数理論理学(数学基礎論) その12
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数学基礎論は、数学の基礎づけを目的として誕生したが
現在では、数理論理学として、証明論、再帰的関数論、
構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、 多くの分野
に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも
若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、
代数幾何学、 英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化
などを参照)
前スレ
数学基礎論・数理論理学 その11
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1325247440/ >>582
> 最近だと実数の中に有理数より多くて無理数より少ない部分集合の存在とか
詳しく >>561
その人、神戸の菊池誠さんとか加藤文元さんとかを
あからさまにdisるような事ばっか書いてて
人の冗談には激昂するとかどんだけ一方的なんだよ、
と思うよね ついこの間似たようなことあったよね
東大卒の小説家だったか誰かが、東北か北海道のサークルの人に自分の小説批判されただけで学歴持ち出してブチ切れてた奴 >>583
巨大基数公理から2^N0=N2が出る
Nはアレフね カナモリの巨大基数の集合論は前々からやろうやろうとばっかり思ってて全然手がついてないんだよな >>587
2^(アレフ0)=(アレフ2)が
有理数より多くて無理数より少ない部分集合の存在を意味する、というのがよくわからない 2^(アレフ0)は実数の濃度=無理数の濃度
有理数の濃度は可算でアレフ0
アレフ2はアレフ0の次に大きい濃度であるアレフ1に次いで大きい濃度
だから、
有理数の濃度(=アレフ0)より大きく無理数の濃度(=アレフ2)より小さいような濃度(=アレフ1の濃度)をもつ実数の部分集合がある
ということを言いたいのだろうが、もう少し丁寧に書いた方が喜ばれたとは思う 無理数の濃度=実数の濃度=2^アレフ0≦アレフ1
じゃないんですか? 一般にはアレフ1以上だが先に書いてる人が言っているように巨大基数の存在などのもっともらしい公理の追加をすると実数の濃度がアレフ2かアレフ2以下に制限される現象が知られていて俗にアレフ2現象と呼ばれている
今はそのレスからの流れだからアレフ2 別にaleph2じゃなくても、not CHだけで良いよね、っていう >>590
検索したらそいつだった有名な人なんですね 別に矛盾しないならどんな公理を想定してもいいけど
非可算だけど実数濃度より真に少ない部分集合を
具体的に構成してこれと示せないのは気持ち悪すぎ ただ記述集合論をある程度やるとGodelみたいに
CHの方が気持ち悪く感じるようになるみたいなんだよね 別にこれは個人的な好みの問題だから別にいいんですけど、
数理論理学でも集合論でもある程度抽象度のある集合を考えた方が面白い(?)のに、実数の部分集合みたいな具体的な集合考えて楽しいんですかね? >>601
てゆーか「無いと言いたいがどうしても言えそうにない」って感覚なんじゃないかな >>602
具体的に思えるのに実はつかみ所が無くて困るってこと
でも
こういうのをちまちま考えるから数理論理学は嫌われる
有ったからどうだって言うの?無かったからどうなの?
って感覚が普通 ここの人で実解析と数理論理学の関係に興味ある人いる? 数学基礎論は数学じゃないでしょ
数学との交わりも少なすぎるし
今ある交わりも枯れ果てる寸前の細枝 >>602
>数理論理学でも集合論でもある程度抽象度のある集合を考えた方が面白い
↑
具体例を挙げないバカ >>609
だって何かしら動機を与える興味深い問題を豊富に内在してないでしょ それで何度もスレに悪口を書き込んでるのか
感情的な理由ではない、と
説得力ないね >>611
理由を添えずに批判だけするのは
頭使わなくても機械的に出来る >>613
↑
健全な反論を何一つできないくせに
幼稚な皮肉めいたレスしか返せないバカ アレフゼロとかオウム真理教みたいできもいと思ったやつが正解 その的外れな反応も感情で目が曇っているのが理由ではない、と 興味深い問題を豊富に内在していないから何度もスレにそのことを書き込みに来ている
攻撃的な内容に見えるかもしれないが、決して感情的な理由から何度もそうしているわけではない
こう言いたいわけだ
うん、やはり説得力がないね >>618
↑
@相手に対して「俺はムチャクチャを言っていない」と思ってる訳ね、
という機械的念押し
A最後尾に「説得力がないね」という文字列を付加する
自分のレスにアンカがつくと
必ず@+Aのレスが生成されて必ずかぶせてくる >>618が間違っているなら訂正を
今の君は皮肉めいたレスで逃げているように見える というか…
>>618で俺は君の「機械的なレス」という誤解を解こうと思ったわけだが、全然伝わらなかったのだろうか 集合論はもともと三角級数の研究してたCantorが
実数の集合Rの部分集合について点集合論的な問題を
