxc
>>375
> iid(独立同分布)を仮定すれば、そんなXiは存在しようがない
> ことは自明

結局自明でごまかすことしかできないのね

>>364
> 有限で複数の箱(n個)があるとする
> Xiを的中させる手がかりはない
> (可算無限)で、考える

手がかりはありますよ
それは箱が可算無限個あってその全てに実数が入っているということ

箱の数が有限か無限か分からない場合に「iid(独立同分布)」を仮定して
ある1つの箱に着目しても有限か無限かは分からない

それでいつものガセ田のガセによってごまかすしか手がない
> よって、n→∞(可算無限)でも、n有限と結論は同じ
0380132人目の素数さん
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2020/03/07(土) 06:56:28.12ID:tWw90EeZ
>同値類とか商集合も分かってなさそう
同値類、商集合が分からないと The Riddle は理解できない。
逆に The Riddle が理解できるなら、その主張は「100列のうちハズレ列は1列以下」なのだから、
時枝定理「100列のいずれかをランダムに選択すれば数当て失敗の確率は1/100以下」も理解できる。
すなわち「時枝定理=The Riddle+小学生レベルの確率」でしかない。大学4年の確率論?まったく見当違いだ。

瀬田が The Riddle に対する態度を頑なに明かさないのは、確率論という屁理屈ネタが封じられるのと、
同値類、商集合に対する無知に触れられたくないからである。

瀬田は今後も同値類、商集合を勉強することはないだろう。
5年半も前(時枝記事登場よりも前)に指摘されていたにもかかわらず放置していることからも明らかだ。

現代数学の系譜11 ガロア理論を読む10
>274 :132人目の素数さん:2014/10/19(日) 11:24:32.65
>同値類とか商集合も分かってなさそう

結論
瀬田は学部レベルの数学が分かっておらず、時枝記事を読むレベルにない。今後も勉強する見込みは無い。
0381132人目の素数さん
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2020/03/07(土) 06:58:43.19ID:tWw90EeZ
>瀬田が The Riddle に対する態度を頑なに明かさないのは、確率論という屁理屈ネタが封じられるのと、
>同値類、商集合に対する無知に触れられたくないからである。

予言しよう、瀬田は今後も The Riddle から逃亡し続けると
0382現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/07(土) 11:16:27.93ID:4eWv6TZy
>>369
>無限降下法も背理法の一種だけどこれも否定派なの?

無限降下法も有用です
(参考)
http://www.mathlion.jp/article/ar139.html
2019/08/05
無限降下法|思考力を鍛える数学
(抜粋)
無限降下法とは 無限降下法(むげんこうかほう)とは, 自然数あるいは自然数の部分集合には必ず最小の元が存在する という性質を用いた証明法です.
... 代表的には,不定方程式の自然数解の不存在性を証明するときに用いられます.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%99%90%E9%99%8D%E4%B8%8B%E6%B3%95
無限降下法
(抜粋)
背理法の一種であり、数学的帰納法の一型とも見なせる。17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーが創始者であり、彼はこの証明法を好んで用いた。紀元前3世紀にユークリッドが(例えば『原論』7-31で)使用していた、との主張もある[要出典]。

概要
自然数に関する命題の証明に威力を発する場合があり、典型的には不定方程式に自然数解が存在しないことを示す際に用いられる。
小さい解を次々に得る様子が「無限に降下」していくように感じられることから、「無限降下法」と呼ばれる。

この証明のポイントは、最も「小さい」ものが存在するはずの、性質の良い「大小関係」を考えることである。必ずしも解そのものの大小関係である必要はなく、解に対してある自然数を対応させる関数の値の大小関係であれば十分である。

歴史
フェルマーは、無限降下法をしばしば「私の方法」と呼び、この方法によって数々の命題を証明したと主張した。彼は詳しい証明をほとんど残していないが、『算術』への45番目の書き込みにおいて、唯一完全に近い証明を残している[1][2]。

この証明中に、不定方程式 x^4 - y^4 = z^2 が非自明な整数解を持たないこと(これよりフェルマーの最終定理の n = 4 の場合が導かれる)を、無限降下法によって示している。

