>>28 追加

これ、ついでに(^^
http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/index.htm Ikuro's Home Page 今月のコラム

http://www.geocities.jp/ikuro_kotaro/koramu/gakkai.htm
■ある学会にて(野田山かわらばんに寄せて)(99/5/18) 1999年のコラム(閑話休題)
 とある学会で、既成の学説を破る新説なり新理論なりが発表されたときの風景である。

1)一瞬、学会場はどよめきの渦に包まれ騒然となる。しかし、講演者はマイナーな学者であり、しかも、非常に話し下手ときている。したがって、参加者の多くは半信半疑の眼で見ている。予想に反し、賛同者は少ないのである。

2)このような演者は学界の権威主義に押しつぶされまいとする個性豊かな人物であることが多い。そのため、妥協を許さぬきびしさで頑強に自説を守りぬこうとする。いま少し柔軟性があればよいのだが、・・・

3)そして、いささか生臭い討論が始まる。学界の権威主義的な体質はいずことて同じなのであろうが、演者には一流の業績を残し大きな影響力をもっている大御所とその取りまき連中からの集中砲火が浴びせられる。ときには、感情的でなりふり構わぬ論争となることもある。

 多少誇張して書いたが、あながちフィクションでもない。たとえば、遺伝の法則を導いたメンデルは終生報われることがなかった。彼は思い悩み、そしてこうつぶやいた。"Mein Zeit wird schoen kommen!"

 当初、賛同者が少なくほとんど顧みられることがなかったメンデルの遺伝学説は、後年その正しさが認められ受け入れられることになった。死後しばらくしてのことである。もし、彼が生きているうちに賞をもらうことになっていたら、開口一番「賞をくれるのが遅すぎる」というであろう。

 メンデルの嘆きが聞こえてきそうな挫折物語であるが、視点を変えてみると、歴史の裏には、彼に先取権(プライオリティー)を先行された幾人かの学者がいて、彼らの失意と落胆は筆舌につくしがたいものであったことが想像される。理論の歴史は弱肉強食・死屍累々であって、多くの試みの中から少数だけが生き残る宿命なのである。

つづく