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TOP Webナショジオ 研究室に行ってみた。CERN 素粒子物理学 CERNの日本人研究者たち 第3回 そして、ヒッグス粒子発見の瞬間がやってきた 2014年5月21日
(抜粋)
ノーベル賞を受賞したヒッグス粒子発見の舞台である欧州原子核研究機構、通称CERN(セルン)。スイスとフランスの国境地帯にあり、全周はなんと27キロ。欧州21カ国が共同で運営し、日本からも200人以上が参加する素粒子物理研究の最前線に行ってみた!(文・写真=川端裕人)

 アメリカの大型超伝導加速器SSCは、1993年、トンネルを20%掘ったところで中止が決定した。その時点で、CERNでも新しい計画があり、それが現在実現しているLHC加速器だ。しかし、SSCよりも小さくエネルギーも低い。作ったとしてもエネルギーフロンティア実験としては物足りないということで、実は計画が「瀕死」の状態だったという。

「ノーベル物理学賞をとったカルロ・ルビアが非常にがんばっていて、エネルギーは3分の1でも、ルミノシティを10倍上げれば対抗できると。東西ドイツが1つになったり、欧州が政治的にも大変だった時期なので、人員削減など、いろいろ苦労があったようです」

LHCはエネルギーでは負けても、ルミノシティで勝負、というロジックでかろうじて計画が生きのびていた。また、当時、逆風だったはずの政治的な不安定さも、CERN設立の精神からすると、順風として作用した可能性もある。

「CERNの設立は1954年で、この時期、第二次世界大戦で疲弊したヨーロッパから、科学者がアメリカに流出する状態だったそうです。加速器にしても、アメリカではすごい強大なものをつくり始めたんで、欧州の1国じゃもう対抗できなくなってCERNをつくったと。
欧州の結束のため、平和的な意味もあったし、科学者をとどめておくために、やっぱり1つのターゲットが必要だったといいます」