現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む36 [無断転載禁止]©2ch.net
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現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む 前スレ現代数学の系譜 古典ガロア理論を読む35 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1497848835/ 小学レベルとバカプロ固定、High level people、サイコパス お断り!High level people は自分達で勝手に立てたスレ28へどうぞ!sage進行推奨(^^; 旧スレが512KBオーバーで、新スレ立てる このスレはガロア原論文を読むためおよび関連する話題を楽しむスレです (最近は、スレ主の趣味で上記以外にも脱線しています。ネタにスレ主も理解できていないページのURLも貼ります。ガロア関連のアーカイブの役も期待して。) 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>15 >>37 は乱れたから書き直そう。 >誰も「回数の期待値の総和」なんていってないぞ >「トップが入れ替わる確率の総和」とはいってるが では、 >トップが入れ替わる回数の平均値を求めよ をどう読めば >トップが入れ替わる確率の総和を求めよ と読めるんだ? >トップが入れ替わる「平均回数」 と >トップが入れ替わる「確率の総和」 とでは、ニュアンスが全く違うと思うが。 普通に考えて読めば、「平均回数」は「回数の平均値」のことだろう。 「平均金額」は「金額の平均」とかいったりするだろ。それと同じだ。 >>15 ちなみに、 >トップが入れ替わる回数の期待値の総和を求めよ は新しく参戦する人aが現れる各回数でaと今までの人とを合わせた 全員(便宜上n(≧2)人としよう)がトップになり得るようなルールに変更して設定してしまった。 そうすると、各回数の中で離散確率空間を設定することが出来るようになる。 1/n はそうして考えたときの期待値の1つだ。 1/2+1/3+…+1/n はそういうような期待値の総和だ。 そもそも、カラオケバトルという代物のルールが全く分からんしな。 >>15 >>38 の訂正: 「平均金額」は「金額の平均」 → 「平均金額」は「金額の平均値」 >>39 の訂正: 全員(便宜上n(≧2)人としよう)がトップになり得るような → 全員(便宜上n(≧2)人としよう)「の中で」aがトップになり得るような >>15 いやいや、ルールを変更しても、問題文に合わなくなって設定の仕方が悪くなるな。 >>39-41 は取り消しで、 >トップが入れ替わる回数の期待値の総和を求めよ は単なる独り言だ。 >>15 ま、単純にいえば、>>39 の >1/n はそうして考えたときの期待値の1つだ。 は >1/n はそうして考えたときに「aがトップになる」期待値だ。 だ。あ、問題はないのか。カラオケバトルのルールが全然分からないんだが。 ただ、>>38 のような疑問点は残る。 トップになる回数の「平均値」が「確率の総和」になる理屈が分からん。 その現代研究者事情というんですか、まあ判りますよね。私もかつて、こんな本: http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0477-X.htm を見つけた事があり、読んでみました。色んな人が各種様々な観点から色んな意見を述 べてますが、その著者が言う『日本人には独創性が全くない』というのは: 1.個人を無視して組織防衛を第一義的な価値観とする。 2.徹底的にリスクを回避し、上手く行くと最初から解ってる事しかしない。 3.周囲の目や他人からの褒賞の獲得を、第一義的な価値として行動する。 という様な、まあ『恥の文化』という「菊と刀」の説明で辻褄が合うでしょうね。 この田中親義さんの本ですが、読んでみて直ぐに判ったのは: ★★★『高校生の時以来の私の論理分析でも判る通りであり、 独創的とは「芳雄的な発想を絶対にしない」という事。』★★★ そのものですね。だからその著者の田中さんみたいに、こういう観点にちゃんと気付い てる人達も実際には居るんですよね。そしてそういう人達がいるから『こそ』、芳雄は 京大を徹底的に敵視して目の敵にしてたんでしょうね。まあ劣等感という事かと。 (続きます) 続き: 私は子供の頃から『全てに於いて芳雄の反対をすればいい』という事を体感してました が、でも子供の時からそういう事を体感せざるを得ない家庭環境というものが如何に地 獄かは、想像が付きますかね。筑波が地獄だったってのも、そういう事なんですがね。 芳雄の様に「自分を常に他人と比較」する、そして「その嫉妬だけを推進力にする」っ てのは(純粋な好奇心とか向上心、ではなくて)『他人に対する意地とかメンツだけ』 で生きてるって事ですからね。だから哀れなモンですよ。でもコレこそが大方の日本人 の姿そのものではないかと思いますがね。他人に対して勝つ事、そしていかに多くの人 間を自分の支配下に治め、まあ『天下人になりたい』ってな浅ましい考えでしょうね。 尤も現代社会の何処にどういう問題がアルか、そしてソレは何が原因であり、なので何 をどう改善すればいいか、に関する見解は「その人それぞれ」ですわ。だから一概には 何処がどう悪いかとは言えませんわ。但しこの国の様々な事柄が『純粋数学には全く向 いてない』ってのは確かでしょうね。でも、そもそも研究とは「他人から評価される事 を目的にしてスルもんじゃない」ってのは確かですがね。だから芳雄みたいに『教授に なりたいとかノーベル賞が欲しいってのが人生の目標』っていう浅ましい根性こそが敗 因なんだとは思いますがね。 ¥ あ、n人目に登場する人aがのど自慢した後にaが占めるn人全体の中での順番のなり方は n通りあるから、aがトップになる確率は 1/n で、aがトップになる期待値は 1・1/n=1.n になる というだけの話か。これで理屈は合う。簡単な話だったのか。 複雑に考え過ぎたみたいだ。 あとは、>>46 のような期待値の総和を取ればいいだけだ。 ちなみに、>>46 では n≧2。n=1 のときは考えても意味がない。 これで、体操だのに似ている云々とかいうこととの整合性も付く。 だが、 >>トップが入れ替わる「平均回数」 をどう読んでも、 >トップが入れ替わる「期待値(確率)の総和」 を指しているとは思えん。 本来は「トップが入れ替わる平均値(平均回数)」の筈だ。 「平均(値)」や「期待値」とかを区別せず、 同じ意味で使っている人がいるらしいんだよな。 >>48 n人分の入れ替わり回数の期待値 =1人毎の入れ替わりの期待値のn人分の総和 だが? >>49 それは承知だが、各歌い手が出てくる場面を想定して、 新しく登場する歌い手がトップになるような、n-1 回分の採点場面を考えても同じ。 そのような採点場面の後では、新しい歌い手しかトップになり得ない。 むしろ、そっちの方が考え易い。 確率の総和なんていわれると、理屈が分からんわ。 何も根拠を示さず、立式だけして求めるって、中学入試か何かの問題か。 >>44-45 ¥さん、どうも。スレ主です。 独創を阻むもの 哲学不在と没個性 永田 親義著 1994/12 アマゾンから下記。古書で、\317 良 というのがあったので、発注しました。 まあ、昔から漠然と言われていますよね、これ(^^ 実感でもあります(^^ まあ、カスタマーレビュー下記 https://www.amazon.co.jp/dp/480520477X アマゾン トップカスタマーレビュー 5つ星のうち 5.0素晴らしい哲学的考察 投稿者 beta 投稿日 2015/4/13 形式: 単行本 読み終えてその深い考察に感銘を受けた。