フェルマー以後も、無限降下法の考えはしばしば用いられている。たとえば、楕円曲線の有理点のなす群が有限生成アーベル群であることを主張するモーデルの定理の証明には、有理点の高さに関する、無限降下法と似た議論が用いられる[4]。
0383現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/07(土) 11:22:15.05ID:4eWv6TZy
>>382
ある不定方程式が、自然数解を持たない
ということを証明する場合に

その方程式が、自然数解を持つとして
その解の性質を調べていくことは
数学として、自然な発想であり、自然な流れ
(ひょっとして 自然数解が見つかるかもしれないし、数学研究の場合には、自然数解が あるか ないか ハッキリしていない場合も多いのだし)

それを「背理法だから、ダメ」とか、何言っているの?(^^;
0384現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/07(土) 11:57:41.49ID:4eWv6TZy
有限単純群の分類証明でも、最小の反例Gの存在を仮定して、矛盾を導く背理法を使う
普通、「xxを満たす解は存在しない」ということを示すために、「xxを満たす解が存在する」として、
その解の性質を調べるとか、あるいは矛盾が生じないかを調べるのは、数学研究の常套手段だ
それを、否定する理由は全くないと思う

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sugaku1947/34/3/34_3_193/_pdf/-char/ja
論説 有限単純群の分類 鈴木通夫* 数学 1982 Volume 34 Issue 3 Pages 193-210
P13
分類の基本定理は 次のFeit-Thompsonの定理である.

以下Gは 分類定理にあげられた単純群のいずれとも同形でない最小位数の単純群と仮設する.
この仮設から矛盾を導くのが目的である.
定理3.最小の反例Gは連結な単純群である.

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%99%90%E5%8D%98%E7%B4%94%E7%BE%A4%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E
有限単純群の分類

目次
1 分類定理の主張
2 有限単純群の一覧
2.1 位数の小さな非可換有限単純群の一覧
3 分類定理の概観
3.1 小さな階数2の群
3.2 成分型の群
3.3 標数2型の群
3.4 単純群の存在と一意性

https://en.wikipedia.org/wiki/Classification_of_finite_simple_groups
Classification of finite simple groups
0385現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/08(日) 11:13:59.50ID:TTUqgbD+
>>383
>ある不定方程式が、自然数解を持たない
>ということを証明する場合に

例えば、フェルマー予想
a^n + b^n = c^n n≧3
で、これを満たす整数解があるとして、下記の通り ABC予想から
互いに素な自然数 a, b, c の存在範囲が、有限範囲に絞り込める
その範囲を、計算機で調べれば、任意のnについて、フェルマー予想 の別証明が得られる
(下記では、”ε = 1 のとき K(1) = 1 という予想”が成立てば、「この仮定の下で、指数が 6 以上の場合は直ちに証明される」という)

これを、背理法だからと、排除する理由はない

https://ja.wikipedia.org/wiki/ABC%E4%BA%88%E6%83%B3
ABC予想
(抜粋)
2 得られる結果の例
得られる結果の例
abc予想を真だと仮定すると多数の系が得られる。その中には既に知られている結果もあれば(予想の提出後に予想とは独立に証明されたものもある)、部分的証明となるものもある。
abc予想がもし早期に証明されていたなら、得られる系という意味での影響はもっと大きかったが、abc予想が成立した場合に解決される予想はまだ残っており、また数論の深い問題と数多くの結び付きがあるので、abc予想は依然として重要な問題であり続けている。

フェルマーの最終定理
ただし指数が十分大きい場合(どの程度大きければよいかは K(ε) に依る)。
ある K(ε) が具体的に求まれば、有限個の例外を直接計算することにより、原理的にはすべての指数 ? 4 に対して証明が可能である。
ε = 1 のとき K(1) = 1 という予想もあり、この仮定の下で、指数が 6 以上の場合は直ちに証明される (Granville & Tucker 2002)[注 2]。

注 2^ abc予想が K = 1 かつ ε = 1 で正しければ、互いに素な自然数 A, B, C が A + B = C を満たすとき C < (rad ABC)^2 が成り立つ。
互いに素な自然数 a, b, c が a^n + b^n = c^n を満たすと仮定すると、a^n, b^n, c^n は互いに素より、A = a^n, B = b^n, C = c^n を代入して
c^n<( rad a^n * b^n * c^n)^2
が成り立つ。一般に rad x^n= rad x≦ x であるから、 ( rad a^n * b^n * c^n)^2≦ (abc)^2<(c^3)^2=c^6 となる。
ゆえに c^n < c^6, c > 1 より n < 6
n = 3, 4, 5 については古典的な証明があるので定理が証明される (山崎 2010, p. 11)
0386現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/03/08(日) 11:34:13.24ID:TTUqgbD+
>>385