考える必要になったのが端緒なので
解析方面やgeneral topologyとの繋がりは
当時からずっと強いと思うよ
モデル理論はもともと代数幾何で考えられてきたような
問題を、体と多項式系ではなくもっと一般的な設定の下で
考察したい、みたいな考えが根本にあるから、
当然そっち方面への応用が一番自然で強力なものになる
(その他にも色々と応用はあるけれど)。
610があまりに数学を知らなさ過ぎるだけなんじゃない? ウルトラフィルターを取る操作と
極大イデアルを取る操作は
本質的に同じ操作なので、ウルトラフィルターが
ゴミ屑の概念だと言うなら極大イデアルもそうなる。
連接トポスに関するDeligneの定理と
Godelの完全性定理は片方からもう一方を導けるので、
片方が無意義ならもう片方もそうなるだろう。
そうやって数学の各分野を枯れた分野だと言って
切り捨てていけるなら大したものだね もう50年くらい前のイデアル論を著した成田正雄ですら
証明なしにツォルンの補題を用いている
鎖という考え方はネーター環の土台であるが
今では完全列などのホモロジー代数によって形を変えている
無限集合の問題は対象すなわちオブジェクトの存在を仮定すればよいだろう >>623は興味深いが
>>624は言葉足らずで意味不明 >>623
説明があった
1975年に指摘されていたみたいね
https://arxiv.org/abs/1309.0389
あと言っとくが、同値な命題だからといって同価値ではない。 >>622
general topology(笑)
それだけをなんやかんや弄る人達がいるのは知ってるけど
そのgeneral topologyの研究も同様に、数学の主流とほぼ交わりなしでしょ
>モデル理論はもともと代数幾何で考えられてきたような
もうずっと昔にモーデルの定理か何かで
モデル理論的なアプローチが成功したとかいう過去の栄光のただその一点に
ずっとしがみついてる感じ
あれ以降に何か目に見える発展はあったんですかね
実代数幾何とかゲテモノ(しかもカビの生えた古びたゲテモノ)という印象しかない
>連接トポスに関するDeligneの定理と
>Godelの完全性定理は片方からもう一方を導けるので
>片方が無意義ならもう片方もそうなるだろう。
>>626←の人が既に言ってるみたいだけど
その話自体は全然知らなかったが、翻訳することで何か具体的な実りはあるのですか?
もし翻訳することの価値がないなら、一般論として、
AとBが翻訳可能でAに価値があっても、Bに翻訳する価値がないなら
Bに価値があるとは限らない 幾何学的群論と数理論理学は深い関連があるみたいで、詰まらなくはない。 モデル理論が実代数幾何には使えて
代数閉体上の代数幾何への応用には乏しいとかいうことは
全くないので、何かかなり誤解しているんじゃないかと。
627のいう”数学の主流”って何なの?
どうも、かなり狭い範囲の分野の事を言っているように
感じられるんだけど。
例えば、数論こそが数学の主流であり、その他の分野は
お情けで数学と呼ばれているに過ぎない、とか
解析学は複素解析以外数学じゃない、レベルの狭隘さ。 >>630
代数幾何や数論幾何以外は数学でないと思ってるド阿呆もいるぞ。 上から目線で扱き下ろす快感のためにこのスレに足を運んでる様子なので、
それを感情的だと見透かされるのは絶対に受け入れられないんだろうなとは想像がつく >>632
感情を使わずに数学をやってるようじゃまだまだだな 独我論的構造を持つ現代数学を扱う人間は自然に独我論者になる
@自己が独我論に陥っている
A他者が独我論に陥っている
の二つの場合がある
お互いに何を言っているのかわからないバカの壁となりやすい中で
論文を出すことは至難の業だ
自他ともにわかりやすい文章を書くという作業ですら危うい時代になった >>634
> 独我論的構造を持つ現代数学
インチキ >>633
貴方がこのスレでやってることが数学なのかね >>634
かの御仁は独我論の意味も知らんやろ
ケチをつけるのに理由を添えることすらしていない >>636
当たり前だが5ちゃんの書き込みは数学とは言えない 埒が明かないので大真面目に受け止めるけども、貴方は基本的な読解力に問題があるみたいだね 自然数に関する命題で、巨大基数公理を仮定することで証明できるようになるもの
ってどんなのがありますか
ヘンテコな命題や、メタ数学的な内容の命題は除いて >>640
へんてこに決まってんじゃん
だいたい
巨大基数は存在しないというのが普通の感覚 >>641
調べても分かりませんでした
>>642
普通の人の感覚では到達不能基数の存在を利用したフェルマーの最終定理もヘンテコということになるのでしょうか 正確には、フェルマーの最終定理が本当に巨大基数を必要としているかどうかは不明なので、>>640の答えにはなりませんけど 巨大基数公理ってクラスを必要としないで済ませられるよって言いたいが為にする公理なので
そんなモノあると思う方が変ってのが普通の感覚 >>643
> 普通の人の感覚では到達不能基数の存在を利用したフェルマーの最終定理もヘンテコということになるのでしょうか
えっ???
Wiles(と補題に関しては彼とTaylorだっけ)によるフェルマーの最終予想の証明は到達不能基数の公理なんて使ってた?