名著だと思う。著者は量子化学から癌の研究に入り、フリーラジカル説を提唱した人で、科学者としての実績があるし、それに加えて専門外の文系の書物もよく読んでいる教養人である。 「よい研究をするには」といったテーマの本は巷にたくさんあるが、どれも「どうすれば論文をたくさん書けるか」といった表面的な本だったり、「流行を追うな・思い込みに囚われるな」といった断片的なアドバイスの寄せ集めだったりする。 本書もそんなものかと思っていたが、読むと、なぜ日本発の独創的な研究が少ないのかを古代ギリシア哲学にまで遡って説明しようとしている。 そんな大げさな、という気が最初はしたのだが、やはり科学も文化の一部であり、それを育むものは世代を超えて受け継がれる空気のようなものだと気付くにつれ、むしろ正当なアプローチだと納得させられる。 この本が書かれた当時は日米貿易摩擦が喧しく、それが執筆の動機になったようだが、現在でもこの本の主張はいささかも損なわれていない。 応用研究にも増して基礎研究の充実が大事であり、すぐに「役に立つ」ことが研究の動機でなくてもよい、という著者の意見は、残念ながら今の日本の研究者にも、一般人にも、共有されていないようだ。 著者は日本の未来を憂えていることだろう。 5つ星のうち 2.0共感を得るのは難しそう 投稿者 山田 尚寿 投稿日 2014/10/10 形式: 単行本 Amazonで購入 あまりにも専門的で一般の人達に理解してもらうのは難しそう。批判的文面が多かったのも残念 >>44-45 ¥さん、どうも。スレ主です。 下記目次より、「孤独を恐れる」、「扇の要よりもきれいな絵を」、「真似をする研究」、「厳しい批判の欠如」、「和をもって貴しとなす」、「討論のない社会」、「画一性」、「没個性」 よくあるのが、皆で食事に行くと、ある人が「xx」を注文すると、「私も」「私も」「同じ」とか、右にならえになる傾向があったり 日本流「おまかせ定食」みたいなのがある 西洋、特に米国では、いろいろ料理オプションが沢山あって、そのオプションの決定権を自分が持っていて自分が決められることに満足する 日本的には、「なんでこんなに決めることが多いのか?」「決めて下さい」「お任せします」など 自分の個性を出さない日本人 VS 自分の個性こそ生きているあかしの西洋人 みたいな話を思い出しましたね(^^ 日常から、”ボツ個性 VS 個性こそ生きること” という差がありますね(^^ http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0477-X.htm 独創を阻むもの 哲学不在と没個性 永田 親義著 1994/12 (抜粋) 目次 定義を曖昧にする 現実直視を避ける 評価に関する基礎データ 第三者の評価 議論のすり替え 哲学不在と没個性 哲学への誤解 哲学の必要性 論理性 数学の尊重 役に立つ研究への指向 実学と虚学 孤独を恐れる 流行に乗る研究 主流につきたがる 扇の要よりもきれいな絵を 真似をする研究 広い視野とゆとりに欠ける 厳しい批判の欠如 和をもって貴しとなす 討論のない社会 画一性 没個性 天才が育ちにくい 本音と建前の区別 恥の文化と世間体の哲学 彼は福井謙一先生のお弟子さんだと思います。福井先生は工学部に在籍する学生であり ながらも、今出川通りを超えてわざわざ理学部物理へとご自分から出向かれ、量子力学 の講義をご自分の判断で勉強なされ、それがあって『こそ』の後日のフロンティア電子 論の確立でしょうね。こういうオープンな学風は、京都大学であればこそです。金儲け しか眼中に無く、実利とか応用とかのウケ狙いで騒ぐ阪大とは大違いですわ。 しかもそれを「理論物理学は難解で何も出来ない」とリスクを徹底して回避し、そして 安易なアカポスのゲットと安易な教授昇進だけを考えて工学部への進路を息子に強いる 『ド低能な糞芳雄の負け犬根性』には、情けなくて涙が出ますわ。福井先生の好奇心と 向上心、そして挑戦者の精神こそがサイエンスの源であるのは言うまでもないでしょう。 しかも「お前、フィールズ賞を狙ってるんだろう」とのたまう馬鹿な発言からも透けて 見えるさもしい根性の持ち主である糞父芳雄には処罰が必要。打撃を与えて傷を負わせ、 不幸な老後を送らせなければならない。芳雄に対して孫であるとか、或いは幸せな老後 というものは絶対にあってはならない。 芳雄の肉でハンバーグを作って、筑波大学で販売するべき。 ¥ 院生時代の昔話です。私は修士論文を書いてた作用素環の時代から、あのコンヌの非可 換幾何学に惹かれてまして、なので通過儀礼である修士論文以降は作用素環論を捨てて、 そしてコンヌの新理論の後追いをする決心をしました。そしたら当時の作用素環関係の 先輩達は、皆が口を揃えて: ★★★「天才コンヌの後追いをしてもぺんぺん草しか生えてない。 何も出来なくなるので猛烈に危険だから無謀な事は止めろ。」★★★ という警告ばかりでした。こういう状況の中で荒木先生だけが『そうですか、そんなら やったらどうですか。』と仰られ、作用素環では唯一人「全面協力して下さった」とい う経緯がありました。 こういう状況でAtiyah-Singerの基礎的な論文とか、或いは代数的位相幾何学とかの、 そういう関係論文を必死で勉強する博士課程時代を全面的に支えて下さった荒木先生に は心から感謝しています。荒木先生が超一流の研究者であらせれる所以が正にココにあ ると言えるでしょう。 後日コンヌ氏ご本人に「日本人の作用素環関係者が後追いを反対した」(誰がそう言っ たかも含めて)と報告したら、彼は『そういう狭い考え方は間違ってる。荒木が正しい』 の一言でしたね。本物のプロの数学者の姿が、正にココにあります。 ¥ 追加:芳雄のケケケ、ケンキュウを思い出すと、情けなくて涙が出るワ。芳雄はオツム の中が、既にぺんぺん草w ついでにコメントします。私は(日本の)作用素環関係者の閉鎖性とか興味の範囲の狭 さが猛烈に窮屈で嫌であり、なので余り良い印象を持てませんでした。ですがこういう スペクトラムの狭さは「何も作用素環に限った事ではない」という事を、後日筑波で知 りました。そしてこの狭さは、解析関係の特徴という訳でもないでしょう。代数でも幾 何でも、分野によってはこういう事を確実にしています。 勿論、ある特定の個人がどの範囲に興味の範囲を持つかは「その個人の勝手」ですから、 従ってこれは、どの個人に対する批判にもなりません。ですが: ★★★『ある特定の人間の集団がその全員で「ある決まった囲いの中」から外に出ない。』★★★ というのは、特に自由を重んじるべき数学では、猛烈に異常だと思います。 何処の国にもこういう人間の集団が居るには居ますが、でも日本はこういう傾向が物凄 く強く、それが各分野の閉鎖性とか、そして閉塞性に繋がってると思います。例えば、 「お前は工学部のクセに…」という台詞は、この馬鹿板でも良く見ますわ。 ¥ 注意:勿論フランスがベストだと言ってる訳でも必ずしもありませんが。 芳雄は背割りにして肉骨粉に加工し、豚の餌として北朝鮮に輸出するべき。 ¥ >>50 >確率の総和なんていわれると、理屈が分からんわ。 お前がバカなだけ。 >何も根拠を示さず、立式だけして求めるって、中学入試か何かの問題か。 お前がバカなだけ。 >>48 >「平均(値)」や「期待値」とかを区別せず、 >同じ意味で使っている人がいるらしいんだよな。 「平均」という書き方で何の問題もない。 この問題では一様分布が(暗黙に)仮定されているので、 「平均」は「期待値」と全く同じ意味になる。 お前がバカなだけ。 >>48 >だが、 >>>トップが入れ替わる「平均回数」 >をどう読んでも、 >>トップが入れ替わる「期待値(確率)の総和」 >を指しているとは思えん。 お前がバカなだけ。平均回数を計算すると、 結果的に「ある種の確率の総和」が出てくる。 お前はその答えだけを見せつけられて 「これのどこが平均回数なんだ。確率の総和を求める問題なら、 平均回数という書き方はおかしい」 とバカな勘違いを起こしている。 >>57-59 >「平均」は「期待値」と全く同じ意味になる。 内容が曖昧になるし、誤解の下になるから、こういう操作は出来ない。 本来は「平均」と「期待値」は異なる概念だ。 これは基本的なことだ。 >>60 >内容が曖昧になるし、誤解の下になるから、こういう操作は出来ない。 こ の 問 題 で は 一 様 分 布 が ( 暗 黙 に ) 仮 定 さ れ て い る の で 、 「平均」は「期待値」と全く同じ意味になる。 内容は全く曖昧にならないし誤解の元にもならない。お前がバカなだけ。 >>61 確率分布が一様分布のとき、「平均」と「期待値」は等しくなる なんてことは、必ず確率論の本に書かれているか。 >>62 そこを認めるなら「平均」という書き方で何の問題もないじゃん。 >>61 まあ、>>62 のようなことは、必ずしも確率論の本に書かれているとは限らないだろうな。 「平均」と「期待値」とを同じ扱いすることは、第3者から見たらマイルールに過ぎない。 >>63 >本来は「平均」と「期待値」は異なる このことは、誰でも合意する基本的なこと。 だから、本来は「平均」と「期待値」とは同じ扱いはしないのがいい。 誤解が生じるようなことはなくなる。 >>64 バカじゃねーの。都合が悪くなったからって マイナールール扱いしようとしても無駄だよ。 Ω は有限集合とする。A⊂Ωに対して P(A):= (Aの元の個数) / (Ωの元の個数) と置くことで標準的な確率空間が得られる。 また、任意の確率変数 X:Ω → R に対して ( Σ[ω∈Ω] X(ω) ) / (Ωの元の個数) = E(X) が成り立つ。左辺は X の平均値であり、右辺は X の期待値である。 すなわち、「平均」と「期待値」はこの確率空間において全く同じ意味になる。 特に高校数学などでは、「期待値」という概念の出発点がこのような「平均」から 始まっているはずである(実際、俺が高校生のときは平均こそが期待値の出発点として教わった)。 演習問題を1つとってみても、サイコロを1つ振ったときの、出る目の期待値を求める問題では (1+2+…+6)/6 が求める期待値となり、もちろんこれは「出る目の平均値」を求めているのと 全く同じことである。・・・という簡単な事例を踏まえても、「平均」という表現が マイナールールなんてほざいているバカはお前しかいないだろう。 >>65 >だから、本来は「平均」と「期待値」とは同じ扱いはしないのがいい。 >誤解が生じるようなことはなくなる。 カラオケバトルの問題では変な確率空間を考えているわけでもないのに、 そこに「平均」と書かれていて「期待値」と読めないのはお前だけだよバカタレ。 >>66 私は>>39 のように、新しく歌い手が登場するような各回数の中での離散確率空間を構成したんだ。 >>67 >そこに「平均」と書かれていて「期待値」と読めないのはお前だけだよバカタレ。 理屈を付けて、裏付けをして考えてみたが、そんなことは読み取れんな。 「平均」と「期待値」とが同じ意味になるというのは。私にとっては結果論だ。 >>69 百歩譲って「平均値」と「期待値」を完全に別物と解釈した上で カラオケバトルの問題に取り組んで 「期待値のことはさておき、問題文に書いてあるとおりに 平 均 値 を求める」 という態度で問題を解いても、>>66 を「定理」として経由することで 平均値 = 期待値 = 1/2+1/3+…+1/n という導出が結局は通用してしまう。より詳しく言えば、 「期待値は無視して文字通りの平均値を求めることにしたのだが、 定理として『平均値=期待値』が成り立つがゆえに、期待値を求める問題に帰着させた」 というスタンスを取ったことになる。 従って、平均値という記述を「期待値」と読み替えずに「平均値」という解釈のままで 問題を解いたとしても、期待値による解答は依然として有効なのであり、 お前が言っていることは結局は難癖にすぎないことになる。 つまり、お前がバカなだけ。 >>70 >お前が言っていることは結局は難癖にすぎないことになる。 理屈を付けて、裏付けをして考えてみることや >「平均」と「期待値」とが同じ意味になるというのは「、」私にとっては結果論だ。 と書いたことが、何故難癖を付けたことになるんだ? >>71 お前のもともとの主張は 「平均と言っておきながら期待値の総和を求めているのはおかしい。 期待値の総和なら期待値と書くべきであり、平均と書くべきではない」 というものだったはずだ。しかし、お前のこの主張は難癖だと言っているのである。 >>72 はいはい、分かりましたよ。 まあ、問題文では一切誤解が生じないようにするのがよいと思うが。 >>73 >まあ、問題文では一切誤解が生じないようにするのがよいと思うが。 だからね、現状での問題文でなんの誤解も生じてないんだよ。 「平均値」のままでいいの。なぜなら、「平均値」を「期待値」と読み替えずに 「平均値」の解釈のままで問題を解いても、全く同じ解答が通用するから。 その理由は >>70 に書いたので読み直せ。 結局、お前が難癖をつけていただけ。 お前の言い分は1ミリも通らない。完全にお前の難癖。 >>74 はいはい、分かりましたよ。 私の単なる難癖に過ぎなかったですか。 これでお気に召しましたか。 >>74 >>75 の訂正: 難癖に過ぎなかったですか。 → 難癖に過ぎなかったです「ね」。 >68を見落としていたので、これにもレスしておく。 >>68 >私は>>39 のように、新しく歌い手が登場するような各回数の中での離散確率空間を構成したんだ。 問題外である。>>39 では、そもそもの設問を 「別々の確率空間における期待値を求めて、その総和を求めよ」 という設問に変更してしまっているように見える。 これでは、値としては Σ[i=2〜n] 1/i になっても、 それが変更前の元々の問題で提示されていた平均値なり期待値になりに 一致することが全く証明できていない。 というか、>>39 をよく読むと、おっちゃんは カラオケバトルの問題設定が正確に把握できていないようである。 おそらく、設定が正確に把握できないがゆえに、 Σ[i=2〜n] 1/i という答えから逆算して、上記のように設問を変更して、 「この設定下ではこうなるということを書いてみただけ」・・・ということなのだろう。 本当に問題外である。 >>77 >おっちゃんはカラオケバトルの問題設定が正確に把握できていないようである。 検索して調べてみたけど、「カラオケバトル」という言葉はなさそうだ。 そもそも、「カラオケバトル」というモノやその問題設定がよく分からん。 >>46-47 ,の訂正: aがトップになる期待値は 1・1/n=1.n になる → aがトップになる期待値は 1・1/n=「1/n」 になる ちなみに、「カラオケバトル」で検索すると「THEカラオケ バトル」という番組名のサイト ばかりが出て来るんだが、例の問題における「カラオケバトル」って何のことだ? フィギュアスケートや体操とかの採点競技 に例えるといいというアドヴァイスの理解さえ苦しんだが。 芸能番組は興味がないし、テレビは長年といっていい程暫く見てないから、 そういう番組のことをいわれても全く分からんぞ。 >>79 おっちゃん、どうも、スレ主です。 横から悪いが(^^ なに、”バカな話”に乗せられているんだ??(^^ 3人でカラオケ、一人はカラオケ名人全国大会優勝クラス、一人は少しうまい程度、一人はへた 採点基準か何かしらないが、常識的には、順位は不動でしょう? ”入れ替わり無し”だよ というか、定義だよ、定義! 「一人はカラオケ名人全国大会優勝クラス、一人は少しうまい程度、一人はへた」の定義だ 「定義を曖昧に議論するな」ってこと >>52 の”独創を阻むもの 哲学不在と没個性 永田 親義著 1994/12”「定義を曖昧にする」の通りだよ(^^ <参考> 過去スレ35 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1497848835/415 415 名前:132人目の素数さん[sage] 投稿日:2017/07/05(水) 06:23:27.08 ID:VRdN7kIX (抜粋) n人の人がカラオケバトルしたとします トップは平均何回入れ替わるでしょう? ・当たりまえですが、採点基準は皆同じ(えこひいきなし) ・採点の分布は問題の答えには依存しません (えこひいきなしの条件のみから答えが導けます) (引用終わり) >>53 ¥さん、どうもスレ主です。 >福井先生は工学部に在籍する学生であり >ながらも、今出川通りを超えてわざわざ理学部物理へとご自分から出向かれ、量子力学 >の講義をご自分の判断で勉強なされ、それがあって『こそ』の後日のフロンティア電子 >論の確立でしょうね。こういうオープンな学風は、京都大学であればこそです。金儲け >しか眼中に無く、実利とか応用とかのウケ狙いで騒ぐ阪大とは大違いですわ。 福井先生は、工学部だったのか(^^ なるほど・・ 阪大は理学石橋で工学吹田だから、ちょっと離れていますよね 阪大は確かに、聞くところ、産学連携なるものに力を入れているという しかし、「産学連携に力を入れろ」が文科省の行政指導らしいですからね(^^ そもそも、文民統制が、軍事だけでなく、理系教育までとなると、大きな問題ですが 余談だが、いま文科省はモリカケ問題で、火がついているから、数学教育どころじゃないかもですが(^^ >>81 >3人でカラオケ、一人はカラオケ名人全国大会優勝クラス、一人は少しうまい程度、一人はへた 問題文を読む限り、そういう風にカラオケの上手下手があって、 カラオケがウマい人から順番に歌って行き、最後はドベで終わるというような設定はない。 場合によっては同じレベルの人がトップを狙うような」ことがあり得る。 最初問題文を読んで「カラオケバトル」がどういう代物か全然分からなかったから、 「カラオケバトルとは何ですか?」って聞いたんだけど、 出題者からのその問いへの説明や返答は一切なし。 正に出題者側のマイルールの適用だ。 >>81 >>84 の上から4行目の訂正: トップを狙うような」ことがあり得る。 → トップを狙うようなことがあり得る。 >>54-55 ¥さん、どうもスレ主です。 >コンヌの新理論の後追いをする決心をしました。そしたら当時の作用素環関係の >先輩達は、皆が口を揃えて: >★★★「天才コンヌの後追いをしてもぺんぺん草しか生えてない。 > 何も出来なくなるので猛烈に危険だから無謀な事は止めろ。」★★★ >という警告ばかりでした。こういう状況の中で荒木先生だけが『そうですか、そんなら >やったらどうですか。』と仰られ、作用素環では唯一人「全面協力して下さった」とい >う経緯がありました。 荒木 不二洋先生ですよね。荒木先生のことは、過去スレでも紹介したと思うが 深いことは分かりませんが、荒木 不二洋先生は、「量子力学の基礎付けがまだまだ不十分だ」という問題意識があったように思います。 それは、湯川先生からの伝統ではないかと。「素領域理論」でしたよね。まあ、この話題も過去スレに書いたと思うが コンヌの新理論は、例のフィールズ賞で、富田竹崎理論を完成させたみたいな話だったと覚えています(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E6%B4%8B 荒木 不二洋(あらき ふじひろ、1932年7月28日 - )は、日本の数学者。数理物理学者。京都大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。専門は場の量子論・量子統計力学の代数的構造論、作用素環論。父は元京大教授荒木源太郎。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/37/4/37_4_277/_article/-char/ja/ 日本物理学会誌 Vol. 37 (1982) No. 4 P 277-281 素領域理論(<特集>湯川秀樹博士追悼) 梅村 勲 1) 京大工 PDF https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/37/4/37_4_277/_pdf https://www.jstage.jst.go.jp/article/sugaku1947/26/4/26_4_330/_pdf 作~用 素環論 の最近の発展 - J-Stage 荒木不二洋 著 - ?1974 つづく >>86 つづき こんなのも https://srad.jp/ ~taro-nishino/journal/589621/ taro-nishinoの日記: アラン・コンヌへのインタビュー 第一部 2015年02月02日 (抜粋) 最近、マーティン・デイビス博士のApplied Nonstandard Analysis[応用超準解析]を再読しました。私がこの本を最初に読んだ時は大学院生になってからですので随分遅いです。 その時は塾のバイトのために高校生を教える必要があったことがきっかけでした。この塾は進学塾や予備校というものではなく、普通の高校生が来ていました。 早い話が俗に言うところのエリートではなく、せめて学校の授業に付いて行けるようにということで通っている生徒達が殆どでした。 では、何故デービス博士の本なのかと言いますと、高校で習う微積分というのは無限小解析[超準解析の前身です]まがいのことをしていて、 要領のいいエリートならともかくも、普通の高校生ならあれに疑問を持たないのが不思議でして(エリートなら疑問に思っても悩まないし、そもそもそんなところに時間を消費しない) 前置きが長くなりました。超準解析の研究から出発した高名な数学者に、御存知アラン・コンヌ博士がいます。コンヌ博士が作用素環の研究に入ったのは竹崎正道博士の本との運命的な出会いからでした。 今回紹介するコンヌ博士のインタビュー記事"An interview with Alain Connes, Part I"でも、このことに触れています。 なお、このインタビュー記事は EMS Newsletter March 2007 (PDF)の中に収録されているので、原文に関心がある人は該当ページを探してください。 そのインタビュー記事の私訳を以下に載せておきます。なお、注釈へのインデックスも注釈部も省きました。 蛇足ながら、コンヌ博士の言う竹崎博士の本とは、おそらくTomita's Theory of Modular Hilbert Algebras and its Applicationsだと思います。 [追記:10月2日] アラン・コンヌ博士のインタビュー記事は他にも"IPMにおけるアラン・コンヌへのインタビュー"があります。私見によれば、そちらの方が博士の本音が出ているように思います。 アラン・コンヌへのインタビュー 第一部 2007年3月 (引用終わり) 以上です 阪大は文科省の犬みたいな大学ですわ。何でもカンでも、とにかく「必修で雁字搦め」 ですわ。あんな所じゃ何も考えられませんわ。でもソコが(強制収容所みたいで)芳雄 の好みだったんでしょうね。実学とか実利とか、とにかくそういう応用何チャラっての。 芳雄ってのは抽象的なものが大嫌いなんですわ。でもそれは『自分のアホオツムでは理 解が出来ないから』ですわ。若い時に京大理学部で「秀才に斬り付けられたから」でし ょうね。とにかく京大の事は悪し様にしか言わんもんね。 要は『芳雄こそは重症の秀才コンプ』であり、その醜い秀才コンプを「自分の馬鹿息子 に押し付けた」って事ですよ、数学科とか理論物理に猛反対したのは。そしてそういう 妨害行為をしておきながら、でも必死で大学院受験勉強をして数理研に合格してからは、 それこそ「フィールズ賞を狙え!」ってね。そりゃ殺意も湧くわさ。 数理研の大学院の合格の為に『どれだけ辛い思いをさせられたか』と、そしてそれが 『誰のせいなのか』を芳雄は重く受け止めるべき。だから奴は当然に罰を受けるべき。 ¥ >>84 おっちゃん、どうも、スレ主です。 >出題者からのその問いへの説明や返答は一切なし。 >正に出題者側のマイルールの適用だ。 定義を確認しない方が悪いだろうさ あるいは、自分で、「こう定義するからね〜」と宣言して、議論を始めるべし どちらか二択だろう(^^ >>89 >定義を確認しない方が悪いだろうさ 私自身で「カラオケバトル」の定義の確認は出来ん。 「カラオケバトル」で検索してもそういうサイトは出て来なかったんだからな。 >あるいは、自分で、「こう定義するからね〜」と宣言して、議論を始めるべし マイルールの適用になるし、こんな下らないことをしてまで、 長々しい議論する気はなく、そういうことをする価値はない。 出題者が想定していた定義と私が設定した定義が違っていたら、やった意味がなくなる。 元の問題はそういう問題だ。 芳雄こそは絶対に許さないので。最後の最後まで追い詰めてやるだけだ。 ¥ 安パイ狙いの秀才コンプ野郎には、打撃を与えて罰が必要。そういう発想をしておきな がら『研究者としての基本的態度』を偉そうに他人に説く。でもその中身は「自分に屈 服せよ」ってだけ。だから当然に罰を与えるべきだ。絶対に許してはならない。 芳雄は逃がさないので。 ¥ >>89 >>90 の下から2行目の訂正: 出題者が想定していた定義 → 出題者が想定していた「状況や場面」 まあ、例の問題では、現実に、そういう出題者が想定していた定義や状況 と私が想定していた定義や状況の食い違いのようなことが起きたのだ。 例の「生命とは何か」というシュレディンガーの本が出版されて、それから程無くして 10年程度でワトソン・クリックの『二重ラセン構造の発見』でノーベル賞。芳雄の京都 での学生時代はそういう時代背景。しかも湯川先生がノーベル賞を受賞なさって、だか ら京大理学部では『理論物理に非ずば人に非ず』ってな状況だったでしょうね。実際に その当時湯川研で超ド秀才大学院生だった荒木先生の話では: ★★★「湯川研に大量の院生が集まって、なので廊下に机を置いて、そして廊下でセミナーした。」★★★ という活況だったそうだ。 だから満州からの引揚者であり、愛媛高校から京都に来たアホ芳雄は(秀才から)その 毛並みの悪さも相俟って、徹底的に馬鹿にされたんだろう。そして理論物理とかで斬り 付けられて悔しかったんだろう。芳雄のオツムじゃ量子力学も統計力学も、到底無理だ からだ。 こういう奴に限って数学や理論物理を目の敵にする。不見識野郎としか言い様がない。 こういうサイエンスに害毒を垂れ流す嫉妬野郎はサッサと灰になるべきというものだ。 ¥ 訂正: 荒木先生の話 ⇒ 荒木先生のお話 ¥ 追加:どうして世の中にはこういう「月とスッポン」みたいな違いがあるのかw 芳雄みたいな脳の悪い害毒野郎はサッサと灰になるべき。秀才の邪魔するんじゃない。 ¥ >>98 秀才なことと独創的なこととは全く別だが。 芳雄はオツムが腐ってるくせに、生物学者として悔しいのか、ノーベル賞のワトソンと かクリックとかに嫉妬したんだろう。そして立役者の理論物理を悪し様に、そして京大 理学部を「共産党の巣窟」とかの大嘘でけなし、馬鹿にしたほら吹き嘘吐き野郎だ。 そんなアホオツムでジャックモノーがどうしたとか、そういう偉そうな事を言って、 ほんで『理学部の教授でござる』ってのは、当然にダメだ。 頭蓋骨を斧で割って、その腐った大脳を新品のスポンジに交換してから言え。 或いは自分の頭の皮を剥いで、それを自分で喰ってから言え。禿げてるから老人でも 食べやすいだろう。サッサと喰え。 ¥ >>100 まあ、作用素環がしたくて、そのために留学したのに、 作用素環で業績を上げず痴漢したような人が書いても、 その文章には説得力がないな。 芳雄の特徴: 1.論理性が全くない。 2.相手の顔色を窺って、話を適当に合わせるだけ。 3.言葉遊びをし、見せ掛けと口先だけ。 4.何とでも言い逃れる。 こういう不埒者に独創性がある『筈がない』。しかも「イエスマンが大好き」であり、 自分の優秀な大学院生に冷や飯を喰わせるも、後日には東北大学理学部教授に。その一 方でお気に入りだった院生は、気の毒な事に。 芳雄は低能であり、サッサと灰になるべき。葬式を行う権利もナシ。墓石は砕いて線路 のバラストにすべき。毎日列車の便所から芳雄の骨に糞尿が掛かるだろう。 ¥ 芳雄は剥製にして、京大理学部に晒すべき。大学教授にナル事だけが人生の目的であり、 その道具として学問を用いる不埒者は『死して恥を晒す』とし、京大理学部学生に対す る警告とするべき。京大の卒業生としては絶対にあるまじきド低能の代表格だからだ。 ¥ >>103 >こういう不埒者に独創性がある『筈がない』。 論理性論理性と説いておきながら、逆にそういうことを書いている 「自分(子供の\)」が「芳雄」さんの考え方に近付いているようですなw そもそも芳雄は顔も悪く、その脳の悪さがソコには滲み出てる。ああいう偽善者の顔が 高貴な学問の純粋性を濁らせ、そして害毒を垂れ流す。なのでバーミヤンの大仏みたい に削るか、或いはお面を接着剤で貼って、その醜さを覆ってしまうべき。 芳雄の醜い顔は、社会の迷惑である。 ¥ >>105 まあ、\のいっていることはどうでもいいよ。 釈迦に説法ってヤツだ。 >>81 >なに、”バカな話”に乗せられているんだ??(^^ 以下の話を読む限り、 最も頭が悪いのは>>1 のようだ >3人でカラオケ、 >一人はカラオケ名人全国大会優勝クラス、 >一人は少しうまい程度、 >一人はへた なぜいきなりn人が3人になるのかがわからんな >>1 が原始人で、知ってる最大の数が3 とかいうなら分かるが・・・ しかし頭が悪いと思ったのは ↑のコメントではなく↓のコメント >採点基準か何かしらないが、 >常識的には、順位は不動でしょう? >”入れ替わり無し”だよ なぜ一番上手い人が一番はじめに唄うのかね? >>84 >問題文を読む限り、 >カラオケの上手下手があって、 >カラオケがウマい人から順番に歌って行き、 >最後はドベで終わるというような設定はない。 カラオケの上手下手はもちろんあるだろう そうでなければバトルする意味がないからな カラオケがウマい順に歌うなんていう 不自然な設定はないことも 「トップは平均何回入れ替わるでしょう?」 の問いから明らか 要するに順番は無作為ってこと こんなこといわずもがなだがな おっちゃんでもわかることが >>1には全然分からんらしい カラオケバトルの流れ ・1人目歌唱後 採点 1人目 トップ ・2人目歌唱後 採点 トップ交代 確率1/2 (2人目トップ) そのまま 確率1/2 (1人目トップ) ・3人目歌唱後 採点 トップ交代 確率1/3 (3人目トップ) そのまま 確率2/3 (1人目もしくは2人目がトップ) ・4人目歌唱後 採点 トップ交代 確率1/4 (4人目トップ) そのまま 確率3/4 (1人目〜3人目のいずれかがトップ) ・・・ ・n人目歌唱後 採点 トップ交代 確率1/n (n人目トップ) そのまま 確率(n−1)/n (1人目〜n−1人目のいずれかがトップ) >>110 補足 まあ、陸上の走り幅跳びとか、ハンマー投げとか 複数の試技を行う競技があるだろ 1回目の試技でトップだった人が 最終の優勝者とは限らない。そういうことだろうかと思ったが・・? ところで、n人というが n=2なら、最初の一人の試技の段階でトップと呼ぶのかね? 常識的には、一人しか成績が出てなければ、 トップとは呼ばないよね、日本語としては 一人しか成績が出てなくても、トップとは呼ぶなら それは定義の問題だわな〜。n=2でも、トップの入れ替わりありだとか云々とか で、何が言いたかったんだ? ”「カラオケバトル」という素晴らしい番組を、いつも見ているんだ”ということを言いたいのかい?(^^ そろそろスレ主にもわかる話題を提供してやれよ 実力に見合う良い問題に触れさせることが成長の一歩だと思うぞ >>87 補足 <追加抜粋引用> 貴方が近いと思う過去の数学者はいますか? 近いと言わないが、特に崇拝する人がいる。ガロアだ。彼の書く物には非常に際立った特徴がある。その定式化は驚くほど簡明だ。例えば、"n個の異なる根を持つ方程式を考える。その時、最初の命題、その根を置換する時、n!個の異なる根を持つ有理函数が存在する。そして、二番目の命題、根はこの函数の有理函数である"。 その定式化の当てにならない簡明さにもかかわらず、これらの命題を使ってガロアは遥か遠くに進むことに成功する。有理函数のn!個の異なる値である根の方程式を彼は書下ろし、それを既約因子に分離して、それらの一つを選び、元の方程式の根がこの因子の根にどのように依存するかを書き、群に気がつく。 そして、その方法に沿って為された選択全体に、この群が依存しないことを彼は示す...これを達成するために、ユニークな概念"この群により不変である時かつその時のみ、根の函数は有理的に決定される"によって抽象的に群を特徴づける。 とても簡明だ。私が素晴らしいと感じることは、抽象化のパワーを使う、この種の飛躍、事柄を概念化する際の非常に大きいステップだ。ガロアの直観力は対称性の考えにではなく、不確定の概念を基礎としている。 単純に皆は彼がある函数の不変群を研究したと言うかも知れない。しかし、ガロアの最初のステップはまったく逆だ。すなわち、全く不変でない函数を選ぶことで、彼は可能な限り対称性を壊す。 彼以前の数学者達―カルダノ、ラグランジュ―は根の対称函数を用いて研究した。アーベルの意思においてガロアは逆をする。彼は出来るだけ少ない対称性を持つ函数を選んでいる。 つづく >>117 つづき 私の印象に残ることは、これらのアイデアの豊穣さだ。これらを掴むために私達が開発して来たいろいろな形式論は、それらのアイデアの力をまだ使い尽くしていない。ガロアのアイデアは明瞭さ、明るさ、今日まで手付かずのままで現在までの数学者達の共鳴を得る、刺激的で潜在的な考え方を持つ。 それらは、淡中圏またはリーマン-ヒルベルト対応のような偉大な概念を生成して来ている...これらのアイデアは大変美しいが、しばしば余りにも杓子定規に記述されているから束縛のように見え、ガロアがそれらを解き放った時点から自由になっていない印象を受ける。 ガロアのアイデアの他の化身は微分ガロア理論とモチーフ理論だ。モチーフ理論はガロア理論の高次元の類似と見なすことが出来る。 しかし、ガロアが考えていたことを彼が以下のように書いた時に、私達は現実に理解した。 長期間の私の主な熟考は、不確定の理論の超越的な分析への適用に注がれた。これは、どの交換がなされ得るのか、関係が発生しなくならないように与えられた量をどれくらい置換えるのか、その量または超越的作用の間の先験的関係においてだった。 探す能力のある多くの式が不可能だとすぐに分かった。しかし、私は時間が無く、この広大な分野でアイデアはまだ十分に発展していない。 インスピレーションのソースとして初期の私を助けた他の数学者達の例がある。 つづく >>118 つづき 私のしていることに彼等が近いからではなく、彼等がしていることを私は崇拝する。最初に、計算方法が素晴らしいと思ったから、私はヤコビに魅了された。そして、フォン・ノイマン―彼の発見したものの深さと彼がそれを語る流儀...そして、もちろん富田。 私は富田の得体の知れない個性に魅了された。富田は、社会が非常に独創的な人に対して仕掛けがちな罠を避けることに成功して来ている人だ。 彼は2歳の時に耳が不自由になった。彼が研究を始めた時、彼の論文指導者は"この本を読んだら、返しにおいでなさい"と言って、分厚い本を彼に与えた。 彼は2年後にたまたま論文指導者に出会い、論文指導者は"本はどうなっているの?"と彼に尋ねた。それに対して"いやぁ、一週間後に失くしました"と富田は答えた... しかし、もっとも新鮮でもっとも鮮明なソースはガロアだと思う。 非常に奇妙だが、私はガロアと簡明さと豊穣さのパワフルな混合を切り離したことがない。 つづく >>119 つづき 作用素環と偶然の出来事: どのように始まったのですか? 1970年に私はショケーに送られてレ・ズッシュ夏期講習会[物理学]に行った。その時、超準解析を研究していたが、しばらくして理論の落とし穴を見つけた...問題は超準数を持つとすぐに非可測集合を得ることだ。 ショケーのサークルでは、ポーランド学派をよく研究していたので、名前を挙げられるすべての集合が可測だと知っていた。だから、物理学をするために超準解析を使おうとすることは失敗だと完全に宣告されたように思われた。だが、それが1970年のレ・ズッシュへのパスポートとして私に都合がよかった。 そして、そこからバテル研究所のフェローとして雇われ、シアトルに招待された。私は殆ど米国を訪れるために了承した。つまり、プログラムを見もしなかった。そして、発生した偶然の出来事は、私の兄弟を訪ねるためにプリストンに止まり、プリストンの本屋でランダムに一冊の本を買ったことだ。 竹崎による富田理論についての、私を魅了した本に出会うまで私は多くの本の中でためらった。長時間の列車旅の予定を分かっていたので、その本を買った。米国中西部の平原を通り抜ける旅の間、私は本を凝視した。 読んだとは言えず、実に難し過ぎた。そして、もっとも異常な偶然の出来事は、私がシアトルに着いた時、初日に行きカンファレンスのプログラムを見て、富田理論についての竹崎の講義があった。 その日から、私は"まさにそれだ。他のどんな講義にも行かない。ただ竹崎のものだけ"と自分に言い聞かせた。 つづく >>120 つづき あまり科学的態度ではない... そう。さらに、この時に私は日本のすべてのことに魅了された。私が全然知らない、全く違う何かに感受性のレベルにおいてもっと多かった...得られる教訓があるとするなら、これは私が当時夢中になっていたアイデアの範囲から私に手を引かせた。 そしてその時にちょうど、もう一つ別の偶然の出来事があって、私が帰国した時、幸運のもう一つの打撃があった。私は富田理論を少し、ほんの少し分かった。研究出来なかったが、帰国した時、作用素環を扱うパリのセミナーに行こうと自分に言い聞かせた。 だからディクシミエのセミナーに初めて行ったが、セミナーは組織だった会合だった。その年の主要テーマは、無限テンソル積に関する荒木-Woodsの研究だった。ディクシミエは出席者の中でちょっとランダムに論文を配っていた。一つだけ残された。 私は手を挙げた。帰りのRER[郊外列車]に乗りながら私は退屈した。渡された論文を少し見て、私は本当にびっくり仰天させられた。論文には、分からなければ私は完全なアホも同然だったに違いなく、富田理論における式と全く合致する式があった。これらの式は、あるベクトルが富田によって定義された作用素に対する固有ベクトルだと語っていた。 一時間後に私は家に着き、"ここに荒木-Woodsの不変式と富田理論がある"とディクシミエに手紙を書いた。富田作用素のスペクトルの交わりから前者の不変式が得られるので、私はその式を彼に送った。私はショケーに育てられたから、これ全体を半ページに書いた。 ディクシミエはすぐに"貴殿の書いていることは全く理解不能だから、詳細を求む"と返信した。それで私は3ページの詳細な返信を書いたが、それは難しくはなくて、私がSと呼んだ不変式を定義出来ると説明した。 ディクシミエは次のセミナー後のために私を予約した。私は彼に会いに行き、その時に彼が言ったことは"Foncez"だったが、それはフランス語で"頑張ってやってみろ!"の強い形だ。それが出発の時点だった。本当に信じられない幸運だった。実際に難しくはなかった。正確にはきちんと書かれていなかったけれども、式の中にあった。 私がパリに残り、サークルの外側へ移動しなかったら、狭い視野で研究を続け、全く異なる分野を開発しなかったであろうことは確かだ。 (引用終り) >>114 >原始人に謝れ _____ /_ | /. \ ̄ ̄ ̄ ̄| / / ― ― | | / - - | ||| (6 > | | | | ┏━┓| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | | ┃─┃| < 正直、スマンカッタ。 || | | | \ ┃ ┃/ \________ | || | |  ̄  ̄| >>117 補足 >単純に皆は彼がある函数の不変群を研究したと言うかも知れない。しかし、ガロアの最初のステップはまったく逆だ。すなわち、全く不変でない函数を選ぶことで、彼は可能な限り対称性を壊す。 この話は、過去スレの3 でもあったね。当時、231から次のスレまで議論は続いた気がする・・(^^ http://uni.2ch.net/test/read.cgi/math/1334319436/231 231 名前:132人目の素数さん[] 投稿日:2012/04/21(土) 15:15:43.09 アランコンヌはガロアの業績の紹介の中で ガロアを対称性の破壊者と呼んでいる。 Brisure de symetrie Le premier pas de la demarche de Galois consiste a briser de maniere maximale la symetrie entre les racines d'une equation en choisissant une fonction auxiliaire largement arbitraire de n variables. 236 自分:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[] 投稿日:2012/04/21(土) 17:55:20.77 >>231-233 乙です いや、面白ね で、231はPS版で、同じ内容のPDF版が下記にあるね http://www.alainconnes.org/fr/downloads.php Alain Connes -- Documents ? La Pensee d'Evariste Galois et le Formalisme moderne [PDF] 259 KB http://www.alainconnes.org/docs/galoistext.pdf [PS] 1.6 MB (引用終り) >>117 補足 >私が素晴らしいと感じることは、抽象化のパワーを使う、この種の飛躍、事柄を概念化する際の非常に大きいステップだ。ガロアの直観力は対称性の考えにではなく、不確定の概念を基礎としている。 ここ"不確定の概念を基礎としている"について、梅村 浩先生の下記を連想したね(^^ https://www.amazon.co.jp/dp/4768703933 ガロア/偉大なる曖昧さの理論 (双書・大数学者の数学) 単行本 ? 2011/11 梅村 浩 (著) http://tetobourbaki.hatenablog.com/entry/2017/02/10/152127 記号の世界 20170210 【書評】梅村浩『ガロア 偉大なる曖昧さの理論』 今回は、ガロアについて書かれたこの本を紹介します。実は、微分ガロア理論まで紹介したすごい本なのです。 >>125 追加 過去スレの3 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/math/1334319436/251 251 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[] 投稿日:2012/04/21(土) 20:06:48.34 >>236 (再録) http://www.alainconnes.org/fr/downloads.php Alain Connes -- Documents ここ、仏語が読めれば面白そうな文献が沢山あるね ・Symetries [PDF] 193 KB http://www.alainconnes.org/docs/symetries.pdf [PS] 6.6 MB 辺を読んでみたらどうだ? 仏語が得意なら この中にGaloisがあるが、どう扱われているか分かるだろう ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, /": : : : : : : : \ /-─-,,,_: : : : : : : : :\ / '''-,,,: : : : : : : :i /、 /: : : : : : : : i ________ r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i / L_, , 、 \: : : : : : : : :i / コピペしたら /●) (●> |: :__,=-、: / < 勝ちかなと思ってる l イ '- |:/ tbノノ \ l ,`-=-'\ `l ι';/ \ ガロア(42・男性) ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヾ=-' / / ____ヽ::::... / ::::| / ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::| >>130 ガロアさん42までご健在でいらっしゃったんですね >>128 バカ同士で会話しても面白くないだろ?(^^ >>87 つづき >アラン・コンヌ博士のインタビュー記事は他にも"IPMにおけるアラン・コンヌへのインタビュー"があります。そちらの方が博士の本音が出ているように思います。 これだね https://srad.jp/ ~taro-nishino/journal/595709/ IPMにおけるアラン・コンヌへのインタビュー taro-nishino 20150907 (抜粋) イランでのインタビューだったから、のびのびと発言出来たのかも知れません。 例えば、猫も杓子も弦理論を叫ぶ愚かな風潮への批判、グロタンディーク氏とその学派の振舞いが傲慢に見えたから距離を置いていたこと、ブルバキ内部の人達の人としての礼儀の無さ、ブルバキの積分論のひどさ(これはコンヌ博士のみならず、本当に読んだことのある人なら普通そう思うでしょう)等々、 ヨーロッパの数学者達の神経を逆撫ですることを語っています。 このインタビュー記事は当時海外において少なくとも私の周辺で話題になりました。