補足
https://ja.wikipedia.org/wiki/ABC%E4%BA%88%E6%83%B3
ABC予想
(抜粋)
参考文献
山崎, 隆雄「フェルマー予想とABC予想」 (pdf) 『数学セミナー』2010年10月、2012年9月19日閲覧。
(引用終り)

この上記 『数学セミナー』2010年10月は、間違い (正しくは、2010年12月号 下記)
かつ、リンク切れている

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/5459.html
数学セミナー
2010年12月号 通巻 591号
発刊年月 2010.11
特集=続・解けそうで解けない問題
 多面体の展開図に関する未解決問題/並木誠…8
 フェルマーの最終定理とabc予想/山崎隆雄…13

なので、代用に 谷戸光昭先生の 下記を
http://yato.main.jp/
谷戸光昭のウェブサイト(授業・講義に関する情報 神奈工 = 神奈川工科大学 (厚木市) 中央 = 中央大学 (文京区) 明星 = 明星大学 (日野市))
http://yato.main.jp/koneta/koneta.htm
谷戸光昭 書き物置き場
http://yato.main.jp/koneta/ABC_conjecture.pdf
谷戸光昭 ABC予想について (2012/11/29)
0388現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/09(月) 10:11:32.78ID:Mi431MVK
おまえが、このスレに来なければいいだけだろ?
0390現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/03/09(月) 13:01:49.82ID:Mi431MVK
開き直る?
意味わからん

自分の気に入らないから
「どっかいけー」とか、それ 運営以外には権利も権限ないよね

それがルール
一般人は、いやならスルーがルールでしょ?
0392現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
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2020/03/09(月) 13:36:39.72ID:Mi431MVK
限度?
意味分からん

定義でしょ
5CHの? 定義を読みましょう〜!
0393132人目の素数さん
垢版 |
2020/04/12(日) 20:30:55.44ID:xmjD83Fu
ん?背理法不要論=対偶不要論=排中律不要論と違うのか?
もしかして背理法って対偶以外の要素を含んでたりする?
0394現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/04/13(月) 07:56:46.36ID:DYqPl9DE
>>393
ども

>もしかして背理法って対偶以外の要素を含んでたりする?

1.命題:P→Q
2.対偶:¬Q→¬P
3.背理法:¬Q∧P→Φ(矛盾)

 つまり、集合P、Qで書くと
1.命題:P⊂Q
2.対偶:¬Q⊂¬P
3.背理法:¬Q∩P=Φ(空集合)

>背理法不要論=対偶不要論=排中律不要論と違うのか?

排中律否定は、ブラウアーの直観論理ですね()
これは、背理法不要論とは別です

つまり、いまの東京理科大を中心とする 背理法不要論 は、背理法は認めるけれど、不要だという
ブラウアーの直観論理は、背理法を否定するのです
分かり難いかもしれないが、そういうことです

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
数学的直観主義
(抜粋)
来歴と評価
これに類する主張は、カントールの集合論に対抗する形で、クロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、最も明確に表明したのは、オランダの位相幾何学者、ブラウワーである。
ブラウワーの立場に対してポアンカレらの立場は前直観主義と言われることがある。
ブラウワーは、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において、背理法によって、非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。
それ故、無限集合において「排中律」、すなわち、ある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。
ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウワーからの批判的主張に対し排中律を守り、数学の無矛盾性を示すためのものと考えることができる[1]。

ブラウワーの主張は、感覚的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。
現代では直観主義論理は、数学の証明は全て構成的に為されなければならないという主張(数学的構成主義)と関連が深いと考えられている。
0395現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/04/13(月) 07:57:58.76ID:DYqPl9DE
>>394 タイポ訂正

排中律否定は、ブラウアーの直観論理ですね()
 ↓
排中律否定は、ブラウアーの直観論理ですね
0396粋蕎 ◆C2UdlLHDRI
垢版 |
2020/04/13(月) 08:44:38.57ID:fblTsVTs
何か捻れとる