WilesによるFLTの証明はそんな怪しげ(少なくとも集合論屋や論理屋以外の通常の数学者の少なからずは疑っているどころか
その公理の存在すら知らない)な公理には依存していないんじゃないの? 当時、そんな変な公理を使ってるなんて騒ぎにはならなかったし
もしWilesの証明がそうであったならば、FLTは到達不能基数の存在・不在とは関係なく正しいわけで、そういう関係なく正しい命題であるFLTを
別の誰かが通常のZFCよりも強力な公理(到達不能基数の存在公理)を持ち出して証明するって
(仮にその新しい証明がたとえWilesのよりもエレガントだったとしても)数学的にはあまり意味がないよね(最初の証明ならともかく、既により弱い
公理系で証明済のを強力な公理系でエレガントに証明し直すって単なる 【牛刀をもって鶏を割く】 の類でしょ) >巨大基数公理ってクラスを必要としないで済ませられるよって言いたいが為にする公理なので
いや違うでしょ >>647
>誰かが通常のZFCよりも強力な公理(到達不能基数の存在公理)を持ち出して証明するって
> (仮にその新しい証明がたとえWilesのよりもエレガントだったとしても)数学的にはあまり意味がないよね(最初の証明ならともかく、既により弱い
> 公理系で証明済のを強力な公理系でエレガントに証明し直すって単なる 【牛刀をもって鶏を割く】 の類でしょ)
基礎論にそんなかっこいいことできたためしないよ
確かグロタンディーク宇宙っていう集合論のモデルの存在が巨大基数公理と同値とかなんとかで
グロたんの構築した概念使う限りは巨大基数公理の存在を認めざるを得ないとかなんとか
けど精査したらWilesの証明にはそこまで仮定する必要なくって選択公理も不要で
ZFで十分だったんだって >>651
なるほどそういうことか、答えてくれて有難う >>649
そうそれ。自然数の集合として表現されるから自然数に関する命題かなあと 直観主義な人はそれをやる前提が中途半端と嫌ったりもする 選択公理を採用する直観主義数学として有名なのはビショップの構成的数学
もちろん直観主義なので排中律は成り立たない
竹内外史の直観主義集合論の本にも選択公理から排中律を導く話は出てくる 数学ってまず手を動かしてノート取らないと分からないけど、数理論理学は熟読するだけで割と何となく分かるからいいよな >>654
証明読むと有限集合しか出てこないから
選択公理を使う必要はないよね
結局
ZFの命題では必ず排中律が成立
つまり
LJ+ZF=LK
みたいな 日本には哲学者でも数学者でもないいわゆる
論理学者ってあんまり居ないよね
思いつく限りでは、岡田光弘、照井一成、小野寛晰、
藁谷敏晴くらいしか居ない気がする
ytbさんとかも敢えて分類するなら数学者じゃなくて
論理学の人だけども、、 有名でない人も含めればまだ居るとは思うけど、
論理学者って「趣味 読書」とかと同じで、
実際にはそんなにガチじゃない癖に取り敢えず
自称する人が多すぎる気がする。
数理論理の専門家ならまだ分かるけど、論理のパズル本を
出しただけの哲学科教員とか、 >>668
論理の本は数理論理学の専門家が書いたほうがいい。 >>659
そこのページも正しくなさそう
なぜかってABふたついらないから
X={0,1}
f:2^X-{{}}->X
f({0})=0
f({1})=f({0,1})=1
A={x∈X|x=0∨ψ}
f(A)∈A
f(A)=0∨ψ
f(A)=0∧ψ→A=X→f(A)=1→NG→¬ψ
f(A)=0∨ψ→¬ψ∨ψ
結局
>>664
> LJ+ZF=LK+ZF
てことね 数理論理学を位相空間的に扱うのってありますか?
あれば参考本でもURLでも教えて下さい ありましたね、田中俊一『論理と位相』 日本評論社 ってのが
現時点では品切れかも https://www.amazon.co.jp/dp/toc/4535601275/
位相と論理 (日評数学選書)
田中 俊一 (著)
中古品の出品:3 ¥ 13,755より
目次
1 順序と束
2 命題論理とブール代数
3 構造とモデル
4 ブール代数の表現定理
5 フレーム
6 カテゴリー ラッセル・ヒルベルト流にしろ、ゲンツェン流にしろ、[PならばQ]を[Pでないか又はQ]と同値であると考えたのが、そもそもの誤り。 >>676
また言い出したよ
結局定義も出来ないんじゃ
くり言うわ言たわ言だよ >>676
> ・・・、[PならばQ]を[Pでないか又はQ]と同値であると考えたのが、そもそもの誤り。
日常言語の「ならば」とか「又は」に込められた感覚が記号論理に正確に写し取られるとは限らないし正確に写し取らねばならない必然性もない。
そもそも日常言語での「ならば」はしばしば因果関係的なニュアンスを含んでいる。 >>678は書きかけて廃棄しようと思ったのを間違って投稿してしまったので無視してね 皆、講義PDFは印刷してorタブレット端末上どっちで読んでる? 676>>
ラッセル・ヒルベルトもゲンツェンも、肝腎かなめのところで間違っていたってことだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています