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うん。構成的な数学というものに対する真摯な態度というのは
尊重するんだけど、たとえば「背理法」というものに対する
態度っていうのに関しては、いささか疑問があるのよね。
狭義の背理法と広義の背理法って、あるじゃないですか。
「二重否定の除去」っていうのは、古典論理の上でしか成り立たないでしょう?
直観論理の上では、二重否定の除去は成り立たないじゃないですか。
同じ前提からAと¬Aが導出できたら、そりゃあ「おかしい」と思うけどさ、
だったらゲーデルの第二不完全性定理はどうなるのか?っていう話とか、
「前提が偽だったら、あらゆる命題は真であるということが証明可能である」
みたいな話に向かっちゃいそうに思うんだけど。
このあたり、ルイス・キャロルも『亀がアキレスに言ったこと』で
問題にしてたように思うんだけど ……

コラッツ問題とは とりあえず関係ないとは思うんだけど、単調減少する
自然数域に写像できるんだったら、とりあえず証明は可能な感じは
するんだけど、WikiPedia によれば『ところがペアノ算術からは
全てのグッドスタイン数列が収束することは証明できないので、
ペアノ算術はこのチューリングマシンが計算しているのが全体関数で
あることを証明できない。』とかいった話なので、基礎論寄りの
議論をしないと決着はつかないのかなー、と。