数理論理学(数学基礎論) その12
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数学基礎論は、数学の基礎づけを目的として誕生したが
現在では、数理論理学として、証明論、再帰的関数論、
構成的数学、モデル理論、公理的集合論など、 多くの分野
に分かれ、極めて高度な純粋数学として発展を続けています。
(「数学基礎論」という言葉の使い方には、専門家でも
若干の個人差があるようです。)
応用、ないし交流のある分野は、計算機科学の諸分野や、
代数幾何学、 英米系哲学の一部などを含み、多岐にわたります。
(数学セミナー98年6月号、「数学基礎論の学び方」
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~tanaka/intro.html
或いは 岩波文庫「不完全性定理」 6.4 数学基礎論の数学化
などを参照)
前スレ
数学基礎論・数理論理学 その11
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1325247440/ >>451
だから、メタな仮定を一切認めないなら論理の形式化を全て諦めればいいじゃないですか
前にも言ったはずですよ? >>451
例えばですね、論理式を定義するのにも、記号の集合やメタな添え字としての自然数を導入する必要があるんです
こればっかりはどうしようもないんですよ
これをメタに認めなければ、我々は何もすることができないんです >>455
というより厳密な数学をあきらめればいいのよ。所詮数学とて
メタな存在(記号図式、記号の集合)に依存せにゃならん砂上の楼閣
なんだから。 >>454
あなたのベン図は神が定めてるんですよ
神を前提とした論理学とか斬新ですね >>451
なるほど、じゃあ君にとっては古典1階述語論理に関する完全性定理は無価値なわけだし
その完全性定理を活用して示される論理でなく数学の理論に関する様々な結果も価値がないわけね
で、君のようなことを言い出すと「数学の基礎付けに使うメタ論理やそこでの諸概念の定義にimpredicativeなのがあっても良いのか」という話になってくる
私にとっては数学基礎論という問題意識、数学を基礎付けようなどという傲慢な意識が今となってはナンセンスだと感じるだけだがね
まあ逆数学みたいなアプローチは単なる知的好奇心だけでなく実際の数学の「難しさ」を客観的に測る上でも価値があるとは思ってるが
ちょうどGentzen流の還元的証明論によって公理系の無矛盾性証明の「難しさ」(つまり無矛盾性の保証料とでも言うべき事柄)に対して特定の順序数が与えられるようになり
公理系の「複雑さ」を測る客観的な尺度が与えられたことに大きな意義や価値があるのと同じように
そう言えば逆数学の易しそうな解説本が出たね >>460
完全性定理を用いた定理って例えばどんなのがあるんですか?
無知なので教えてください >>328
>数学的に何も定義できてないのに批判だけするって民進党か
民進党
言及されて
四苦八苦
啄木 圈 正しいと証明できてないものは使ってはいけないというのは数学においては究極的には正しくなくて
正しいと証明できてなくても正しそうなものは皆が認めるなら使ってもいいし
それを使って矛盾がないことが証明できれば誰がどう言おうが使ってもいい
ただし正しいと証明されないのだからそれを認めない立場も認める
もちろんそれを認めない立場がつまらないと認める立場も認める
というのが数学における正しい立場じゃないかな
矛盾が起こらないこと自体は形式化で証明すればよいわけだけど
それだって数学で使われている事柄が矛盾を引き起こさないという共同合意に基づいている
だって矛盾が起こるようなら何でも結論できちゃうからね
そしてその場合当然形式化でも矛盾が起きちゃう
今のところ
数学において究極の正しいと認められている事柄(公理)は
モノに関しては集合論(ZF,ZFC,BG)
演繹に関しては古典論理(LK,NK)
じゃないかしら >>464