儂、最近あそこの「 0^0=1 ∵Bourbaki流集合論に基付き#{φ}^#{φ}=1である事ゆ因る 」に疑問。
集合じゃろうとも同値類どんどんぶっ込み拡張されるじゃろ?
0397現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/04/13(月) 12:05:12.34ID:my5S7sSz
>>396
粋蕎さん、どうも

> 0^0=1

下記ですな

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/0%E3%81%AE0%E4%B9%97
0の0乗
(抜粋)
0 の 0 乗(ゼロのゼロじょう、英: zero to the power of zero, 0 to the 0th power)は、累乗あるいは指数関数において、底を 0、指数を 0 としたものである。その値は、代数学、組合せ論、集合論などの文脈ではしばしば 1 と定義される[注 1]一方で、解析学の文脈では二変数関数 xy が原点 (x, y) = (0, 0) において連続とならないため定義されない場合が多い。

[注 1]
1^ 0 と定義される場合もある。

目次
1 背景
2 1と定義される場合
2.1 モノイド論における扱い
2.2 集合論における扱い
3 定義されない場合
3.1 実解析における扱い
3.2 複素解析における扱い
4 コンピュータにおける扱い
0398粋蕎 ◆C2UdlLHDRI
垢版 |
2020/04/14(火) 00:50:49.12ID:x0tX+KLS
>>397
あ否、其れも其うですが「背理法被害者の会」が主張しとる話です。
「集合に於いてφ乗は只一つ」言い、更に
「竹内外史も『トポス』で『ブルバキ参照』」言っとります。
こんなん「0乗は只、1」言うんと変わっとらんと思うんです。
0399現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/04/14(火) 11:35:57.84ID:PFls8jJA
>>398
>あ否、其れも其うですが「背理法被害者の会」が主張しとる話です。
>「集合に於いてφ乗は只一つ」言い

知っています
というか、過去にガロアスレで取り上げたことがある
”集合に於いて”という文脈が、判然としませんがねw(^^
まあ、下記でもご参考:>>397のwikipediaの英文版ですがね
ご注目は、”History of differing points of view”です
そして、各人が自分で判断すれば良いのでは?ww(^^

”集合に於いて”という文脈が、判然としませんが
デデキントの如く、ZFC:”自然数→実数→コーシー&リーマンまでの解析”で、これZFCの射程とすれば
”集合に於いて”という文脈は、かなり小さい限定された範囲ですね(^^;

(参考)
https://en.wikipedia.org/wiki/Zero_to_the_power_of_zero
Zero to the power of zero
(抜粋)
Zero to the power of zero, denoted by 0^0, is a mathematical expression with no agreed-upon value. The most common possibilities are 1 or leaving the expression undefined, with justifications existing for each, depending on context.
In algebra and combinatorics, the generally agreed upon value is 0^0 = 1, whereas in mathematical analysis, the expression is sometimes left undefined. Computer programs also have differing ways of handling this expression.

History of differing points of view
The debate over the definition of 0^0 has been going on at least since the early 19th century.
At that time, most mathematicians agreed that 0^0=1, until in 1821 Cauchy[13] listed 0^0 along with expressions like 0/0 in a table of indeterminate forms.
In the 1830s Guglielmo Libri Carucci dalla Sommaja[14][15] published an unconvincing argument for 0^0=1, and Mobius[16] sided with him, erroneously claiming that lim t → 0^+ f(t)^g(t) = 1 whenever lim t → 0^+ f(t)= lim t → 0^+ g(t)= 0 .
A commentator who signed his name simply as "S" provided the counterexample of (e^{-1/t )^t , and this quieted the debate for some time.

つづく
0400現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/04/14(火) 11:36:37.16ID:PFls8jJA
>>399

つづき
More historical details can be found in Knuth (1992).[17]

More recent authors interpret the situation above in different ways:
・Some argue that the best value for 0^0 depends on context, and hence that defining it once and for all is problematic.[18]
According to Benson (1999), "The choice whether to define 0^0 is based on convenience, not on correctness. If we refrain from defining 0^0, then certain assertions become unnecessarily awkward. [...]
The consensus is to use the definition 0^0=1 0^0=1, although there are textbooks that refrain from defining 0^0."[19]

・Others argue that 0^0 should be defined as 1. Knuth (1992) contends strongly that 0^0 "has to be 1", drawing a distinction between the value 0^0, which should equal 1 as advocated by Libri, and the limiting form
(an abbreviation for a limit of f(x)^g(x) where f(x),g(x) → 0 ),
which is necessarily an indeterminate form as listed by Cauchy
: "Both Cauchy and Libri were right, but Libri and his defenders did not understand why truth was on their side."[17]
Vaughn gives several other examples of theorems whose (simplest) statements require 0^0 = 1 as a convention.[20]
(引用終り)
以上
0401現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE
垢版 |
2020/04/14(火) 11:37:48.47ID:PFls8jJA
>>400 タイポ訂正

The consensus is to use the definition 0^0=1 0^0=1, although there are textbooks that refrain from defining 0^0."[19]
 ↓
The consensus is to use the definition 0^0=1, although there are textbooks that refrain from defining 0^0."[19]
0402132人目の素数さん
垢版 |
2020/08/21(金) 23:22:17.78ID:RM9y96NI
>>3
それ結構深い比喩かもとちょっと思った
0403132人目の素数さん
垢版 |
2020/08/21(金) 23:23:57.06ID:RM9y96NI
>>20
いやいや背理法だよ
0404132人目の素数さん
垢版 |
2020/09/09(水) 22:58:19.73ID:IR7822fG
とんでも数学
0405青戸六丁目被害者の会(本部:葛飾区青戸6−26−6)
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2021/03/09(火) 20:27:49.78ID:5gIZP/7W
●青戸六丁目被害者住民一同「色川高志の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●龍神連合五代目総長・色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)の挑発
色川高志「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)

●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の色川高志の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の色川高志を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志
色川高志の住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110

盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者である色川高志の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で生活保護費不正受給犯罪者の色川高志によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。
http://101.dtiblog.com/b/bodytk9690/file/kan01.jpg
浣腸器と異なりどくどくと直腸内に注入され清水婆婆は激しくあえぎます
0406132人目の素数さん
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2021/05/31(月) 23:26:01.40ID:kl5/EMI8
>>403
有理数と仮定して矛盾が起こるから有理数でないと結論するのは
厳密に言えば背理法ではなく
否定の定義
直観主義で排除しようとした背理法は
何々でないと仮定して矛盾が起こることから何々を結論すること
0407132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 07:11:22.95ID:KrMV1miB
π+eとπeのどちらかは超越数

どちらも代数的とすると(π+e)^2も代数的、(π-e)^2=(π+e)^2-4πeも代数的、これらの平方根であるπ+e、π-eも代数的、よってπも代数的になりπの超越性に矛盾する。

これを背理法抜きで証明できる?
0408132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 08:09:27.21ID:w+r2APAm
それも厳密には背理法ではない
超越数の定義が代数的ではないことだからだよ
代数的だとして矛盾が起こることが
代数的でないことの定義
0409132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 08:30:23.82ID:KrMV1miB
それ間違ってる
0411132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:07:18.00ID:+Il9kay+
>>409
間違いではないよ
直観主義論理の採用しなかつたこととは何かということと
否定の定義はなんとされているかを調べてごらん
0412132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:11:38.99ID:+Il9kay+
>>410
恐らく無理じゃないかな
超越数の定義が代数的数ではないことで
代数的数であると仮定して矛盾することが定義だから
これも背理法だと思い込んでると
背理法は使わざるを得ないことになる
0413132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:20:21.71ID:+Il9kay+
¬PとPから人が出る
すなわち
¬PからP→人が出て
P→人から¬Pが出る
というのは
直観主義論理より弱い最小論理でも採用してる公理
0414132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 16:46:13.55ID:BFiu2xxk
>>412
407は¬(AかつB)から(¬Aまたは¬B)を導いているから
直観主義論理では無効な議論だと思うけど
0416132人目の素数さん
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2021/06/01(火) 18:04:49.86ID:KrMV1miB
>>414
「a、bが超越数ならばa+bまたはabは超越数」の証明ならば背理法は不要
πやeの超越性を前提にした上の話
0418132人目の素数さん
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2021/12/12(日) 14:50:47.63ID:4jyqDRQu
>>407
Π+eとΠeのどちらかは超越数である。

まず、Π+e,とΠ-eのどちらかは超越数である。
何故ならば、Πは超越数かつΠ = {(Π+e)+(Π-e)}/2かつ代数的数全体は体なので。
Π+eが超越数とすると、「Π+eとΠeのどちらかは超越数である」は真。
Π-eが超越数とすると、(Π-e)^2 = (π+e)^2-4πeかつ代数的数全体は体であることより「Π+eとΠeのどちらかは超越数である」は真。
よってΠ+eとΠeのどちらかは超越数である。
0419132人目の素数さん
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2021/12/12(日) 16:57:31.78ID:AuQR4hDN
開集合は直観論理だと何かに書いてあった
0420132人目の素数さん
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2021/12/15(水) 21:36:14.12ID:Jcoq/m6X
背理法でしかできない証明ってないの?
0422132人目の素数さん
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2021/12/16(木) 22:40:00.31ID:9DpUtLsu
>>420
解析学のいくつかの評価式については
背理法以外の証明は知られていない。
0423132人目の素数さん
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2021/12/17(金) 00:55:42.42ID:UGPHpedN
>>422
例えば?
0424132人目の素数さん
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2021/12/17(金) 08:55:41.61ID:p5svpt5g
背理法を他の同等の推論に置き換えるという意味だから
古典論理の否定ではないね

その程度の日本語も読めない馬鹿には数学は無理だから諦めろ
0425132人目の素数さん
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2021/12/17(金) 13:03:41.52ID:oJ5boE7I
>>423
ヘルマンダーの有名な論文
0426132人目の素数さん
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2021/12/17(金) 17:18:11.99ID:UGPHpedN
>>425
どれ?
FOURIER INTEGRAL OPERATORS ってやつ?
0427132人目の素数さん
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2021/12/17(金) 18:06:52.24ID:oJ5boE7I
とにかくActa Mathに出たやつ
0428132人目の素数さん
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2021/12/17(金) 18:27:35.09ID:oJ5boE7I
Proposition 3.4.5
0429132人目の素数さん
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2021/12/21(火) 08:55:37.93ID:RnL9rMPq
名著「非圧縮性粘性流の数学的理論」の第89ページの証明中、
「そうでなかったと仮定すると」で始まった文章が
「矛盾する」で終わっていない。
これは「見かけの背理法」か?
0430132人目の素数さん
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2022/04/13(水) 23:13:17.51ID:MOUN8VRB
数学的帰納法不要論は?
0431132人目の素数さん
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2022/04/14(木) 03:51:07.54ID:uHdSj82h
>>430
bounded arithmeticという分野がその辺りを研究している
0433132人目の素数さん
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2022/12/21(水) 11:45:46.59ID:bG514WP3
無矛盾であることが証明された系、または無矛盾であることが証明不可能であることが証明された系でしか背理法は使えないのでは?
矛盾を導出したとして、その原因が「仮定」にあるのか系自体にあるのか判別できないから
0434132人目の素数さん
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2022/12/24(土) 02:33:49.00ID:Twzd+IEU
>>433
背理法は偽の命題を導いてその仮定が偽だとする論法
理論の無矛盾性なんて関係ない
つまり、もし偽の命題を導いてその仮定が偽であるかどうか知りたいならそれを証明の中で用いているか調べさえすればいい
0435132人目の素数さん
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2022/12/24(土) 04:15:02.18ID:/P8Bw71J
中学生のときに以下のような妄想をした。

命題の論理をつなげて公理から定理、定理、定理とどんどん論理の網を
広げて行く際に、まるで複素関数論の解析接続のように、論理の網を
どんどんと進めていくときに、その経路によって結果に違いが出る
ことが起こらないのかなと。例えばy=√xのような代数函数の
リーマン面は原点と無限円点以外では二価になっていて、そのことを
しらなければ、x=1のときy=1から接続して原点の周りを回ってくると
x=1でy=−1になるので、よって1=−1だ、みたいな間違った結果を
導くけれども、それに類したことが起こらないのかという感じの妄想だ。
つまり、命題を証明する手段の網目をつなぐときの経路によって
異なる結果が得られても良いのではないだろうか、それは別のリーマン面の
シートに入り込んだようなものだと考えれば矛盾ではないと。
そういう妄想を抱いたのだ。
0436132人目の素数さん
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2022/12/24(土) 09:07:45.43ID:6P5AjeCt
矛盾とは何を指すのかという妄想は湧かなかった?
0437132人目の素数さん
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2022/12/24(土) 09:25:24.79ID:OdkKx1mA
>>434
矛盾が導出された理由が追加した仮定にあるのか系自体にあるのかが証明できないので仮定が偽である証明にはならない
0439132人目の素数さん
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2023/01/01(日) 10:07:26.27ID:W1uGFZgv
排中律を証明できれば背理法を使ってもいいと思う。YESかNOか2択しかないっていう状況自体をまず証明してその上で背理法を使う。
これなら問題ないはず。
0440132人目の素数さん
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2023/01/02(月) 11:01:19.68ID:Tjm8RrUz
ある命題が「正しい」か「正しくない」か「決定不能」であるかの
3種類の"状態"があると思いますが、決定する手順が存在しないで
決定不能であっても、もしもたまたま成立することを示す例が
見付かれば「正しい」になるし、成立しないことを示す例が
見付かれば「正しくない」になるでしょう。

しかしたとえば、平面幾何で平行線公理を除いた体系を考えて、
その中で「平行線公理」を普通の命題のように考えて、
それが正しいか正しくないかを決定しようとしても、
正しいあるいは正しくないという証明はできないはずです。
つまりそのような「決定不能」の場合には、どれだけ成立例
あるいは反例をさがしたとしても、見付かるということは
あり得ませんね。

そうなると、正しいか、正しくないかの二通りだというのは
無理があるのではないでしょうか? 排中律は成り立つのでしょうか?
0441132人目の素数さん
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2023/01/02(月) 12:13:58.59ID:g8sppIUg
よく知らないけど直観主義論理はそういった違和感から産み出さたのかな?
0442132人目の素数さん
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2023/01/09(月) 20:07:44.17ID:afxohR47
ある程度複雑な体系はその中では真偽を決定出来ない命題が存在する、
とゲーデルがのたまっているそうだから排中律は成り立たないのではないだろうか?

決定できない命題を1つをとり、それを肯定するあるいは否定する命題を公理系に
新たに付け加えたとしても、その拡大された体系の中にも真偽を決定出来ない命題が
存在する,そこでその決定出来なかった命題をまた1つとり、それを肯定あるいは
否定する命題を再度公理系に新たに付け加えたとしても、その拡大された体系の
中には、。。。。。いくらやってもキリがないことになる。

 こんなことでは安心して夜も寝られない。それでも排中律は成り立つと言えるの? 
0443132人目の素数さん
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2023/01/10(火) 22:35:57.38ID:sWivYE4V
排中律は証明すべきものではないでしょう。
公理として認めてスタートするか、
認めないとするかを選べばいいだけ。
悩む時間があるなら、どっちかに決めて、
数学を始めた方が有意義。
0444132人目の素数さん
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2023/01/20(金) 09:41:28.41ID:A5vIrXQO
決定不能な命題は真であると仮定しても偽であると仮定しても矛盾を導けないので気にする必要はない
0445132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/01(土) 10:48:43.51ID:1/gRl0so
>こんなことでは安心して夜も寝られない。それでも排中律は成り立つと言えるの?
君は排中律の意味が全く理解できていない。
すでにコメントにあるが、決定不能な命題がその理論に存在しても排中律には何の影響も与えない。

理論Tに対して、その理論で決定不能な命題をAとする。
TからはAも¬Aもどちらも証明できないということは、
(1)TにAを加えたT+A
(2)Tに¬Aを加えたT+¬A
という二つの新しい理論が考えられ、そのどちらも矛盾しない。

しかし、排中律が成り立つということは(1)かつ(2)を考えると「Aかつ¬A」となって矛盾する。
ただこれだけのことだ。
0446132人目の素数さん
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2023/04/01(土) 11:16:51.79ID:SFuGsu5u
長~い背理法ってウザい
0447132人目の素数さん
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2023/04/01(土) 13:09:41.82ID:0oPYJmC1
基礎論バカはまじ不要
0448132人目の素数さん
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2023/04/01(土) 13:23:54.15ID:7ziiEkiM
数学バカはもっと不要
0449132人目の素数さん
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2023/04/02(日) 15:03:00.34ID:icxGHFsq
>長〜い背理法ってウザい
証明の長さに背理法か否かは全く関係がない.
長い証明はうざいかもしれないが,現状その証明しかないのならそれを理解するしかない.
0450132人目の素数さん
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2023/04/02(日) 15:05:58.84ID:icxGHFsq
>基礎論バカはまじ不要
>数学バカはもっと不要
確かにバカは不要かもしれんな.

しかし,基礎論や数学に通じている人間は総じてバカではない.
これは他の理学の研究者などでも同じこと.
だから,そんな人間はこの世にほぼいないだろうな.

最もこの世に必要ない連中は,何も学ばずに思い込みで何らかの分野をバカ呼ばわりする本物のバカだけだろう.
0451132人目の素数さん
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2023/04/02(日) 15:42:32.72ID:icxGHFsq
>ZFCなら排中律を証明できる
この事実だけなら確か1950年あたりには既に知られているはず.

直感主義論理で解析を実行しようという数学もあるけど,その場合の集合論では選択公理は入れてはいけない.
「Z+選択公理」を集合論の前提にしてしまうと,論理が直観主義論理でも集合に関する全ての事柄で排中律が成り立ってしまうから,せっかく直観主義論理でやったら古典論理とどう違うのかを考えているのに,古典論理でやったのと区別がつかなくなる.
同じ理由で(普通の)正則性公理を仮定しても排中律が出る.

直観主義的集合論でも選択公理や正則性公理(基礎の公理)の名前は出てくるが,それは通常のZFCのそれらより弱い形のもので別物だ.
0452132人目の素数さん
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2023/04/02(日) 15:42:46.97ID:SX50VDhd
本物のバカは希少種
0453132人目の素数さん
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2023/04/02(日) 16:08:53.38ID:icxGHFsq
>>411
>直観主義論理の採用しなかつたこととは何かということと
自然演繹(推論)における「否定の導入」という推論規則が別名背理法なんだよ.
そして,背理法の原理はそのままこの否定の導入でもある.
演繹定理があるから否定の導入の推論規則は「公理」の形に書き換えることもできるから,やる意味はないが「対偶の公理」のように「背理法の公理」とすることもできる.

古典論理はこの「否定の導入」だけでなく「排中律」つまり実質は「二重否定の除去」に相当する否定の特徴づけが加えてある.
直観主義論理には否定に関しては「否定の導入」しかない.

理論Γと命題Aを仮定して,それがΓと矛盾する事を示して,¬Aを結論づける論法が背理法(否定の導入に対応)だ.

(1).Γ,A ⊢ P(B,C,D,…)⇛⊥(矛盾),よって¬A

対して,最初の仮定をAから¬Aに置き換えたものが

(2).Γ,¬A ⊢ P(B,C,D,…)⇛⊥(矛盾),よって¬(¬A)

となる.直観主義論理だと最後の¬(¬A)はAと同じと言い切れないが,古典論理ならおなじになる.

(2’).Γ,¬A ⊢ P(B,C,D,…)⇛⊥(矛盾),よってA

そして背理法とは,なんの断りもなければ,(1),(2’)を自由に扱って良い古典論理の場合の事をさす.
0454132人目の素数さん
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2023/04/02(日) 16:11:57.27ID:icxGHFsq
>>452
希少だが,声がでかいからバカが目立つ.
数学や基礎論に親でも殺されたのかというぐらいにヘイトがあるから真正のバカはすぐ分かる.
0457132人目の素数さん
垢版 |
2023/04/24(月) 12:44:53.70ID:jbDWs/M5
>>455
基礎論(この場合は証明論)に関する話題で基礎論を排除しようという奴らこそがキチガイ。

料理教室で「料理の先生煩い」と吠えるDQN猿と一緒。
0459132人目の素数さん
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2023/05/09(火) 13:33:28.36ID:WePDQ/me
>>453
話の前後関係しらんけど

> 自然演繹(推論)における「否定の導入」という推論規則が別名背理法なんだよ

これは違うだろ
背理法は¬P→⊥からPを結論する
否定の導入はP→⊥から¬Pを結論する
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