周辺以外でも、例えばPeter Woit博士の有名なブログNot Even Wrongにおいて"Interview With Alain Connes" http://www.math.columbia.edu/ ~woit/wordpress/?p=313 と題して言及されました。 G. B. Khosrovshahi(以下、GBK) 私達の最初の質問は、21世紀において何が数学の主なトレンドになると貴方は考えているかです。 アラン・コンヌ(以下、C) ええと幸いにも数学の発展は人が予測出来るものではないし、予測しようとするのは馬鹿げているだろう。私達が数学をすることを好む一つの理由は、未来の研究が解明するだろうものが目の前にあることを知らないからだ。 しかし、私達がより良く理解しなければならない、不思議な構造の実例を説明することは可能だ。数学における"21世紀の課題"についてのトークをしないかと私は最近頼まれたが、長大なリストを与えることよりも、紹介するのは簡単だが、その幾何学がまだ不可思議な、たった2つの実例に私は焦点を絞った。 一つ目は4次元時空、二つ目は素数の空間だ。私は4つのトークで、それらの幾何学の非常に小さな断片を説明したが、明らかに私達はもっとよく知りたい! GBK 貴方の数学的研究でコンピュータを使うだろうと思いますか? C ええと、あのう私は最近コンピュータを大量に使って来ている。 (この後、面白い話が続くが、省略) >>87 つづき https://srad.jp/ ~taro-nishino/journal/590213/ taro-nishinoの日記: アラン・コンヌへのインタビュー 第二部 2015年02月23日 (抜粋) アラン・コンヌ博士と言えば、著書Noncommutative Geometry[非可換幾何学]、Noncommutative Geometry, Quantum Fields and Motives[非可換幾何学、量子場理論、モチーフ理論](Matilde Marcolli博士との共著)が有名です。 これから読みたいと思っている人もいるでしょう。私もある人から前提知識は何なのか聞かれたことがあります。はっきり言えば、こんな質問する人には無理だと言ってもいいかと思います。 今回紹介するインタビューの中でもコンヌ博士が言っていますが、数学のどの分野を専攻するにしても最低限の共通バックグラウンド(微分幾何学、代数幾何学、代数構造、実解析、複素解析)がほぼ仮定されています。 つまり、大学4年間と大学院修士課程で学習するであろう科目すべてを含んでいます。さらに、両著とも物理学の或る程度の素養も仮定されています。それは非可換空間で標準模型を扱っているのだから当たり前です。 例えばラグラジアンが何たるかを全く知らない人が両著のいくばくかの物理の解説を読んでも理解出来るとは私には思えません。 それからもう一つ重要なことがあります。インタビューの第一部でも言及されていましたが、コンヌ博士は計算大好き人間です。従って、極端なことを言えば、くりこみの摂動計算を手でやったことがない人は皮相的な理解で終わる可能性があります。 21世紀の数学は、ユーリ・マニン博士も言っていますが、"量子化"と言うテーマの時代と言っていいのではないでしょうか。つまり、20世紀のように抽象論を振りかざすだけで何とかやっていた時代は終わったということでしょう。 いずれにせよ、インタビューの第二部の私訳を以下に載せておきます。なお、このインタビュー記事は EMS Newsletter March 2008 (PDF) http://www.ems-ph.org/journals/newsletter/pdf/2008-03-67.pdf の中に収録されているので、原文に関心がある人は該当ページを探してください。 (引用終り) 話は、戻るが 過去スレ 33 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1495860664/133 辺りで 『プリンストン数学大全』の話が出たが あれのP1120 VIII.6 「若き数学者への助言」というのがあってね(^^ 数学科の人は、是非読んでおくべきだろう マイケル・アチャ、アラン・コンヌ、ピーター・サルナック 他+2名が書いている マイケル・アチャの話が、特に面白かったね(^^ (抜粋) 「私と同世代ではおそらく抜きん出た数学者であるジャン=ピエール・セールは、自分もある段階で数学を断念することを考えたと私に語った。 二流の者だけが自分の能力をこの上なく過信する。能力があればあるほど自分の基準を高く設定するものだ。つまりは現状より上を見ることができる。」 「物理学に転向した数学者(たとえば、フリーマン・ダイソン)もいれば、別の道に移った数学者(例えば、ハリッシュ=チャンドラやラウル・ボット)もいる。数学を閉鎖的な世界と考えてはいけない。数学と他の学問分野との相互作用は、個人と社会双方にとって健全なものである。」 「数学研究とは証明を提示していくころだと考えるのは間違っている。実際、数学研究の真に創造的な部分はすべて証明段階より重要だと言える。 ”段階”というメタファーを使うならば、あなたはアイデアを持つことから始め、筋書きを広げ、問答を書き、芝居がかった説明を用意しなければならない。実際にできあがったものが、アイデアを実行に移した”証明”と考えられる」 「数学ではアイデアと概念が最初にあって、次に疑問や問題が来る。この段階で解答を求める研究が始められ、解法や戦略を探すのだ。」 (引用終り) >>105 ¥さん、どうも。スレ主です。 ¥さんが、青春期から大学、院、研究者の各段階で、大変つらい思いと体験をされたということは、理解というか想像できます・・ いや辛かったのは茨木芳雄塾という強制収容所の時代と、そしてまあ筑波時代ですかね。 云わば「アレもダメ、コレもダメ、ソレもダメ」みたいな、所謂「飼い犬状態」でした。 でも大学院時代は『愛情を以て論理で砕く荒木先生』からとても大切にして頂きました ので、併せて佐藤師であるとか柏原さんとか、そういう超人数学者と同じ釜の飯を喰う 機会を与えられ、とても感謝しています。荒木先生は正に『私の救いの親』ですね。 素朴な考え方を大切にして、そして『自分を絶対に騙さない恭司さん』からも多くを学 びました。恭司さんも正に「数学者の鑑」だと思いますね。こんな幸せな大学院時代な んて、そうはないと思います。 そしてConnesとの出会いは猛烈に重要な大事件であり、最初に会ったカナダの国際会議 での折には、その帰りに立ち寄ったUCLA(当時は竹崎教授が居られた)でショックから 発熱し、その後はConnes教の信者として猛進する機会になりました。その翌年には英国 で修論の結果を発表した際に、有り難くもConnes師御本人に『ズタボロに砕いて貰った という貴重な体験』をさせて戴きました。この時以来、彼は私の学問上の保護者となり、 現在の私があるのは正に『Connes師のお陰』以外の何物でもありません。Connesさんか らはかなり頻繁にIHESでの貴重な時間を与えて戴き、あの『天国のような時間』こそが 数学の糧となりました。IHESでの研究環境は、正に心の拠り所そのものですわ。 彼は私に取っては友人であり兄であり、そして親の様な、そして最後が指導教官とでも 言うんでしょうか、私に取っては最も尊敬するべき師なのです。 ¥ >>132 >バカ同士で会話しても面白くないだろ?(^^ バカが数学板にいても面白くないだろ(^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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