> 正しいと証明できてなくても正しそうなものは皆が認めるなら使ってもいいし
「公理として」が抜けてるよ。 >>464
誰に取っても正しいとかそういう主観的な概念を持ち込みたくないから、形式的な数学的立場が発達したんじゃないですか? 絶対的な真理を認めるくらいなら、なにも認めない方が数学的でしょう 形式的体系の目的は数学を形式化して初めて扱えるようになる問題(証明不可能性、無矛盾性)
「正しい」とか「正しくない」とかは無関係
ヒルベルトが形式的体系と無矛盾性証明にこだわったのは、無矛盾でありさえすれば存在を認めるという哲学的立場であるため
形式的体系そのものが数学の存在や正しさを保証するわけではない それはそうですけど、>>464のいうことは違いますよ明らかに
メタに認めることは誰もが正しいと認めざるを得ないことなのかというとそうでもないですし >>469
>それはそうですけど、>>464のいうことは違いますよ明らかに
じゃあ「正しい」の意味があなたと私とで違うというだけでしょう 「それはそうですけど」と言ってるけど実は分かってないでしょ
メタで何も認めず形式的体系だけで全てを保証したい、という願望を持ってるんでしょ貴方は 私は
>>455
ですよ
私に取っては、あなたたちのほうが、メタと真理を混同しているとしか思えませんね
メタとは、あくまで立場の問題ですよ
ただ単純に、認めるか認めないかの違いであり、正しいか正しくないか、もしくは明らかであるかないかの違いではないのです 完全性定理の証明に選択公理使うからな。それ以前に自然数論は構文論にすら
使ってるからな。公理図式自体が可算個の記号集合を走る変数を含む記号列だし。 >>464
>数学において究極の正しいと認められている事柄(公理)は
>モノに関しては集合論(ZF,ZFC,BG)
>演繹に関しては古典論理(LK,NK)
>じゃないかしら
P⊃Q)v(Q⊃P)などと言った「奇怪な“定理”」をもつ古典論理が正しいわけがない。w >>475
神を前提とした論理学は正しいんですか? やっぱりメタな立場についてのスタンスについて考えると>>85がしっくりくる
でも”…”のところがよく分からないんですよね >>477
"・・・"は明らかに帰納法の省略だよなw
記号列と、その操作の列の列の列・・・っていうね。 >>479
間違ってないですよ
>>475さんの理論では、議論世界を定めるために神の存在を必要とします (P⊃Q)v(Q⊃P)などと言った「奇怪な“定理”」をもつ古典論理が正しいわけがない。w
にたいしての答えかってんだよ。 "Only Heaven Knows" を文字どおりにとってり間抜けがいるな。(^o^)
「人間が未だ知らぬことなどぎょうさんあろうがなw」それを素直に認めて何が悪い! >>482
直感主義はそんな感じですけど、あなたの神論理学は、神でないと命題の真偽すら決定できないということになりますよ?
議論世界を決定できるのは神だけなんですから
クリプキモデルでは知識量により真偽が変わるとしますが、あなたの場合は神でなければ真偽を決定できない、です >>483
そうそう
真偽の定義ができないんだもんな >>484
正しくは、「真偽が決定できる場合もあるし、できない場合もある。」 数学上の未解決問題などは”真偽が決定できない命題”の典型的な例だ。
その真偽は Only Heaven Knows だ。 >>486
猿がコンピューターを使っている
これは真偽が決定できない命題ですか?
ナンセンスな命題ですか?
議論世界が決定できない命題ですか? やっぱりメタな立場として、有限の立場というか有限の手続きのみによって認められるものを認める立場をとろうとすると、ZFCの公理はメタな立場の公理としては案外認められない感じしますね
選択公理は言うまでも無く、置換公理、正則性公理も受け入れられなくなりますし、
巾集合公理、外延性公理、和集合公理も受け入れたらダメなんじゃ寝?って気分になります
空集合公理、対集合公理は何のためらいも無く受け入れることが出来ますが。 >>489
雑だね
どんな集合にそれら公理を適用するかまで考えたことある?
決して無制限に公理を駆使してるわけではないんだよ >>488
現に「猿がコンピューターを使っている」のを見ての発言であれば真・ >>492
-Inf
か
-Inf+¬Inf
かでも違うんだよな >>491
じゃあもう少し具体的に説明して貰えますか?
例えば完全性定理の証明の際に、論理式全体(だったかな?)を整列させて帰納的に極大無矛盾集合を作るじゃないですか
その際にこの帰納的に作る過程において公理をどういう風に適応させていると言うんでしょうか? ドイツ観念論の三馬鹿トリオ:−
馬鹿カント
いかれヘーゲル
狂えるマルクス
#マルクス本人は観念論から脱したと思っていたようだが、はたから見れば
ヘーゲルの影響が甚大で。充分に観念論的だ。w 7ヶ国語に訳されている、知る人ぞ知る、確率論の世界的歴史的「名著」:−
КУРС ТЕОРИИ ВЕРОЯТНОСТЕЙ
(Борис. В. Гнеденко)
英訳: THEORY OF PROBABILITY
邦訳: 確率論教程 T,U (森北出版)
百ヶ国語に訳されるであろう、知る人ぞ知る論理学の歴史的世界的名著:−
『改革論理要諦』 http]//www.age.ne.jp/x/eurms/ 年末辺りにAmazonで数学書が破格の安売りしてたから注文したら価格設定のミスって言われてキャンセルされたわ
卑怯だろ >(P⊃Q)⋁(Q⊃P)などと言った「奇怪な“定理”」
(P⊃Q)⋁(Q⊃P)がなり立つからといって
∀x(P(x)⊃Q(x))⋁∀x(Q(x)⊃P(x))が成り立つとはいってないけど Venn図って結局図上の点それぞれで命題論理適用して
どの点xでも¬Q(x)⋁P(x)が成立すれば
∀x(Q(x)⊃P(x))としてそれを「QならばP」とあらわしてるだけ
(しかも「ならば」としての⊃と、集合の包含としての⊃は向きが逆) 独立の命題P_1、・・・、P_nを考えると
それぞれの成立不成立によって
2^n個の点を想定することができ
さらにそれらの点における
成立不成立にとって2^(2^n)個の
合成命題を考えることができる
n=N(つまり自然数の集合)なら
点は2^N個(つまり実数の集合と同濃度)
さらに合成命題の数は2^(2^N)(さらに高い濃度) >論理法則とはHirbertが考えたような形式的な真理ではなく、二階の実質的な真理なのだ。
ベン図で描けるからかい? ttp://www.age.ne.jp/x/eurms/GDL.html
eurms氏の言い分ではBew[R(n);n]は、どのR(n)とも一致しないそうだが
単にゲーデルの定義した述語Bewは、証明可能の意味ではない、と
云ってるだけのように聞こえる
確かにゲーデルの定義した述語Bewでは、
任意の命題Pについて、Bew(P)⇒Pを
証明することはできない
Bew(P)⇒Pが証明できるのは、Pが証明できるときそのときに限られるから >>505
>(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P)の場合はどうなんだい? >>509
>(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P)の場合
¬(∀x.(¬P(x)⋁Q(x)))⋁(∀x.(Q(x)⋁¬P(x)))
P⋁Q⇔Q⋁P と 排中律から証明可能 >>504の補足
(P⊃Q)⋁(Q⊃P)は
(P⋀¬Q)⊃(Q⊃P)と
同値である
しかし、後の式を
∃x(P(x)⋀¬Q(x))⊃∀x(Q(x)⊃P(x)) (*)
と解釈することはできない。((*)は恒等式ではない)
要するに命題論理の⊃は「包含関係」とは異なる だから
p→q,p∨q,p∧q,¬p
の真偽の定義が出来ないのなら意味なし >>512
それは別に問題なくね?
