>>233 追加
「独創を阻むもの 哲学不在と没個性 永田 親義著」でなるほどと思ったことに
1)直観の重要性
2)アイデアの重要性
があります。

”1)直観の重要性”は、
第七章 ”広い視野とゆとりに欠ける”のP164からですが
「直観の重要性」は、ポアンカレの言葉
「直観がなければ、若い精神は数学を理解する道に入門することは不可能である。・・・直観なしにでは数学を応用できるようには決してならないだろう」と
日本の数学教育が、どちらかと言えば、”西洋の完成されたと思い込んでいる数学”を学ぶことだけに重点を置いていて、”西洋の完成されたと思い込んでいる数学”が実は未完成だという認識がない

日本の数学教育が、ロジック偏重で、背景の思想、哲学、直観、アイデアを忘れて、「与えられた定義と論証」に明け暮れる
むしろ、直観を殺すことを良しとする教育。おそらく、京大東大名大九大・・以外は、そんな気がしますね・・(^^
まあ、先生の方も、教えることに汲汲として、底辺では「大外れの素人直観を矯正するのが先」的な気分かも知れませんが(^^
で、だから、結局4年たっても、ポアンカレの言葉の通り

さらに、ポアンカレの言葉「もし直観が学生にとって有用だとすれば、独創的な科学者にとっても、なおさらのこと有用なのである」と(『科学の価値』)

”2)アイデアの重要性”は、P167からありますね
昔どこかで読んだのが、グロタン先生が日本の若手で日本では優秀と言われる人が送った論文を、一瞥して「なんのアイデアもない」と、ゴミ箱へ直行だったと。
まあ、日本的には数学的に綺麗な結果を出した論文だったのかも知れません。詳細は書かれていなかったから分かりません
が、グロタン先生が重視していたのは、アイデア(彼のオリジナルの)だったことは明白でしょうね。(^^

あと、ノーベル賞 福井研で、「論文を読みすぎるな」と。「重要な古典的文献をしっかり読め」と。(どこに書いてあったか見つからないので、箇所は後で)
まあ、「論文を読みすぎるな」というのは、「自分の頭で考えることを軽視するな」ってことでもあり
高木先生の「近世数学史談」の最後に、”第一次世界大戦で西洋の文献が来なくなったので、自分で考えたら類体論が解けた”みたいにありましたが、一脈通じるところですよね