論理法則は絶対的でないと駄目という信念があるならどうだか知らないけど 真偽の定め方に任意性があるのを「定義できない」と言ってるわけでしょ
数学的公理ならともかく論理的公理がこれでは困る、という信念なのかと推察するが あと「背理法」
(p∧¬q→人)→(p→q)
を認めるのかどうか 背理法の原理は、正しくは、
[P(x)∧¬Q(x)⇒/x/0(x)]⇒/p,q/[P(x)⇒/x/Q(x)]
であって、(p∧¬q→人)→(p→q) のことではない。 フレーゲアン理論(いわゆる”古典”論理)は、肝腎なところで誤っており、根本的に書き換えられなければならない。
http://www.age.ne.jp/x/eurms/Ronri_Kaikaku.html 特定の述語に対してのみならばを考えるとか論外なんですよねー
命題に対してならばを考えないのはなぜですか? [P(x) ならば Q(x) である] は P.Q が論議世界を同じくするかまたは Q の論議世界が
P の論議世界を包摂する場合にのみ定義される。
命題 P(α)⊰Q(α) は、[P(x) ならば Q(x) ]でありかつ<x」α>∈Ux である場合のみ
成立する。 集合論で濃度や基数が厳密に定義されていますが、
数学基礎論で濃度や基数が扱われるのは何とも思いませんか?
(例えばレーベンハイム・スコーレムの定理) G.Boolos の The Logic of Provability 読みたいなあ
|ω・)チラ. 数学を基礎付けようという意識が傲慢とか
言ってる人が上に居たようだけど、
これは現代に同じ事を言ってたら確かにそうだが、
19世紀末の時代は何が数学的証明として許容されるかの
コンセンサスが充分でなかった時代なのを考慮に入れて
差し引いて考えないとフェアじゃないと思う。
神学者が堂々と数学者の証明に
哲学的なケチを付けてたりした時代。 >>524
libgen io で検索するといいことがあるかもしれない って隣の奥さんが言ってた あと、「メタレベル」と「意味論のレベル」は
別々の独立の話。
たまたま一致する事もあれば異なる事もある。
区別しないで同じようなものだと思って話すから
メタレベルのさらにメタレベルのさらにメタ………
みたいな混乱した議論になる >>526
460です
なるほど現代とは数学やその証明を取り巻く時代背景が全く異なっており
当時は数学に対して可能な限り客観的な形での基礎づけが必要とされたということですか
それには納得です
一つ勉強させてもらいました
どうもありがとうございました さっき、組み合わせ的独立命題の話でヒドラ-ヘラクレス線の話よんだんだが面白いね
こういう感じの数学的話題はもっと知りたくなりますね >>524
Goedel-Loeb Logicの本ね
>>532
照井一成氏の「コンピュータは数学者になれるのか」がお勧め
個人的には自然数の最小値原理をプログラム化する
クライゼル計画がツボ
最小値原理って実はヒルベルトが「ゴルダンの問題」を
解いたときに使った論法らしい 「神学」とかいわれたけど
要するに自然数の集合には必ず最小の要素があるが、具体的に
自然数の集合から最小の要素を取り出す具体的方法がない
ってところが具体的な最小値を知りたい人には面白くない
ってことらしい >>533
面白そうな話ですね
いつか読もうと思います
自然数の集合Aが空で無ければ最小値が存在することについてですが、
0から初めて1つ1つ自然数nがAに属するかを検証することによって最小値を求めることができるのでは?
この場合Aが空でないという仮定により、いつかはあるnに対して初めてAに属することが分かることが保証されているのだから。
だからAが再帰的集合でありさえすれば何も問題は無いかと。 >>534
> だからAが再帰的集合でありさえすれば何も問題は無いかと。
再帰的集合でないから問題になるわけで Aが再帰的であってもc.e.じゃなかったら
困るんじゃないの?
n∈Aだけじゃなくてn-1∈(N-A), n-2∈(N-A), ......
である事も分かってないと最小値だとは言えない訳だから 専門化を目指すなら、この程度の知識は宴会で酔っ払ってもそらんじられるくらいにマスターしておきたい、
そうでないと、基礎論の研究者とはつきあえないだろう。
田仲一之、「数学基礎論講義 不完全性定理とその発展」、はじめに の1ページ目下段
これって本当ですか?この程度というのはどこまでを指しているんですか? >>534
>0から初めて1つ1つ自然数nがAに属するかを
>検証することによって最小値を求めることができるのでは?
Aに属するかどうかアルゴリズムで判定可能とは限らないところがポイントです
逆にAから一つづつ要素を取り出していくとして、
必ずあるところで最小の要素が取り出されますが
それがいつかが分からないのがポイントです 最小値原理
∃x∈N.x∈A⇒∃x∈N.(x∈A&∀y∈N.y<x⇒¬(y∈A))
整礎帰納法
∀x∈N.(∀y∈N.y<x&y∈B⇒x∈B)⇒∀x∈N.x∈B
x∈Nのとき、x∈A⇔¬(x∈B)とすれば、両者は対偶の関係 専門書の電子書籍化ってしてます?
高い本なだけにちょっと抵抗感じてしまうんですよね ドイツ観念論の三馬鹿トリオ:−
馬鹿カント
いかれヘーゲル
狂えるマルクス
#マルクス本人は観念論から脱したと思っていたようだが、はたから見れば
ヘーゲルの影響が甚大で、充分に観念論的だ。w >>537
あの本の第1章の内容は全部そうだと思って良い >>542
ですよね1章だけですよね
第2不完全性定理以降も含まれているのかと一瞬勘違いしてしまいました 先日ファジィ集合・論理に関する本をゲットしたんですが、普通の数理論理学の研究を深めていく上でファジィ方面ってあんまり関係しない?する? >>543
第2章は基礎的と言えば基礎的
と言っても定理の成立条件の細かい条件の吟味とか
し出すとキリがないんだけど クラス量化を含まない論理式がNBGで証明可能であれば、その論理式はZFでも証明可能である
このように
ある型の論理式について、ある体系で証明可能であれば、実はより弱い体系でも証明可能である
という主張をできるだけたくさん教えてください それって強い理論は弱い理論の保存的拡大になってるってことだから
保存的拡大とその実例について調べて探してごらん 突然ですが
名著」ソラリスね。書店にあったから、つい買ってしまった(^^
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/71_solaris/index.html
NHKテレビテキスト「100分 de 名著」ソラリス 2017年12月
(抜粋)
惑星ソラリスの探査に赴いた科学者クリス・ケルヴィンは、科学者たちが自殺や鬱病に追い込まれている事実に直面。何が起こっているのか調査に乗り出します。その過程で、死んだはずの人間が次々に出現する現象に遭遇し、自らの狂気を疑うクリス。
やがて惑星ソラリスの海が一つの知的生命体であり、死者の実体化という現象は、海が人類の深層意識をさぐり、コミュニケーションをとろうする試みではないかという可能性に行き当たります。果たして「ソラリスの海」の目的は?
この作品は、人類とは全く異なる文明の接触を描いているだけではありません。ソラリスの海が引き起こす不可解な現象は、人間の深層に潜んでいるおぞましい欲望や人間の理性が実は何も知りえないのではないかという「知の限界」をあぶりだしていきます。
ロシア・東欧文学研究者の沼野充義さんは、レムは、この作品を通して「人間存在の意味」を問うているのだといいます。
さまざまな意味を凝縮した「ソラリス」の物語を【科学や知の限界】【異文明との接触の可能性】【人間の深層に潜む欲望とは?】【人間存在の意味とは?】など多角的なテーマから読み解き、混迷する現代社会を問い直す普遍的なメッセージを引き出します。
(引用終り)
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20171204-31-16596
100分de名著 レム“ソラリス”[新] 第1回「未知なるものとのコンタクト」
[Eテレ] 2017年12月4日(月) 午後10:25〜午後10:50(25分)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%99%BD%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%AB
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